055 朝宮美月は呼ばれたい
「うれしそーだな、美月」
「そう見えるぅ? ふひひひひ」
月曜日の昼休み。
私は同じクラス吉田鈴菜ちゃんと一緒に楽しくお喋りをしている。
ああ、何か昨日からずっと幸福感が収まらない。
恋人同士になったわけじゃないし、関係は今までと変わらないけど大きな進歩になった。
「今日から太一くんのお弁当は私が作ることになったんだ~」
朝、照れた様子で私を美月って呼ぶ太一くんが尊くてたまらない。
男らしくて重厚な声で私の名前を呼ぶたびに心がきゅんと震えてしまうのだ。
「でも美月と小日向が12年前結婚の約束してたなんてな。知らなかったぜ」
「そんな大声で言っちゃだめ! その……約束を覚えてるかどうかは分からないんだけど」
鈴菜ちゃんには私と太一くんの関係を話していた。
2人きりのデートを見られてしまったし、同じ部活の親友にこれ以上隠す必要はない。
約束か……。
太一くんが12年前の私との関係を覚えていたのは間違いない。
もう、それだったら話してくれたらよかったのに……、そしたら私だってもっとアプローチできたもの。
「んでそれが小日向からもらった髪留めか」
「かわいいから付けてきちゃった。料理する時にって言われた髪留めだから明日から家に置いておこうと思ってるよ」
「美月が幸せそうだと何だかあたしも嬉しくなってくんな」
鈴菜ちゃんには本当に助けてもらっている。
学校でも部活でもその小さな体で強く言えない私をかばってくれたりしているのだ。
私も鈴菜ちゃんの助けになれれば……。
「あたしも隠し事を……話そうかな」
鈴菜ちゃんは明るい表情のままだけど少しだけ声のトーンが下がる。
机に手を置き、話し始めた。
「あたしさ、1年の時、小日向に告白したことがあったんだよ」
「え」
その衝撃的な言葉に私は言葉を出せなくなってしまう。
「昔、ちょっと話をしたことあったろ。野球部の3年の先輩がしつこくてさ、参ってたことがあったんだよ。それを小日向が庇ってくれたんだ」
鈴菜ちゃんは言葉は荒いけど、愛らしくて、綺麗な子だ。
今もよく告白されているし、野球部の中でも羨望を受けている。
まさか鈴菜ちゃんが太一くんのことを好きだっただなんて……今までのろけていたことにぞっとしてしまう。
「それで思い切って告白したんだ。そしたら何て言ったと思う?」
「……」
太一くんは交際経験がない。だからフラれたってことになると思うんだけど、そんなこと言えやしない。
「俺には昔から想っている人がいる。だからおまえがいいヤツなのは理解しているが付き合うことはできない。ごめんってな」
「……鈴菜ちゃん」
「でもあいつ……基本野球一筋って言って告白を断ってたんだけど、あたしにはちゃんと好きな人がいるって本音を言ってくれた。それだけでも十分だったよ」
「ごめんなさい」
鈴菜ちゃんは首を横に振る。
「その好きな奴が美月かなって思うことは何回かあったけど、昨日の2人を見てすぐに勘づいた。小日向の想いは思った以上に強かったんだ。あたしには初めからチャンスは無かったんだ」
鈴菜ちゃんは椅子に大きく背中を預けて首を上げた。
「正直、湿っぽくなっちまうから言うか迷ったんだ。でもまぁすっぱり断られた分割り切れたしな。もう吹っ切れたよ」
鈴菜ちゃんはにかっと笑ってみせた。
もし、私が同じ立場だったらどうだろう。こうやってノロけられて平穏でいられるだろうか。
分からない。
「これ聞いたからってあたしに気を使うなよ。あたしは気を使われるのは嫌いだからな。これからも仲良く頼むぜ」
「うん、分かった! ありがとう鈴菜ちゃん」
ちょっと不安だった。親友である鈴菜ちゃんとぎくしゃくするのだけは嫌だ。
これまで通り、鈴菜ちゃんが望むのは本当にそれだろう。だから心で留めていたことを話してくれたんだ。
私ももっと強くならないと……。
「まっ、あたしはいいけど、あの先輩はどうするんだ」
「うっ!」
あの先輩とは3年のマドンナ、天童ほのか先輩だ。
昨日一緒にホラーワールドの中へ入って、いろんな話をした。
話せば長くなっちゃうけど、ただ言えることは……ほのか先輩はライバルということだ。
「小日向を盗られちまったら耐えられるのか?」
「無理」
「へ?」
今度は鈴菜ちゃんがキョトンとした顔をした。
そう、無理なのである。
4歳の頃から太一くん一筋だった私がほのか先輩に太一くんを盗られて無事にいられるのか。
今更、他の男子に目を向けることができるか……? できるわけがない。
だから私は太一くんと結ばれなかった時……そのリカバリーに相当な時間が必要なんだ。
ってか……一生結婚無理かも知れない。
「今更、他の人なんて無理だもん」
「今更って……まだあたしら16だっての」
「うぅ、私から太一くんを奪わないで……太一くんを返してよ。……私の12年間返してよーっ!」
「おーい、戻ってこーい。そもそも、婚期ギリギリならまだしも、あたし達の年齢でそんなこと言うやつ初めてみた」
呆れた目で鈴菜ちゃんに見られるが、私は真剣である。
このポイントで重要なのは実は太一くんの気持ちではないのだ。
一番重要なのは……実は私の気持ち。
「だから絶対に負けない……。私、頑張る」
「おう! 美月が勝てるようにあたしも応援してやっから」
「美月、吉田。ちょっといいか」
突如。
その重厚で優しい声が聞こえて、私の頭の中が真っ白になる。
顔を上げると……1組の教室に太一くんが来ていた。
「昼休み中にすまないな」
「ん。どーした?」
クラス中がざわりとゆらめく。それは恐らく太一くんが私を美月と呼んだことによるものだろう。
動揺した私を察してくれたのか鈴菜ちゃんが先に話をしてくれる。
「明日から期末テスト一週間前で部活が無くなるだろ。その期間のことで話をしたくてな」
「そんなの今日の部活でいーじゃねぇか」
「悪いな。早めに話をしておきたかったんだ。美月と吉田には特にな」
また美月と呼んでくれた。
嬉しい。嬉しい。嬉しい。
太一くんと鈴菜ちゃんが話を進めていく。私は嬉しさで何も考えられず、話をぼっーと聞くのみだった。
「じゃあ戻るな」
ああ、いつのまにか話も終わってしまい、太一くんが私達から離れていく。
まだ私から何も太一くんに話せていない。
教室の扉の近くまで進み、太一くんは私達の方を向いた。
「美月!」
「は、はい!」
大きな声で呼びかけられ、反応してしまう。
「今日部活の後、一緒に帰れるか?」
その太一くんのまっすぐな瞳に私は自然と頷いていた。
そして胸にため込んだこの想いが口から溢れてくる。
「うん、一緒に帰ろ。太一くん」