レジュメに描いた覚えのない闇の深い絵が残ってた件について
きらきらした人生を夢見てた。
高校在学中に恋人を作って、なんだかんだありつつも大学、社会人と仲良く過ごしていたかった。
けど、もうそれは叶わなくて。アパートの一室で、一人寂しくテレビを観る俺を、中学時代の俺が見たらどう思うだろう。
失望するだろうか。するだろうな。
どこで失敗したかなんて考える気力もなく、そもそもの話俺は他人に興味がなかった。恋に恋をしていただけなのかもしれない。そういった意味でも、「夢を見ていた」のだろう。けれど夢は夢でしかなく、俺はついぞ夢を叶えることは出来なかった。
通学も通勤も上手く出来なくなってから、自然と死にたいと思うようになった。生きてても仕方ないのだから、それなら死にたいだろう。しかし恋人の代わりなのだろうか、友人はたくさんいた俺である。死なないでと言ってくれる人はたくさんいた。
単純には嬉しかったが、やはり複雑な思いがあった。
そこで大学時代の友人だが、彼女は死にたいと思う人を止めることはできないと言った。そこから続く話は自分の考えに近く、シンパシーを感じたのは言うまでもない。
まあ、今ではもう顔も思い出せないのだが。
街を歩く人の笑顔に反して、俺の表情は沈んでいた。やはり人間生きる気力がないと気分が沈むものなのだろう。死にたいから死ぬのと、生きていたくないから死ぬのでは似て非なるものなのではないだろうか。
将来のことを思うと、自然と死にたくなる。心が疲れてようが体に気力が伴わなかろうが関係ない。死にたいだけだが、何故だか今の世の中はそれを阻む人が多い。
一生懸命何かを生きる気力にしようと思ったところで、それはいつも続かなかった。ゲームは飽きて、勉強は手につかなくて。人間関係は一番続かなかった。睡眠さえ苦手なのだからもうどうしようもない。以前好きだった街を歩いても何も思わなかった。
じゃあどうすればいいのだろうか。
わからない。わからないわからないわからないわからない。
ほらどうだ、友人といる中高生は笑顔でいる。俺はどうだ。自分で自分の顔を見ることはできないが、表情筋から考えるに、仏頂面だろう。大層な人間だ……、生きていても仕方がない。
大学の頃、先輩方の講演を聞くことが多々あった。そのたびに自分と相手を比べて、彼らに憧れを抱くと共に、死んでしまいたいと思っていた。現実で生きていくには辛かったのだろう。居場所なんてどこにあるのか分からなくて、どこに行けばいいのかもわからなかった。
しばらく学校へ行かない日々が続いた。その後学校へ行ったら、普段話さない人から挨拶をされるほどにレアキャラ扱いされてしまった。自分なのかと思わず確認してしまったほどだ。
結局、どうしてこうなったのかなんて分からないフリをして、実はよく分かっている。どう考えても――のせいであり、それに負けた自分のせいなのだ。もともと精神の弱かった俺が、心を折るには十分すぎる敵意で……否、無関心さだった。
無論確認などできるはずもなく、全て自己完結で病んだだけの話である。笑い話だ。