9. 加純さん、壁にぶつかる。
前半は、わたしのお悩み告白。
後半にイラスト掲載があります。自筆が7点、頂いた素敵なFAが1点あります。
どうぞ、ご覧下さい。
突然ではありますが、ファンアート……読者が作品に惚れ込み、大切なキャラを勝手にビジュアル化して送ってくる画を、あなたは喜んで受け止めてくださいますか?
自分が思い描いていた世界観からかけ離れた作風だった場合、ああこういう捉え方もあるのかと大らかに受け止めてくださるでしょうか。
それとも、これじゃない……と残念な気持ちを抱いてしまうでしょうか。
ファンアート――それは「あなたの作品が大好きです!」と云うアピールのひとつの手段だと考えています。
わたしはアマチュアなので、仕事でイラストを描くということはしません。
いや、まず、来ないよ!
――などと云うノリツッコミはこっちに捨てておいて。
お仕事としてイラストを描くとなれば、原作作品の好き嫌いにかかわらず、クライアントの要求を満たした一定レベル以上のものを、期限内に仕上げねばならないということもありましょう。
が、完全アマチュア絵師の強み(!?)は、自分が大好きな作品を、好きな時に好きなように描くことが出来るということ。しかも、自分のレベルで構わないのです。多少作品の出来に難があろうとも、「あなたのこの作品が大好きなのです!!」ということが伝われば。
――と、考えています。
ファンアートを描き始めて、ひとつ悩みが増えました。
わたしの画、きちんと作者様に伝わっているのかしら?
かなり、深刻に悩んでいます。
絵を描くときって、かなり『ノリ』が必要です。気持ちの高ぶり、興奮、とでも申しましょうか。脳内にドーパミンと云う快感物質が分泌される状態なのでしょう。
わたしの場合「この作品、面白い!!」って、夢中になれないと、まず描けませんもの。
けれど、『ノリ』だけじゃ描けないのですよ。
わたしが文章や漫画を読むとき、内容を脳内スクリーンで自分勝手に『映像化』しています。文字や絵を追っていくと、自然とその光景が頭の中で再現されるのです。
もちろん自分専用のスクリーンに映し出すのですから、配役から舞台装置に小道具、BGMに至るまで、物語にかかれた描写を手掛かりに、自分の好みと云うスパイスを利かせて再現していくのです。
読んでいる物語の内容や雰囲気によって、映像化の作業工程は千差万別。
たとえば実在の俳優さんをキャスティングする時もありますし、アニメ化する時もあります。
またはマンガのように1ページをコマ割りをして、キャラや情景を配していく時もありますし、紙芝居や絵本のようにワンシーンを止め画にし、そこに台詞や音楽を重ねてカットをつなげていくこともあります。
どちらかといえば、後半の使用の方が多いかな?
こんな調子で、自分ひとりで映画を製作。監督・脚本・撮影・演出・音楽・美術etc.を熟している状態だと思ってください。
ファンアートを描くときも、この『勝手に脳内映像』が元となります。って、これが浮かばなかったらまず描けません。(個人の意見です)
どんなに作品が面白くたって、この映像が無いと、わたしの場合は描けないんです!
だって! この映像の一部を切り取って、イラストに起こしているようなものですから。
けれども。
脳内映像は造り出せても、イラストには描き起こせないときがあるのですよ。
ひとつ目は、体調がすっきりしないとき。体力が落ちると気力も下降しますでしょ。描くことが、ものすごく億劫になってくるのです。
そんなときって、どんなに頑張って描いたとしても、画に迫力やまとまりが無い中途半端な絵しか描けません。
溜め息突いては、消しゴムで消すの繰り返し。寂しい気持ちになります。
もうひとつの原因。それは体調不良にも増して重症かも。
そう。わたしの技術不足――――。
技術不足――クリエイターがぶつかって、叩き壊すか潰れるか、目の前にそびえたつ高ーい高ーい壁。
自分の身の丈を知った時、頭の上に落ちて来る金ダライのようなもの。
(グワァァ~~~~ン!)
痛みと共に、何重にもこだまして、おのれの不甲斐なさを思い知らされるのです。
脳内映像は妄想に近いものがありますから、それはもう、出来る限りの『理想』を目指します。あそここうして、こここうして……知識と創造力と想像力とひらめきをフル活用して、その地点での『最高』を作り上げるのです。(注:加純比率による)
――で、それを現実のものとしようとした時、当然問題が発生するのですよ。実現不能、という深くて暗~い底なしの沼が……。
いえ、努力はしますよ。努力だけは! でも、どうしても理想通りにはいかないの!
どこかで理想(脳内映像)と現実(技術不足)の折り合いをつけないことには、一生画は仕上がることは無いという螺旋地獄に陥る訳です。
情熱と失望は華麗な輪舞を踊り続け、責め立てるのです。(半分幻覚!?)
「もっと、センスを磨け!」
「もっと、技術を上げろ!」
「おまえの表現力はそんな程度なのか!」
大した技量も無いわたしには、とても一度には対応できません。そうして折り合いがつかず途中で放り出してある画、ボツにした画、何枚あるのでしょう。
わかっていても、目の前に理想が見えていたら足掻いてしまう。特にファンアートとなれば、作者様の大切なキャラをお借りしているのですから、出来る限りの努力をしなければ申し訳がたたないではありませんか。
なんて考えていたら、壁はどんどん高く、厚くなってしまったのでした。
さあ。どうやって乗り越えましょうか――――。
* * * *
『酷暑』であった、平成最後の夏。
やる気を根こそぎ奪うような暑さの中、踏ん張って描いた画をお披露目です。
まずは、ファンアート。
秋野木星さまの「咲子さんの陽だまりの庭」から。
実はこの画、同じ構図で意匠違いのものがあります。ツイッターで目にした方は覚えているかもしれませんが、夏の背景で描かれたものでした。
そちらも気に入ってはいたのですが、「陽だまりの庭」のタイトルには合わないので、リラの花を配して衣装も変えて描き直し。
リラの花が紫陽花に見えるのは、舞台が日本だからということで。きっと咲子さん家の庭にも紫陽花があるのでしょう。(おいおい)
咲子さんのやさしさ、大らかさ、そして真っ直ぐに前を見つめる姿勢が表現できればと思いつつ描きました。
うれしくも皆様から好評を博し、木星さまから「咲子さんが『赤毛のアン』している」という感想を頂いた上に、アルファ〇リス版の表紙に採用していただきました。身に余る光栄!
だから、もう一枚描いちゃった!
ペン画に色鉛筆で着色しています。コピックとはまた雰囲気が変わって楽しいかと。
秋野さま、ありがとうございました。
ここからは、自キャラのイラストを。
拙作の『テスとクリスタ』から、ヒロインたちです。
ツイッター発表順にあげていきますね。
まずは、クリスタ。
クールビューティー感を押し出してみました。ファッション業界はすでに秋冬のコレクションを展開中。モデルらしく、ゴージャスにファーを着用しています。きっとロマン・ナダルの作品よね。
次は、メリル。
強力お嬢様は、こんな感じでイメージしていました。テスやクリスタより、フェミニンで大人っぽい感じに映っていればよいのですが。
最後に、テス。
テスも、いつもより大人っぽい感じに仕上げてあります。ちょっと不安そうな瞳は、いま本編でも不安定な環境にいるからでしょう。
三作品とも、シャープペンで落書きしたものを、アプリで加工してあります。
本当はきちんとコピックで色を入れたかったのですが、わたしの事情により手間を簡略化しております。
落書きも加工するとそれなりに手を掛けたように見えるのが、コラージュの楽しいところ。
もひとつ、ツイッターの企画で「よその子をバニー(ガール姿)にする」というものがありまして、便乗してみました。ただし、よその子をバニーにするメンタルが無かったので、「うちの子」です。
セクシーなポージングがなかなか決まらなくて、こんなカンジになりました。
こちらはペン入れしたものを加工しました。シャープペン画に比べ、やはりラインにシャープさが増しています。わたしの技術ではなく、お道具の違いですよ。
同じ絵でも、加工によってはこんなふうに雰囲気が変わります。おもしろいでしょ。
(未発表作品)
* * * *
このエッセイをお読みくださる皆様に、ご心配をおかけしたまま終わるわけにはいかないので、気持ちの底辺低空飛行の状態を、過去にどうやって這い出したのかを告白しておきます。
悶々とした末に、どこかで開き直り!――ます。
「今のわたしには、これが精いっぱいです! 精進します!」と。
それが出来る時と、出来ない時(ここが悶々状態ですね)があるのが、一番の問題なのでしょう。
なにより、今回の落ち込み脱却の特効薬は、こちらの九藤 朋様より頂いたファンアートでした。
『テスとクリスタ』のテスです。
かわいい!! わたしの絵とはまた違ったイメージで、素敵です。
なんとなく、BGMにバイオリンソナタでも聞こえてきそうでしょ。
本当にありがとうございました。わたしの描く絵も、誰かの喜びとなれればいいなと大それた野望を抱きつつ、これからもがんばりますね!
今回のイラストは、すべてここ2か月ほどで、制作されたものです。
できたてホヤホヤだって、ありますもの。
遅筆で名を轟かせていた加純さんなのに、どーした!? なのです。
やれば出来るおばさんだったのですね、わたし!