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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

憂いの花

作者: 和泉景

初投稿です。言葉使いがおかしかったり誤字脱字があるかもしれませんが、宜しくお願いします。

ここは花の王国と呼ばれるヴィルフルール王国。温暖な気候で四季に恵まれたこの国は、大陸で一、二を争うほど豊かだった。花の王国と呼ばれる所以は、自然環境がもたらした四季折々の美しい風景が見られる事もあるが、国内外の民によって栄えるその優美な様という意味でもある。そんな大国であるこの国は現在、王太子妃の選出で奔走されていた。


王太子妃候補には、数名が選ばれていた。家柄は勿論のこと、本人の教養から容姿まで、トータル的に当てはまる年頃の貴族の娘だ。その筆頭として、王太子妃に一番近いと言われているのが、ブレイスガードル公爵家の長女、マリアだった。宰相を父に持つ彼女が選ばれるのは、本人の意思関係なく決定事項であり、二十歳となる王太子と三つ変わらない歳でもあったからだ。一番近いと言われていることもあり、彼女――マリアは、全てにおいて完璧だった。その中でも、容姿が一際美しかった。筋の通った鼻筋に、切れ長の瞳は少々冷たい印象を受けやすいが、ぽってりとした桜色の唇が、その印象を和らげている。そして、月光の色に輝く腰まである髪は、一本一本繊細で滑らかで、彼女が動く度に揺れる様はとても優美だ。しかし、彼女の美しさには影があった。マリアは舞踏会に出ても、積極的に他の出席者とは必要以上に関わろうとはしない。だからといって、壁の花には収まりきれないし、周りの異性達は放っておかない。けれども、彼女は常に一人で、バルコニーにて夜空に輝く星を見ていた。彼女がどこか遠くを眺める姿は、美しくも儚げで、その瞳には、何も映されることはなかった。そして彼女は、こう呼ばれるようになる。



(うれ)いの花、と。



×××



雨は嫌いだ。

生まれた時から嫌いだ。けれども、それに限って生まれたのは、こんな梅雨の時期だった。



「……荒れているわね」



遠くの方で、雷が鳴った音が聞こえる。この天気は昨日の夜から荒れており、翌日の今日、王宮内は朝からその対応で慌ただしかった。マリアは昨日から王宮に来ていおり、本当はその日中に帰る予定だったのだが、あまりの天気の荒れ様に昨日の夜から城を出る事が出来ずにいた。そして、昨日に続き今日も雨風が収まらないということで、二日連続王宮に泊まるこことなっていたのだった。


カーテンを開けても、外を移すのは真っ暗な暗闇で、それでも時々見えるのは雷のせいだろう。マリアは、流石にこの年で雷が怖いわけではないが、言い知れぬ不安は拭えなかった。



「マリア様。殿下がお目見えになられました」


「ええ」



マリアが返事をするのと同時に、この国の王太子が入ってきた。名は、ウィリアム・ヴィルフルール。王位継承権第一位であり、次期国王と現段階で言われている。つまり、マリアの未来の旦那様候補というわけだ。但しこの場合、選ばれるのはマリアなのだが。


そんな彼は、この国の女性ーー勿論国外でもーーが憧れる人物ということもあり、それは綺麗な顔立ちをしていた。彼の母親譲りと言うプラチナブロンドの髪の毛に、深い蒼色に縁取られた瞳が特徴的で、その容姿はまさに、絵本から出てきた王子様のような顔立ちをしている。その表情はいつも穏やかであるが、剣の才能にも恵まれ、更に頭脳明晰と言った文武両道でもあった。彼は、形のいい唇からマリアの名前を呼ぶと、目を細めて微笑んだ。



「遅くなって悪かった。少々立て込んでいたんだ」


「いえ。こちらこそ、お忙しいのにお呼び立てして申し訳ございません」


「構わない。誰でもない、マリアのお願いとあらば、俺は何でも聞くさ」


「殿下……」



困ったようにマリアは微笑むと、先程侍女が用意してくれた、葡萄酒が入ったデキャンタとグラスを用意した。グラスにお酒を注ぎ、自分の分より多く注いだ方をウィリアムに手渡す。しかし、彼はそれを受けとることはせず、彼女の腰に腕を回した。そのまま引き寄せられ、マリアの身体はウィリアムに密着するように寄り添わされる。幾分も高い彼の顔を見上げると、額に口付けられた。


今日はやけにスキンシップが多いと、マリアは顔をほんのり赤らめながら思った。ウィリアムが言うように、話をしたいと言ったのは彼女の方で、それなら夜に部屋を訪ねると言ったのは彼だった。だからこうして迎え入れたのだが、この何とも言えない甘い状況に、マリアは話を切り出せずにいた。この空気に流されそうになるが、外から聞こえてきた風の音で、彼女の意識は現実へと引き戻された。



「殿下。覚えておりますか?」


「何をだ?」


「私と殿下が出会った日も、こうして雨が降っていましたね」



窓の外を見ていたマリアは、視線を再びウィリアムへ移すと、彼の瞳と合った。彼女の突然の話に、彼は最初は意外そうに目を剥いたが、その話の内容に、端正な顔が歪められた。まるで思い出したくないとでも言うように眉を寄せる。



「……ああ、そうだったな」


「殿下が八歳、私が五歳の時でした。あの時は本当に驚きましたわ。だって、私が城の図書室に行ったら、殿下が泣いてらしたんですもの」


「その話は止してくれないか……。あれは、最も消したい記憶の一つなんだ」


「ふふ。……けれども私は、忘れることはできません」



マリアは、自身の腰に回されていたウィリアムの手を取ると向き合った。彼女が微笑むと、彼もまた同様に仕方がないように微笑む。

そしてマリアは、ゆっくりと口を開いた。



「殿下。私の我儘を、聞いてくださいませんか?」


「我儘?」


「私を、王太子妃候補から外してくださいませ」



彼女の一言は、ウィリアムを動揺させるのには十分だった。蒼い瞳を剥いて驚いた表情は、普段の彼からは想像もつかないものだった。こんな時にこんな表情が見られるなんて、とマリアは思ったが、彼がそれほどの表情を見せる事を言った自覚はあったので、マリア自身はそんなに驚くことはなかった。



「……何故?」


「形式上、ブレイスガードル家の長女である私も候補として名を連ねておりますが、次期国王陛下のお妃には、妹が適任だと私は思うのです」


「違う。俺は、それを聞きたいんじゃない」


「ああ……、妹のことなら心配はいりません。妹ーーエリザベスも、それを強く望んでますから」


「そうじゃない。マリア、君の事を聞いているんだ」


「私……?」



マリアは、自分自身のことを聞かれるとは思わなかったので、思わず首を傾げてしまった。そんないつも通りの彼女の様子に、ウィリアムはどこか安心しながらも、心は穏やかではなかった。先程マリアが言ったように、二人の出会いは幼少の頃だ。図書室で会って以降、二人はその後も顔を合わせるようになる。ウィリアムは、その頃からずっと気掛かりに思っていたことがあった。それは、時々彼女が、遠くを見詰めることが多かったことだった。その横顔は、子供とは思えないほど美しく、当時幼かったウィリアムにとって印象的だった。彼女は一体どこを見ているのか。それが小さな頃からの疑問だった。そして今、彼女はその表情でウィリアムを見ている。自分が知らない何かを、彼女はきっと抱えていると、ウィリアムは感じていた。



「それは、君の意思なのか? もしかして誰かに何かを言われた? それなら気にすることはないさ。放っておけばいい」


「……いえ。違うのです。誰かに言われたのではなく、私が一人で決めたことなのです。これは、私が候補に上がったときからずっと、考えていた事なのです」


「……それで、俺が納得するとでも?」


「……ええ」



マリアは、右手を包み込むように触ると、ウィリアムの言葉に頷いた。



彼女は恐らく気付いていないだろうが、何か不都合が生じたときにマリアがする行動だ。あまり感情を表に出さないマリアだから、この癖は、ウィリアムが知る数少ないものの一つだった。これはきっと、長い付き合いの彼くらいしか知らないことだろう。マリア自身も知らない、彼だけが知っていること。



「なら、聞けない。君も、それは分かっていたはずだろう」


「……」



一筋縄ではいかないと、マリアも理解はしていた。けれど、絶対に『あの事』は話そうとは思わなかった。きっと誰も信じてくれないし、彼女でも、未だ信じられないからだ。



「……本当は、生涯かけても誰にも言うつもりはありませんでしたが……、分かりました。お話し致します」



しかし、マリアは決心をした。誰にも話したことがない彼女の秘密を言えば、ウィリアムも諦めてくれると思い、話すことにした。そして、重い口を開いた。



「『私』の人生は、これで二度目になります」


「ーーそれは、一体……」



予想通りの反応を見せるウィリアムに、その問い掛けに答える事なく、マリアはそのまま目を伏せて話を進める。



「一度目は商家の娘として。そして二度目は、公爵家の娘として。……この世に二度、生を受けました」


「……まさか、」


「私には、一度目の記憶ーー前世の記憶があるのです」



ウィリアムは、息を飲んだ。

彼女に長年影を落としていた原因がやっと分かった彼だが、それは想像も出来ないものだったからだ。魔法といった普通では考えられない不思議なものがないこの世界において、前世の記憶があるということもまた、聞いたことがなかったのだ。しかし、どこか腑に落ちた自分もいたことをウィリアムは気付いていた。長い付き合いなりにマリアを見てきた彼なら、彼女の性格や立ち居振舞いなどから納得がいくのもまた事実だったのだ。それに、そんな彼女だからこそ、嘘は言わないと分かっていた。



「この世、と言っても、この国なのかは分かりません。生まれた国も、都市も、家すらも記憶に残ってませんでしたが、『私』の生涯の記憶は残ってました」



マリアの前世は、現世のように貴族に囲まれた華やかな生活ではなかったものの、父親が貿易関係の商人をしていたからか、それなりにくらしは豊かであった。その一家の一人娘として生まれた彼女は、両親の愛情たっぷりに育てられ、幸せな生活を送っていた。その性格はまさに天真爛漫。現在のマリアの性格とは正反対で、よく笑う娘だった。そして、貴族は貴族と結婚するように、商人は商人同士、互いの家の利益のために結婚するのが、彼女の家も同じだった。いずれ自分も、親が決めた知らない男の人と結婚をするーーそれを理解していた彼女もまた、そのことを享受していた。


そして、その婚約者と初めて会った日の事。正直言って、彼女は相手のことを好きにはなれなかった。傲慢で、女を厭らしい目で見る男は、浮気者だったのだ。彼女は、そんな男と結婚するのが嫌で、両親に掛け合うものの、当然却下された。しかし、悲しみに沈んでいた彼女のもとに現れたのは、とある男だった。



「彼は、その時新しく雇われた庭師でした。両親に相談に乗ってもらえず、庭で一人泣いていたところに、彼は私の前に現れたのです」



彼女は、誰でもいいからこの悲しみを知ってもらいたかった。我儘なことと分かってはいても、あんまりだと、誰かに言ってもらいたかった。そして、自分の想いを彼に言った。熱心に相談に乗ってくれた彼の事を、初めは、優しい人だと思っただけだった。しかし、二回、三回と会っていくうちに、彼女はいつの間にか庭師の男を好きになっていた。植物のことになると思わず熱くなるが、普段はとても穏やかで、優しそうに微笑む顔が印象的な彼。そんな彼と話すのが楽しくて、彼女の毎日は輝いていた。しかし、その幸せはそう長く続かなかった。



「私の婚約者が、私と彼の関係を知り、両親に言ったのです。……そしてそれ以降、彼が私の前に姿を見せることはありませんでした。両親にお金を握らされ、出ていったのでしょう」



元々、金目的だったのか、それとも貰った金に目が眩んだのかは知る由もないが、二人の関係の終わり方は、実に呆気なかった。



「茫然自失となった私は、誰にも告げる事なく家を出ました」



商人と言っても、随分箱入りで育った彼女にとって生活は苦しかったが、それでもなんとか生きてこれたのには理由があった。

家を出てすぐ、自分が妊娠をしていると分かったのだ。



「……彼との子供でした。私は、新たな生命が自分に宿っているという事だけで生きようと思えたのです」



しかし、そんな彼女に、またしても悲劇が襲った。



「その日は、雨でした。……そう、こんな風に大荒れの」



彼女は、その日は外に出ており、帰ろうとした頃にはすっかり暗くなっていた。そして、昼間は晴れていた空は次第に悪くなっていき、大雨となっていた。彼女が暮らしている家までは歩いて帰れる距離ではあるが、天気が悪いため、馬車を使おうかと一瞬頭に浮かんだ。しかし、今の彼女にはそんな余裕が無かった。その為、安定期に入っていたのもあり、ゆっくり歩いて帰れば良いと判断したのが悪かったのかもしれない。暗い夜道を記憶だけで帰っていた所、後ろから馬車が来る音が聞こえてきた。



「……そこからの記憶はありません。恐らく、お腹の子共々馬車に轢かれて死んだのでしょう。そして次に目が覚めたのは、時がどのくらい経ったのかも分からない現在でした」



彼女は、自分が生まれ変わったのだと理解したのと同時に、酷く絶望したのを覚えている。どうして、自分だけが生まれ変わったのか。どうして、あのままの暮らしをさせてくれなかったのか。もしかしてこれは、神様からの罰なのか。



実の子供を殺した、自分への。



「どうせ生まれ変わるのなら、あのままずっと生きていたかった。生まれ変わっても私は……、自分の子供をこの腕に抱けないのですから」



故に、マリアの心は、一度死んでから凍ってしまった。あの事故で、子供と共に失ってしまったと言ってもいい。しかし、そんな彼女を待っていたのは、前世の記憶を持ったまま、子供として過ごすことだった。生まれた瞬間から記憶のあった彼女は、同じ年頃の子供とは違い、大人しい子供だった。周囲は特に気に留めてなかったし、マリアもなるべく悟られないように注意を払っていた。けれども、一人だけ見破った人物がいた。自分が生んだ娘だからか、それとも同じ女だからか。



「母は、普通の子供とは違う私を遠ざけ、抱こうともしなくなりました。そして、妹が生まれて以降、私に注がれなかった分、愛情を妹に注いだのです」



つまり、前世の記憶を持っていたことによって、思考だけは子供らしくなかった彼女は、実の母親に顧みられる事なく育った。そしてマリアも同様に、愛情を求めることはしなかったし、彼女も愛そうとはしなかった。


対照的に、マリアの妹ーーエリザベスは、笑わない姉とは逆によく笑い、冷たい印象ながらも美しい姉とは反対の、お姫様のように甘い容姿で愛された。教養と作法しか取り柄の無い姉と違い、沢山のものを持っていた。マリアは、その事について何も思わなかった。甘やかされて育った分、性格だけは少し難がある妹に自慢されても、羨ましくも何とも感じなかった。これは強がりではなく、本当に何も思わなかった。自分は、一生幸せになるつもりはないと考えていたし、子供を殺した自分には、そんな資格は無いのだと、思っていたからだ。



「……ですが、私は貴方様と出会ってしまった」



あの日、ウィリアムとマリアが出会った日。

真っ暗闇な図書室で、彼は雷が鳴り響く中、踞るようにして泣いていた。それを偶々見付けたのがマリアだった。三つ歳上の王太子相手に、見た目は五歳の幼女が頭を撫でるのは何とも変な場面だが、マリアはその時のことを一生忘れることはないだろう。


マリアは、泣いているウィリアムに手を差しのべると、その手を握られた。一切の迷い無しに握られた瞬間、彼女の世界が一瞬にして光が広がった感覚が、身体中を駆け巡った。彼女自身でも顧みなかった自分の存在を、小さな彼に求められたような気がしたのだ。差し伸べた手が自分を求めるように握られたことで、彼の手の温もりを感じ、彼女は求められるということの嬉しさを知ってしまった。そして、誰かに愛されたい、自分も愛したいと思ってしまったのだ。ウィリアムにとって、その相手が偶々マリアだったとしても、必要としてくれたことには間違いがなかった。彼女にとって、それだけで十分だったのだ。だから、望んだ。私も幸せになりたい、と。いや、望んでしまった。



「……けれど神様は、あの子は、それを赦してくれなかった」



マリアの視線は、窓の方へと移った。

外は相変わらず雨が降っており、遠くの方では雷が鳴り響いて光っている。窓には雨が打ち付けられ、その音が彼女の耳に嫌に残った。



「夢を、見るのです」


「……夢?」


「子供を抱いている夢です。ゆらゆらとゆりかごのように揺れる私に、子供は楽しそうに笑っている夢……けれど、突然の雨が私達を襲います。そして、腕の中の子供を見ると、血だらけになっているのです」



ウィリアムと初めて会って以降、見るようになった夢。その夢を見た瞬間、マリアは一生赦されないのだということを悟った。あの、束の間の感情さえ抱くことも、赦されないのだと。


今日までウィリアムとの関係を続けていたのは、マリアの悪足掻きと言っても過言ではない。マリアのコンプレックスとも言える愛情への憧れに触れていたくて、ウィリアムが婚約者を正式に決める現在まで、その悪夢を見ながら過ごしていた。だから、もうそろそろ潮時だと思っている。そして何より、悪夢から解放させて欲しかった。



「……お願いです、殿下。私を、候補から外してください」



話終えたマリアは再び、願いを言った。



「……」



ウィリアムは、自身を見上げる彼女をじっと見る。彼は、マリアが憂いの花と呼ばれていることは知っていた。美しくも儚く、憂いの表情でどこかを見詰めているから呼ばれていた事を。そして、『花』と比喩されるように、いつかどこかへ行ってしまうのではないかと恐れていた。事実、今こうして彼自身の目の前からいなくなろうとしている。けれども、それを聞き入れるつもりはなかった。彼女に酷い男だと思われても良い。だって、愛してほしいと心で叫んでいる彼女を、手放せようか。


愛することができなくて、自分を殺すことしか出来なかった彼女は可哀想で、けれども愛おしかった。マリアが幸せに生きることを拒絶するならば、答えは簡単だ。



「マリア」


「はい」


「俺は、マリアの事を愛しているよ」



その分だけ、自分が彼女の事を愛してやれば良い。



静寂が、一瞬だけ二人を襲った。

ウィリアムの一言に、マリアは何を言っているのか分からないかったのか、少し呆けた様に彼を見上げる。しかし、その次の瞬間、彼女のエメラルドの瞳から、ポロリと一粒の涙が零れ落ちた。

ウィリアムは、流れた一筋の涙を、親指で優しく拭う。その手付きさえも、今の彼女にとっては苦しかった。



「ど……、して……そんな事を、仰るのですか……」



冷たく突き放せばいいのに。頭のおかしな女だと、罵ればいいのに。

ウィリアムは、そんなことをすることはなく、マリアに愛を囁いた。彼女にとっては、前者の方がまだ楽だった。だから、こんなことを言いたくなかったのだと、マリアは思った。彼ならきっと、こう言ってくると、どこか確信していたから。


ウィリアムは、いつもそうだった。

初めて会った日も、城の庭園で会った日も、舞踏会でマリアが一人でバルコニーで空を見上げていた日も、いつも彼女の名前を言って手を引くのだ。その心を自覚しない程、マリアも鈍感ではない。けれど、気付かないようにしていた。気付いてしまえば、自分の心も、認めてしまいそうで怖かったから。



「貴方様は、いつもそう……っ、何故そうやって、私の心をっ……、乱すのですか……!」


「マリア」


「信じられないと……っ、そう仰ってください! そうしたら、私もっ、貴方様のことを……!」



諦めきれたのに!



咽びながら、マリアはそのままの感情をウィリアムにぶつけた。初めて見る彼女のそれに、見ていた彼は、どうしようもないくらいの愛おしさを感じた。ポロポロと止めどなく流れる涙は、二人を照らす火の光によって輝き、震える肩を抱き締めたいと思った。


ウィリアムは知っている。本当は、マリアはとても寂しがり屋で、臆病な娘であることを。冷たい美しさを持っていても、心は優しいことを。そして、彼女の本心全てを。



「一緒に、幸せになろう。君に罰があるというのなら、俺も共に背負うよ」



本当は、あの時の事は、全て自分の責任では無いとマリアは分かっていた。しかし、そうでもしないと、ウィリアムとの日々に溺れてしまいそうで、マリアは怖かったのだ。彼女だけが生まれ変わって幸せになることで、生まれてこれなかった子供を無かったことにしてしまいそうで、恐ろしかったのだ。



「どうして、そんな事を……」



彼女の疑問に、ウィリアムは笑った。

可笑しな事を聞く、と言うように、彼は苦笑する。



「言っただろう? 俺は君を愛していると」



彼はそう言い、マリアの腕を取って自身に近付けると、今にも壊れてしまいそうなその身体を抱き締める。すると、恐る恐るだったが、マリアも抱き締め返した。彼女から漏れる嗚咽は激しさを増し、やがて子供のように泣いた。すがるように抱き付くその力が、彼女からの答えだった。


いつの間にか雨も上がり、窓の外からは、銀色に輝いた月が二人を照らしていた。


お粗末様でした。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 王太子の名前が途中でウィリアムからルークに変わっているのは何故なのでしょうか? [一言] はじめまして。 ウィリアム、いい男ですよ。 前世にとらわれ続けているマリアには、彼と幸せになっ…
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