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家族と命は大切にした方がいい 後編

 今日の仕事は山の上のバーベキュー会場にある自動販売機のジュースを入れ替えることだった。

 真夏、その日差しはからだの内部からろうそくを塗りたくられたかのように暑い。車内のクーラーは遠くの昔に壊れてほこりまみれになっている。日頃の疲れと相まって、まぶたが重い。薄れゆく視界に映るのは勢いよく向かってくる対向車。


 首が折れるような衝撃のあと、頭が真っ白になった。しばらくぼうっとしていないと自分のしたことが理解できなかった。

「俺、人殺しちゃったのか」

 ずいぶん遠い昔のことのように思えるが、対向車がガードレールを突き破り、崖から落ちてしまった映像が記憶の中に存在する。

 ーー刑務所行き? 過失致死だから死刑じゃないけど、ずっと刑務所暮し。出られたとしてそれからどうやって生きていけばいい? 俺みたいなやつが、前科持った日には誰も相手にしてくれないぞ。

 ここから逃げるのは簡単だ。だけどトラックのフロントガラスは割れているし、他にも証拠をあげればすぐにでも捕まってしまうであろう。

 ーー俺の人生何だったんだ……。

 万事休すだった。逃げることも警察に電話することもできずにしばらく唖然としていた。


 どのくらいたっただろうか。不意に横の窓をこんこんと叩く音が聞こえた。窓に映るのは蜂蜜色の髪の女性が立っていた。

 終わりだ。

 ここからの展開は嫌でもわかる。どうしましたかと聞かれる。俺は慌てる。不思議に思った女性は大破したガードレールの向こう側を覗き事態を把握する。警察に電話して俺の人生は終了する。

 そう思いながら窓を開けた。

「願いは?」

 その声は甘く、脳みそをかき回されながら脳天からすすりとられるような心地がした。

 反射的に望みを言ってしまった。

「捕まりたくない」

 甘い声が笑う。

 俺の声は消える。


「あーあ、自分を大切にしないから事故なんか起こしちゃうんですよ」


 ○○○


 気がつくと、山の中にいた。トラックにぶつかられて落ちてしまった記憶はあるが、無事だったようだ。

 隣の妻は頭から血を流しているが、意識はある。

 後ろの席は悲惨な状況だった。長男と長女は頭から血を流している。出血量は妻よりは少ない。一方、次男、次女、三女は目立った外傷なし。

 シートベルトをしていなかった。できなかったのだ。七人分のシートベルトしかなかった。

 席から放り出されたのだろうか。


 末っ子の首がひしゃげていた。


 首が後ろ側にあり得ない角度で曲がっている。即死だろう。

 とっさに車を出ようとして、ドアに手をかける。と、割れた窓に蜂蜜色が映った。

「願いは叶えたわよ」

「はっ」

 頭が一瞬、真っ白になった。願い? なんの話だ。言ってることが支離滅裂だ。だいたいこんな非常事態にこの人は何を言っているんだ? そんなことよりも俺は後ろに行って末っ子を……どうする? 明らかに死んでいる。首は確実に折れている。

 ーーそうだ! 救急車!

「あの、救急車をーー」

 その発言を芝居がかった大きな声が打ち消す。

「よかったじゃない。教育費浮いたわよ。子供って育て上げるのに一千万かかるらしいじゃない。それが浮いた。あなたは一千万を手に入れました。やったー」

 何を言ってるんだこの女は。頭がいかれてるのか。そう思いつつ、顔に手を置くと、違和感に気がついた。

 口が歪んでいる。自分でも不思議だが俺は笑っていた。

 一千万あれば何でもできる! 何でも!


 息子が死んだことなどどうでもよかった。


 ○○○


 それは蜜蠭のお気に召さなかった。もっとうちひしがれてもらう予定だったのに、予想よりもずっとクズだった。これだから鉄槌の下ろしがいがある。人というのは。

「むかついた」

 蜜蠭のターゲットはもう目の前の悪党ではない。彼はもう運命の歯車に巻き込まれている。あとは死ぬだけだ。

「奥さん、こいつどう思う」

 蜜蠭が話しかけるのはいましがた意識を取り戻した助手席の女性。目の前の悪党は彼の思っているよりもずっと大きく笑っていた。蜜蠭の言葉と夫の笑顔。彼女はきっとこう思ったに違いない。

 ーー殺してやる。

「殺してやる」

 その瞬間、ぐしゃりと音が鳴った。骨が砕け、それに肉がつられて引きちぎれる音。

 願いは叶えられた。対となるのは長男の願い。さきほど長男と少しの間話した。なかなかに立派な息子だったーー言っていることは。

 家族に楽をさせたいーーそのために勉強して良い会社に入ってどうのこうの。だが、いまこの時、この瞬間ーー家族を大切にしているだろうか。どうも父親を邪険にし、兄弟を馬鹿にしている印象を受けた。

 だから、念のため願いをストックしておいた。“家族に楽をさせたい”。


 目の前の首が一回転していた。悪役は舞台から下りた。


「お望み通り、この男は死んでーー確か、保険金かなにか出るんじゃない?」

 父親が死んだので保険金が多額に出る。でも末っ子は死んだまま。

 助手席の女性が後ろの席に行ったり、前に戻ったり、忙しく動いていた。その姿は滑稽の一言に尽きた。

 末っ子の姿を確認したようだ。

「ねえ、息子を助けて」

 目は血走り、唾を吐き散らしていた。正直汚いとしか思えない。

 蜜蠭は気に入った願いしか叶えない。気に入った舞台にしか手を叩かないのだ。

 必死な形相も、ガラス越しの演技にしか見えない。

「いやよ。だったら最初から夫を殺すことじゃなくて息子を助ける方を選べばよかったんじゃない?」

 ふっと、女性の顔から表情がなくなった。まるで憑き物がとれたかのように。

 女性がふらふらと外へ出た。トランクに積んであった縄を持って。

 誤った選択は取り戻せない。彼女の心は後悔の念で押し潰されてしまったのだろう。たった一言で夫は死んだ。子供は帰ってこない。

 少し離れた木の上。そこに縄をかけていた。

 もうここに用はない。

 蜜蠭はその地をあとにした。


 五人は山に取り残された。壊れた車と繋がらない電子端末は彼らを救ってはくれない。

 彼らはきっと楽になるのだ。永遠に。


 ○○○


 蜜蠭が開くのは自分が密かにつくったホームページ。相談を書くと願いを叶えてくれるーーという触れ込みで人の欲望を鑑賞する。

『相談ーーアパートに暮らしているのですが、隣の部屋がうるさいです。毎日喧嘩してるみたいです。静かになりませんかね』

 ここに書いたからといって、願いをストックすることはできない。

 人の願いはその声を聞かなければならないのだ。それでも。

『最近、めっきり音がしなくなって静かになりました。仲直りでもしたんでしょうか。やはり、蜜蠭さんのお陰ですね』


 頭蓋骨の中に入っているのはーーあまりにも甘い、願いという名の蜜。それを運ぶのは蜜蠭で、育つのは欲望という醜い幼虫。ただしその幼虫はブクブクと太るだけで、一向に姿を変えない。ずっと、死ぬまで、醜いままに。


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