家族と命は大切にした方がいい 前編
家族は八人、貧しいが幸せな家庭だ。子供が欲しかったから家族が多くなったーーのではなく、気づいたらこれほどまでの大家族になってしまった。俺と妻。そして男三人、女三人の計六人の子供達がいる。上の子はもう高校生だが、下の子たちはまだ小学生だ。人数に対してあまりにも狭いアパートの中は子供で埋め尽くされている。
今日は休日、天気もいい。ならば今日の予定は自ずと決まる。
「よし、今日は山行ってバーベキューだ」
みんな喜ぶはずだ。なんせたまの休日。家族全員揃うなんて滅多にないことだ。
けれども、子供たちの様子がおかしい。
「いや、今週テストだから」
そう言い放つのは長男。突き放すような口調だ。
「私もです」
長女も申し訳なさそうに答える。
「あたし今日デートなんだけど」
「わたしも今日は友達と約束が……」
次女と三女も家族で出掛けることよりも、他人との関わりの方が大切なようだ。
せっかく俺が休日なのに。家族で遊びにいかないなんて、今の子はどうにも家族を大切にするという心が足りてない。長男も長女もなんなんだ。勉強なんて帰ってきてからでもできるだろう。それに、毎日こつこつ勉強していたらテスト前かどうかなんて関係ないはずだ。
「肉が食えるなら行ってもいい」
「僕も僕も! ねえ、いこうよねーちゃんたちー」
次男は照れ隠しが下手くそだ。少し三男を見習った方がいい。
「ここは多数決だな」
俺の言葉に対し、娘たちが不満そうな顔をした。長男は我関せずといった様子。
「ではバーベキュー、行きたい人!」
「はーい!」
三男が声をあげる。次男も声は出さないけれどもしっかりと手をあげている。そして俺と……。
ため息とともに妻が手をあげた。これで四体四。さらに、一言加えれば思い通りの展開である。
「半々だな。こういう場合は家長である俺の意見が優先されるだろう。よって」
娘たちは顔一杯に嫌そうな顔を広げた。
「さあ、仕度しろ。いくぞ」
しぶしぶ娘たちは自分の部屋に戻り仕度をし始めた。
「お前もいくんだぞ」
すると、今まで知らんぷりを通していた長男が突然怒鳴り声をあげた。
「はあ!? 行きたいんなら勝手に行ってくればいいだろ。俺は勉強しなければいけないんだ!」
「勉強を盾にして、家族との関わりを拒むなんて、お前おかしいぞ! 俺がお前だったらお父さんありがとうって言いながら嬉々としてついていく。勉強なんて今じゃなくてもいいだろう!」
思わず自分も大声をあげてしまった。俺が高校の時は勉強なんてしないで友達と遊んでばかりいた。それでも今俺はこうして幸せにくらせている。息子は自分のことしか頭にないばかりか、目先のことばかり考えて何にもわかっちゃいない。
「うるせえよ! 俺はこんな貧乏な暮らしから抜けたいんだ!」
切れた。確かに貧乏かもしれないがその大半は教育費ーーつまり文句を言っている長男のせいであるにも関わらず、俺のことを甲斐性なしと罵っているのだ。
「今日は来い」
努めて冷静に声をかける。
「んあ!? やだよ」
「いいから来いと言っているんだ!」
家が響いた。自分でも自分の声にビックリしたくらいだ。娘たちは身仕度の手を止め、末の息子は震えている。
車に荷物を詰めこむ。七人乗りの中古車。値切りに値切ってーー借金も少しして買ったーー身の丈を越える車だ。
舌打ちをしながら、長男が後ろについてきている。
「ごめんね」
妻が長男に謝っていた。
何を謝ることがあるんだ。家族が揃った日にみんなで遊びに行くのは当然のことじゃないか。
○○○
「眠い……ひたすら眠い……」
毎日毎日、寝る間も惜しんで荷物を運ぶ。トラックの中には何が入っているかもわからないダンボール。
昔遊んでいた“つけ”なのかーー今では飯を食うために働いていくことが人生となっていた。趣味も恋人も家族もいない。あるのは肉体を酷使しなければ生きていけないという事実のみ。
まるで虫のようだ。
そんなことを思いつつ、俺はハンドルに手をかける。トラックの運転席は脂で汚れており、聴いてもいないCDが助手席との間で散乱していた。意味をなさない飾りだけの消臭剤の上、ホコリが被っている。
今日も太陽が燦々とーー俺を見下すように照っていた。
エンジンが唸りをあげる。
○○○
バーベキューは川原で行う予定だ。車を降り、家族全員で準備をする。
「おい、お前もちゃんと手伝えよ」
俺は長男の肩を叩いた。今はむすくれているが、絶対に楽しくなるに違いない。少なくとも俺は楽しい。さっきまで喧嘩していたのにも関わらずだ。
長男はなにも言わずに折り畳みの椅子を車の後部座席からとり出した。
心地よい日差しが河原に反射する。準備は終わりいよいよ肉を焼く。
肉が焼ける匂いが自然の匂いを侵していく。
肉をタレのかかった紙の小皿に移してたべる。
「すいませーん、小皿一枚もらえますかあ。買ってくるの忘れちゃって」
後ろから甘い声がかかった。振り向くと、蜂蜜色の髪の女性。結婚している立場だが、言い寄られれば無視できないほどの美人であった。
近くで同じようにバーベキューをするようだ。連れはいない。あとで来るのだろうか。
「あ、いいですよ。どうぞ」
そんなことを思いつつ、俺は紙皿を袋から二、三枚出して渡した。
「ありがとうございます。いくらですか? 私、ちゃんと払うので」
「いや、結構ですよ。こんなの一枚にすれば微々たる金額です」
「では、お礼になにかできることないですか? 私、なんでもするんで」
妻と娘たちの視線が痛い。
「いえ。本当に大丈夫ですよ」
「なんて無欲な方なのかしら。本当に何もいらないですか?」
「無欲だなんて。ははっ。そんなことないですよ。“お金もほしいし”休みもほしい。至って俗物ですよ」
蜂蜜色の女性が突然声をあげて笑いだした。
「ははっ。面白いですね。そうだ! 私、これ持ってるんでよかったら使ってください」
それは蜂蜜だった。ドロリとしたそれは一瞬、血にも見えた。
「これをかけて肉を焼くと柔らかくなるんですよ」
彼女の薦めどおり、肉に蜂蜜をかけてから焼いて食べてみた。口のなかで肉の甘みが広がる。噛んでみると本当に肉が柔らかくなっていた。
「まるで脳みそみたいでしょ」
「えっ」
聞き違いだろう。そんなことを言うはずがない。
それよりもこの女性は一人で来たのだろうか。本当に連れの気配がない。
「一人できたんですか?」
「ええ。まあ、色々あって……。一人で遠くに行きたくなってしまって。お肉だけ買って一人バーベキューしようかなって」
何かあったのだろう。詮索はよくないが、落ち込んでいる様子だった。
「そうだ。俺たちと食べませんか」
妻と娘たちの視線がひしひしと伝わってくる。でも、落ち込んでいるときは賑やかなところにいた方がいいに決まっている。他人だからといって放ってはおけない。
「いいんですか!? ありがとうございます」
蜂蜜色の女性は顔を明るくした。
終わってみるとバーベキューは楽しかった。長男も何だかんだで手伝っていた。次男と三男は川原ではしゃぎ、女の子たちは女の子たちで盛り上がっていたようだった。
蜂蜜色の女性は何やら長男と長いこと話していたようだった。女性のほうは笑顔で長男の話を聞いていたように思える。だが声が聞こえるほど近くにはいなかったので内容はわからなかった。
「どうだ? 行ってみたら楽しかっただろ」
「そーだね」
長男はため息をつきながら答えた。
帰りの車の中、バックミラーに写るのは退屈そうな長男。当てつけのように教科書を開いて勉強している。
だが、何だかんだでちゃんと食べてたし、見知らぬ人とも会話ができていた。来てよかったと思う。俺に反抗したい年頃なのだ。仕方がない。
下りのカーブが続く。左側はなだらかな崖でガードレールが並び、右側は自然石で覆われている壁。
見通しは最悪だが、徐行すればなんとか運転はできる。
「みんなも楽しかったよな」
「うん」
長女だけは返事をしてくれた。次女と三女は車の中だというのに電子端末をいじっている。彼氏や友達のためなら酔うのもいとわないらしい。次男と三男は疲れきってしまったようでぐっすり寝ている。長男は相変わらずの無視だ。
ーーまあでも本当は楽しかったんだろ。
久しぶりに家族揃ってのバーベキューが俺は楽しかった。だからなのか、ついついアクセルを踏みすぎたのかもしれなかった。