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僕とカイロと彼女と雪と

作者: ゆーさっさ

 祭りと言えば夏。

 きっと日本人の大多数はそう思うだろう。僕もそうだ。

屋台の煙で星が見えないね、なんて、いもしない彼女を作り出しては、いつも脳内で笑い合っていた。




 今は冬。運良く窓際の席への切符を手にすることが出来たので、こうしてしんしんと降る雪を眺めていられる。

おかげで目を奪われる上、少々冷えるので授業に全く集中出来ていない。雪のせいだ。


 だからと言って、雪を恨んだりするつもりはない。何故なら、僕の中で冬は秋に次いで二番目に好きな季節だから。


 僕は頬杖をつく。

 やたら食べた餅に、質の悪いおもちゃのスライムよろしく太らされた頬が歪む。けれども、窓際だからそのだらしのない頬を見られる心配は軽減される。


 そうして先ほどのようにまた脳内で彼女を作り上げると、ノートを取っているフリをするため握っていたオレンジ色のシャーペンが掌から机に滑り落ちた。

大した音でもなかったはずなのに、教師の視線を感じる気がして硬直してしまう。


 いや、気のせいだったのかもしれない。

いけないと分かっていてなお、し続ける行動が何らかの理由で打ち止められた時、存外臆病になるのは人間の性〈さが〉だろう。


 そんな思い付きの理由を裏付けして自身を安心させてしまうのは僕の悪い癖だ。楽観的だと自他ともに認めている。

だからいつも、変なところでケアレスミスをしてしまう。


 一息つく。

 この雪の様に、僕も真白く染まってしまいたい。そう思う。




 彼女はいない僕とて、女友達はいる。

「明後日隣町で冬祭りやるんだってぇ」

と女友達は言う。初耳だった。

しかし言葉はそこで終いらしい。

誘ってほしいのだろうか。それとも、こんな寒い中よくやるよな、なんて苦言を呈して会話を広げてほしいのか。

判断がつかないので、次は何処に足跡を付けようかと迷わせていた視線を隣の凛子に、僕の女友達に向ける。

凛子も僕と同じく視線を下に向けていた。何を思ったのか、不意に凛子がその場で跳ねると、うなじまであるポニーテールの先端が名前負けしないくらいに揺れる。


 そんな様子を見ると、その情報としてのみ発言された言葉に他意はない気がしてくる。

そりゃあそうだ。今まで誘ったことはあれどデートに誘われたことなんて一度もない僕に、都合良くお声がかかるわけがない。何か善行をしたわけでもないのに。


 ちなみに僕は今までにデートの誘いを承諾されたことはない。

「毎年やってたっけ」

 誘うでもなく苦言を呈すでもない返しだけど、一番無難だろう。

「私も知らなかったんだけどねー、やってたみたいよ」

ふうん、とも返事はしなかった。

愛想のないことこの上ないことくらい分かっているけれども、これが僕だ。凛子も嫌だったらわざわざ毎日一緒に帰ることもないだろう。

その点では僕はまだ男として幸せなのかもしれない。そんな感情は抱いたこともないけれど。




 傘をさすほどでもない雪が僕達の髪を少しずつ、少しずつ濡らしてゆく。

 祭りがあるという情報を聞いた以降、会話は一つもなかった。もっとも、それすら会話というには少し寂しかった気もするけど。



 東京ではまず見られないであろう遠くの山々が僕達より酷く雪を被っている。頭〈かぶり〉を振ればいいのに、なんて無理難題を思い付いては、お前には無理かなんて思う僕は捻くれている。

 凛子の足が止まった。それに気付いたのは視界から消えたので、というわけでなくて、帯を締める様な足音が僕の分しか聞こえなくなったからだ。

視線を向けると、雪の冷たさに霜焼けしたのか少し赤くなった頬が真っ先に目に付く。

「みんな遠いから〜とか、彼氏と行くから〜とか言って誘いに乗ってくれないのよね、分かるよね。だからゆうき、一緒に祭り行かない?」


 口を挟む暇もなく早口で言う。だから理解するのに一瞬の時間を食った。

しかし返答に困る。

二人でか? とでも聞こうと思ったが、凛子の友達は全員ダメで、僕の友達はどうか知らないけど男数人と女一人はあり得ない。だから二人で、との解釈で間違っていないから聞く必要もない。

よく考える。あくまで返事について考えていたけど、そんなこと一応思春期の脳は許さない。


 何故、僕なのだろうか。もしかして、僕のことが好きなのだろうか。

可能性は一割に満たないだろうけど、それでも二人きりで祭りなんてシチュエーション、明らかに恋人同士のデートだ。

たとえ、最近の高校生が男女二人きりでお出かけしていても冷やかされなくたって、デートはデートだ、あり得る。


 思わず腰に右手を当ててしまう。これが僕の困ったときの癖だということを凛子は知っているのかもしれない。何せ小学校からの付き合いだ、そろそろ十年来の仲になる。


 とりあえず、もしかしてで留めておこう。よく、男子中学生が女の子にちょっとでも優しくされると「こいつ、俺のことが好きなんだろう」と勘違いするなんて話は聞く。

恋愛慣れしていない僕なら、高校生だけども油断していると同じ様にそんな勘違いをしてしまったっておかしくはない。

「構わないよ。冬の祭りなんて行ったことないから、ちょっと興味がわいてたところだった」

「じゃあ明後日の朝! ゆうきの家に行くから準備しておいてね」

 待ってましたと言わんばかりに勢いが良かった。

やめてほしい、勘違いしてしまう。

しかしそれっきり、また無言の時間が僕らを訪れる。

 でも、明らかに悪意を滲〈にじ〉ませたものでなかったら、無言は嫌いじゃない。

互いに不快感を抱かせず、会話を続けないといけないなんてそわそわすることもなく、ただただ安心して無言を投げ交わす。

思うに、無言は心を落ち着かせる手段でもあり、互いを信頼している証拠でもある。

ただし、そんな持論を展開する相手はいない。だから的外れなのかどうかすら知れないまま、この持論は墓場に持っていくことになるだろう。




 雪の量はさっきより増した。けど気にするところはそこではない、風向きだ。

向かい風に煽られる雪の結晶の束が、こんなにも痛いとは思わず、きっと僕は今、先ほどの凛子よりも顔が赤い。

「傘、入ればいいよ」

と、凛子の声。凛子は僕に傘を寄せてきた。

「あと十歩もあるけば家だし、大丈夫」

と、僕の声。僕は傘を学校に忘れてきた。

 僕と凛子の家は近い。

だから校区なんて概念のある小学校は同じになった。凛子との出会いは入学式だった。

 そんな若かりし日々を思い出そうと努めると、思い出せないままに家に着く。

「私が家に行ったとき、寝ていないように。んじゃねっ」

人差し指を立て、つまるところ目覚まし時計をセットしておけと言うと、僕の挨拶も待たずに家に飛び込んで行った。

昔から落ち着きがないのは、生まれながらの彼女の性〈さが〉なんだと思う。

 気づけば追い風に変わっていて、霜焼けの痛みがさらに重なることはなかった。

もっとも、感覚は麻痺しているのでさして痛みに変わりはなかったと思うけど。




 家族におやすみを告げ自室に参る。

部屋の明かりはつけないままに電気ストーブをつけると、少しして熱源がマグマのような赤を纏ってじんわり灯る。

せいぜい半径十センチほどしか届かない熱源は頼りないけど、その慎ましく光るぼんやりとした様子が心の奥まで暖めてくれるのだろう。


 ベッドに入ろうと思った。しかし所持金や来て行く服をどうすれば良いか、突然気になってしまう。

別に恋人同士でもないんだからと思っても、今日の凛子の言動や一挙手一投足を思い出すと、どうも落ち着いていられない。


 認めよう。正直、僕は凛子に惹かれている節がある。


 ベッドに腰掛ける。でも、掛け布団にくるまる気分でもない、腰掛けるだけ。

きっと、くるまってしまったら最後、鼓動を速める心臓から全身にじわじわ熱が伝わって、いずれマグマの様にとろけてしまうだろう。


 気持ちを認めてしまったことで、浮上する問題があった。

凛子の思いだ。


 僕のことが好きなのだろうか。普段の僕ならそんな自惚れ台詞吐かないけれど、今は吐かずにはいられない。

もし、好きだったら……でも僕は、告白されても付き合わない。

電気ストーブの微かな灯りさえ凛子の顔を浮かべるには邪魔で、灯り一つない天井を見上げる。

屈託のない澄んだあの笑顔や、悩みにまみれたあの仏頂面、色んな顔を見てきたけれど、全部が僕のものになるとしたら、僕の器じゃ小さすぎて受け止められない。


 自分が未熟過ぎて、どうしても凛子を幸せにしている未来の僕を天井に思い描けない。

それが悔しくて自棄に目を閉じると、今まで綴じてきた友達としての僕と凛子の思い出が、日記のページみたいにしてパラパラめくれてゆく。


 当たり前だけど、めくるのを止めて未来を見ようとすると、いくら先にいっても白紙だ。ここから先を描ききれるか、書くことができるのか、自信はない。

そもそも、告白されたとしてその後ギクシャクしないなんて保証はどこにもない。

未来を少しも見積もれないのは、そうなることを暗示しているのかもしれない。


 そんなことを想像してしまうと、何もかもが不安になってきて、枕に顔を沈める。

すると、告白されたらなんて想像したことや、僕のことを好きなのかもしれないと思ったこと、そんな自分の自惚れ方に恥ずかしくなって沈めた顔が熱くなる。

 溶けてしまいたい。

 だから僕は布団にくるまった。




 決戦の日。朝。陽はまだのぼっていない。

約束をした金曜日の夜はあまり眠れなかったけど、土曜日の昨日は何故か落ち着けた。

いや、理由は分かっている。凛子が僕を好きなわけない、そう思うと落ち着けた。


 そして今日、日曜日。

もう午前六時を遠に過ぎているというのに、やっぱり冬の夜が明けるのは遅い。

何度も言う、まだ陽はのぼっていない。


 しかし、凛子は今僕の目の前に、詳しく言えば僕の家の玄関にいた。

「どうしてそんなに早いのさ」

「あれ、朝って言ったよね?あれ?」

確かに朝とは言った、けれど外を見てほしい。常識にとらわれないのは悪いことじゃないけど、常識を破壊しにかかるのは止めてほしい。




 結局、祭りに行くには早すぎるので、僕達は公園に行くことにした。

陽も出ていないのに外へ出るのは寒すぎるけど、僕の家族に誤解されるよりはマシだと思いたい。




 この公園は少々古い。遊具も整備されていなくて、幼児が怪我をしたなんて噂もよく聞き、おかげで最近では訪れる人も減った。

屋根のあるベンチに二人並んで座る。

「寒いね」

そう言って凛子は僕の膝にカイロを乗せてくる。あまり暖かく感じないのは、それ以上に外が寒いからなのか。それでも手に取る、凛子の手を触れないよう、完全に凛子が手を離してから。

「ありがとう」

ぐるぐるに巻いたマフラーの一巻きを口元に当て、腹の底に溜まった体温並みに温もった息をゆっくり吐く。マフラーは途端にミントの匂いに染まる。


 ようやく外が白んできて、降る雪の一つ一つが目で追える様になる。


 すると、漏れ出す様な声が聞こえてくる。

「なにに笑ってるの?」

反射的に聞く。

「だって気付かないんだもん」

なに一つ理解出来ない。何かされたのだろうか。

「えっ?」

「そのカイロ、昨日の」

右手に握ったカイロを見る。見た目じゃどうしても分からなくて少し強く握ると、固まった砂がほぐれる感触がした。

「随分と意地の悪いイタズラじゃないか」

「もー、怒らないでよ。あったか〜いのあげるから」

凛子がコートのポケットから突っ込んでた右手を引っ張り出すと、同じ形のカイロが握られていた。

それを受け取ると、今度はちゃんと砂はほぐれていてなおかつ暖かい。そんな当たり前に感謝しながら、指先しか暖まらないことに苦笑いする。


 もしこれが恋人同士だったのなら、一つのカイロを挟んで手を握るなんてこともあったのだろうか。

もし今日までに僕達は恋人の関係に成っていたのなら、この肩は凛子の肩と触れ合っていたのだろうか。

それを想像すると、カイロは必要なくなったようだ。体が熱くなる。




 五分ほど経つ。辺りは目に見ても分かるくらいに更に明るさを強くしてゆく。


 眼球だけ、隣の凛子に向ける。すると直感が僕に語りかけてきたので、そのままを聞いてみる。

「凛子、カイロは?」

きょとんと、自慢の間抜け面をこちらに向け、しばらくして意味が分かったようだ。

「ああ、私今寒くないから。じゃないと、ゆうきになんかカイロあげないよ」

今、鼻先を赤く染めてる凛子が何を言っても僕には嘘にしか聞こえないと思う。

右手のカイロを狙いを凛子の鼻に定めて、痛くないようにゆっくり発射させる。

「な、んっ、ばかばか!」

それにしても焦りすぎだ、何かあるのか、と思えば途端に小さいくしゃみを一つする。

 なるほど、くしゃみを我慢していたから鼻が赤かったのか。でも寒かったことに変わりはない。

反対のポケットからポケットティッシュを出す凛子を見て、そんな細かいところは女の子なんだなと再確認した。


 一息つく。

何を僕は思ったのか、無意識にカイロを握った右手で凛子の左手を取る。

凛子の顔は見ず流れる滝のように止めどなく降る雪たちを眺める。でも、視界の隅で僕の顔を見ている凛子が気になって、雪の一つ一つの行き先を見届ける余裕はなかった。


 ようやく、凛子も僕と同じ方向に顔を向けた。

たった十センチほど空いた僕と凛子の間は、これで埋められた。

肩と肩が触れ合っていなくたって、いや、それよりももっともっと手と手で触れ合って、僕は今、右手の温もりを凛子に懸命に伝えている。

顔は平然を装っているけれど、一生懸命だ。

 雪の野次馬達はそんな僕達をもっと長く眺めていたいのか、勢いを緩めた。

「このまま、こうしていたい」

凛子は言う。

今なら確信を持てる。

 凛子は僕が好きで、僕は凛子が好きだ。

自惚れでもなんでもない。確信した。

たとえそこに、明確な告白の言葉がなくとも。

カイロの効果は多分八時間。

「じゃあカイロが冷たくなるまで一緒にいよう」



 恋人の定義とはなんだろうか。

日本人の大多数は、告白をしてそれが受け入れられてから、と言うだろう。

でも、僕達にそんなのはなかった。

いやあったけど、返事はカイロが切れるまで、だった。

だから誰かは僕達を見て「お前達は恋人じゃない」と言うかもしれない。

それでもいい。事実僕達は恋人らしいことはあまりしていないから。


 でも、確かにあのとき僕達は相思相愛を確かめ合ったと思う。

何故なら、あの雪の様に二人、真白く染まることができたから。




あの日の翌日、僕達は風邪を引いて仲良く学校を休んだ。

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