防衛本能
【防衛本能】
恋人と別れ、心の痛みをこらえる彼女。そんな彼女に、同僚でありライバルでもある彼が気づいた。
お題:悲観的な笑顔
そろそろ、頃合いだと思っていた。この季節になると、がむしゃらになって何かをとりこぼすのだ。それは大抵恋人で。仕事上がりに珍しく時間が出来たので、食事を誘おうと思っていた矢先の出来事だった。
「うん、うん……。そっか。分かった」
重い気持ちを吐き出すように息をつき、電話のアドレス帳から一人名前を消した。落胆しながらも泣きたくないと空を見上げると、灰色の雲が見えた。
「代わりに泣いてくんないなかぁ」
なんて。いつからこうなったのだろうか。思わずそんな自分を嘲笑ってしまった。追いすがることも出来ない、可愛げのない私。彼からもらった指輪を外して、公園のゴミ箱に投げ入れた。
そんなことがあっても、夜は明け、また一日が始まるのだ。職場で企画の打ち合わせをしている時のことだった。ふと、ドキリとする言葉を投げかけられた。
「あなたはいつからそんな、悲観的な笑顔をするようになったのですか?」
いくら仕事の同僚でも、これは触れられたくなかった。フレームのない眼鏡の奥、真っ直ぐな視線に思わず目を逸らす。彼の手が、逃げるなと彼女を捕らえた。
「放っておいて」
「それは無理です」
自分の心の内、とりわけ柔らかい部分に触れようとしてくる男に、脳内でエマージェンジーが鳴り響く。
「あなたは馬鹿みたいに無邪気に笑ってればいいんだ。あなただからこそ、生まれてきた企画もあるでしょう。今みたいな笑い方をするなら、いっそ泣きなさい」
限界だった。涙がいくつもこぼれ落ちていく。男によりかかるように、手が背に回された。暖かい体温を身近に感じ、次第に気分が落ち着いていく。ふと、同僚で競うように戦ってきた男に弱みを見せてしまったことに気づく。所詮お前も女なのだと思われる前に、彼を突き飛ばす。
嫌だ。同情なんていらない。女の弱さなんて、見せたくなかった。今まで、戦友のように戦ってきたのに、失望なんてされたくない。彼の怜悧な瞳を曇らせたくなかった。願うのは、企画でぶつかった時のような、好敵手と認めた時のような視線だ。
「濡れたスーツは、このハンカチで拭いて」
「いいえ、貸し一つです」
「嫌な男」
「可愛げのない女」
私は部屋を出る間際に、彼に振り返る。そして、挑発的に笑った。
「私達にはそんなの必要ないでしょう? 次は絶対負けないわ」
「期待してますよ」
先ほど泣いていたのが嘘のように、彼女は背筋を伸ばしてヒールの音を立てながら退室していった。その背中を、彼はじっと見つめていた。
彼は彼女をライバルと認めていた。それ以上に、彼にとっては女だった。この勝ち気な女が屈服する姿が見たいと思っていた。その彼女の弱い部分を目のあたりにして、飢餓が満たされていくのを感じた。自分だけに見せて欲しい。無理にでも、そうさせたい。
「もっと、泣かせたくなりますね」