柿のお供え
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私の家の隣は幽霊屋敷だ。そう言えば、幼い頃柿を取りに忍び込んだことがある。
私の家の隣は、幽霊屋敷だ。埃がかった窓や、強い風がふくたびに木が軋む音がするので、気がつけば誰かが幽霊屋敷と呼ぶようになっていた。その屋敷には広い庭があり、柿の木が植えられていた。幼い頃は忍び込んで柿を食べていた。今ではもう、そんなことはしていない。夏になると草刈りのチェーンソーの音がして、ああ隣かと毎年思っていた。なぜ、寂れた屋敷をそのままにしているのだろうか。
秋の肌寒い空気を感じ、隣の幽霊屋敷の柿を思い出した。柿の甘い味が脳裏に蘇り、奥から唾液が出てくる。食べたい。私は身軽な軽装をして、自宅の塀を登った。感覚は忘れていなかったようだ。あの頃より大きくなった身体は、むしろ侵入しやすいとさえ思った。地面に着地して、柿のあった場所へ向かう。
柿の木は変わらずにあった。たまに塀を越えた枝から柿が川にボトンと落ちているのを見て、誰も食べないなら私が食べると子どもらしい傲慢さで忍び込んだ記憶が蘇る。そして決まり事も思い出した。柿を取ったなら、一つはお供え。もう一つは屋敷のお猫様に。残りは私のものという決まり事だった。
私が初めて忍び込んだ日のことが蘇る。柿を取った時、ギッギッと木の軋む音が屋敷からしたのだ。その音は不気味で、とっさに玄関の入り口にお供えのように柿を残して離れた。すると気味の悪い音がおさまったのだ。私はそのことで、屋敷に何か住みついていると予想していた。幽霊屋敷と呼ばれるだけあって、不気味に感じた。
翌日私が確認しに行くと、柿は玄関から消えていた。お供え物をしていれば大丈夫ということなのだろう。安心して帰ろうとした時、屋敷の開いたままにされている窓から黒猫がするりと出てきた。ンナァと甘えるように鳴いて、玄関に丸まる。もしやと思い、まずお供え用の柿を置き、黒猫の前にも柿を置くと満足そうに目を細めてンナァと鳴いた。それから決まり事になったのだ。
そして今、記憶に従ってお供え用とお猫様用に柿を玄関に並べた。懐かしの黒猫が柿の匂いにつられたのか、ひょいと窓から出てきた。久しぶりに見ると猫が小さく見えた。私が大きくなった証拠だろう。昔は触れなかった猫に触れたくなって手をのばすと、猫は素直に撫でさせてくれた。おとなしい猫のようだ。毛並みを楽しんでいると、またギッギッと不気味な木の軋む音がする。もう帰れという意味だろうか。私は幽霊屋敷を後にした。
彼女が帰ってからしばらくして、屋敷のドアが開く。屋敷から出てきた何かは、足元の柿と柿の前でご満悦な顔をして丸まっている黒猫を見て、あの子が来たのかと呟いた。そう呟いた何かは、玄関の影になっていてよく分からないが人の姿をしており、浴衣を着てどこか浮世離れしていた。影から少し踏み出すことで、肌が青白く、生気をまったく感じない青年だと分かる。彼は柿を手に取る。強く柿を握って、何かを諦めたかのように自嘲的に笑った。彼はドアを開いたまま、黒猫を屋敷へ招き入れた。こうして今日も柿が消費される。
翌日も幽霊屋敷の敷地に侵入する。久しぶりに柿をお供えしたので、ちゃんと柿がなくなっているか確認したいと思ったからだ。塀を乗り越えて、柿を取ってから石畳を辿る。改めて思うのは、この屋敷の庭は広いということだ。石畳を辿れば玄関に着くのだが、歩きながら家主はどれほどの大金持ちだろうかと想いを馳せる。古びた西洋屋敷でありながら、細部の造りが凝っていた。
柿をお供え用とお猫様用に用意して玄関に向かうと、初めて見る光景があった。知らない男がお猫様を膝に乗せて、撫でているのだ。彼は私の土を踏みしめる音に気づき、顔を上げた。そして私の手の中にあるものに気づき、何か納得したような顔をした。
「君は、よく柿のために忍び込んでくる子だね」
「そんなことないです」
思わず反射的に否定するが、彼の目が私の両手の柿にそそがれていて、居心地が悪い。背に柿を隠した。
「……そうです。ごめんなさい」
「素直だね。この子と同じだ」
彼はクスクスと笑って、慈しむように黒猫を撫でた。猫をよく知っているらしい。人が住むような屋敷には見えないが、屋敷の主なのだろうか。肌の色は青白く、浴衣から覗く手足でやせ細っている印象がある。療養中なのかもしれないと考えた。
「この猫はいつの間にか住み着いていたんだ。食い意地がはってるから、君がくる時間に合わせてちゃんと来るだろう」
まったくその通りだった。黒猫をじっと見つめると、ニャアと鳴いてお座りした。柿の催促だ。そのつぶらな瞳に、仕方ないなと柿を前に置いた。猫はありがとうとでも言うかのように足にまとわりつき、柿に噛みつく。それとは別に玄関へ一つ柿を置いて、彼にも柿を差し出した。
「あぁ、柿は一つでいいよ。だからその手にあるやつは君が食べるといい」
彼は玄関に置かれた柿を拾い上げた。彼が柿を食べていたのかもしれない。私はこくりと頷いて、柿をしまった。
「よかったら、明日もまたおいで。この子も僕も喜ぶから」
彼の儚げな笑みに、分かったと言葉を返した。浴衣から覗く彼の細い手足に、彼はそんなに長くないのかもしれないと思った。見送る二人を背に、玄関先で別れる。明日は柿以外のものも持って行こうか。初めてそう思った。
次の日が来た。隣の幽霊屋敷への塀を越えるのも、手慣れてきた。ふと、塀に座ったまま屋敷全体を見渡す。毎年夏には草刈りの手が入るが、秋には草が茂ってしまう。この屋敷の管理と維持だけでどれくらいの大金が必要になるか考えて、気が遠くなった。気を取り直して、柿の木の元に向かう。
柿の木に近づいていくと、「とりゃ! とりゃ!」と何か男の子の声がした。柿を取ろうとしているらしい。男の子は諦めずにジャンプを繰り返すが、届かない。あまりに必死だったので、思わず取ってあげようかと声をかけた。男の子は私を目にして、大きい声を出した。
「柿女!」
びしっと指を指された。まさかそんな風に呼ばれるとは思わなかった。
「あっ、せい様に人を指差しちゃいけませんって言われたんだった。柿女さん、ごめんなさい」
「いいよ」
何だか謝られているような気がしないが、素直なのでいいとしよう。男の子は動きやすそうな服を着ていた。
「柿女さんは柿を取りにきたんですか?」
「うん。その……私、秋穂って言うんだ。柿女はやめてくれるかな」
「秋穂さんって言うんだ! 分かりました!」
この子、凄く素直だ。
「せい様が柿を食べたいって言うから、取りに来たんです。でも、手が届かなくて。秋穂さん、取ってもらっていいですか?」
最近の子は木登りしないのかなと思いながら、腕を伸ばしてもいだ柿を彼に渡した。いつもの分も一緒に確保する。
「ありがとうございます。せい様は毎年秋になるとここに療養に来るんですよ。大切な思い出があると言われていました。年々気が沈みがちでしたが、数日前から明るくなられました。秋穂さんのおかげだと思います」
ここでようやく、せい様はあの男性だと気づく。彼は私が忘れていた秋も、静かに待っていたのだろう。手に持った柿を重く感じた。それから二人して玄関に着いた。彼は私と男の子を見て、「ああ、会ったのか」と呟く。
「見てください、秋穂さんに柿を取ってもらいました」
「そう。よかったね」
柿を受け取って、男の子をえらいえらいと撫でる。そして私の手の中の柿をじっと見た。まだ柿がほしいのか。だが、先ほどの会話を思い出して気まずい。私は彼の目を見ないようにしながら、柿を渡した。彼は手を伸ばして柿ではなく、私の手を掴んで「秋穂さん」と呼ぶ。そうだ。私たちはお互いに名前を知らなかったのだ。
「せいさん……で合ってる?」
「ああ、その子から聞いたんだね。静かって書いて、静って言うんだ。僕はあの子が名前を呼ぶまで君の名前を知らなかったよ。おかしいものだね」
「うん、何だか変な感じ。それでその、黒猫にも柿をあげたいから手を離してもらっていいかな」
彼は病的なほどに白い肌を朱に染めて、バッと手を離した。彼の触れていた場所の感覚が残って妙に落ち着かない。そんな自分を隠したくて、平静を装って黒猫に柿をあげた。お猫様は遅いと言わんばかりにンナァと鳴く。ごめん、お猫様。
その後、私は逃げるようにして帰った。私が薄情にも幽霊屋敷のことを忘れていた時も、彼は待っていたのだ。胸がずしりと重みを感じた。そして、彼が触れた時にあった胸の変なざわつきがふいに蘇って、恥ずかしくなった。いくら病弱で細い腕をしていても、私より大きい手だった。そこまで記憶がぶり返して、振り切るように眠りについた。
幽霊屋敷のことを忘れていた期間で、私はツイッターを初めていた。友人との付き合いで始めたのだが、今では性に合っている。日記は三日も続かなかっただけにおかしい。タイムランを覗いてみると、友人が『家に帰った~』と呟いていた。私は彼女に『お帰り~』とリプライを送って、自分も『ただいま』と呟いた。幽霊屋敷の彼はツイッターなんてやっていなさそうだ。大金持ちのような気品があるから、携帯は持っているかもしれない。いや、むしろお坊ちゃまだからこそ、持っていないのかもしれない。今日も隣の幽霊屋敷に忍び込む。柿の木の元に、また男の子がいた。
「秋穂さん、こんにちは! 今日は自分で登って取ってみたんです。どうですか!?」
「そうなんだ、えらいね」
「はい! 冬になったら屋敷は取り壊しになりますから、それまでには自分で取りたかったんです」
「今、なんて?」
男の子はしまったというような顔をしていたが、私は笑顔で再び問いかける。身長差があるためか、男の子がビクッと身体を震わせた。
「今、なんて?」
「そのっ、本当は静様に言ってはいけないよと言われていたんです! だから勘弁して下さい!」
「でも、もう私聞いちゃったけどなぁ。だから結局のところは同じだよね? 詳しく話してくれるかな?」
男の子はすでに取った柿を三つ私に渡して、柿の木にもたれた。表情が暗い。私も柿の木にもたれる。
「先程も言いましたが、この屋敷は冬に取り壊しするんです。元々、内と外で屋敷にガタがきていますから。今更維持するための資金を投入するよりはと、旦那様が判断されました。それを止めていたのは静様です。静様は毎年秋の療養を楽しみにされていたのです。今度こそ“柿の子”に会いたいと言われていました。そんな願いから引き伸ばしされていたのですが、今年が最後だと旦那様に言われました。静様は――」
ザッと土を踏みしめる音がして、腕に黒猫を抱えた静が現れた。彼は動揺するように目を伏せる。彼の気持ちの不安定さに落ち着かないと思ったのか、黒猫はどこかへ駆けていった。
「僕の話をしていたんだね。秋穂さんには言っちゃ駄目だと言っていただろう」
「うう……、すいません」
「仕方ないね。残りは僕が話そう」
隣に彼が並んだ。嫌な予感がして、落ち着かない。気を紛らわせるために、彼に柿を渡す。彼はありがとうと苦笑して、かぶりついた。そんなワイルドな食べ方をするなんて、今まで知らなかった。
「屋敷が取り壊しだって聞いたよね。僕は君に会えるまではと引き伸ばしてきた。君が来ない日も、待ってた。忘れてしまったんだろうなと思うこともあったよ。君には君の世界がある。仕方ない。そうは思っていても、最後にどうしても会いたかったんだ。僕は会ったこともない君に恋をしていた。窓越しに後ろ姿は見たことがあるんだけどね」
柿を置くとき、ギッギッと不気味な軋む音がしていたのは彼が歩く音だったのかもしれない。そして、彼の言った恋という言葉に困惑する。戸惑いを隠すように柿を食べた。
「屋敷も限界だったけれど、僕の身体もここに来るのは限界が来ていてね。だから、父は取り壊しを進めようとしているんだ。それまでに君がこの屋敷の思い出を思い出して、また来てくれることを祈ってた。神様っているのかもしれないね」
「病気で?」
「そう病気。冬から長期入院が必要なんだ。お金も必要になる。この敷地は売られると思うよ」
「どこに入院するの?」
「まさか、来てくれるの?」
私は頷いた。屋敷が潰れたら、ここで関係は終わりだと思っている彼に腹が立った。だから、私は次こそ忘れない。必ず病院にお見舞いに行く。私の決意がみなぎる目を見て、彼はふっと笑った。
「ありがとう。駅近くの病院だよ」
「分かった。絶対お見舞い行くから。柿を持ってね」
「さすがに冬は季節外れだよ」
そう言いながらも、彼は先程とは違って、明るく笑った。お腹を抱えてクスクスと笑っている。
「黒猫なんだけど、秋穂さんの家で飼ってもらってもいいかな。よかったら、君にお願いしたくて」
「うん。私もこの屋敷の猫だからこそ、飼いたい」
「よかった。それで、告白の返事は聞いてもいいのかな」
晴れやかな顔で、からかうように見てきている。私は分からないと正直に答えた。すると彼は「じゃあ、これから頑張らないとね」と言った。そんな空気が心地よくて、彼に恋をするだろう未来を予感した。私達の秋は続く。




