姫に手のひらのキスを
彼の主が亡くなった。彼は主の忘れ形見を護ると決意した。幼い姫にかっての主を重ねながら、忠誠を誓うべく願う。
高貴なる女性に忠誠を誓っていた。けれどもそれ以上に彼女のあり方に敬服し、ついていくと決めていた。だからこそ、女として見ることは彼女への冒涜だと思っていた。高嶺の花に手を出すはずがない。二人の主従関係に噂されることもあった。彼は噂に惑わされることなく仕えた。しかし、彼女は宮廷の争いで命を落とす。彼女から託された娘を守ると誓った。
幼い姫は母の言葉を思い出す。
『王女たるもの隙を見せてはなりません。背筋を伸ばして、顎を引いて、前を見据えるのです』
母を失った時ほど、わたくしは強くなければならない。王族ですもの。涙をこらえ、強く前を見据えた。
騎士はその姿に、仕えていた前の主を重ねる。か細い身体で、大きな存在感をもっていた。間違いなくあの人の娘だ。あの人を守るために鍛えた身体で、彼女の前に跪く。
「あなたに忠誠を」
「必要ないわ」
「守らせてくれないか」
「それも必要ないわ」
姫はつれなかった。ここで引き下がったら自分は後悔するだろう。あの方の忘れ形見を失いたくなくて、言葉を紡ぐ。
「どうか、あの方の分も健やかに生きてくれ。俺は、姫の母君にあなたを託されている」
「そうね。あなたが忠誠を誓うのは、守りたかったのはお母様だわ」
目が冷たい色をしていた。あの方が亡くなるまで、あんなに明るく笑っていたのに。思わず、心を凍らせた姫を抱きしめた。どうして俺は、こんな風になるまで彼女に気が付かなかったのだろう。もっと早く気がついてればよかった。
騎士の忠誠を示すために、拒絶する彼女の手を無理矢理つかんで、手の甲にキスしようとする。それを彼女は顔を歪めて、手を払った。彼は目で制して、再び手をつかむ。彼女は体を固くしながら、頭を左右に振った。手の甲にキスをするかと思えば、彼は手のひらにキスをした。
「どうか、俺に姫を護らせてくれませんか。健やかに育って、あの人よりも長生きしてください。あなたの姿を、あの人に重ねることを許してほしい。忠誠を、誓わせてくれ」
彼女はまぶたを震わせながら、沈黙した。握る手に少しだけ力を込めた。
「許す、と」
「許す……」
忠誠よりも、わたくしを愛してほしい。姫は喉から出かけた言葉をのみこんだ。
あれから、六年たった。姫の身体は女らしい曲線を描いている。今や、宮廷の花と言われるほどだった。母譲りの柔らかい金色の髪を流行に合わせて結い上げていた。あの時凍っていた新緑の瞳は、瑞々しく輝いている。
「すっかり立派なレディになりましたね」
「ふふ、もう小さな姫君なんて言わせないわ」
「そうですね」
あの幼い姫は適齢期になり、社交界デビューが近づいていた。きっと、この可愛らしい姫を誰もが放っておかない。求婚者は後を絶たないだろう。
「どうか、あなたがあの方よりも長生きしますように。まるであの方のように美しくなられました」
本当に彼女に願いたい言葉が出てこない。あの方には抱かなかった思いを、彼女の娘に抱いていた。近頃、姫がまぶしく見える。これも、その感情のせいだろうか。姫から愛されたいと思う自分がいた。社交界デビューはもう明日だ。今言わなければ、永遠に言えなくなる。勇気を奮い立たせて、彼女の足元に跪く。彼女の滑らかな手をとり、願った。
「姫を愛することを許してほしい」
「なにを、あなたは言っているの」
「愛してくれないか」
彼はあの時と同じように、手のひらへキスをした。その感触に言葉が詰まって、どうしょうもなくなる。
「あなたは勝手だわ。これまでわたくしがどんな気持ちでいたと思っているのです。誰もがわたくしの先に母を見ました。今更信じられるはずがないわ」
「姫」
わたくしの返答をせかす声が憎らしい。宮廷では隣にいるだけで強くあれる彼の目に縫いとめられて、身動きができない。わたくしは観念したように瞳を閉じて、息をついた。
「許します」
彼の嬉しそうにほころんだ顔を見て、かなわないと思った。
おさようったーという診断メーカーから、インスピレーションを得ました。
手のひらへのキスは懇願という意味らしく、たいへんツボです。




