表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
裸の鼠  作者: まどか風美
7/10

第7歯(ば)

 親しき友よ。我らが最愛の兄弟よ。此度もまた、仮初めではあるが、君と別れねばならぬ時が巡ってきた。我らはこれから、君に罪を犯す。君に苦痛を与え、君を殺す。ここに綺麗事は無い、君は命と肉体という、掛け替えの無いも無い、大変なものを差し出してくれるというのに、我らはそれに、我らに可能な限りの敬意という、あやふやなものでしか応えられない。ここに綺麗事は無い、肉には肉を、血には血を、それが正しい贈り物の循環であるはずなのに、我らは君が抗議できないのをいい事に、この贈与を一方的に不正なものにする。だが友よ、我らはこの送別に臨み、魂枯たまがれて君と行くことを誓う。真心という真心を振り絞り、誠意という誠意を汲み尽くす、その果てに我らの魂は君と共に死に、願わくば君と共に蘇らん、その覚悟で君を送りたい。更に友よ、我らは預かった君の心臓をこの上も無く美しく飾り立て、数多ある命の中、こちらでは誰が最も敬愛されていたのかを、君がいく先で堂々と明らかにすることを約束する。友よ、我らは不実であり、君にお返しできるものは無いに等しい。だが友よ、これからお見せする我らの真心が、僅かでも君の心を和らげることを切に願う。これからも、君が我らの生を許してくれることを、切に願う。

(「イモ送り」の核心となる儀式に先立ち、首長が重々しくイモに呼びかけた。儀式が進行する広場の空気は、前もっての添い寝が行われていた間とは一変している。親しみだけが満ちていた単純に朗らかな様子から、友愛、罪悪感、悲哀、希望…幾つもの感情がない交ぜになったらしい複雑な興奮状態へと徐々に変化し、首長が本心より震える身から絞り出した呼びかけの終わった今、イモを取り囲むデバたちは身を捩り、前肢で門歯を頻りに磨き、ピュイピュイ・ピュウピュウ、口々に何事かを叫び、その興奮は頂点に達している。一人冷静なのは、グレートマザーだけのように思われる。首長が這いつくばるようにして彼女へと近寄っていく。何事か、告げたいことがあるようである)

 グレートマザー。一番辛い役目をあなたに押し付けてしまい、我ら一同、言葉もございません。しかし、汚れた我らが許されるために…よろしくお願いいたします…

(首長が地面に門歯を擦り付けながら、消え入りそうな声で要請すると、グレートマザーは静かに頷き、首長同様這いつくばるように、しかし四肢は高貴に踏みしめながら、ゆっくりとイモへ近寄っていく。おお…この突然の悲痛な叫びは、イモの間近まで寄ったグレートマザーのものである。イモを見上げ、門歯を地面に擦り付け、その仕草はまるで、人が悔恨のあまり額を地に打ち付けるかのようだ、呼応するように、他のデバたちも同じ仕草をし、畏れか悲しみか、口々に叫び続ける。感情の高ぶりがどうしようもなくそうさせるのか、グレートマザーの体が激しく震え始めた。苦しげに、自らを叱りつけるようにして彼女は身を起こす、門歯先端をイモの表面へ当てようとするが、震えのせいか、その度に滑ってしまって上手くいかない。彼女は四肢を突っ張り、遂に門歯は固定された。ああ、何と言うことだ。この瞬間、狂おしいばかりだったデバたちが一斉に息を呑んだのだ、グレートマザーとイモを中心に電流が走り、全員がそれに打たれでもしたように! …! 僕も急に胸が詰まった、突然静まりかえった広場は真空のようで…でもありとある激情の大海に、我々は窒息寸前なのだ…むっ…むっ…これは…グレートマザーがイモに門歯を、ひと思いに突き立てたのだ。しかしその時、門歯が突き立った所から無数の青白い光の粒子が迸り、迸ったかと思うと、急に動きを緩めて虚空へゆらゆらと消えていった…僕は幻影を見たのだろうか、けれど…イモの苦痛を長引かせないためなのか、グレートマザーは果断に門歯を振るい、「イモの心臓」を取り出そうとしている。門歯がイモの一部を切断する度に、まだ見える、様々な色合いの光の粒子の迸りと、様々な運動パターンを伴ってのそれらの消失が…むっ…)

 我ら最愛の兄弟はいま旅立った! さあ、我らは彼との約束通り、預かった彼の心臓を美しく飾り立てよう。彼が行く所は遠い遠い彼方だが、万が一間に合わなかったら彼に顔向けできない、直ぐに始め、丁寧かつ速やかに行おう。さぁ、彼の「仮の心臓」を用意する係の者共も、直ぐに始めてもらいたい。この時のために、他のイモが豊作だった場所から取ってきて保存しておいた土は、準備できてるかな? その土には母なる大地の増やす力が殊の外濃くて、立派に心臓の代わりを務めてくれるだろう。戻ってくる兄弟が迷わないよう、その土に我らの臭いをつけておくことも忘れずにな。

(あー、しんど。まったく、大事な仕事を任されるのは誇らしくもあるけど、気疲れして敵いませんな。ん? ありゃ先生、大丈夫でっか。そのまま寝てしもうたら、「イモ送り」全部見られまへんで)

(あっ…僕、寝てたかい?)

(はい。先生も「魂枯れ」してしもうたんやな)

(ふむ。首長も言ってたけど、それは?)

(イモを送るのに、みんな極限まで気ぃ張り詰めてまっしゃろ? だからその後、殆どのもんが魂が抜けたみたいに寝てまうんです。ま、気疲れですかな)

(やっ…)

(な? さっきまでの騒ぎが嘘みたいに、みんな寝とりまっしゃろ。前置きで高ぶるだけ高ぶって、後の心臓の飾り付けではがくがく震えるくらい緊張させられますねん、そら眠たくなりますわ)

(心臓の飾り付けは全員参加だったのかい? だとしたら君も)

(ほぼそうなんですがわいと幾人かはまた別で、「仮の心臓」って首長も言うてましたやろ、要するに前にお話ししたイモくりぬいた後への土詰めなんですが、それやってました。けどこれも、とても雑に出来る雰囲気じゃありまへん、直ぐに眠りこける程じゃなくても、わいも結構疲れましたわ)

(君たちの言う「魂枯れ」が、決して言葉だけのものではないことを、強く感じるよ)

 おや。先生、お疲れのようですが平気ですかな。我らが兄弟の心臓の飾り付けも済みました故、グレートマザーと私は、これから秘められた場所へ向かいます。ところで先生、その場所は本来なら聖所、限られた者しか立ち入りを許されぬ領域なのではありますが、身を粉にして学に貢献しようとする先生に、我らご協力申し上げるのも吝かではありません。先生さえ大丈夫ならば、これからご同行願おうかと思っていたのですが、いかがですかな?

(や、それは望外なお申し出です。こちらこそ、是非お願いしたい)

 では参りましょう。君も今回はついておいで。その代わり、きちんと先生のお役に立つようにな。

(へへ。その役目、確かに仰せつかりましたで)


(グレートマザーを先頭に、我々は通るのもやっとの狭い地下道を進んでいる。感覚的には、更に深く潜っているようである。先頭のグレートマザーは、門歯を上手に使って「イモの心臓」をくわえている。心臓は、形の整った多数の小石や、細く真っ直ぐな根などで見事な象眼模様が施されているが、これは視覚よりも触覚に頼る『ピウピ・ピュイ・ピュウピピ』らしい飾り付けと言えよう。また、こういう場合特に、彼らの特別な門歯が力を発揮するようだ。彼らの門歯は、下顎に限り2本を独立して動かせる。下顎のそれを開いてくわえることで、グレートマザーは大切な預かりものを傷つけずに済むのである)

 先生。我らは確かに、緩やかな道を時間をかけ、更なる地下へと向かっているのですが、その理由はお分かりですかな?

(伺った神話の中に、あなた方の友人は母なる大地の子宮へ赴くとありましたが、それに関係があるのでしょうか?)

 さよう。それは母の奥深く、即ち我らのムラよりもずっと深い所にあるのだから、我らの行動の及ぶ範囲までは、我らが兄弟を送りたいという思いも確かにある。

(行動が制限されるということは、そこから先は、あなたやグレートマザーといえども立ち入れない領域が在るのですね?)

 その通りです。例えばそこは、死者の国であるのだから、我ら生者が立ち入れぬのは当然なのです。更にそこは、我らの身の丈には到底合わぬ強い力の潜む場所、その意味でも安易に近寄るべきではない。その過ぎた力を、我らが身に帯びることは出来ましょう。しかし、持ったが最後、我らはきっと我らではいられなくなる。自ら滅ぶのか、他者を滅ぼすのか。いずれにせよ我らは、他の生命と平等に編み上げてきた命の網目の外に好んでこぼれ落ち、孤独に苛まれることになるでしょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ