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裸の鼠  作者: まどか風美
4/10

第4歯(ば)

 施された魔術の効力は、実に恐るべきものであった。友人はあれほど聡明であったのに、植え付けられた愛に疑問も持てず、むしろそれに溺れるようにして、最後はヘビと交わってしまったのだからな。先に、ヘビは女だと述べたな。そして、友人は我ら同様『大地のペニス』であった。計算高い敵のことだ、実をなさぬつがいなど、最初から作る気は無かっただろう。それどころか、敵は子々孫々の先まで見通して、この策を練ったようだった。毛むくじゃらのヘビは、自分では我らを食えぬと悟っただろう。それ故に、自らは毛皮を持たぬ子を産んで、その子らに我らを食わせようとしたのだ。毛むくじゃらのヘビは、我ら裸の一族の種を得た。結果、母親の細長い胴と父親の裸を受け継いだ、新しい、我らも良く知るあのヘビが誕生したのだ。ああ、既に気付いた者もいるようだな。そうだよ、かつて我らはイモであった。一方で裸のヘビの父親は、我らの古い友人であるイモだった。関係の綾というものは実に一筋縄ではいかぬものだな、我らと裸のヘビには、血の繋がりがあるというのだから! だが、諸君らも承知のように、裸のヘビも母親同様、我らに対する食欲を忘れはしなかった。相手は本性ヘビのまま、そして我らは『ピウピ・ピュイ・ピュウピピ』である。敵対し続けるしかないのだよ。

 さて、ヘビは今や無毛となったのだから、母親が難渋した空気取りの穴を擦り抜けることなど、もはや造作もないことだった。母親のように様子を見ながら、ぎこちなく進むというようなことはせず、するすると、大雨の後の水のように我らの居る地下を目指した。不幸中の幸いであったのは、我らがこの危機を、敵に襲われる前に知り得たことだった。全く突然に、母なる大地が病的な身震いをし始めたのだよ。それまでヘビは、地上の命であった。明らかに、奴は異物として認識されたのだろう。

 我らは親しい友人を失ったばかりであったが、嘆いている暇もなかった。座したままでは為す術無く、我らは食い滅ぼされてしまう。我らは努めて冷静に状況の分析を試みた。我らはなぜ、一方的に食われると恐怖するのか。敵は自在に動け、我らはそうでない、その欠落が恐怖を生むのだろう。では、その欠落を埋めるには。我らは尻尾で母なる大地と繋がり、それは我らを生かしもするが、我らを植物にとどめもする。この繋がりを断ち切れば、我らは動物になれるのである。なぁに我らもイモだ、短い間なら、身に蓄えた糧で生きていられるはずだよ。結論が出れば、我らは果断であった。母なる大地が贈ってくださる養分を自ら尻尾で詰まらせて、これを破裂・切断したのだ。しかしまぁ、事は急を要するとはいえ、随分乱暴な手を使ったものだ。落ち着いて丁寧にやれなかったために、ここに居る我らの尻尾はこんなに短い、不格好なものになってしまったのだからな。

 植物から動物へ変わった瞬間には、体の内側全てが外へ引っ張られるような、なんとも言い表しようのない気分になったものだ。我らはそれまでも、充分聡明かつ鋭敏だと思っておったが、植物の鋭敏さと動物のそれとでは随分違うのだな。何と言おうか、こう、自分の領分がいきなり、格段に広がった気分であったよ。我らは動物になって直ちに、手足や門歯を動物のそれとして使いこなすことができた。暗く狭い場所でぶつからずに走り回るのも、直ぐにやれた。そうやって具わっていた体の動かし方を発見している内に、あのしゅーという、耳障りな息遣いが聞こえてきた。尻尾を前に試走疾走していた我らが首をめぐらすと、まさにヘビが、空気取りの穴からあの舌をちろちろと覗かせたところだった。ヘビは目を、我らは門歯を、遂に対峙させた。しかし、ここからが傑作だったよ。我らを見た途端、ヘビはあの丸く見開いた目を針で突いたような点々にすぼめ、裂けた口を更に大きく、ぽかんと開きおった。そして、ぎゃっと叫ぶと、信じられないような勢いで穴の中へ引っ込んだ。呆れて様子を窺っていると、どうもヘビはそのまま、元来た道を地上へ引き返すようである。まったく、我らも顔負けな、尻尾を前にした素晴らしい疾走であったよ! 恐らくヘビは、我らが動けぬものと高をくくってやって来たところを、意外や意外、活発に動き回る我らに迎えられ、肝を潰したのだろう。案外奴も、根は臆病なのかも知れぬな。

 さて、こうして地下の平和は守られた。執念深いヘビのことであるから、この平和は一時的なものであろう。しかしその時はその時、また考えればよい。その様な訳で、我らは母なる大地に、我らを再びその乳房に吸い付かせてくださるようお願いした。ところがだ、母なる大地は驚くべきお考えを示された。なんと、再び植物に戻ることは認められない、以後は我らの新たな本性、即ち動物であることを活かし、活発に動き回り続けるがよい、そう仰るのだ。『だって、その…う、動いてくださる方が、そのぉ、もももっといっ、イイですから…』。とまぁ付け加えてその様なことを、母なる大地はそっぽを向きつつ、努めてぶっきらぼうな口振りで

P|qшФ)ジー…

 やっ、そこにいらっしゃるのはグレートマザーではありませんか。ほう、両前肢で地下茎を抱きかかえ、その陰から片猫目を覗かせこちらを窺っている、その様子が暗黙的制約の中で表現されてるんですな。あ。いやいや。こちらの話ですよ。それより、巡回の最中ですか。お役目とは言え、いつもご苦労様です。私でしたらこの通り、首長の務めをきちんと果たしておりますぞ。いや、「うけけけけ」て。は? 神話の残りをお聞きになりたい。無論グレートマザーもよくご存じの神話ですが、それでもお構いなければ。ふむふむ。では、そんな一番後ろで見ておられずに、どうぞ前の方へ。諸君、すまんが道をあけてくれぬかな。ささ、ずずいと。一番前へ。

(補足。ここで首長の言うグレートマザーとは、その呼び名の通り、特別なメスのことである。彼女は群れの中で一番大きな体をしているが、それだけが彼女を特別にするのではない。彼女はまた、群れの中で唯一子を産む個体なのだ。つまり群れの成員は、彼女の繁殖相手を除けば…これも近親婚が行われるかも知れないから一概には言えないが、概ね彼女の子供ということになる。繁殖個体が限定されているのは、ハダカデバネズミが真社会性を持つと言われる、条件のひとつである)

(ちなみに、グレートマザーのお相手は一人から数人居るのが普通で、今はあの、首長だけがそうなんでっせ)

(補足の補足だね。いや、ありがとう)

 では、続きを物語るとしよう。我らは動物となり、動き回る自由は得た。しかし、再び植物に戻ることを拒否されたために、物を食わねば生きていけぬようになってしまった。では、我らは何を食えばよいのか。我らを初めて創造し、こう生きよと定められたのは母なる大地である。一方、この一件で、言わば第二の創造を引き起こしてしまったのは我ら自身である。しかし、我らが動物で在り続けることを求められたのは母なる大地であり、少々後ろめたく思わないでもないが、新しい我らの生き方も、やはり母に定めて頂くしかなかった。まったく、この一件で、我らは本当に驚かされてばかりだったよ。母なる大地は、ここでも我らを仰天させた。『これからは、イモを食べて生きるとよいでしょう』。母なる大地は、確かにそう仰ったのだ。

 我らは狼狽し、理由を問うた。我らとイモが生まれた時からの親友であることは、無論母なる大地もご存じなのだ。母なる大地は、こう教え諭してくださった。イモがヘビの奸計に嵌まり、不本意な子をなしてしまったことは本当に気の毒である。しかし、その惑乱が望まぬものであったとは言え、罪を犯してしまった事実に変わりはない。イモはどうしても、罪を償わなければならないのだ、と。そう聞いて、我らとて理屈は分かるものの、納得となると到底無理であった。いつまでもぐずぐず思い切れない我らを見て、母なる大地は、またこうも仰られた。この度、我らは動物にとどめられることとなったが、そうやって動物として在ること自体が、既に罪なのである。また同時に、さが罪であるからこそ、性償いとなれるのである…母なる大地は、先の方まで見通して、物事の案配をお決めなさっていたのだな。実際、我らも座して友を見捨てたようなもの、罪の意識に苛まれていたのだが、その代償が動物となることであったのだ。しかし、さが罪であるからこそ、性償いとなれるとは、一体どういうことなのか。この点については、我らは母なる大地にお伺いしなかった。ここから先は必死に考え、我ら自身で答えを見付けねばならぬ、そう思ったのだ。

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