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大型魔物を倒した後、クレスティアは黒衣の部隊についてこいと指示した。
宰相である彼女は、政治と軍事の両方の巨大な権力者を握っていて、この帝国において皇帝に次ぐ立場である。僅か七十人しかいない黒衣の部隊からみれば、帝国軍の何十万の兵士たちを従える宰相は、はるか雲の上の存在だった。
遥か雲の上だが、それでも上官である。
彼女の命令に、黒衣の部隊、そして指揮官のクラウにも、否と言うことはできない。
それに一見するだけなら、稀に見る美貌の持ち主の女宰相だが、その戦場経験は若いクラウとは比べ物にならない場数を踏んでいる。頼りになる将軍でもあるのだ。決して、見た目だけの存在ではない。
一行はクレスティアに従い、城内を移動していった。移動しながら、クレスティアが語る。
「黒衣の部隊。話には聞いているけど、いい錬度ね」
「恐縮です」
雲上人の宰相に、クラウはたいして恐れるふうもなく答える。
「私の直営に…戦友に加えてあげたいくらい」
クレスティアがうっとりとした声で言うと、傍につき従うエスト兵長が咳払いをした。
「さて、どうでしょうな。若造に率いられる部隊に、我々は負けませぬぞ」
「ええ、そうね」
エスト兵長の言葉に、宰相は不敵に笑って見せる。
この二人の信頼関係はとてつもなく強い。クラウはそう思った。そしてエスト兵長の率いる部隊の持つ雰囲気は、歴戦のそれであることが見て取れる。戦場に立ち続ける兵士には、ただならぬ雰囲気が漂うものだ。クレスティアとともに戦場を共にしてきたというならば、その熟練はクラウの部隊をも寄せ付けまい。
――もっとも、実際に戦えば負けるつもりなどないが。
相手のことを値踏みしながらも、クラウは自らの部隊の強さをまったく疑わない。
「ところであなた、確か名前は・・・」
「ク・・・」
名前を答えようとしたクラウを、クレスティアは手で制する。
「おかしいわね。私の記憶力も落ちたのかしら・・・四十を超えると困ったものね」
微かに苦笑を浮かべるクレスティア。
「あれで、四十を超えてるだって!?嘘だろう」
などと、後ろにいるゲイルがつぶやく。それはクラウにしても同意見だ。
血の色の髪をしたクレスティアは、恐ろしく美しい。白皙の肌には年齢を感じさせる皺ひとつなく、老いの前兆すら見てとることができない。ただし、溌剌とした若者の美貌ではなく、
年齢不詳の不可思議な美しさをしている。どこか淫靡で、妖艶な魔女の美貌。なのに、その眼光に宿る光の強さは、それらのイメージとはまるで似合わない鋭さだ。
「ああ、ヴォーレンの養子だったわね。確か…名前はクラウ」
と、クレスティアは思い出したことを口にした。
ヴォーレン、それはクラウの育ての親の名だ。
帝国の宰相ともあろう人物が、一介の小隊長の名前を知っていることに、クラウは驚いた。だが、その驚きもクレスティアがつぶやいた小さな言葉で、吹き飛んでしまった。
「・・・あのミツカの生き残りか」
ミツカ。クラウの生まれ故郷であり、今は消滅した街の名前だ。その単語を聞いたとき、クラウの瞳に、暗い絶望の色が宿った。
だが、そんなクラウの様子に気づくことなく、クレスティアの脳裏に十年以上前の記憶が蘇ってきた。
そう、私は覚えている。
あれは今から一二年前。
当時帝国軍は、北東国境に接するアクアヴェイルと呼ばれる地方の平定戦に、軍の主力を投入していた。アクアヴェイル地方には統一された国家がなく、中小の弱小国家群が乱立していた。非常に多くの国々に分かれていたため、一つ一つの勢力はたいしたことがなかったのだが、そのすべてを降伏させ、征服していく必要があった。そのため帝国軍の進軍速度は、当初の予定に比べて遅く、遅々とした速度での征服行となってしまった。
その間、帝国軍の主力不在を知った同盟国のセントラーディ王国が、同盟を破って、帝国領へ攻めてきた。
――もっとも、そう仕向けたのは私。
セントラーディ王国は、快進撃で帝国領深へと侵攻し、その破竹の勢いは留まることを知らなかった。当時すでに世界最大の勢力となっていた帝国に、これほどの進攻を果たせたのは、セントラーディ軍が初めてだ。帝国中が騒然となり、セントラーディ国は、相次ぐ快進撃の成功に気を強くしていた。
「世界最強の帝国などと言いながら、まともに戦いもできぬ貧弱な奴らだ」
そう豪語して、セントラーディは気を強くしていた。
もちろん、彼らが容易に帝国内部に進攻できたのには理由がある。
その頃アクアヴェイル地方の平定戦に参加せず、帝国本土にいた私が、セントラーディ軍の侵攻方面の軍事力を、すべて引き上げさせていたからだ。セントラーディ軍は、敵のいない領土を、ただ無暗に突っ込んできたに過ぎなかった。それを彼らが、勝手に快進撃と思い込んだに過ぎない。やがてセントラーディ軍の補給線が最大に伸びきったところで、私が直接指揮する軍で、セントラーディの補給部隊を壊滅させた。あとは補給が滞り、飢えたセントラーディ軍が自滅するのを待てばいい。
そこを私の率いる軍が攻撃すれば、全て決する。
…しかし、肝心の戦いは起こらなかった。
セントラーディ軍は商業で栄える大都市ミツカにまで侵攻した。巨大都市の略奪に明け暮れただろうセントラーディ軍だが、誰の予想もしなかった事態に巻き込まれたのだ。
セントラーブィ軍ごと、ミツカの街が消滅してしまった。
それは言葉の通り消滅だった。
ミツカ消滅を聞いた私は、ミツカの街へと軍を進めた。だが、そこには何もない荒れ地と化した平野だけが広がっていた。たたずむ城壁も、民家のひとつもない。それどころか、草一本さえも生えていない、荒涼とした大地のみが広がっていた。
一体どうすれば、街ひとつ消し去ってしまうことができるのか?大規模破壊魔法を用いたとしても、街の残骸が残っているはずだ。しかし、残念ながら現在に至るまでその原因は判明していない。もしも一つだけ可能性があるとすれば、それは魔族を率いる魔王の存在だろうか…
全てが消滅してしまったミツカ。しかし、荒野の中で、茫然と立ち尽くす、黒髪の少年のみが唯一残されていた。
何があったのか分からないが、少年はただ立ち尽くすのみで、語りかけた私の言葉にさえ反応がなかった。
「死んでいる。体は生きているけど、心は死んでしまっている」
いくつもの戦場を、また戦争によって略奪され荒れ果てた都市を何度も見てきた私は、体だけが生きている、中身の死んだ人間を何百とみてきた。
これはダメだと思いながらも、少年のことを不憫に思った私は、直営部隊の兵長であるヴォーレンを呼んだ。
「あなたは、確か戦災孤児を育てていたわね」
「はい、戦場で人を殺す自分にそんな資格などありませんが、残された子供があまりに不憫で…」
「そう…ならばこの子のことをお願いできるかしら」
目は開かれているが、心では何も見てはいない子供の姿を見て、ヴォーレンは一瞬目を見開いた。しかし、彼は私に言ってくれた。
「この子供を、自分の子として大切に育てます」
と。
その時のヴォーレンの眼差しにある温かさと強さは、私にある種の羨望を抱かせた。
世界最大の帝国の宰相。そして戦場では軍を率いる将軍となる私は、敵を殺し、同時に指揮下にある多数多くの味方を殺してきた女だ。そして都市の略奪を兵士に許し、多くの一般人への暴力と、殺戮にも加担している。戦災孤児を、多く作り出してきた元凶の一人なのだ。
ミツカが消滅してしまうという出来事は予想外のことだったが、それでもこの街で敵が行うであろう略奪を、私は予想をしていたし、そうなることを望んでさえいた。
戦場で味方の被害を少なくするという目的のために。
そんな女には、あの時のヴォーレンの姿があまりにも強く眩しかった。
――私が決して手にできない、人としての強さ。
――私には、人の子を育てるだけの資格も強さもない。この両手はあまりにも、血を流しすぎたのだから…
私は羨望を感じつつ、彼が子供の事を引き受けてくれたことに、心中で強く感謝した。
子ども一人助けたところで、小さな自己満足に得たに過ぎないのかもしれないが…
「あの時の小さな子供が、こんなに大きくなっていたのね」
過去から今と言う時間に意識を戻した私は、ポツリとこぼした。
――生きていてくれてありがとう。
なぜかそう思ってしまった。胸中に温かなものを感じたが、しかし私はすぐに冷徹な姿へと自分を戻した。
その後、私は愛しい戦友たち。それに黒衣の部隊を引きつれて、城の塔のひとつを目指した。
途中出没する魔族を私の戦友と、黒衣の部隊が撃退して行く。魔物に襲われ危機に陥っていた部隊を見つけると、指示を出して体制をたて直させる。さらに不利な部隊がいた場合は、一度戦場から後退させ、別部隊との合流を命じていく。
口元に微笑を浮かべる私は、戦場を歩く女に戻っていた。
そうしながら、ようやく私は目指すべき塔へとたどり着いた。そこは、城のなかでも特に高い塔のひとつ。
塔には城全体の防衛指揮をとる、アスティ・ユウナス将軍の姿があった。
「ユウ」
「閣下」
私の差し出した右手を、ユウナスが握る。そのまま互いに肩へ手をまわし、抱きしめ合う。
「閣下の無事な姿に安心しました」
「戦況は?」
優しく語りかけるユウに、私は毅然とした態度で尋ねる。
ユウは微かに苦笑を浮かべたが、すぐに冷静な戦場の指揮官となって、私に戦況の説明を始めた。
あとがき出張所
「私の従者になりなさい」
黒衣の部隊の指揮官である俺に、突然の命令を下したのは、この国で皇帝陛下に次いでもっとも偉い立場にある人物。女宰相クレスティア閣下だった。
この人、戦場での指揮ぶりは並みの将軍とは比べ物にならず堂々としている。正直戦場に君臨する女帝然とした佇まいは、多くの兵士たちが信奉というか・・・崇め、崇拝し、挙句の果てにひれ伏す、信者たちが万単位でいるそうだ。
気持ちは分からないでも・・・ゴホン。いやいや、いまのは言葉のあやだ、気にしないでくれ。
「何かの冗談か?」
相手はこの国の宰相だが、俺はついため口で聞き返した。
「あら、私の従者が嫌?じゃあ、奴隷の方がいい?」
そういった宰相閣下は、どこから取り出してきたのか赤い色の鞭をピシャンと一振りしてきた。
「お好みに応じて、茨の鞭にしてもいいわよ。ウフフッ」
「・・・お前は手品師か?」
「ついでに必要に応じてこんなものも出せるわよ」
今度取り出したのは、真っ赤なろうそく。
「・・・宰相、それ以上やるとマジでやばいだろう。この小説の世界観、道徳、年齢制限、その他いろいろを破壊してしまう」
「まあ、言ってくれるわね。でも、私のイメージは壊れないからいいの」
「・・・」
この人なら、本編中でも、マジでやりかねない。思わず俺は頭を振ってトンデモナイ想念を追い払う。
「と、とにかく俺はお前の従者でも奴隷でもない!」
「チェッ、詰まんないの。たまには若い子の相手をして遊びたいのになー」
そこだけ見れば、まるで向く純真な少女のあどけなさを持った瞳で俺に訴えかけてくる。正直その顔は、か、かわ・・・ゲフンゲフン。
「あんた、本当に40過ぎか?」
「女の年齢を口にするなんて失礼ね、悪いのはこの口?」
「イデデデデ」
宰相が俺の口をつかんで思い切り引っ張る。ちょっとまて、それ以上引っ張るな、イタ、イタタタ、涙が出てくる。
「それにね、私思ったの」
ようやく手を離してくれた。俺は赤くはれ上がってヒリヒリする頬をさすりながら尋ねる。
「何をだ?」
「私と組めば、間違いなく主役の出番が増えるわよ」
―――をぃ、この小説の主人公は本当に俺なのか!
マジで切れたくなる俺。だいたい主役である俺より、≪宰相だけ≫が活躍してるこの話は、何なんだ!
そんな俺の深刻な悩みは完全に見抜かれていた。
「ウッフッフッ」
と、宰相はどす黒い笑みを浮かべている。
「こ、こいつ、性格悪い・・・」
「まあ、ひどい。でも、私はこの国の宰相ですもの。暗黒座星雲のブラックホールより腹黒くて当然でしょう」
超絶腹黒宰相は、魅惑的な微笑を浮かべ続ける。