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「あの野郎!」
俺は激しく悪態をついた。
上空に消えていった大型魔物は、逃げ去ったわけではなかった。俺たちが戦っているのは、城の城壁の上だ。魔物は俺たちでなく、その下にある城壁に向けて破壊魔法を放ってきた。
乱戦状態の中では、魔法を防御することができず、俺の剣も届かない場所だ。
「後退!」
俺は部下全員に叫ぶ。命令を聞いた部下たちは、一斉に戦いを放棄してその場から逃げだす。戦っていた魔物の一部が、追撃してこようとするが、それより今は全力で逃げるのが優先だ。
――ドゴゴゴーーンンンン
城壁に魔力の塊が激突した直後、さっきまで俺たちが戦っていた場所の城壁が、ガラガラと音を立てて崩れ始める。
少しでも行動が遅ければ、今頃城壁と仲良く地面に落下だ。
危ういところで、危険を回避できたが、大型魔族は、再び破壊魔法を放たんと魔力をため込み始めた。ここでの戦いは不利だ。
直感的に悟り、俺は部下たちの先頭に立って、その場から逃げだすことにした。
「やれやれ、戦わずに逃げることになるとは」
「名誉ある後退と呼べ!」
ゲイルの言った、逃げるという言葉に、俺は反論する。自分も今の状況を「逃げる」と捉えているのが、他人から言われると、無性に腹が立つのだ。
「あんなの反則だよー」
と、俺の傍で自分の体の倍以上ある魔法槌を、苦も無く持ったまま走るアリサが叫ぶ。
「ミラーは?」
「ダメだよ。直接向かってくる魔法でないと反射できない。城壁への攻撃なんて、無理、絶対に無理!」
あの攻撃を反射できれば大助かりだが、魔法をはじき返すミラーとて、万能ではない。
狡猾な魔族の戦い方に、俺は苦虫を噛む思いだ。
私の視界に黒衣の部隊の姿が見て取れた。
逃げる彼らのはるか上空から、大型の魔物が高レベルの破壊魔法で攻撃をしている。
時折直撃しそうになる破壊魔法が降り注ぐと、濃紺色の魔法使いがミラーの呪文を用いて的確に反射する。だが、上空にとどまる魔物は、反射された魔法が命中する前に回避してしまう。
反撃できない相手をいたぶるのは、さぞかし愉快なのだろうが、魔物には黒衣の部隊しか目に入ってないようだ。
私は上空にいる魔物を指さして言った。
「援護してあげなさい」
その言葉を受けて、部隊にいる三人の魔法使いと、ボウガンを持った兵士たちの一隊が攻撃の姿勢をとる。
「放て!」
エスト兵長が命令すると、上空の魔物に向けて一斉に攻撃が行われた。
飛来する雷撃とボウガンの矢に、魔物が慌てて回避する。だが、黒衣の部隊に注意を奪われていた魔物の行動は遅く、体に、いくつかの攻撃が命中した。
とはいえ、あまりの巨体であるため、致命傷には程遠い。
上空の魔物が私たちの方に視線を向けてきたのを見て、エスト兵長が続けて命令を下した。
「大盾兵、構えよ。魔導兵はミラーを」
即座に部隊の前面に大盾が構えられ、魔物の攻撃に対して防御の姿勢をとる。
魔物は攻撃の魔法を放ってきたが、それは私たちの元に届く前に、ミラーの呪文によってあっけなく反射された。
――ガルルルルルッ
魔法を反射され、魔物が上空で唸り声を上げる。
「どうやら怒らせただけのようですな」
エスト兵長の的確な評価だ。
「その通りね」と、言ってあげたいが、上空にいる魔物が私たちの方へと、一直線に急降下してきた。
「来るわよ」
とてもではないが、この場にいては魔物の巨体に潰されてしまう。
「全員散開、固まるな!」
慌てて声を上げるエスト兵長。戦友たちが大慌てで、悲鳴を上げながら散り散りになる。そんな中、私はその場に留まって、迫りくる魔物の姿をにらみ続けた。
だが、立ったままの私を、エスト兵長の手がつかむ。
「閣下、ここは危険です!」
「安心なさい、あんなのが私を殺せるはずがないでしょう」
「か、閣下!」
私の無謀な言葉に、さすがにエスト兵長も取り乱した声を上げた。しかし、すでに逃げ出す余裕はなかった。迫りくる敵の大きさに、私が三歩だけ交代した途端、魔物の巨体が地面へと激突した。
――グワシャン
――バリバリバリバリ
私の目の前では、魔物の圧力に耐えかねた石畳の床がバリバリと砕け散り、そこに魔物の巨大な姿が現れる。
「残念ね。このサイズだと剣では倒せないわね」
幸い、魔物は私のすぐ目の前にその巨体を降下させ、私もエスト兵長も無事だった。とはいえ、魔物の巨体は人間の十人分以上の大きさ、とても剣が通る相手ではない。
私はその時になって、後ろを向いて逃げ出した。傍では、冷や汗をかいて茫然としているエスト兵長の姿があったので、その手をつかんでその場から全力で駆けだす。
――嫌だわ。逃げるのは私の趣味じゃないのに。
直後、逃げようとする私の背後から魔物の咆哮が轟いた。巨大な腕を振るい、背中を見せた私たちへと振り下ろそうとする。
――バリリリッ
だが、腕が振るわれるよりも早く、私の戦友たちの魔法が炸裂した。一度は散り散りになって逃げた彼らだが、私の危機を見て助けに入ったのだろう。
三人の魔導兵たちは魔法槌を構え、そこから次々に魔法を繰り出す。さらに、ボウガンと弓をもった兵士たちが、魔物の巨体へと矢を浴びせかける。
――ガウウウッ
巨大な魔物が、ひるむ様子を見せる。
そこにさらに、巨大な氷の塊が降り注いだ。
――ズバンッ
氷の塊は、魔族の左の翼を貫いた。自慢の翼なのだろう。それを貫かれた魔物が、ひときわ高い咆哮を放ち、氷が飛んできた方向を睨んだ。視線の先には、濃紺色の戦闘衣を纏った、小さな魔導兵の少女がいる。
「閣下!」
と、そこに男の声がした。黒い戦闘衣を纏った青年だ。
少し位置が離れていたが、私は青年の戦闘衣につけられた階級章を見て、黒衣の部隊の指揮官だと分かった。
「連帯するわよ。あなたたちは右、私たちは左から奴を攻める」
黒衣の指揮官に私が命令すると、青年は躊躇うことなくすぐに頷いた。その判断の素早さに私は微かに微笑んだ。
その直後、魔物の剛腕が閃いた。場所は私たちではない。濃紺色の魔法使いがいた場所に、剛腕が振り降ろされる。
少女がどうなったのか、私のいる場所からは確認することができなかった。
魔物の剛腕が直撃しようとした時、アリサの護衛役である、ユエメイがとっさに駆けよってアリサを助けてくれた。
「あ、ありがとう、ユエメイ」
「私の役目だから」
感謝するアリサに、ユエメイはクールな表情で答える。即死級の攻撃が、すぐそばに振り下ろされたのに、動じている様子などまるでなかった。
その様子を俺は背後に見ながら、剣を構えた。
「今の攻撃で、奴は飛べなくなった、一気に攻めるぞ」
剣を振り上げると、部下たちが一斉に声を上げる。
さらにその向こうでは、鮮血の色の髪の宰相が剣を振り下ろしていた。
「「突撃」」
二人同時に放たれた声に合わせ、大型魔物への攻撃が行われた。
攻め来る兵士たちに対して、大型魔物は巨大な腕をふるわせ、残った片翼の翼まで使って、必死に兵士たちを近づけまいとした。
だが、もはや飛べなくなった魔物は兵士たちの攻勢を支え切ることができない。剣や槍を受けても致命傷にならないほど巨体だが、それでも幾度も振り下ろされる武器に身を引き裂かれ、黒い血肉をまき散らしながら、徐々に弱っていく。耐えることのない攻撃にさらされ続け、ついに抵抗することもかなわなくなる。弱々しい鳴き声を上げた後、その巨体を地面にズズンと沈めた。
あとがき出張所(涙の価値)
クラウの絶望をたたえた瞳から涙がこぼれだした。
「お、お兄ちゃん、これ使って」
弱気な兄の姿を見て思わずドクンと鼓動がはねてしまう妹のアリサ。いや、妹って言っても、お兄ちゃんとは血が繋がっていない本物の兄弟じゃないの。だったら私にもチャンスがあるはず。きっと、この恋心を。
そんなことを内心で思わずにはいられないアリサ。
でも、きっと今のままがいいんだよ。もし告白して、それでダメだったら、もう今の関係だって続けられないよ。
二十歳、独身黒髪黒眼。長身痩躯の美男子の涙はそれだけで目の保養になる。
そんな光景を離れた場所から、ユエメイ、ファン、リーの三人乙女たちが見ていた。
「はー、いいもの見られたねー」
「隊長、可愛い」
顔を赤く染めて、互いに握り合うファンとリー。
「アリサ、俺は君のことを決して見捨てないよ」
芝居がかった声でクラウの声を真似るファン。
「お、お兄ちゃん、だ、ダメだよ。私たちは兄弟なのよ」
恥ずかしそうに頬を真っ赤にしながら顔をフルフルと振るリー。
「ああ、もうダメだ。アリサ、俺は君のことを考えているだけで、この胸の鼓動が止まらない」
「そんな、あっ、お、お兄ちゃん。実は私もお兄ちゃんのことが・・・」
すっかり2人だけの世界になってしまっている。
―――この二人、腐女子だったの。
そんな2人の様子を傍で見ているユエメイ。こんな芝居をしてて何が思いろいのだろうと考えてしまう。
―――でも、さっきの隊長、確かに可愛かったな。
胸の中でそんなことを思い、ユエメイは思わずドギマギとしてしまう。
「な、なんでもないのよ!」
「ユ、ユエメイ、突然叫んでどうしたの?」
「あ、ううん。なんでもない」
まさか叫び声に出していたとは。自分で自分のしたことに驚いて、ユエメイはその場から逃げ出すように立ち去った。
「へんな、ユエメイ?どうしたんだろうね?」
逃げるようにいなくなったユエメイに、ファンとリーは首をかしげた。
―――そうか、これだ!涙だ!
俺はロングコートを羽織り、北の大地の果て、海が見える断崖の上に立っていた。
「男は泣かないものさ。だがな、好きな女に振られた傷心の俺には耐えられそうにない」
絶壁に立つ俺の瞳からは涙が自然と込み上げてくる。俺のハードボイルドな涙だ。
なんて絵になっているんだろうと、思わず自画自賛しちまう俺。
そんな光景を、離れた場所からアリサ、ユエメイ、ファン、リーの四人の乙女たちが見ていた。
「山賊が泣いてる」
「四十前の男が泣くなんて、キモィ」
「きっと会社にリストラされて、家族に愛想尽かされて逃げられちゃって、行き場がなくてあんなところにいるのよ。身投げしなきゃいいけど」
「最悪最低」
四人それぞれに、好き勝手なことを口にしやがる。
「・・・・・・あ、あの皆さん。なんで隊長のときはあんなに扱いがいいのに、俺のときは酷いの?」
たった今までのハードボイルドを放棄して、俺こと、ゲイルは恨めしい目で、四人の乙女たちに視線を向ける。特にリー。お前の説明は具体的すぎるぞ。リストラに、家族に逃げられるってどういうことだ!おい、本当になりそうで怖いだろう!
俺の物悲しく絶望した視線を前に、ユエメイを除く三人の乙女たちは、俺と目を合わせたくないのか顔をそらした。
「みんな行くわよ。こんなところにいると風邪をひくわ」
「はーい」
ユエメイに従って、その場から去っていく乙女たち。
「ブエクション」
「ううっ、マジ寒ぃ。こんなこといつまでもやってられねぇぜ」
乙女たちにあしらわれた俺の心のガラスのハートは粉々に砕け散っちまった。ついでに、こんな北の果てにいたんじゃ、体が凍えてつらいぜ。
「ユエメイの言うとおり、こんなところにいつまでもいるもんじゃねぇな」
その場から切り上げる俺。
「ブエックション」
さらに続いたクシャミの後、俺の鼻からは心の涙が流れ出した。
「・・・涙じゃなくて、鼻水でしょ。汚い」
―――ザクリッ
振り向いたアズサにそう言われ、俺のガラスのハートにさらに図太い棘が突き刺さった。
―――チクショウ、涙なんてくそっくらえだ!