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「敵襲、敵襲!」
鈍色の空の下、兵士の叫び声とともに早鐘の警戒音がカンカンカンと城内に響き渡る。
それに合わせて、城内の各所を武装した兵士たちの隊列がガチャガチャと右へ左へと駆け抜けていく。
アースガルツ帝国帝都グランベルト。
世界最大にして最強の帝国の都が、いま魔物の襲撃によって動揺していた。
それは、ありうべきでない事態。
―――いいえ、そう思うのは人間の先入観に過ぎない。敵に攻められない都市など存在しない。
ありうべきでない事態。その考えを冷静に切り捨て、私は城の廊下を歩き始めた。謁見の間の陛下の遺体は、駆け付けた兵士の数名に任せ、残りを私の後に従わせる。
内訳は、謁見の間の外で守りに就いていた近衛兵の一隊に、ユウナス将軍の率いる一隊。
人数にして二百名程度だろう。
「なぜこのような事態が?」
「空中より、魔族の軍団が急襲を仕掛けてきました。あれを御覧ください」
私の問いに、ユウナス将軍が、東の空を指さした。雲に覆われ、鈍色の空が広がっている。
―――いい天気じゃないわね。
と、私は思いながらも、空の一点に黒い染みが浮かんでいるのを見つけた。その染みから、次々に魔族の姿が接近してくる。
「なるほど、空から攻撃してくるなんて、魔族も考えたわね」
「閣下、感心している場合ではありません」
私の賞賛を、ユウナスが冷静に非難する。
そんな彼のことが面白く思えた。なぜか、≪ユウ≫が私に口答えしている様子が、愛らしくて仕方ない。他人が、そんな私の心を覗いたら、どう思うのかは知らないが、それが私の正直な心だ。
「事態は混乱しています。ユウナス将軍は直ちに城の防御の指揮をとりなさい」
「ハッ」
私に敬礼をすると、ユウナスは「ついてこい」と言って、自らが従えていた兵士の一隊と共にその場から駆け出していった。その後ろ姿を見ながら、私は去りゆくユウナスに言った
「≪ユウ」、無事でね」
ユウナスは、右手を上げながら去っていった。
―――相変わらず、かわいい子。
そうと思う私に、コホンと咳をする声が聞こえた。
「あら、エスト兵長じゃない」
咳のした方を振り向くと、兵士たちを従えて来る一隊の姿があった。その先頭に立つのは、私がよく知っている小隊の指揮官エスト兵長だった。いや、兵士ではなく、私の信頼できる戦友だ。
「閣下、あまりラブラブなところを見せつけないでください」
「まあ、うらやましい?」
「うっ、うらやましくなど。だいいち私には妻子がおります」
私がからかうと、エスト兵長は顔を赤くして答える。とても混乱している城内でのやりとりには見えない。しかし、私もエスト兵長もそのことは気にもしなかった。
何しろ、宰相とはいえ、私は今までに数多くの戦場に出て、兵士たちとともに戦ってきた。アースガルツ帝国は単なる大帝国でなく、急激に勃興した国家であり、数多くの戦闘を経ることで、今現在の国土を獲得するに至った国だ。宰相たる私とて、戦場には幾度と赴き、そのたびに多くの兵士を指揮してきた。エスト兵長は、そんな私のもとで、最もよく戦ってきた部隊の一人なのだ。
当然、戦場での気心も知れているし、戦いの中で冗談を口にするほどの余裕さえある。だから、兵士ではなく、とてもとても愛おしい戦友。
しかし、私たちは冗談を口にするために、戦場にいるわけでない。
「エスト、あなたも私と共についてきなさい」
「ハッ」
エスト兵長は敬礼して、彼が従えてきた部隊と共に私の後に続く。
これで私の後ろには、先ほどら連れている近衛の一隊と、エスト兵長の部隊が加わったことになる。ユウナスの率いていた部隊が抜けた穴と差し引きはほぼゼロなので、二百人程度の戦力になるだろう。とはいえ、この程度の人数では、まとまった戦力にはならない。しかし、今はそんなことを問題にしている場合ではない。
私は、私に従う兵士を・・・かつて多くの戦場をともにしてきた戦友たちを引き連れ、城内の一室を目指した。
私がその場所を目指している間、城では空から襲来してくる魔族に対して、弓やバリスタと呼ばれる巨大な弓兵器が、空から襲ってくる魔物に向けて次々に放たれさていた。そして強力な魔法の一撃が、耳をつんざいて空へと放たれる。空から急襲してくる魔物の一隊が、次々に地面へと落下していく。だが、それで魔族のすべてを撃退できるわけもなく、城壁に次々と魔物が取り付いてきた。
それを、剣や槍を構えた兵士たちが攻撃し、魔物の繰り出す攻撃を、大盾を構えた兵士たちがブロックする。
城壁のそこかしこでとりつこうとする魔物に、防御して抵抗する兵士たち。
だが、奮闘する兵士たちの遥か後方から、魔物が放つ黒い魔法が次々に飛び込んできた。
―――ドコンッ
―――ゴゴンッ
炸裂する黒い闇の魔力が襲いかかり、城の各所へと降り注ぐ。建物が破壊されるだけならばよいが、中には魔法の直撃を受けて絶叫を上げる兵士や、破壊される建物とともに、空中へ放り出される兵士たちの悲鳴が飛び交う。
帝国の首都たる場所が、凄惨な戦場と化していた。
そんな光景が視界の隅にありながらも、私は目指す部屋へたどり着いた。
「戦友諸君に、この場の守りを任せます」
兵士ではなく、戦友である彼らに私は命令する。
「ハッ、この場は命に変えても守って見せます」
「いいえ、生きて守り抜きなさい」
「…ハッ」
一瞬表情を緩めてエスト兵長は驚いた顔をしたが、すぐにきりっとした表情になり敬礼をする。
「頼むわ」
そう言い残し、私はその部屋の扉の向こうへ入った。
部屋の中は、金銀に各種の宝石がちりばめられた豪奢な一室となっている。城内でもひときわ豪勢を極める一室で、アースガルツ帝国の重臣たちの会議室である。
その場に私が姿を見せた時、部屋には不安な顔色を浮かべる重臣たちの姿があふれかえっていた。
「皆さま、ご無事で何よりです」
私は重臣たちに穏やかな声で語りかけた。
途端、重臣たちは一斉に私の方へと不安な視線を向けてくる。
「おお、宰相殿。ご無事でしたか」
重臣の一人がそう言ったが、私は頷くことなく次の言葉を放つ。
「皆さまには、重大な報告がございます」
「重大な報告だと・・・何を悠長にしているのだ。魔物に襲われている時に!」
大臣の一人が、狂ったような大声を出す。無理もないことだが、この場にいる重臣たちの多くは、戦場を駆ける武人でなく、内政に対して責任を持つ文官ばかりだった。当然、戦いの経験もろくにない彼らは、魔族の突然の襲来という事態を前に、ただ動揺し怯えているだけの存在でしかない。
だが、そんな彼らの抗議を無視して、私は告げた。
「先ほどグランディート大帝陛下が、魔族の手にかかり亡くなりました」
―――ッ!
その瞬間、室内に居並ぶ大臣たちが凍りついた。大臣たちは、「私の言った言葉の意味が分からない?」という顔になった。皆、間抜け面をしていたが、やがてこの状態から最も早く立ち直った大臣が、尋ねてきた。
「それは本当かね?」
「残念ですが、事実です。この私の目の前で、陛下は殺されたのです」
殺された、その言葉を聞き。大臣の何人かが、小さな悲鳴を上げる。
本当の殺害者は魔族ではなく、この私だが、無論そんなことは顔にも、口にも私は出さない。
「陛下が・・・」
「何ということだ・・・」
「あああ、もう私たちは死ぬのだ!」
室内に恐怖とパニックが広がっていく。慌てふためく大臣たちに、しかし私は落ちついた声で言い聞かせる。
「事態は急を要します。陛下が亡くなられ、その後を継ぐべきものもいない今、陛下の権限を代行する者が必要となります」
「宰相?」
私の言葉に不審を感じたのだろう、大臣の一人が首をかしげる。
「宰相は、一体何を言っているのだね?」
「・・・私に、一時的に陛下の権限の全てを代行させていただきたいのです」
私がにこりと微笑すると、大臣たちの表情が一斉に固まった。
驚いているのだろう。皇帝の地位を代行する。そんな言葉を口にするのは、皇帝の地位を奪い、簒奪をたくらむような人間が口にする言葉だ。
だが、大臣たちがそのことを考えるよりも早く、私は言葉を続ける。
「そのためには、皆さまが私を支持していただく必要があります。どうか、皆さまの同意をいただけないでしょうか」
私は微笑して訪ねた。だが、大臣たちは一様に固まっているだけで、何の反応も示さない。
そんな大臣たちに、私はさらに続ける。
「皆さまが現在の地位につき、名誉と名声を獲得することに…そしてあなたたちが利益を得るために、私は様々な面で協力してきました。そのことを思えば、決して理不尽な要求ではないでしょう?」
「そ、それは・・・」
大臣たちがバツの悪い顔を浮かべる。この場に集う大臣たちは、内政を担当する者たち。しかし、その多くは実力、自らの私益を満たすことに熱心な者たちだった。もっとも、そんな彼らの私欲を満たすために協力してきたのが、この私でもあるが…
「皆さまがご協力いただければ、この魔族の襲来を即座に撃退いたしましょう」
私はあくまでも穏やかな声で尋ねる。だが、不安な表情を浮かべていた大臣たちは、それぞれの顔を見やった後、私に再び視線を集めた。
「本当に、魔族を撃退してくれるのかね?」
「当然です。さもなくば、逃げ場のない我々は一人残らず殺されます」
―――殺される。
そう聞いた瞬間、大臣たちがブルリと震えた。
「わ、分かった。宰相。あなたを支持する。だから頼む。魔族どもを今すぐ追い払ってくれ」
「ええ、分かっております。ですが皆さま、危険が去った後に私を裏切るようなことは、決してなさらないでください」
私はここで初めて穏やかだった声を捨て、冷たい声で言い放った。大臣たちは皆胆を冷やした顔をしたが、そんな大臣たちの姿は、すでに私の頭の中から消え去っていた。
早急に迎撃の指示を出す必要がある。
ユウナス将軍に迎撃の指揮を任せているが、私もその場に参加するべく、居並ぶ大臣たちが集う部屋をすぐさま後にした。
部屋の外に出ると、ここまで同行してきた近衛兵たちに向けて告げる。
「近衛たちは、大臣を守りなさい。陛下がなくなられた今、彼らの身にもしものことがあれば取り返しがつかなくなります」
「宰相閣下の、ご命令に従います」
近衛隊の隊長格の人物が答える。
「結構。では、私はこれより迎撃の指揮をとりに向かいます」
私は毅然とした態度で告げる。ただ、そこで声のトーンを落として、柔らかな声で語りかける。
「私の愛しい戦友たち。今日の戦いも、いつものように勝利で飾りましょう」
柔らかな声。それでもエスト兵長をはじめとする戦友たちは、勢い剣を抜き、歓声の声を上げた。
「さあ、行きましょう」
私が城の廊下を歩み始めると、頼りになる戦友たちが後に続いた。