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魔性の勇者  作者: エディ
第二章
18/23

17

まえがき


 皆さまごめんなさい。m(_ _)m

 なぜか物語のつなぎ部分として執筆していたはずの話が、今までで最長の二万五千字超えになってしまいました。

 またまた長くなっておりますのでお気を付けを。

17



 魔都ローヴァンナイトでの一件の後、軍隊を逃げ出した俺たちは、辺境の街や村を行き来する商人や旅人の護衛を請け負うことで、生活を続けていた。

 今は、商人の護衛の最中。月が照らし出す闇夜の中、俺は夜の見張りのために一人で起きていた。

 近くで、パチパチと焚火のはぜる音がし、周囲の森を照らし出す。だが、光の届かない先は暗い闇に包まれている。

 何もすることがない俺は、夜空に浮かぶ月を見ながら思い出に浸っていた。

 思い出は、ゲイルにつけられていた≪味方殺し≫、≪死神≫というあだ名のことだ。

 ゲイルにつけられたそのあだ名は、軍隊の下級兵士や隊長たちの間で有名だった。ゲイルは七度小隊に所属し、いずれの小隊からも転属していた。ただし、それは部隊間の人事異動と言う単純なものではなく、彼の所属してきた小隊が七回とも壊滅的な被害を受けて、そのたびに再編された小隊へと編入されたからだ。無論、彼のいた小隊が壊滅したからといって、彼以外の全員が死亡したわけではない。だが、彼と共に生き残ったのは僅かな人間だけだった。

 そして人間の噂には、常に現実以上に拡大した尾ひれがついて回る。

 ――あの≪死神≫のいる小隊は、死神を除いて全員死んだ。

 ――奴がいれば、全員死ぬ。ただし、奴一人だけを除いて。

 ――死神は今までに、十回以上味方の部隊を全滅させてきた。絶対に近づくな。

 不吉の死神、所属する部隊を全滅させる≪味方殺しのゲイル≫。

 そんな噂を持つゲイルを迎えたがる部隊など、軍隊内には存在しなかった。

 そのゲイルが、七度目の部隊の壊滅後に、俺の部隊へと転入してきた。当初、彼は周囲に壁を作って、部隊の誰とも慣れ合おうとしなかった。それまでの噂のせいで、周囲の人間が避けていたというのもあるだろう。だが、それとは別に、『また自分だけが生き残ってしまう。だから、同じ部隊の人間と親しくすることで、その人間が死んだ時の辛さを味わいたくない』そんな思いもあったのだろう。

 絶望の中にいたゲイルだから、彼には俺の姿が見えていた。

 俺の記憶に焼きついたミツカの光景。あの全てが失われた場所で、ただ一人だけ生き残った俺の深い絶望を。

「俺は自分より強い人間でも信用しない。どれだけ強い奴でも、戦場ではあっさり死ぬ。今までに、そういう光景は何度も見てきたんでね。だが若大将、あんたなら俺より先に死ぬことはない。絶対に」

 ゲイル断言していた。それからゲイルは、変わっていった。いや、今まで作っていた壁を取り払ったことで、もともと持っていた性格が表に出てきたのだろう。気さくでおおらかな性格をした男になり、アリサをはじめとする部隊の女性を口説いては白い目で見られていた。

「…ゲイル、お前の言うとおりに、なったな」

 俺はゲイルから、ゲイルと共に多くの仲間が死んだあの戦いのことを思い出す。自然、俺の目は、自らの右手へと向けられた。

 ――俺は、魔族か?

「お兄ちゃん」

 そんな俺の傍に、アリサがやってきた。心配をさせたくないので、今までの考えを頭から振り払う。

「ん、どうした?」

「時間だよ、見張りの交代」

「もうそんな時間か、じゃあ後は頼む」

「うん…もしかしてまた星を数えてた?」

「いや、もうあれはやめた」

「よかった」

 アリサはニコリと笑顔を見せた。

 俺が星を数えている理由をアリサも深く知らないだろう。それでも兄弟として育ってきたので、俺が無意味に星を数えていのではないことは分かっているだろう。

 俺は暗い闇から――ミツカの街でただ一人生き残った現実から、目をそらすために――誤魔化すために――星を数えていた。でも、俺はそれをしなくなった。しなくていいぐらいに、俺はあの現実を受け止められるようになっていた。

 ローヴァンナイトの戦いの刹那に触れた両親たちが、俺に不思議と力を与えてくれた。それに、まだ俺には守るべき仲間がいるのだ。

「じゃあ、見張りは頼むぜ」

「うん、任せて」

 俺は笑顔のアリサをしばらく見つめた。

「…ねぇ、どうしたの?そんなにジロジロ見られると、その、恥ずかしいよ」

「いや、お前が無事でよかったって、思ったんだよ」

 アリサはしばらく目をパチクリと開いていた。それから儚く笑って、小さな声で答えた。

「…ありがとう」

 あの戦いを生き抜けたが、生き残った俺たちには、仲間の死が暗い影となって残っている。

「お兄ちゃんのおかげで、私たちは今ここにいられるんだよ」

 アリサのその言葉に、俺は微笑を浮かべて答えた。

 そのまま、俺は夜の見張りをアリサに任せて、その場を後にした。

 歩きながら、俺の視線は再び右手に注がれる。

 この手は、人を消し去る力を持っている。俺は人ではなく、魔族だ。人の姿をしている、魔族。そうでなければ、人を灰にして消し去ってしまう力など持てるわけがない。

 そして魔族だから、命を吸う呪われた魔剣を手にしても無事でいられる。

 自分が、魔族。触れたものを跡形もなく消し去る魔族。

 その恐怖が俺の中には存在する。

 でも、この力のおかげで、僅かに守り抜くことができた仲間たちがいた。

 気がつけば、いろんなものを俺は受け入れていた。だから、時に思い出す記憶から恐怖を感じても、それに怯えるだけではなくなっていた。


 辺境の街クラストまで商人を護衛し終えた俺たちは、街にある酒場へ向かった。

 俺たちは酒場のカウンターに腰かけて、マスターに簡単な食事と飲み物の注文をする。マスターは、ニカリと白い歯を光らせて笑顔で答えた。特にその笑顔はユエメイに向けて強く注がれているが、視線を向けられている当人はその笑顔をあっさり無視している。

 もっとも、このマスター――≪隻腕のギリー≫とあだ名される――は、ゲイルほどではないが、かなりの強面だ。白い歯を見せて笑う姿は、いくら愛想を良くしたところで、子供ならば確実に泣く。大人でもその場から逃げ出したくなる衝動を覚えるほどだ。その強面をさらに強調しているが、左目をすっぽりと隠している黒の眼帯。

 ≪隻腕のギリー≫は、アースガルツ帝国の兵士として幾度となく戦場に立ってきた歴戦の戦士だったが、戦場で左目と左腕を失ってしまったのだ。以来左目には黒の眼帯をし、服の右袖は風に吹かれるままに任せている。戦場での負傷が原因で軍隊を除隊し、その後各地を転々とした果てに、このクラストの街に定着していた。

 そんな男の笑いに、ユエメイはつれない。別に強面に笑顔を向けられているのを怖がっているわけでなく、男として相手にしていないのだ。

「くー、やっぱりユエメイは可愛いねぇ」

 とはいえ、無視されている男はその姿に惚れ惚れしている始末だ。

 そんなギリーに、ユエメイは一瞬だけ黒い瞳を向けて、「困った人ね」と言って、ため息交じりに微苦笑した。

「ブーブー、ギリー、ユエメイばっかり贔屓にして酷い!」

「そーだ、そーだ。私たちも乙女なのよ」

「妙齢の美女なのにー」

 そんな所に、ファンとリーの二人が、文句を言ってきた。

 だが、ギリーは決然と言った。

「お前らには、女としての魅力がない。足りなさすぎる!」

「「ええっ!ちょっとあんたどこに目がついてるのよー!」」

 ファンとリーが同時に抗議の声を上げるが、ギリーはそっぽを向いて無視した。

「「グギギギギ、悔しいー!」」

 二人とも、地団太を踏んで悔しがる。

「ね、ねぇ、二人とも落ちついてよ」

 なだめるのはアリサだ。

「これなら、アリサの方がまだ女として魅力があるな」

「「なにー!」」

 ――やれやれ、お前ら相変わらずだな。

 口喧嘩をしている姿を見ながら、俺はそんなことを思った。もちろん、口にしたりはしない。そんなことをすれば、俺にまでとばちりを食ってしまう。

 ところで、ファンとリーをはじめ、俺たちはギリーと非常に慣れたやりとりをしているが、この≪隻腕のギリー≫が兵士時代に所属していたのは、アースガルツ帝国の≪黒衣の部隊≫と呼ばれている小隊だ。

 つまり、俺の元部下であり、戦友。

 魔族の急襲によって帝都グランベルトが襲撃された際には、すでに軍を除隊していたが、久々に会った戦友同士というわけだ。

 ギリーは除隊後に各地を転々とし、今ではこのクラストの街で、酒場のマスター兼傭兵ギルドのマスターとして定住していた。軍から逃げた俺たちがギリーに出会ったのは偶然だったが、いく場所もない俺たちは、ギリーのしている傭兵ギルドで働きながら、日々の生活の糧を得ていた。

 ギリーと再会を果たした時、懐かしい戦友同士旧交を温め合ったものだが、ギリーも俺たちが五人しかいないことを不審に思い、そのことを尋ねてきた。俺の率いていた黒衣の部隊は、七〇人からなる部隊だ。それが僅か五人と言うのは明らかにおかしすぎる。

 俺は、魔都ローヴァンナイトで魔族たちと戦い、その結果仲間たちを失ってしまったと話した。俺たちが魔王と直接対決したことは話した。だが、ユウナスの直営部隊によって生き残った仲間たちが殺されてしまったこと、そのユウナスの部隊を全滅させたこと、俺の灰と化すあの能力のこと。それらは意図的に省いて。

「…そうか、黒衣の部隊も今や俺たちだけか」

 かつて同じ部隊で戦ってきた戦友たちの死を聞かされ、ギリーは相当にショックを受けていた。

「あんたも辛いな」

「…」

 仲間の全滅を聞かされ気落ちしていたギリーは、ぽつりとそうこぼした。その時、俺は何も答えることができなかった。

 ギリーとって、かつて戦場で共に戦った仲間の死だ。俺にとってもそれは同じことだ。ただし、それと同時に部下でもあった。彼らの命を隊長である俺が背負っていると豪語するつもりはない。それでも、彼らの死に責任は感じずにいられなかった。

 だから、彼らを率いていた俺への不満をギリーが口にしてもおかしくない。ギリーは隊長だった俺を責めているのではないか。

「…すまない」

「いや、すまねぇのは俺の方だな」

 俺の口から出た謝罪の言葉に、ギリーは俺を正面から見ていった。

「あんた責めるつもりはないさ。あんたはできるだけのことをした。だから、ユエメイたちは生き残れたんだろう」

 別に俺を責めていたわけではなかった。ただ、できるだけのことをした。それで全滅だけは免れることができたのだと、ギリーは言ってくれた。

 その後、ギリーは仲間たちへの静かな黙とうを静かにささげ、ひとつ尋ねてきた。

「でも、それならどうして隊長たちが、こんな辺鄙な街にやってきたんです。まだ、軍隊にいるんでしょう?」

「実は…」

 そこで俺は迷った。ギリーに軍――正確には宰相、今では皇帝――に追われていることを話すべきかどうか迷った。俺たちが追われていることを知っても、ギリーは戦友である俺たちを裏切ることはない。それは断言できる。生死を共にしてきた仲間の絆は、それほどに深いものだ。だが、話すことによってギリーの身に災いが降りかかるのではないかと、一抹の不安を感じずにいられない。

 皇帝が追っているのは、俺たち黒衣の部隊の生き残りだが、すでに引退しているギリーには関係のないことだ。

 俺はしばらく迷いながらも、ギリーに話すことにした。

「理由は聞かないでくれ。俺たちは今、軍に追われている」

 予想していなかった言葉に、ギリーはしばらく目を開いていた。

「迷惑なら、すぐに俺たちはここから立ち去る」

「水臭いですぜ、隊長。どうせ田舎の街だ。軍だってこんなところにはきやしませんよ」

 そう言い、ギリーはにっと笑って俺たちを迎えてくれた。


「聞きましたぞ、隊長」

 俺はぼんやりしていた。

 カウンターに食事を運んできたギリーに話しかけられて、目を何度もパチクリさせてしまった。大変な間抜け面をさらしてしまった俺に、ギリーはにっと笑いを浮かべる。

「やれやれ、隊長は戦場に立っていないと、相変わらずですな」

「相変わらずって、何がだ?」

 俺の質問に、ギリーだけでなくアリサたち全員が呆れ顔になる。あのユエメイさえ、眉を僅かに傾けている。

「まったく緊張感がない…というか、ただの間抜けですな」

「ま、間抜け…そんなに酷いか」

 戦いのとき以外は考えごとに浸っていることが多いのは自覚している。だが、間抜けはないだろう。しかし、そんな俺にアリサたちは弁護してくれない。それどころかコクコクと頷き返している。

「やれやれ、自覚が足りてないようだ」

「ムッ、なるべく気を付ける」

「当てにはしてませんよ」

 あっさりと切れ捨てられてしまった。

「ところで、聞いたっていったい何をだ?」

 これ以上この話題で戦っても無駄だ。俺は強引に話題を変えた。ギリーは相変わらず口の端を曲げて笑っている。

 ――こいつ、楽しんでやがるな。

 性格の悪い奴だと思う。だが、ギリーもこの話題を続けるつもりはないらしい。

「噂で聞きましたが、今回の護衛で山賊二〇人相手に、隊長一人で、武器も使わずに追い払ったそうですな」

「おいおい、今回の護衛ってさっき終わったばかりだぞ。しかも、酷いデマだな」

 二〇人の山賊を、武器も使わずに一人で追い払うなんて、無茶苦茶過ぎる。俺は苦笑を浮かべた。

「でも、あんまり間違ってないよね、その噂」

「そうそう」

 と、ファンとリーが突然喜々とした様子になった。

 ――お前ら、何を始める気だ?

 訝しがる俺の横で、ファンとリーの二人は笑顔になる。

「隊長ってば、二〇人の山賊相手に大暴れでさ。剣も使わずに次々に敵を倒していき」

 そこで、ファンが「アチョー」と言いながら、リーに向かって拳を突き出す。

「グヘッ」

「トリャー」

「ヘブシッ」

「ウオリャー」

「グハアッ、ま、参ったー」

 身ぶり手ぶりについでに足技まで追加。それに留まらず、わざとらしい声の演技までつけて、二人が格闘戦をしていく。俺の役を演じているファンの攻撃が命中するたびに、山賊役を演じているリーが、とても女らしからぬ声を上げている。

 ――確かに、ギリーが言った通り、女としての魅力がないな。

 俺は明後日な感想を思う。

 そんな俺の目の前で、ファンが言う。

「隊長ってばあっという間に、九人目まで倒しちゃったんだよ。そして剣を構えて…」

 そこで酒場の隅に置かれていたモップを目ざとく見つけファンがダッシュでとってきた。そのまま左手で持ち上げて、肩へ担ぐ。

 ――ベシャッ

「あっ」

 なんということだろう。モップの先が、近くで食事をしていた人相の悪い男の顔面に見事に命中した。幸い濡れていなかったので、モップのクシャクシャの毛が男の顔に直撃しただけで済んだ。だが、人相の悪い顔に凶悪な視線で睨んでくる。

 アチャーという顔をファンはしたが、恐れる様子はない。まあ、ゲイルやギリーの強面に比べれば、男の顔は可愛いものだ。

「すまんな、その食事をただにしてやるから許してやってくれ」

 苦笑しながらギリーが、男に言う。

「マスターがそう言うなら、今回は許してやるさ」

 男は案外あっさり引き下がってくれた。

「よかった、ありがとう。でも、ギリーって太っ腹だね」

 前半は男に、後半はギリーに向かってファンが言う。

「安心しろ、ちゃんとおまえの食事代として請求するからな」

「ヒドッ」

「もともとお前のせいだろう」

 ちゃっかりしているギリーに、ファンがイーと歯をむき出す。そんな子供みたいな真似を、ギリーは軽く無視した。

「仕方ないよ、ファン。それよりも続き続き―」

「お、そうだった」

 再びモップを左手で持ち上げて、肩へと担ぐファン。今度は、モップで誰かを直撃しないように後ろを気にしながら持ち上げた。

「まだ続くのか、これ?」

「もっちろん」

 俺の問いに、リーが笑顔で答える。そして俺の役を演じて、モップを担ぐファンのセリフが続いた。

「隊長ってばあっという間に、九人目まで倒したところで、初めて剣を抜いて肩に担いだの」

 そこで睨みを聞かせて、周囲を見回すファン。

 いつの間にか、酒場にいる全員がファンを見ている。そのことに、俺は初めて気づいた。ちょっと待て、今この酒場には三〇人はいるぞ。お前、こんなバカな芝居やってて恥ずかしくないのか!

 俺のそんな思いなど、まったく気付かないファンは、酒場にいる全員に向けて言った。

「ここから先は血を見ることになるが、誰かかかってくるか?」

 ファンの手に持つモップがくるりと一回転。動くモップは、近くに立つリーの首の前でピタリと止められた。

「ひえぇぇ、どうか御助けをー。い、命だけは勘弁してくだせえー!」

 山賊役のリーが両手を万歳するように上げて、降参する。

「隊長のあまりの強さを前にした山賊たちは、ホウホウの態で逃げ出していくのでした」

「でも、私たちも六人くらいは地面に這いつくばらせたけどね」

 俺の役をして格好をつけるファン。その後に続く何気ないリーの言葉。

 だが、これで終わりではなかった。ファンは最後にモップをブンブンと左右に切り払い、それを鞘に見立てている腰に吊るす――実際はモップを持ってない右手で持つだけだが――。

「フッ、つまらん奴らだ」

 決めのポーズをとって、ファンが酒場の全員にニカリと笑った。

 ――俺、そんなことしたのか?

 ファンたちの芝居を見終えて、俺は首をかしげた。正直あの戦いの後、そんな決めゼリフを言った覚えはない。だが、もしかしたら言ったかも。記憶が怪しい俺は、そんなことを考え込んでしまった。

 だが、ファンたちの芝居が終わって、しばし沈黙に満たされていた酒場に、拍手の音がした。それに続いて、

「おお、スゲエ」

「ヒューヒュー」

 酒場にいる連中が拍手をし、口笛を吹きならして、やんやと歓声を上げ始める。酒場の連中は、完全にこの芝居に盛り上がってしまっている。

「ヤーヤー、皆ありがとう、ありがとう」

 ファンは舞台俳優か、ヒーロー気取りになって、観衆に手を振ってこたえる。

 ――ヤダナ、こんなのと知り合いと思われたら。

 これ以上、ファンたちの傍にいてはまずい。俺は、その場から急いで逃げようとした。と、そこで気付いたのだが、いつの間にかアリサとユエメイの姿がカウンターから消えている。すぐに酒場の奥にある席にその姿を見つけた。どうやら、この事態を予期して、俺より早く逃げ出していたらしい。俺も、そこまで逃げ出そうとした。

 だが、それより早く、リーが俺の服の裾を掴んだ。

「へっ?」

 俺が戸惑う間もなく、リーは酒場の連中に大声で言った。

「ここにいるのが、山賊を追い払った私たちの隊長、クロウだよ!」

「えっ、へっ、はいいいっ!!!」

 俺は頓狂な声を上げた。気づけば、酒場の連中の視線が全て俺の方向に向いているではないか。

「おお、兄ちゃんすげぇ強いんだな」

「今度俺と勝負してくれよ」

「おいおい、お前なんかがかなうわけがないだろう」

「うらやましいねー、そんな可愛い女の子たちと一緒に護衛をしてるなんて」

 歓声が俺に飛んでくるではないか。そんな観客たちに向かって俺はどうしたものかと、迷った挙句、実に、ものすごく残念なことだが、「ハハ、ど、どうも」と、力なく手を振った。

 その姿に、観客は不満顔になる。

「「もう、隊長ってば照れなくていいんだよ」」

 ――一体、俺に何を期待しているんだ?

 そう思う俺を、ファンとリーがニコリと見た。

 その後、俺は酒場の連中にもみくちゃにされ、武勇談を聞かせてくれと皆から持ち上げられてしまった。幸いと言うべきか、あるいはより不幸にと言うべきか、俺に代わって、ファンとリーの二人がノリノリで俺の軍隊時代の活躍を、派手な芝居をしながら演じていく。

 ――お前ら、なんで兵隊なんかになったんだ。芝居小屋で働け!でなきゃ、大道芸人だ!

 俺の胸の思いなどまるで無視して、ファンとリーはノリノリに芝居をしている。

 芝居と言っても、実際に戦場でやってきたことなので作り話ではないのだが、それにしてもかなり誇張された姿に、俺は苦虫を百匹は噛みつぶした顔になる。

 そんな俺に、観客たちは酒をおごってくる。

「いや、酒は…」

 拒もうとしたものの、無理やり飲まされてしまった。

「ヒクッ」

 俺は全身が火照り、顔が真っ赤に赤くなるのを感じた。

「ファヒャイラヒハ」

 直後、俺は酒場のカウンターに派手にぶっ倒れて意識を失った。

 ぶっ倒れてしまったので、そこから先俺の記憶は全くない。

 ただ、倒れた俺の姿を見るギリーは、頭を振って呆れていた。

「まだ酒がダメなのか。たった一口でダウンとは、とんだ坊やだな」

 その口にはもはや俺を隊長として敬うのでなく、ただの酒も飲めない子供扱いだった。


「うっ、いててて」

 俺が意識を取り戻した時、辺りはすっかり暗くなっていた。

「ようやくお目覚めですかい」

 呆れ声でギリーが話しかけてきた。どうやら、カウンターにぶっ倒れた後、俺はそのままカウンターに突っ伏したままだったようだ。すでに、盛り上がっていた連中は帰ったようで、俺一人だけが酒場に残っている。

「頼む、声を小さく…頭が割れそうだ」

「たった一口でしょう」

「…」

 呆れるギリーに一言も返す余裕がない。ていうか、気持ち悪くてあまりしゃべりたくない。

「皆は?」

「アリサたちは宿です。ついでに店はさっき閉店しましたよ」

 店が閉店?酒場の稼ぎ時は夜だから、と言うことは…

「もうすぐ朝です」

「うっ」

「頼むからこんなところで、吐かないでくだせぇ」

 ギリーが心底呆れながら、外を指さした。俺は、黙って外へ歩いて行った。


 ノロノロと外へ歩いていくクロウを見送りながら、ギリーは頭を振った。

「まったくあの坊やは、戦いでは恐ろしいが…それ以外はテンでダメだな」

 言いながら、先ほどまでは客でにぎわっていた酒場の片づけをしていく。机の上の食器類を片づけ、いざ洗い物をしていくかという時に、酒場のドアの開く音がした。

 一瞬クロウが戻ってきたのかと思ったが、それにしては早すぎる。

「もう店じまいだぜ」

 ギリーは視線を上げずに言った。

「すまんが、この酒場は傭兵ギルドを兼ねているそうだな」

 入ってきた人物は、ギリーの言葉をまるで意に介してないらしい。仕方なくギリーは視線を上げた。

 視線の先では軽装を纏った男がいた。武器や防具の類は一切身につけていないので、旅人ではなく、この町に住んでいるのだろう。もっとも、始めてみる顔だ。

 それに、かつて黒衣の部隊で精兵として活躍したギリーには、男の足音だけで男の正体がわかった。さらに視線で男の歩き方とたち振る舞いを見ることで、確信になる。

 ――兵隊だ。それも、歴戦のつわもの。

 兵隊がこんなところに来るということは、まさかクロウたちを探してなのか?その疑問がギリーの脳裏に沸き上がったが、疑念を抱かれていることを男に察知されたくない。

 ギリーは胡散臭い表情をありありとして、男を見た。

「困った人だな、店じまいって言っただろう。酒場も、ギルドも、今日はおしまいだ。出直してくれ」

「まあ、そう言わずに一杯何かくれ」

 男はギリーの態度を完全に無視して、カウンターに腰かけた。憮然としつつも、ギリーは男の前にコップを置き、酒を注いでやる。男は酒を口にして、すぐに顔をしかめた。

「なんだこれは、アルコールが抜けてるぞ」

「そりゃそうだ。この店で一番安い、クズだからな。さっ、とっとと帰りな」

 だが男は、ギリーの悪態をどこ吹く風と受け流す。

「実は朝の散歩がてら、この街の視察をしてたんだよ。そしたら、この店だけ明かりがついててね。ここは酒場で傭兵ギルドも兼ねていると聞いてたんで、興味がわいてね」

「…視察って言うが、あんた兵隊だな」

「ん、やっぱり分かるか?君も兵隊だったんだろう?」

「昔の話だ」

「そうか」

 男もギリーと同じく、戦場の経験が長い。だから、一目見るだけで気づくのだ。

 そんな男は再び安酒を口にした。だが、顔をしかめて「これは酷いな」と言う。

「治安責任者として、今度この町に配属された。今は大隊の指揮官をしている。傭兵ギルドとは仲良くしておきたいので、よろしく頼むよ」

「ふん、軍隊がギルドと仲よくねぇ」

 男は手を差し出したが、ギリーは胡乱な眼で男を眺めまわす。手を握ってもらえないと分かり、男は肩をすくめながら引っ込めた。

「ところで昨日街で面白い噂を聞いたんだが」

「噂って言っても、いろいろあるぜ」

 噂、探りを入れるつもりか。ギリーは緊張を気取られないように、顔により一層胡散臭い表情を浮かべる。

「そう警戒しなさんなって」

 どうやら、警戒されたのを気取られてしまったらしい。まったく、俺はバカ正直な奴だな。と、内心で悪態をつく。

「単に興味があっただけでね。なんでもこのギルドに凄腕の護衛がいるそうじゃないか。全身黒尽くめの格好をして、一人で山賊五〇人を倒したって話じゃないか。まあ、さすがに五〇人は与太話だろうが、噂がたつくらいだから強いんだろうね」

 この男の狙いは、クロウだ。この男はクロウを追っている軍の人間だ。ギリーは確信した瞬間、歯をギリリと鳴らした。

「知らねえな、とっとと帰りやがれ!」

 ギリーは大声で怒鳴りつけた。怒鳴られた男は目を見張り、ギリーの顔をまじまじと眺める。

「何か、不味いことでも言ったか?」

「ふん、俺はそんな奴知らねえぞ。とっとと帰りやがれ!」

 それ以上男と話すつもりはない。ギリーはその意志を断固と示し、後ろを向いた。

 だが、間が悪いことに、再度酒場のドアが開く音がした。男ではない、クロウが戻ってきたのだ。


「バカ、さっさと逃げろ!」

 酒場に戻ってきた俺に、ギリーの叫び声が響いた。

 ――頭に響くから、大声はやめてくれ。

 俺はギリーの言葉の意味より、頭に響く声に顔をしかめた。

「頼むから…」

 俺が二日酔いのせいで弱々しい声を出しながらギリーの方を見た。と、その傍に男がいる。その男のことを俺は知っている。

 俺と視線が合った男の方も、俺の顔をまじまじと眺めていた。

「確か≪黒衣の部隊≫の…」

 男がつぶやく前で、俺は咄嗟に左手を剣の柄にかけた。油断していた。こんな辺境の街なら追っ手も来ないと思っていた。俺は自らのうかつさを呪いながらも、目の前にいる男を睨んだ。

「エスト兵長、俺たちを追ってきたのか」

 目の前にいる男――エスト兵長――は、小隊の指揮官にすぎない。だが、あの皇帝から「愛おしい戦友」と呼ばれるほど、皇帝とは近しい間柄にある部下だった。

 魔族が急襲した帝都防衛線で、俺とエスト兵長は共に戦ったが、その彼が目の前にいる。間違いなく、皇帝の命令で俺たちを追ってきたのだ。

 手に柄をかけた状態の俺を見て、エストは驚いた顔をした。

「君は黒衣の部隊のクロウくんだったな。なぜ、警戒する?」

「宰相…いや、皇帝の命令か?」

「陛下の命令?」

 エストは心底不思議そうな顔をして俺を見る。

「何か誤解があるようだな。とりあえず、武器を納めてもらえないか。私はこの通り丸腰だ」

 エストは両手を上げて武器がないことを示す。

 エストの背後にいるギリーは、酒瓶を片手に構えている。何かあれば、あれでエストを一撃するつもりだろう。

 だが、俺はためらった。このまま逃げるか、あるいはエストに武器を向けたまま対峙するか。俺の躊躇う姿を見るエストは、「なぜ」という不審だけを顔に浮かべていた。

 ――何も知らないのか?

 迷う俺の様子を察して、ギリーも動けずにいる。それに、これ以上ギリーを巻き込みたくはない。俺は、周囲にエストの部下がいないか気配を探り、危険はないと判断して、左手を剣から離した。

 それを見て、ギリーも酒瓶を下ろす。

「よかった、丸腰で君に勝つなんて不可能だからな」

 エストはほっと安堵の息を出した。

「まだ、無事で済むと決まったわけじゃないですよ」

「…なぜ、そこまで警戒するんだ?」

 俺の言葉に、エストが尋ねる。エストからは敵意を微塵も感じることができない。ただただ不思議な顔をしている。

「…あなたは、俺たちを追ってきたんじゃないですか?」

「追うっ?君たちを、どうして追う必要がある?」

 エストと俺の間には、かなり認識の差があるらしい。それをエストも感じたようだ。誤解を先に解こうとしたのはエストだった。

「私は、この街の新たな治安責任者に任命されたので、朝の散歩がてら興味でここに立ち寄っただけだ」

「治安責任者?でも、あなたは皇帝直営の小隊の指揮官だ。都市の治安責任者と言えば小隊長より地位は上だが、こんな辺境の責任者では左遷と同じでしょう」

「君は、言いにくいことをズバリと言うね」

 エストの顔が苦くなる。

「原因は私にもわからない。宰相閣下…コホン、今ではクレスティア陛下だな。陛下の命令で大隊の指揮官に任命されて、この街へ赴任してきた。陛下の不興を買ったわけでもないのに、こんな場所にいきなり飛ばされて、半ば途方に暮れてるところだ」

「…」

「ところで、私は君たちの部隊はローヴァンナイトで全滅したと聞いていた。帝都では君たちとは共に戦った仲だ。まさかそんなことがと思っていたが、生きていたんだな」

「…ローヴァンナイトの戦いで、俺を含めて僅かな部下だけが生き残りました」

「それは…惜しい…」

 僅かな生き残り。その言葉を聞いて、エストが無念の言葉を口にしようとした。

 だが、そこから先の言葉をこの男に言ってほしくなかった。この男は≪あの皇帝≫の直属の部下だったのだ。あの女に近い人間。俺の中に宿る暗い感情が、ローヴァンナイトで起きた――味方の裏切りによって殺された部下たちの怒り――が、その言葉を吐き出させていた。

「魔王との戦いで多くの部下が戦死し、生き残った部下はユウナスに殺された!」

「なっ、にっ」

 ギリッ、俺は両手を強く握り、奥歯を噛みしめた。

 だが、この話は、エストにとって初めてのものだったらしい。皇帝の直営とはいえ、所詮は一介の小隊指揮官でしかなかったエストにとっては、当然なのだろう。

 だが、これまで黙って聞いていたギリーが大きく目を見開いた。

「味方に、殺されただ!」

 ギリーの怒鳴り声に、俺は頷くこともせず続けた。

「あの時、ユウナスは宰相の命令だと言っていた」

 ――ギリッ

 俺は奥歯をならし、目の前にいるエストを見た。暗い感情がとめどもなくわき起こってくる。どす黒い感情が渦巻き、目の前にいる男を睨んだ。

 この男は、ローヴァンナイトでの一件を何も知らない。動揺するその姿を見れば明らかだった。しかし、だからと言って俺はこの男を許せない。あの女――宰相――近くにいる部下の一人なのだ。

 ならば、こいつもまた復讐すべき相手ではないかと、暗い感情が渦巻き、俺の心を支配しようとする。

 今すぐ、この男を切り倒してしまいたい。

 ――生かしておけない、仇。

 それでも、俺はその感情を必死にこらえた。歯を食いしばり、あの時の怒りに目からは熱い涙がこぼれてくる。

 怒りに支配され、剣の鞘へと向かおうとする左手を、なんとかギリギリのところで留める。だが、何か一言エストが口にするだけでも、俺の体は間違いなくこの男を殺す。理屈など関係ない。俺の怒りが、戦友たちの死が、それをさせる。

 俺の全身から放たれる殺気を前にして、エストは完全に沈黙してしまった。言葉すらも出ない。ギリーも、今まで俺が話すことのなかった戦友たちの死の真相を知って、驚愕から、驚き、そして目の前にいるエストへ憎々しげな視線を移した。

「味方に殺されただと、戦友たちが…」

 衝撃の事実にギリーが呟く。

「そんなバカな!陛下がそのような命令…」

「黙っていろ!」

 エストが抗議しようとする声を、俺の怒鳴り声が制した。

「これ以上、何も言うな。あんたを殺してしまう」

「…」

 俺の言葉に、エストは沈黙を続けた。


 俺たちが、いつまで無言で対峙し続けたのか分からない。

「お兄ちゃん」

 気がついたときには、俺の背後から聞きなれたアリサの声がした。

 それに続いて、アリサ、ユエメイ、ファン、リーの四人が酒場へとやってくる。

 俺たちの異変に気付いて、彼女たちは途端に黙った。だが、目の前にエストの姿を見て取って警戒をあらわにした。

「あの人は…」

「皇帝の部下だ」

 アリサに俺が短く答える。

「もしかして、追っ手!」

 俺の尋常でない姿を見て取って、アリサたちも思わず身構える。エストはただ、無言でいる。同意も、抗弁もしない。目の前に立つ俺を刺激しないよう、沈黙を続けている。

 だが、アリサたちの姿が、ほんの少しだが、俺の中で荒れ狂っていた怒りを、僅かにだが冷静にさせた。

 ――この男を殺しても、意味はない。

 ――関係のない男だ。

 左手にかかっていた剣から、手をだらりと降ろす。全ての気力を使い果たしたように、俺の左手はそれ以上動くことを拒んだ。

「行けよ」

 俺は、ようやくそれだけを口にした。

 だが、エストは俺の言葉に従わなかった。

「陛下の出された命令を詫びよう」

 ――グッ

 俺は奥歯を再び強くかむ。

「なぜ、あんたがそんなことを言う!」

 俺の中で再び怒りが沸き起ころうとするが、目の前にいるエストは恐れることなく俺を見てきた。

「陛下は、変わってしまわれた。即位される前から、もっとも親しかった部下たちを地方に送り出されていた。まるで何かから遠ざけるように。そして、即位されてからの陛下は、まるで別人だ」

「…」

「私は、即位後の陛下にお目通りしたことはない。今や、帝都には誰もが出入りを禁じられ、帝都の周辺には魔族があふれている。おまけに、帝都から出される命令には、不審なものばかりだ。明らかに、陛下のご意思とは思えぬ命令の数々」

 エストの声が、切々としたものに代わっていた。

「何より、陛下があのガルヴァーン将軍と結婚されたという。あの陛下が、あり得ないことだ…」

 そこでエストは信じられないほど強い目で、俺を見た。

 ――帝都へ、行け。閣下…宰相、閣下を、あいつか、ら、救って…

 その視線に、かつてローヴァンナイトでユウナスが口にした言葉を思い出す。

「ユウナスは、皇帝を救ってくれと言い残して死んだ」

 なぜ、その言葉を口にしたのかは、俺にも理解できなかった。俺たちを殺そうとした男が口にした言葉だ。だが、あの時のユウナスは、いま目の前にしているエストの目と非常に似ていた。

 俺たち黒衣の部隊が、戦友として互いに強く結ばれている姿と、彼らの視線がどこかで重なる。

「将軍が、陛下を救ってくれと?」

「ああ、そう言って死んだ」

「…やはり、何かがあるのか?」

 エストの疑問に、俺が答えられることは何もない。それでも、エストは独白するように続けた。

「あり得ないことだ。陛下は、あの男のことを常日頃から嫌ってこられた。傍にいた私はそのことを知っている。まてよ、帝都に出入りを禁じられているが、帝都には第三軍団が今も駐屯している…ならば、ガルヴァーン将軍が…あの男が陛下に何かしたのか!?」

 そこまで口にして、エストはしばし沈黙した。

「俺が知ってることはもうない。…じゃあな」

 そう言い残し、俺はエストから視線を外した。

「ギリー、俺たちはこの街を出るよ」

 ただエストがいることで、もうこの町にはいられない。例え彼が追っ手でなかったとはいえ、俺の感情がまたいつ爆発するかわからない。だから、この町にはもういるべきではない。

 ギリーが「おい」と声をかけたが、それを無視して俺は酒場を出た。

 去りゆく俺に、アリサたちは戸惑いを浮かべながらもついてきた。

 ――これでいい。もうこの場所にいてはならない。

 そう思いながらも、俺はエストのあの目が焼き付いてしまった。

 仲間のことを――命を駆けて死線を潜りぬけてきた戦友のことを思う、必死な目。

「あの人の目、お兄ちゃんにそっくりだった」

 俺の傍でアリサがポツリとこぼした言葉が、俺の胸の中で小さな衝撃となった。


 辺境の街クラストを出た俺たちは一路街道を南下していた。

「でもよかったのですか、急に街を出て」

「…」

「隊長、行く当てもないでしょう」

「…」

「この後、どうするつもりです?」

 街道を歩きながら、ユエメイが冷静に告げてくる。それに対して、俺はただ足早に歩いて答えない。ユエメイの言うことはもっともだが、だからと言って、それに答えられるほど、俺はまだ冷静になれない。まだ、先ほどの怒りが完全に冷めきっていない。

「お兄ちゃんってば、意固地になってる」

「…」

 アリサの言葉を、内心で認める。認めはするが、認めたくない。

「あー、これって男のプライドってやつー?」

「そうだよね。男って一度言いだすと言うことを聞かなくなるってやつでしょー」

「ちょっと冷静に考えれば、分かることなのに」

 ファンとリーの二人が、後ろから俺をジトーッと眺めてきた。

「…」

 そんな一同の様子に、俺の足がわずかに遅くなる。

「…」

「頭が冷えるのをまとう。どうせ、ほっとけば街に戻ってくるよ」

 アリサの言葉に、ユエメイが「そうね」と答え、ファンとリーも同意する。

「おい、アリサ」

 俺はついに足を止めて、彼女たちの方を振り向いた。四人の視線は醒めていて、冷たい。

「…俺の頭の中を読むな」

 悔しかった。認めたくはなかったが、アリサたちの言うことは正しい。そんな俺の考えを見透かされていて、本当に悔しかった。

 そんな俺に、アリサはやれやれと頭を振った。

「まったく呆れた」

「…返す言葉がない」

「だいたい今回のことはエストさんは何も関係ないんでしょう。そりゃ、私たちも出会ったときは驚いたけど。

 それに、あの街にギリーがいてくれたから、私たちに護衛の仕事がすぐ回ってきたんだよ。信頼されてない人間に、街を出ての護衛の仕事は簡単に回ってこないもの」

 説教をされてしまった。これではどっちが年上なのか分からない。俺は、姉に説き伏せられている弟か。そんなことを思ってしまう。

 情けない思いで、俺はアリサたちを見て、それからガクリと肩の力を抜いた。

「ほら、街に戻ろう。あんなことしちゃったんだから、ちゃんとエストさんとギリーに謝らないとだめだからね」

「…わかった」

 うなだれながら頷く俺。

「もう、隊長ってば元気出して」

「元気、元気ー」

 俺の服の左袖をファンが引っ張り、リーが後ろから両手で押してくる。ユエメイは顔に表情こそ浮かべていないが、たぶん内心では呆れてるのだろう。

 俺は二人に引っ張られ、押されるまま、とぼとぼと今来た道を返り始めた。

 ――まったく、あれだけのことをして街を飛び出してきたのに、帰るしかないのか…

 まだ心の中が整理できていない。いや、単に感情に任せて飛び出してきて、結局戻らなければならないことが情けないだけだ。

 俺は憂鬱な思いで、来た道を戻り始めた。

 初めこそファンとリーに引っ張られていた俺だが、いつの間にか女性四人は俺の前を喋りながらのんきに歩いている。俺一人だけ、その後を一人トボトボと歩いている。

 ――まだふっ切れないでいる、自分の女々しさが嫌になってくる。

 しかしそんな中、俺は突然背筋に冷たいものを感じた。

「気をつけろ!」

 俺は叫びながら、左手で剣を抜いた

 ――後ろ!

 気配を感じ取り、俺は振り向いた。

 離れた場所に、男が立っていた。

 ――何者だ?

 離れているのに男の放つ威圧感は強烈だった。俺は油断することなく男を睨みつけたが、次の瞬間男の姿が消えた。

 ――どこに行った!

 油断はしていないのに、目で追い切れなかった。突然消えた男の気配は、あろうことか俺の背後――アリサたちのいる場所からした。

「動くでない。お前が動けば、この女たちが死ぬ」

 背後からした声に、俺はゾッとした。

 体を動かさず、首だけ動かして背後を見る。

「まさか…ガルヴァーン…将軍?」

 背後に捉えたのは、ガルヴァーン。帝国軍第三軍団の司令官にして、≪魔王≫とあだ名される暴虐の将軍。そして今は、皇帝となったクレスティアと結婚をし、その夫になっていると噂で聞いた男だった。

 その男が、アリサたちのすぐ横にいた。

「なぜ、将軍がこんなところにいる?」

 俺の質問にガルヴァーンは、口を歪めて声なく笑う。嫌な笑いだ。傍に立つアリサたちは、ガルヴァーンの傍から動かない。何かの魔法で操られているのか、その場からピクリとも動かない。

 何かされている。それは、すぐに分かった。

 俺は一瞬迷った。アリサたちを危険にさらしてしまうかもしれない。だが、このまま相手の言われるままになっても、どの道危険なことに変わりない。

 もっとも頭で考えることよりも早く、体が行動していた。振り向き、そのまま一気に剣をガルヴァーンの体へと叩きつける。

 ――!

 ガルヴァーンへ叩きつけようとした剣を、だが俺は止めざるを得なかった。

 ユエメイが、ガルヴァーンと俺の間に走ってきて、そこで立ち止まったのだ。武器を構えることもなく、俺の前に無防備な姿をさらすユエメイ。俺の剣は、ユエメイの首の前でピタリと止まり、危ういところで命を奪ってしまうところだった。

「ユエメイ?」

「…」

 あわやという惨事を避けられたことに安堵しつつも、俺の言葉にユエメイの返事がない。目には光がなく、感情と意思がまるで抜けおちてしまったかのような目をしていた。

 ――何かの魔術で操られている。

「貴様、ユエメイに何をした!」

「ククク、面白いだろう。こういうこともできる」

 ガルヴァーンが指をついと動かすと、ファンとリーの二人が腰から剣を抜いた。

 ――まさか俺を襲わせる気か!

 だが、俺の眼前で剣を手にしたファンとリーは、互いに剣の切っ先を向けあった。ファンの剣先はリーの首の前でピタリと止められ、リーの剣先もファンの首の前でピタリと止められる。

 その光景に俺が愕然とする前で、ガルヴァーンはニタリと笑う。

 僅かにファンとリーの手が動き、それに合わせて互いの首に剣が僅かにめり込む。赤い血が一筋首から流れ出した。

「やめろ!それ以上二人に手を出すな!」

 俺の絶叫に、ガルヴァーンはニタリとした笑いを消すことはない。

「これでわかったであろう。貴様の部下の命は、今や我の手の内にある。まずはその剣を捨ててもらおう」

「…」

「お前に選択の余地はない」

「クッ」

 アリサたちの命がガルヴァーンに握られている。俺は要求に逆らえず、剣から手を離した。カシャンと音を立てて、俺の相棒が地面へと転がる。

 その剣を眺めるガルヴァーンの視線は、さも嫌なものを見る目だった。憎々しい目で、剣を睨みつけている。

 ――なぜ、俺の相棒をそんな目で見る?

 俺の冷静な部分が、ガルヴァーンの行動を不審に思う。だが、今は剣よりアリサたちのことだ。

「なぜ、お前がこんなところにいる?どうして、アリサたちを人質に取る?」

「質問の多い奴だな。もっとも、お前が我に質問はおろか、口答えすらできない立場であることを忘れるな」

 ガルヴァーンは顔に張り付いた笑いが、より一層凶悪な笑みになる。

 抵抗できない獲物を見つけた兵士が、獲物をいたぶる目だ。

 ガルヴァーンの目に浮かぶ光を見て、俺は略奪と暴力に明け暮れる兵士が見せる、危険な色を見てとった。そして、俺の直感が間違っていなかったことがすぐに証明される。

「お、にい、ちゃん。たすけ、て」

「アリサ!」

 アリサの口から弱々しく放たれる声に、俺は思わずアリサを助け出そうとした。だが、人質を取られているせいで、それができない。俺が抵抗できない姿を見ながら、ガルヴァーンはアリサの傍へと歩いていく。

「アリサに、何をするつもりだ!」

「少々遊ぶだけだ」

 ――ギリッ

 奥歯を噛みしめ、俺はただ成り行きを見ることしかできない。

 俺の無抵抗な様を見て、ガルヴァーンは一層顔を歪ませる。そして、ツッとアリサの頬に指をなぞらせた。

 ――こんな男が、妹に何をする!

 俺の内心は爆発せんがばかりに怒り狂ったが、ガルヴァーンは指でアリサの頬をなぞらえた後、細くとがった爪をアリサの肌に突き立てた。指を這わせた時と同じく、爪の先端でアリサの顔をなぞっていく。とがった爪は簡単にアリサの肌を切り、頬に傷口ができて赤い血が流れ出す。

 アリサの目は、恐怖に震えていた。なのに、体の自由をガルヴァーンに奪われているのだろ。ピクリとも動くことができずにいる。ただ、目だけで俺に助けを求め続ける。

 今すぐにでも、この男を斬り殺し、助け出さなければならない。俺はちらりと地面に横たわる相棒に視線を動かすが、ガルヴァーンは気にする風もない。

 ガルヴァーンは、アリサの頬から流れ出した血がついた爪を、自分の口へと持っていって舐める。

「…つまらぬ味だな」

 興醒めしたような顔のガルヴァーン。しかし、俺に向ける視線には、嗜虐的な光を称えている。そして、俺の視線が、地上の相棒へと向けられていることに、ガルヴァーンは気づいた。

「だめだよ、お兄ちゃん」

「!」

 俺の目の前で、アリサが呟いた。恐怖に満ちていた目から光がなくなり、感情が消え去った瞳で、うっすらと笑いながらアリサが言った。

「お兄ちゃん、ダメだよ。うっ、ううっ、うっ、く、苦し、い」

 直後、顔面が蒼白となり、ガクガクと震えながら体が震え始める。

「アリサ!」

「ククク、我に抵抗の意志を持つな。お前の大切な者が消えることになるぞ」

「ガルヴァーン、貴様、貴様!」

 ガルヴァーンに今にも飛びかからんばかりに俺は吠える。だが、抵抗できないとわかっているガルヴァーンは、嗜虐の光を目に浮かべたままだ。

「それに我をガルヴァーンと呼ぶな。お前の前にいるのは、この世界の支配者たる魔王ナイトメアである」

「ナイト…メア…魔王?何を言ってる、魔王はローヴァンナイトで死んだ」

「おめでたいことだ。あの程度の存在を魔王と思い込んでいるとは。あそこにいたのは、霊将ユナトス…貴様らが倒したと思っているのは、魔王ではなく我の道具の一つに過ぎん。魔王はガルヴァーンと名を偽って、お前たち人間の側にいたのだよ」

 魔王…ガルヴァーンは魔王。唐突な事実を突き付けられ、俺は言葉に詰まる。だが、そんな俺の様子などお構いなしに、ガルヴァーン――魔王ナイトメア――は続ける。

「なかなかにお前たち人間の真似をするのは面倒であったぞ。だが、面白くもあった。何しろ我が后クレスティアがこの世界を征服していく姿を見ることができたのだからな。彼女は素晴らしい。女の身でありながら、人間どもを治め、世界を支配し、魔族すらも駆逐する≪血色の魔女≫。人間であることがあまりにも惜しい。いや、種族など関係ない。あれこそが真の魔族というものだ。あらゆるものを恐れず、牙を抜き、自らの主さえ手にかける。全ての上に敢然と立つ姿。単に血に飢え、殺しを楽しむ者など魔族であっても、所詮はただの屑に過ぎぬ」

 ねっとりとした視線を浮かべ、クレスティアのことを思っているだろう魔王。だが、その姿に俺は唾棄せずにはいられない。

「そんな与太話をするために、俺の前に現れたのか?」

「フフ、そう慌てるな、時間ならばたっぷりある」

 俺にとっては、クレスティアのことよりも、目の前のアリサたちのことが先だ。

 そこで、魔王は改めて視線を俺の方へと向けてきた。その瞳に、嫌悪の色がありありと浮かぶ。

「貴様は、人間ではない」

「…」

 ビクリ。俺が隠していることを魔王が指摘したことで、思わず体が震える。

 ――こいつは、俺のことを知っているのか?

「その魔剣は人間が扱えるものではない。何しろ、≪魔王殺しの魔剣≫だからな」

「魔王殺しの魔剣?」

 己の恐れを隠し、聞きなれない言葉に俺が問い返す。すると、魔王は目を微かに開いて、俺の顔を見た。

「何だ、名前も知らなかったのか」

 その顔に、微かに驚きの色が浮かんでいる。だが、すぐに視線を戻した。

「この剣は我ら魔族にとって禁忌の一つ。異界のある魔族が、自らが使える魔王を刺殺するために編み出した武器。あらゆる魔法を無力化することができ、それは高い魔力を持つ魔族――高位の魔族にとって致命的な武器となる。無論、魔王にとってもな」

 その言葉を聞いた瞬間、俺は相棒で、魔王を一撃で屠る考えが浮かぶ。だが、魔王もそんな俺の考えを見通している。アリサの後ろ立ち、盾にする。その頬にツッと指を這わせ、ニヤリと笑う。

「この話をすれば、お前が何を考えるかなど分かっておる。別にいいのだぞ。その剣を手にして我に向かってきても。もっともそんなことをすれば、お前の大切な妹は…クククク」

「やめろ!」

 魔王がアリサの頬に再び爪を突き立てようとする。

「やめてください…だろう?」

「や、やめて、くだ、さい」

「言い様だな。無様で笑える」

 逆らえない俺の姿を見て、魔王が愉悦の笑みを浮かべる。俺の顔に浮かんでいるだろう屈辱を見て、魔王は悦に入る。

「これは傑作だ。我を滅ぼせる武器がありながら、その持ち主は我の前で無力なのだからな」

 俺の目の前で、魔王はアリサの頬に舌を当て、流れていた血をベロリと舐める。アリサの感情のない瞳から、うっすらと浮かぶ涙がこぼれる。

 こいつは、抵抗できない相手の姿を見て楽しんでやがる。完全に狂っている。俺の怒りは、しかし抵抗することさえもかなわずに、体の中で爆発することができない。

「さて、話を元に戻すが、魔王殺しの魔剣が、その名を冠するようになったのは、その剣によって、異界の魔王が倒されたからだ。自らの部下に殺されるとは、間の抜けた魔王であるな。もっとも、主殺しを行った魔族は褒めてやりたい。それでこそ、真の魔族。主など、所詮潰すための存在でしかない」

 魔王は大仰に両手を広げ、唇を舌でなめる。何が面白いのか知らないが、その顔にはいまだに笑いが浮かんでいる。

「だが、魔王を殺せるほどの力を持つがゆえ、代償としてその剣は持ち主の魂を食らう。もともと魔族が扱うために作られた剣だ。か弱き人間の魂などすぐに削り落されて消える。その剣は人間に扱えぬ。そして高位の魔族とて、その剣をむやみやたらに振りまわせるわけではない」

 そこで魔王の視線が再び俺を正面から見た。

「お前は何者だ?人間であるはずがない。だが、魔族でもない」

「俺もその答えが知りたいね」

 それは俺の本心でもある。

 俺の正体を訪ねるのがこんな奴でなければ、もっと真剣に尋ねたいものだ。

「…フン、隠しているのか。それとも本当に自分でも知らないだけなのか…まあよい。話にはまだ続きがある」

「…」

「我はこれでもお前のことを恐れているのだ。魔王殺しの魔剣に命を吸われることさえなく生きている存在。我の天敵を振るいながら、平然としているのだからな。だから、我はお前を殺すために、我が后に囁いたのだ。『魔剣を持つあの男を殺せ』と」

 后、つまりそれは皇帝クレスティアのこと。

「まさか、じゃあ俺たちの部隊を殺すように仕向けたのは…」

「頭の回転が速いな。人の心を弄ぶ我にとって、后の耳に毒を流し込むことは簡単なこと。本来であれば、后の命令を受けたユウナスがお前を殺しているはずだった…残念ながら、結果はご覧の有様だが」

 そういい魔王は、俺を冷淡な目で眺めた。

「使えない男だったな」

「自分の手も汚さずに、俺たちの部隊を、俺の仲間を殺したのか!…お前がっ!」

 ――ズサッ

 俺の怒りが爆発しかけたその時、剣が肉体を貫く音がした。

「ああっ、うぐっ」

 続く悲鳴。

 俺ではない。ファンの右肩がリーの剣によって貫かれていた。ファンの唇から、短い悲鳴が漏れる。

「ファ…ファン!」

「たい…ちょ…」

 二人が苦しみにかすれた声を上げる。

「おおっとすまんな。少し手が滑った。だが安心しろ、致命傷ではない」

「この卑怯者…」

「ククク、何とでも言え」

 魔王は愉悦を浮かべている。俺が苦しむ姿を、仲間たちが傷つけあう光景を、この悪魔は完全に楽しんでいる。

「お前が生き残ったのは、我にとって計算外だった。とはいえ、今ここで殺すことなど造作もない」

 ――スッ

 感情の宿らない目をしたユエメイの手が剣を握る。それが、俺に向かって突きつけられた。

「ユエメイ…しっかりしろ」

「タイチョウ…タスケ、テ」

 ユエメイの感情のない目から涙がこぼれる。

「ククク、いいだろう。彼女たちが囁く声はとてもよい響きだ。絶望に打ちひしがれながら、お前に助けを求めている。

 さあ、どうするかね?

 このまま我を殺すために、操られている女たちを全て殺すか?

 それとも、この女たちに無抵抗なまま殺されるか?」

 魔王の前で、俺はあまりにも無力だった。こんな奴に、俺の仲間が操られているなど、あってはならないことだ。人間の苦しむ様を楽しむような男に、なぜ従わなければならない。

「だが、もう一つだけ道がある」

「…」

「我に跪き、頭を地面に擦りつけながら言うのだ。『助けてください、俺の大事な仲間たちを助けてください』と。そして、我の下僕となれ。お前は殺してやりたい奴だが、同時に多少の興味もある。我の道具として扱ってやってもいいぞ。

 ほらどうした。いつまでそこに突っ立っているつもりだ?」

 こんな奴に頭を下げるなど、まっぴらだった。だが、俺は抗うことができない。戦友たちをこんなところで失うわけにはいかない。しかし、例え跪き、奴の手下になると言っても、言葉どおりにする保障はどこにもなかった。

 それでも、俺は砕けるように膝を地面に着いた。

「そうだ。そのまま地面に頭をつけろ」

 その瞬間だった、俺は地面に転がっていた相棒を掴んだ。そのまま魔剣の腹をユエメイに押し付ける。その瞬間、ユエメイが気を失うように、どっと地面に倒れた。今まで、魔王に操られていた呪縛を、魔剣が解放したのだ。

 だが、ここで止まるわけにはいかない。俺はユエメイの崩れる体に構う余裕がなく、そのまま低い姿勢から、魔王へ向けて一撃を突きつける。

「チイッ」

 今まで笑いを浮かべていた魔王が、初めて表情を変えた。

 だが、繰り出した俺の突きは、魔王がいつの間にか手にしていた黒い大剣によって弾かれた。

 ――ギインッ

 剣と剣がぶつかる衝撃音が辺りに響く。だが、ここで止まるわけにはいかない。何としても、魔王から仲間たちを解放しなくては。俺は周囲の時間が鈍く動きだすのを感じた。

 時が止まる。時が止まったその瞬間に、俺は魔王を倒すべく剣を振るう。

 ――ギインッ

「なっ!」

 だが、停止しているはずの時間の中で、魔王が動いた。俺の繰り出した剣が、またもや魔王の大剣と激突する。

「≪時間殺しの法≫を扱うとはたいしたものだ、小僧。だが、その程度では魔王ナイトメアを倒せぬ」

 停止していた時が急激に加速し、再び世界に時間が戻ってくる。魔王の大剣に込められた力は凄まじく、俺の体はその場から飛ばされてしまう。飛ばされながらも地面に着地。そのまま踏ん張って再び魔王に突撃して斬りかかろうとした。だが、それより早く魔王の大剣がアリサの首の前で、ピタリと止められた。

「卑怯者!」

「クク、我を慌てさせるからそうなる。お前には罰が必要だな」

 魔王が会心の笑いを浮かべた。それから起きた光景を、俺は時間が止まってしまったのではないかと思うほど、ゆっくりとした速度で見た。ファンとリーの二人が、互いに突きつけ合っていた剣が動いた。そのまま二人の首へめり込んでいく。

 二人の首から止まることのない血が流れ出し、

 ――ゴロッ

 ――ゴロッ

 地面に、不気味な塊が二つ落ちる音がした。

「ファン?リー?」

 俺は剣を持たない右手で、二人に向かって手をさしのばしていた。だが、もう二人は生きていない。首を失った二人の体がグラリと揺れ、そのまま地面へ倒れた。

 ――そんな、俺はまた仲間を守れなかった。

 魔王を相手に手加減などしていなかった。ならば、あいつのいいなりになっていれば、二人が死ぬことはなかった。俺が、あまりにも愚かな行動をしたから。

 両目から流れ出す熱い雫にも気づかず、俺はその場に両膝をついた。目の前に、地面に転がった虚ろな顔が二つ。ファンとリーの顔がそこにはあった。感情を失った目で、俺を見ている。

「ああっ、ああああっ!!」

 悲鳴を上げ、俺は二人の虚ろな顔から目が離せなくなった。視界がぼやける。それが止まらない涙ということも理解できないまま、俺はただただ、二人の虚ろな表情を眺めて悲鳴を上げた。

「ふん、興が削げた」

 そんな俺の前で、魔王はつまらなそうに口走る。

「お前の妹は我が預かる。帰してほしくば帝都ブールジュまでこい。我が后と共に待っていてやるぞ」

 魔王はアリサの肩を掴んだ。すると地面が波打ち、そこに吸い込まれるようにして二人の姿が飲み込まれ、消えていった。

 ――どうして、俺は守れなかったんだ。

 ファンとリーが息絶え、アリサは連れ去られてしまった。唯一、ユエメイだけが倒れて残されている。

 ――そうだ。ユエメイ、お前は、お前は、無事なのか?

 倒れたままのユエメイは、動く様子すらない。その姿を見て、俺は恐れた。まさか、ユエメイまで…もしそうだったら、俺は、俺はどうすればいい。

 俺は恐れ、全身が震えた。

「頼む生きていてくれ」

 そう思いながら、恐怖で竦む体を無理やり動かし、倒れるユエメイの所に向かう。

「ユ、ユエメイ」

 俺は恐る恐る彼女の体をさするが動かない。

 ――まさか、本当に!

 最悪の事態を予想した。だが、幸い彼女の口から微かに漏れる空気の音がした。

「ああ、よかった。よかった。お前が生きていてくれて」

 俺はユエメイが生きていることに安堵した。だが、ファンとリーの転がる亡骸。そして、連れ去られたアリサ。

 あまりにも、失ったものの代償が大きすぎた。


 その後、俺はどれだけの時間その場で茫然と座り込んでいたのか分からない。

 気がつくと、街道をギリーが帆のない空の荷馬車に乗ってやってきた。街から飛び出すようにしていなくなった俺たちを、ギリーは追い掛けてきたのだ。

 だが、俺たちを見つけた彼は、亡骸となったファンとリーの姿に絶句した。近くに倒れるユエメイは気を失っているだけだと知って微かに安堵し、最後に俺を見た。

「一体、何があったんです?」

「…」

「隊長、あんたらしくない。しっかりしろ!」

 頬を一発叩かれた。それでも、俺は何もできない。

「アリサはどこに行ったんだ?それに、ファンとリーをこのままにしておくつもりか!」

 ――ビクッ

 ファンとリー。その言葉を聞いて、俺の途切れていた意識が、再び痛い感情と共に蘇った。

「奴だ…ガルヴァーンが、魔王だった」

 俺はそれだけ呟いて、その場から立ち上がろうとした。このままでは、アリサまで奴に殺されてしまう。だが、立ちあがろうとした俺の体は、ふらついて再び地面に膝をついてしまった。危ういところで、両手を突き出して倒れるのを防ぐ。

「これ以上、誰も失わない。俺の仲間を、妹を失わない」

 俺の声は、信じられないほどに弱く、かすれ果てていた。それでも意識までが、声のように弱くなったのではない。


 その後街に戻ると、ギリーが、ファンとリーの葬儀を手配してくれた。

 翌日行われた葬儀はささやかであったが、二人の遺体は大地へと葬られ、静かに眠ることになった。

 俺は二人の眠る墓から、視線を外すことができなかった。

「俺が浅はかだったせいで、二人は死んだ」

「あんたのせいじゃない。あんたはできるだけのことをした」

 悔む俺に、ギリーが慰めの声をかける。

「自分を責めるのはやめとけ。この前まで兵隊だったなら、割り切らなきゃならんことぐらい知ってるだろう。昔のあんたはそうだった」

「ああ…だがな、俺は皆が殺されたあの時から、こいつらだけは守り抜くって決めたんだ。もう、誰も殺させはしないって」

 ギリーにとっても、≪黒衣の部隊≫のメンバーはかつての仲間だった。ファンとリーの二人にしてもそれは同じだ。共に戦場で戦い、命懸けの世界を超えてきたのだ。だから、彼にとっても、ファンとリーの死はショックだった。それでも元兵士として、仲間の死をどこかで割り切ることができる。そうしなければ、命を奪い、命を奪われる兵士ではいられない。心が壊れてしまうからだ。

「隊長、あんたに一つ話そうか…」

「…」

 無言でいる俺の答えを聞くことなく、ギリーは続けた。

「俺はあんたの部隊に来る前は、あのゲイルと同じ部隊にいた。そのことは、知ってるよな。あいつは≪死神≫なんて呼ばれて、所属する部隊が何度も壊滅しながらも、自分だけは生き残ってきた。当時の俺は、ゲイルがいるなら、これで俺の命も終りだ…なんて考えてた。そして、半分はその通りになった。俺の部隊は僅かな数人を残して全滅。ゲイルも俺も、悪運だけで生き残ることができた」

 そこで、ギリーは僅かに言葉を止めた。昔死んだ戦友たちを思い出しているのだろうか、視線が今と言う時間ではない、どこか別の時を眺めている。

「仲間が死んで生き残るってのは、相当につらいものさ。だから、俺もあんたの気持はわかるつもりだ。それにゲイルは、そんなことを何度も経験していたからな。まったく、≪死神≫ゲイルなんて呼ばれてたやつが、今じゃ≪死人≫のゲイルになりやがって!」

 亡きゲイルに向かって悪態をついたギリーだが、それでもその心にあるのは確かな絆の強さ。

「まあ、簡単に越えられるもんじゃないが、俺もゲイルも超えることができた。あんただって、大丈夫さ」

 トンと、肩に手を置いて、励まされた。

 黒衣の部隊の壊滅は、俺に相当辛い記憶となって焼き付いている。そして、ファンとリーの死が、それに輪をかけている。そして、幼いころのミツカの街でただ一人生き残ったこと。

 俺は、何度こんな経験をしなければならないのだろうか。こんな苦痛をゲイルも、そしてギリーもしているのか。

 いや、彼らだけじゃない。

 今まで黒衣の部隊などと言われて、敵を倒し続けてきた俺の部隊は、数多くの人間にこんな思いをさせてきたのだろう。

「なぜだろうな。なんで、こんなに辛いことばかりを続けなきゃいけないんだろうな」

 俺は、ぽつりと口から零した。

 しかし、その言葉にギリーは答えることはない。答えられることでもなかった。

 代わりにギリーは静かに立ち上がって告げる。

「ワシは、ユエメイを見てくるよ」

「ああ、頼む」

 昨日の戦いで魔王の呪縛からは解放されたユエメイだが、いまだに意識が戻らずギリーの酒場の二回でベッドに横たわっている。ユエメイのことを任せ、ギリーが去っていった後も、俺は墓の前から動くことができなかった。

「お悔やみを申し上げる」

 そんな俺に語りかけてきた人物がいた。俺が声のした方を見ると、エストの姿があった。昨日は耐えられないほどの怒りを覚えた相手なのに、今の俺にはそんな思いがまったく沸いてこなかった。

 自分の中で、この男は無関係だと納得できたからなのか、それとも今の俺が疲れ果てているだけかもしれない。いや、エストに対して向けていた怒りは、今ではきれいさっぱり消えてしまっていた。

 あの男――魔王――と、直接対決したために。

「花を捧げてもいいかな?帝都では共に肩を並べて戦った戦友として」

「ああ、そうしてやってくれ」

 俺は、エストが二人の墓に花をささげる姿を眺める。それが終わってから、俺はエストに尋ねた。

「あんたは、皇帝のことを戦友と思っているのか?」

「無論、あの方と私では地位がまるで違うが、命を駆けて共に戦ってきた」

 エストの視線は強く。そこには一点の曇りすらない。今の打ちひしがれている俺と違って、こいつは強いなと思う。

「ならば、皇帝を助けるつもりはあるか?」

「助ける?どういう意味だ?」

 クレスティア皇帝が魔王によって操られている。魔王が全ての首魁であること。そのことをまだエストは知らない。いや、この事実を知っているのは、昨日魔王と直接対峙した俺しか知らないことだろう。

「皇帝は魔王によって操られている」

「魔王だと、だがそれはローヴァンナイトで討たれたのだろう」

「違う。ローヴァンナイトにいたのは、魔王ではなく奴の替え玉だった。本物はガルヴァーン、奴が魔王だった」

 その言葉を聞き、エストは目を見開いた。

「な、に」

 驚くエストに、俺は続けた。

「あんたは、魔王から皇帝を助け出すか?」

 俺の質問に、エストはしばらくの動揺の後、頷いた。

「無論、陛下を救い出すのは戦友としての務めだ」

 エストのまっすぐな視線を見て、俺も頷いた。

「俺も帝都に救い出さないといけない仲間――妹がいる。もう一度、あんたと肩を並べて戦わせてくれ」


あとがき出張所 


 巨大な警告:

 今までもそうでしたが、今回のあとがき出張所では、本編の読後感、余韻といったものを完全にブレイクします。

 読後感を大事にされる方は、以下に繰り広げられる内容を飛ばして、次のページへお進みください。










 突如出没した魔王は、俺の仲間であるアリサ、ユエメイ、ファン、リーの意識を乗っ取ってしまった。

「フハハハハ、勇者よ貴様の不健全極まりないモテモテハーレム計画は、風紀委員長であるこの魔王様が全て破壊してくれよう」

「な、なに!俺の希望を奪い取るつもりか!」

「ククク、今日から貴様の希望は絶望になり、お前が希望としていた未来が、今日から我が希望となるのだ」

「アリサ、ユエメイ、ファン、リー!」

 魔王はそのまま仲間たちを連れ去って消えてしまった。ただ一人残された俺は、深い絶望にたたき落とされた。

「お、俺のモテモテハーレム計画が…ちょっと待て作者!いくら番外編だからって、いい加減にしろ!」

 久々に復活したあとがき出張所。

 出番が回ってきたものの、俺はとてつもないセリフを吐かされまくって、目から涙が滲んでくる。

 ――何が悲しくて、こんな下らん役をせんといかんのだ!

「大体魔王、お前もこんな下らん役回りをしてどうする!?」

「ムムッ、我は気に言っておるぞ。貴様の希望を奪い取り、我がモテモテハーレムの主人公にとって代わるのだからな」

 そこで魔王はポンと手を叩く。

「そうだ、せっかくだから、今日から物語のタイトルを≪モテモテハーレム大魔王様≫にしよう」

「…お前、本編の存在感全部ぶち壊してるぞ」

「フハハハハ、世界(観)を破壊することこそ、我ら魔族の生きがいだ」

 ――こいつバカだ。

 俺はこいつの知能指数が限りなく0に近いことを確信した。

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