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まえがき
この回の文字数が二万三千文字を超えてしまいました。
今までと比べて、飛び抜けて文章が多くなっています。
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俺たちはタクタク平原での戦いを最前線で戦いぬいた。戦いは激戦の連続で、部隊から三人の戦死者を出した。戦いに慣れた連中の集まりである黒衣の部隊。≪狂犬≫などあだ名される部隊だが、それでも犠牲を出さずに済む戦いではなかった。
死んだ部下たちのことを俺は悲しみ、彼らの魂がせめて安らかに眠ることができるようにと祈った。
だが、戦いはこれで終わりではない。
タクタク平原の戦い後、軍団の総指揮官は宰相からユウナス将軍へと変わった。
ユウナス将軍に率いられ、軍団は魔領へと侵攻し、各所に築かれた魔族の拠点を攻略していった。俺たちの部隊も何度も拠点の攻略に投入された。
平原での戦いと違って、拠点を攻める場合は敵の方が圧倒的に有利だ。城壁の上から弓矢や岩を落としてくる相手に、ひたすら盾を構えながら耐え、城壁にかけた梯子を登っていくしかない。その梯子にしても、敵が次々に取り外していくため、味方の犠牲は平原での戦いより確実に多くなる。
有利な場所にいる敵を攻めなければならない俺たちにとって、拠点の攻略は平原での戦い以上に過酷で、忍耐と度胸を必要とされた。
そんな攻略戦を何度も経ることで、俺の部下たちは傷つき、時に戦死者を出した。俺たちだけでなく、周囲の部隊はさらに多くの犠牲を出していた。
気分が暗澹となっても仕方のない状況だろう。だが、不思議なもので敵味方の死を何度となく経験しているうちに、皆そのことに慣れてしまう。俺にしても、敵や味方が死んでいく状況には、もうとっくの昔に慣れていた。人の死に対して、ひどく鈍感になっているのかもしれない。それでも、自分の部下が傷つく様を見るのは、心穏やかなものではなかった。
それに、死に慣れることができない者もいる。戦場の最中、ガタガタと全身を震わせて、怯えている兵士がいた。その兵士の上官は、戦おうとしない――戦うことのできない――部下を刃で脅しつけ、戦うことを強要した。しかし、それに答えることのできなかった兵士は、上官の刃によって殺された。
また、戦闘の後に制圧した拠点の城壁の上をフラフラと歩いている男がいた。男は、何を思ったのか、ふらついた足取りのまま、そのまま城壁から真っ逆さまに転落して死んでしまった。戦うことで精神を病んで、そうする人間は意外に多い。
刃を交えての戦いだけでなく、精神面での戦いもあるのだ。
相手が人間ではないとはいえ、魔族もまた確かに生きている存在である。中には人間の言葉をしゃべり、明らかに知性を持っているものがある。そういうものを殺していくことで芽生える罪悪感。また、生死の場に連続して立ち会い続けることは、平常な心を奪い去り、常に死と隣り合わせの恐怖が心を蝕んでいく。
全ての人間が、それに耐えられるわけではなかった。
そんな戦いの中、魔王直属の三将軍の最後の一人、堅将ゴリアスの籠る拠点を攻略する戦いがあった。拠点の攻略自体は難なく進んだものの、巨大な城の中にいたゴリアスは、巨大なゴーレムを思わせる体をしていた。ゴレアスの巨体から繰り出される腕力は大地に穴を穿つほどの強力で、近づけば人間などひとたまりもない。俺たちの目の前で友軍がゴレアスの剛腕に潰され、即死する光景を次々に見せられた。
あのまま接近での戦いを要求されていたら、俺の部隊とて無事では済まなかっただろう。だが、幸い帝国軍の指揮官はそんな愚かなことをしなかった。
ゴレアスの武器が巨大な体と腕力のみと見て取ると、部隊を後退させて距離を取った。あとは遠方からゴレアスへと攻撃を集中させた。この戦い方で、巨体を誇ったゴレアスは、あっけないほど簡単に戦死した。
その後も数々の戦いと犠牲を出し続け、帝国軍は魔王の居城≪魔都ローヴァンナイト≫へと迫った。帝国軍はローヴァンナイトを包囲し、魔王の城の落城はもはや時間の問題となった。だが、さすがに魔王の居城。その守りは鉄壁で、二週間に及ぶ帝国軍の攻勢を前にしても、鉄壁の防御は小揺るぎもしなかった。
魔族はもはや都にまで攻め込まれている状態だ。とはいえ、この頃には帝国軍の戦力も度重なる戦いで消耗され、六万強にまで減少していた。それに長い戦いの連続で、帝国本土からは離れ、補給面での問題が心配され始めていた。
悠長に包囲網を敷き続けるわけにもいかない帝国軍は、戦法を変えることにした。夜襲に打って出て、敵が混乱している最中に少数の部隊を城内に潜入させ、内部から切り崩すというものだ。
その突入部隊の一つに、俺の率いる黒衣の部隊が加えられた。
魔王城への突入口には警備の魔物が二体いたが、背後から音もなく忍び寄った二人の兵士によって、同時に首を斬られた。音を漏らすことなく倒される。さらに徹底しているは、体が倒れる音を出さないように、殺した魔物を掴んで、ゆっくりと地面に横たえていく。
こういうことに手慣れた兵士――いや、暗殺者と言った方がいい――の活躍によって、魔王城への突入口は開かれた。
「うわっ、本当にここをいくの!」
だが、魔王の城への突入口を見た瞬間、アリサが小さな声で嫌悪した。
それもそのはず、突入口と言えば聞こえはいいが、それは城の地下にある下水道の入り口で、ひどい悪臭がする。下水道は大きな作りで、中央部分が川のようになっていて汚水が流れている。そして、その左右には人が移動できるだけの通路が設けられていた。あの汚水の中を泳がずに済むのは、幸いと言っていいだろう。
アリサの小さな声に、この場にいる全員の視線が集中した。
「ゴ、ゴメンナサイ」
これから魔王城に密かに突入しようというのだ。例え小さな声でも、物音はたてないほうが賢明だ。謝るアリサに集中した視線はすぐに解かれ、俺たちは開かれた突入口へと侵入した。
突入部隊の人数は三〇〇人になる。
俺たち黒衣の部隊の他に三つの小隊。そして明らかに通常の部隊とは違う、軽装の布地でできた黒衣をまとう集団が先導する。この集団に関しては、俺も案内役としか知らされていないが、先ほどの慣れた手口から、どう考えても≪暗殺者≫にしか見えない。
今までに数多くの戦場に身おいてきたが、暗殺者と同じ戦場に立つのは今回が初めてだ。もっとも、互いに慣れ合うわけでもなく、俺たちは先導されるままに魔王城の下水道へ突入していった。
暗殺者たちは物音ひとつ立てないが、鎧や金属の武器を持つ兵士はガチャガチャと音をたてる。しかし、今頃城の周辺では、夜襲に出た帝国軍が大きな喊声をあげて、城へと攻めいっている。戦場で飛び交う怒声と破壊の音は、こんな場所で起こる音を完全に消し去っている。
実際、俺たちがいる場所にまで、地上の喊声の一部が響いてくるほどだった。
下水道の中をしばらく全員で移動し、やがて先導する暗殺者たちが手で指示を出す。暗殺者の集団の中から、何人かがその場から分かれて駆け出していく。彼らに与えられた任務を成すためだろう。
また、生粋の兵士である俺たちも小隊ごとに分かれ、四つの集団になる。そのまま、それぞれ別の方向へと移動を開始する。部隊ごとに与えられた任務は異なるが、この中には魔王城の城門を内部から解放するための部隊も含まれている。俺たちにもまた、それとは異なる任務が与えられていた。とはいえ、先導を務めるのは相変わらず暗殺者たちだ。
俺たちが、城の下水道の存在を知ったのは、ついさっき実物を目の前に見せられてからで、当然その内部の地形などまったく知らない。迷いたくなければ、先導する彼らについていくしかないのだ。
下水道を進み続け、警戒中の魔族を物影に隠れてやり過ごし、時に叫び声をあげられる前に仕留めながら前進してしいく。もしも発見されれば、少数である俺たちは魔族の大群に包囲されてしまうだろう。そうなれば俺たちに勝ち目はおろか、生きてこの城から脱出する見込みさえない。とてつもないプレッシャーが襲いかかるが、戦いに慣れている俺たちは、それを楽しむ余裕すらあった。
そんな危険な中を突破し、俺たちは下水道を抜けて、魔王城の一室へと潜り込むことに成功した。俺たちが侵入したのは城の内部だった。
すでに外で戦う味方と魔族たちの雄叫び、そして武器を交える音が響いてくる。俺たちの部隊に与えられた任務は、敵の城の中で暴れまわり、敵の注意をひきつけるという危険極まりないものだった。
ただし、暴れた後は地下の下水道から再び逃げ出すことになっている。俺たちは敵をかく乱すべく、敵を求めて移動を開始した。
だが、意外にも城中には魔族の姿がなかった。
どうやら、城壁で帝国軍の攻勢を防ぐために、城にいる魔物までが駆り出されているようだ。警備のない城を、俺たちは走り回ることになってしまった。
「拍子抜けですな」
あまりにも敵の姿がないことに、ゲイルが肩を竦める。
「まったくだ、これじゃあ、かく乱にもならない」
俺も苦笑する。
しかし、そんな俺たちをしり目に、先導する暗殺者は懐から包みを出して、城の各所においていく。
「それは?」
「爆薬だ。たいした威力はないが、敵の注意をひきつけることができる」
…聞くんじゃなかった。
そう思ったが、俺たちの考えなどまるで気にすることもなく、暗殺者はその後も爆薬の袋を城の各所に設置していった。
その後、俺たちが城へと侵入した、下水道の入り口がある部屋へと戻ってきた。
この間、まったく魔物に遭遇することがなかった。ここまで警備がないと、敵が罠を仕掛けているのではないかと疑いたくなる。
しかし俺の不安などよそに、暗殺者は気にする様子もない。彼は口元でブツブツと何か唱え始めた。それを聞いて、アリサが眉をひそめる。
「その呪文って、もしかして…」
直後、衝撃が城のそこら中から起こり、地面が揺れた。
「今の呪文で、仕掛けた爆薬を爆発させた。敵が来る前に逃げるぞ」
暗殺者が感情のない声で告げる。
――おいおい、爆発させるなら先に言えよ!
叫びたくなるが、暗殺者はすでに下水道の入り口に向け走り始める。
「たく、愛想のない奴だ…ここにいたら敵に囲まれる。全員撤収」
またあの下水道を通らなければならない。唯一道を知っている暗殺者から離れるわけにもいかない。暗殺者を先頭に、部下たちが下水道へと向けて駆けていく。その背後を守るために、俺とゲイルをはじめとした、部隊の中でも特に精鋭のメンバーが最後尾につく。
――ヴィン
と、突然奇妙な音がした。
いきなり、地面に光が走り、奇妙な文様が刻まれる。文様が魔法の一種だということは俺にもわかった。
「いけない、転送魔法よ!」
魔導兵であるアリサが、文様に気付くと叫び声をあげた。敵の城の中で転送魔法となれば、罠以外ありえない。だが、俺たちがその場から離れるよりも早く、文様は強烈な光を放った。
俺たちの視界が白一色に染め上げられ、光の強さに思わず目を閉じる。光が去って、目を開けた時、俺たちはまったく知らない場所に立っていた。
どうやら転送魔法によって、俺たちはあの場所から飛ばされてしまったらしい。部隊の全員。それに一番先に下水道に入っていった暗殺者まで、この場所に連れてこられていた。
「みんな気をつけて、あれだけの移動魔法を仕える相手は只者じゃないわ!」
アリサの警告に、全員が武器を構えて警戒する。
そんな俺たちの周囲は、いくつもの青白い炎が不気味に照らし出す部屋――広大なホールだった。天井は顔を上げて見上げなければならないほど高い。床の面積もバカみたいに広く、二、三千人の兵士を並ばせても余裕があるほど広い。
俺はお目にかかったことがないが、まるで王が玉座を置く謁見の間か、貴族たちが宴会で使うダンスホールを連想させる。
――王…待てよ。この城にいる王ってことは…
とてつもない不安がよぎる。
「なあ、アリサ。転移魔法っていうのは、相当な魔力がないと使えないんだよな?」
「うん、私の魔力じゃ転送魔法は使えないし、仕える人でも一人を飛ばすのがやっとだよ」
「俺たち全員が、飛ばされたってことは…」
俺の不安が、より現実味を帯びてくる。
「どうやら、とてつもない相手に見つかったようですな。ワッハッハッ」
この状況で笑えるゲイルに、俺は思わず感心してしまう。
「ヒッ、ヒエエエッ。そんなーまさかー」
一方、アーチャーはいつも以上に情けない悲鳴を上げる。
「まったく、男なんだから少しはしっかりしなさいよ!」
「そうだそうだ、このへっぴり腰!」
「…あなたたちは、静かにしなさい」
この緊迫した中でどうにも緊張感の欠けているファンとリー。そんな二人に注意しているのはユエメイだ。
「やれやれ、緊張感がないことおびただしいですな」
「まったくだ、お前たちの図太さがうらやましいよ」
「そういう隊長も、顔が笑っとりますぞ」
――何、笑ってるだと?
よくこんな状況で笑えるなと、俺は自分に驚いてしまった。
と、そんなことを話していた中で、暗殺者が突然走りだした。
「待て、離れるな!」
だが、俺の制止を無視して、暗殺者は部屋の一点へと向けて走っていく。
薄暗い部屋の中、暗殺者の走る先には、ひとつの人影があった。その人影が右腕を暗殺者の方へとゆっくりと向ける。
「羽虫よ、消えよ」
人間とは思えない陰鬱な声が響いた。直後、人影に向かっていた暗殺者がいきなり吹き飛び、遥か後方にある壁に音を立てて激突した。そのままずり落ち、まったく動かなくなる。
「若大将」
「ああ、分かっている」
ゲイルの小声に、俺は頷く。先ほどまでの余裕は捨てた。これはいよいよただ事でなくなった。手にする剣に力を入れて、緊張を高める。
そんな俺たちの前で、遠くに立つ人影が手を再び動かした。すると部屋を照らし出していた青い炎が大きくなり、部屋の中が明るくなっていった。
人影の姿が、明かりの中ではっきりと浮かび上がる。それは人の形をし、整った目鼻立ちをしていた。だが、人間ではありえない青色の肌をし、幽鬼めいた雰囲気を漂わせている。黒いマントを身に纏い、全身黒尽くめの陰険な奴だった。
――俺たちも黒尽くめの格好をしているから、あまりけなしたくはないけどな。
「我が城に侵入するとは、羽虫どもよ、無事に生きて帰れぬぞ」
「我が城…魔王なのか?」
「左様、我が名は魔王ナイトメア。今より三百年前、この世界に恐怖と絶望をもたらした闇の帝王。一度はお前たち人間に遅れをとったが、長き時を経て今一度我はこの地へ舞い戻った。お前たち羽虫を、この地上から刈り取るためにな。ククク」
不気味に笑う魔王だが、俺も言い返してやる。
「さっきから聞いてれば、俺たちのことを羽虫羽虫って言いやがって!俺たちは人間だ!」
「フフ、お前たちの名などどうでもよいことだ。羽虫ども」
訂正をするつもりはないらしい。魔王は圧倒的な余裕を堅持したまま、俺たちを眺めまわしている。魔王の実力であれば、所詮人間など造作もない存在と思っているのだろう。実力は未知数だが、その余裕が気に入らない。
「さっきから羽虫って言ってるが、あんたの手下の魔族たちは帝国軍の前に敗北寸前だ。この城だって包囲されている。いくらあんたが強くても、六万の軍勢を相手に勝つことはできないだろう」
「クク、羽虫がいくら集まったところで我に抗うことなどかなわぬ。どのみち、魔族とは我が力の一部があふれだしたことで生まれたただの下等な存在。あのようなゴミどもと、我を同一に考えるではない」
――ニヤッ
「防御!アリサ!」
魔王が笑った。それを見た瞬間、俺は部下たちに命じた。即座に、アーチャーをはじめとする大盾兵たちが壁を作り、アリサがミラーの呪文を高速で詠唱していく。
その様子などお構いなく、魔王は右腕をゆっくりと振った。そこから闇が生まれ、防御の姿勢を取った俺たちの部隊へまっすぐ直進てきた。
「きぃえええっ」
大盾を構えるアーチャーの奇妙な掛け声――悲鳴にしか聞こえない――が響く。
――グワンッ
闇の魔力が部隊の前面に展開した大盾兵たちの盾に激突し、強烈な音を上げた。大盾兵たちは何とか踏みとどまって、強力な魔法の力に耐える。闇の魔力は瞬間的なものではなく、耐えることなく襲いかかり続ける。いつまでも、大盾兵たちが防御していられない。そこにアリサの詠唱が終わり、ミラーの魔法が力を発揮した。大盾兵たちの前に魔法の力を反射する力が生まれ、闇の魔法が跳ね返される…はずだった。
だが、闇の魔法はミラーの魔法で跳ね返らない。それどころかさらに威力を増していく。
「だめ、強力すぎて跳ね返せない」
アリサが悲鳴を上げる。
「隊長、もうだめー」
アーチャーが悲鳴を上げた直後、部隊の前面に展開していた大盾兵たちが、体ごと一斉に吹き飛ばされた。
そして、その向こうから、暗い闇が広がってくる。
――ヤバイッ
俺は咄嗟に左手に握る相棒の剣を振るった。闇の魔法に、俺の握る黒い剣が激突する。闇の魔法と俺の剣が正面から激突し、闇の動きがとまる。俺の相棒が巨大な魔法の力を受け止めるが、その力は勢いが衰えず、相棒を手にする俺は奥歯を噛み締めた。
――重い、とてつもなく重い。
俺の相棒は命と引き換えに魔力を切り裂くことができる魔剣だ。かつて対峙した魔族の将軍翼将フリューバーの魔法とても無力化してのけた。だが、その呪われた剣を持ってしても、魔王の放つ巨大な魔力を受け止めるだけで精一杯だ。とても、この力を斬れるとは思えない。圧倒的な力が襲いかかってくる。
やがて俺の踏ん張りがきかなくなってきて、ジリジリと両足が後ろへ動き始める。闇の魔力を受け止めきれなくなり、一部が俺の後ろに向けて流れていく。
悲鳴がいくつも上がった。
だが、それに気を取られている余裕はない。
――まだだ、相棒。お前の力はこんなものじゃないだろう。お前は、命を食うほどに強くなる。俺を食え!
あの時と同じだ。フリューバーと戦った時、こいつは俺の力を食うことで信じられないほどの力を見せてくれた。魔法の流れどころか、時の流れが止まるほどの力を見せてくれたのは、お前だろう。
フリューバーとの戦い以来、魔剣は再び俺の命を吸うことはなかった。
だが、今は命を吸われても、その力が必要なのだ。
そんな俺の願いに答えるように、俺の左手が冷たくなった。魔剣が俺の命を吸い始めた。そう思った瞬間、俺は今までにない感覚を経験した。
魔剣の中に俺の意識が流れ込んでいき、魔王の放つ闇の魔法を受け止めている感覚が直接伝わってきた。魔王の巨大な力に、自分の体が直接にさらされているのを感じた。だが、それは巨大な力を前に、絶望や恐怖するのではない。
なんて、なんて弱い力だ。この程度の魔力など、俺の前では児戯に等しい。
――だから、俺を使いこなしてみせろ!
魔剣に流れ込んでいた俺の意識が、はっきりと言葉を聞いた。それは俺の言葉ではなかった。
「今のは、お前か?」
俺は相棒に尋ねる。黒い刀身は、ただ無言で魔王の力を受け止め続けるだけだ。しかし、その姿を見て、俺にはこの剣が、確かにしゃべったと確信した。
「いいぜ、だったら使いこなしてやる」
状況は危機的なはずなのに、俺は不敵な笑いを浮かべていた。
「うっ、おおおっ」
雄叫びを放ち、俺は相棒に渾身の力を込める。叩きつけてくる魔王の魔力の勢いに抗して、その勢いにのみ込まれるのではなく、逆にこちらが飲み込む勢いで力を振り絞る。
「うっ、おりゃあっー」
叫び、次の瞬間相棒を振った。
剣が振られると、巨大な闇の魔力がいとも簡単に真っ二つに裂け、魔法の力が失われた。
「ハーハー、やったか」
闇の魔法を消し去り、俺は肩で息をつきながら言う。その向こうでは、いまだに余裕な態度を崩さない魔王の姿があった。
「ほうっ、これは関心だ。小手調べとはいえ、我の力を打ち破るとは賞賛に値する」
「生憎、俺の相棒にはあれぐらいなんともないな」
相棒の切っ先を魔王に向けて俺は余裕をかます。実際は全身で息をついている有様だが、それでも張ったりくらい飛ばせる。
こんな強敵相手にふてぶてしく構えられるのが、自分でも驚きだ。
「アンチマテリアルか…なるほど、面白い剣だ。だが、お前の仲間は、剣ほどに強くないようだな」
「なに?」
その魔王の言葉に、俺は背後にいる部下たちを見た。そこでは地面に倒れ、喘ぎ苦しんでいる部下たちの姿があった。七十人の部下たちの内、その半分近くが倒れて、弱々しく呻いている。
「お兄ちゃん」
「…」
アリサの声に、俺は答えられなかった。なぜ、俺の仲間が倒れ、こんな有様になっている。俺は、こいつらを守るために剣を振るったはずなのに。
「気づいていなかったのか。お前が受け止めきれなかった魔力が、その羽虫どもを蝕んでおるのだ」
「クッ」
あの時、闇の魔法に抗しきれずに、力の一部が後ろに漏れ出していた。あれのせいか。俺が、防ぎきることのできなかった力のせいで、仲間たちが…
「すまない」
「謝ることはないですぞ。それより、これは本気で不味いですな」
俺の傍に斧を握るゲイルが並ぶ。先ほどの魔力の余波を、ゲイルは受けずにすんだようだ。だが、その顔には冷や汗を浮かべ、歴戦の戦士も余裕をかましている場合ではなくなっていた。
相手は魔王。今の一撃は何とかしのいだが、それでも仲間の半分が大きなダメージを受けている。先ほどと同じ攻撃を受ければ、この次はどうなるか分かったものではない。何より、魔王の態度は圧倒的な余裕に満ちていた。
――羽虫。
認めたくはないが、魔王は俺たちを敵ではなく、本当に虫を相手にしているような態度だ。
「…ここは俺がひきつける。だから、皆は後退してくれ」
「おにい…ちゃん?」
「隊長!」
俺の言葉に、アリサと仲間たちが一斉に声を上げた。
「ひきつけるって、どういうこと。まさかお兄ちゃん!」
「相手がヤバすぎる。このまま戦っても無駄に全滅するだけだ…俺が囮になる」
「そんな!」
「頼む、俺は皆が死ぬところなんて見たくはない。必ず…生き残ってくれ…」
俺は仲間たちを眺め、それからアリサに見た。ニッと笑い、それから視線を魔王へと戻した。いまだに余裕を崩さぬ魔王は、俺たちのやりとりの一部始終を興味なさそうに眺めていた。
「戯言は終わったか。では、お前たちには消えてもらおう」
再び、魔王が腕を振るい、闇の魔法を放つ。
「いけっ!」
俺は仲間に叫びながら、闇の魔法へ向けて一直線に飛び出した。もう、後ろを振り向く余裕すらない。
「うおおおおっ」
相棒を振るい、迫った闇を一刀のもとに切り捨てる。
「なに?一撃で我の魔法を切り裂いただと…」
今まで余裕な態度一色だった魔王が、初めて驚きの声を上げた。だが、すぐに獰猛な顔つきになり、魔王は笑った。
「クハハハハッ、人間ごときが我の力を一撃で切り捨てるだと…冗談ではない!」
怒りをあらわにした魔王が、再び腕を振るった。
腕の中から十を超える闇の玉が現れた。それが一斉に俺に向けて飛び込んでくる。俺は相棒を振るい、正面から迫ってくる闇の玉を次々に切り払っていく。だが、俺が玉に気を取られている間に、魔王は詠唱を始めていた。
「死の門をくぐりぬけて、再びこの地へ戻るがよい。お前たちの失われた魂を、今一度我が力において、この地へ呼びもどさん。≪死者帰還≫」
詠唱が終わると、魔王の前に次々に黒い闇が出現した。それは皆、人の形をしたおぼろげな闇。それが、数百にもなって、ホールの中に満ちていく。
「行くがよい、肉体なき死者どもよ。生者の肉体を貪り尽くすがよい」
――ヴォオオオオオッッッ
魔王の言葉に、人の形をした闇が一斉に吠えた。
――何だあの闇は。ただの魔法じゃない。
俺が疑念を思う前で、闇が凄まじい速度で飛びかかってきた。
――速い!
だが、俺の反応を上回るほどではない。飛びかかってきた闇を、相棒で斬る。
――ヴォオオオオオッッッ
斬られた闇が雄叫びを上げて、消え去った。
「ほお、斬ったか。お前が今切ったのは、死者の魂だ。もしかすると、生前はお前と縁の深かった者の魂かもしれぬな」
魔王はニヤニヤと笑いを浮かべる。
「なんだと?」
「ククク、ほれ、そこにおる者がお前の名を読んでおるぞ」
魔王が指さした方向から声がした。
「…クラウ、無事だったのね」
「!!!」
その声を聞いた瞬間、俺の全身がビクリと震えた。
――そんな、そんなはずはない。だって、母さんはあの時に死んだんだ。
「ククク、お前の母だよ。どうだね。私の力で冥府にいたお前の母を蘇らせてやったのだ」
そんなはずがない。魔王は俺を騙そうとしている。これはただの幻覚に過ぎない。そう思い、俺は刃を振り下ろそうとした。
「クラウ、また会えてよかった。私の大切な息子」
「…」
――振り、下ろせない…
ミツカの街で敵国の兵士によって殺された母の声。最後に涙を流しながら、俺の目の前で死んでいった母。母の声に逆らえず、俺は振り向いてしまった。そこには俺の記憶の中にある、穏やかな表情を浮かべた母の姿があった。
「クラウ」
「かあ、さん。とう、さん…」
母の傍には父の姿もあった。あの時、ミツカの街と共に失ってしまった俺の家族。皆死んでしまった。敵国の兵士に殺され、あの闇に包まれ、俺以外の全てが影も形もなくいなくなってしまった。
「ククク、面白いものを見せてやろう」
そんな俺の前で、魔王は笑みを浮かべた。それは、弱いものを弄ぶ者が見せる、サディスティックな笑みだった。
魔王はまるで操り人形でも操るかのように、右手を動かした。
「ギャアアアァァァァァ」
途端、俺の目の前にいた母が絶叫を上げて倒れると、のたうちまわり始めた。
「母さん」
「アアアッ、た、助けて、助けて、クラウ。お願い、助け…て…」
みるみる間に、母の顔が蒼くなっていく。俺はその体を抱き起こして、急いで助けようとする。
だが、魔王が再び手を動かす。
「や、やめろ、やめてくれ!」
今度は父が悲鳴を上げながら、母を抱き起こしていた俺を後ろから掴んできた。
「父さん?」
「俺はこんなことしたくないんだ。体が、体が、いうことをきかない!」
父に後ろから掴まれ、俺は身動きが取れなくなってしまった。周囲にいた黒い影たちが集まってきた。皆、口の中で小さな唸り声を放ちながら、傍によってくる。
影の一つが俺の右肩に触れた。
「グアアアッ」
そこから強烈な痛みが起こり、俺は絶叫を上げた。触れられた場所から、クロム鋼の黒い戦闘衣を通り抜けて痛みが伝わってくる。触れられた個所から黒い煙が上がり、恐ろしい痛みが体の中へと入り込んでくる。
「クハッ、クハハハ。なんと脆い。人間とは、なんと脆いのだ。少し大切な人間を目の前に見せてやれば、あっさりと罠にかかってしまう。クハハハハ」
魔王が手を動かすと、青い顔をしていた母がさらなる絶叫を上げた。
「イヤーー、やめて、やめてー!」
叫び声を上げながら、母が立ちあがった。その目から涙を溢しながら、母の手が俺の胸に触れる。
「グワアアアッ」
体の中に痛みが飛び込んできた。俺は今にも気を失いそうになりながら、悲鳴を上げる。
「いやー、やめて、やめてー」
母が叫ぶのに、俺から離れることができずに苦しみ与え続ける。
「クハハ、それ」
「ガアアッ」
魔王が体を曲げて笑い声をあげて続ける。そして再び指を振るうと、俺を後ろから掴んでいた父の体からも、強烈な痛みが俺の中に滑り込んできた。
――こんな、こんな奴に、こんな奴に、俺は殺されるのか。
俺の大事な人たちを操り人形のように動かし、人の弱さをあざ笑いながら、死を与える。こんなのは、もう戦いでも何でもない。魔王のあまりに卑劣な手段に、俺は悔しさのみが募る。なのに、太刀打ちできない。
剣を振るえば、俺を包囲しているこの状況から抜け出すことができる。しかし、それは俺の大切な人を――死んだ人であるとはいえ、その魂を斬り捨てなければならない。それは、俺にはできない。絶対に無理だ。
「クハハハ、クハ、クハハハ」
苦しむ俺。そして、俺の両親をまるで人形のように操りながら、実の息子に苦痛を与えてしまっていることに泣き叫ぶ両親の姿。それらを、まるで極上の見世物のように楽しむ魔王。
あまりにも、残酷だ。
――ブンッ
「ちぃっ」
だが、突然俺を拘束していた父と母の呪縛が解けた。
――何が…起きた。
その場に俺は両膝をついた。何とか倒れまいと意識を振り絞って、その姿勢を維持する。体中に走った痛みがいまだに全身を駆け抜け、息をするのも辛い。それでも、俺は視線を動かして、魔王の方を見た。
そこでは斧を振りかぶったゲイルと、それを右手の爪をサーベルのように伸ばして受け止めている魔王の姿があった。
「ゲ…イル」
自分でも聞き取れないほど、小さく枯れた声が口から出た。
――なぜここに?
と言う言葉は、もはや口から出ないほど、俺は消耗しきっていた。
「隊長にばかり恰好はつけられませんからな」
そんな俺の前で、ゲイルはニヤリと笑った。
「ふん、愚かな羽虫が」
魔王は極上の楽しみを邪魔され、不快な目でゲイルを睨む。
「おとなしく逃げておれば、少しは長く生きれたものを…」
――ブンッ
魔王の口上の途中で、再びゲイルノ斧が再び舞った。威力が乗った一撃であるはずだが、魔王はまるで重さを感じることなく、爪のサーベルで受け止める。
――ヒュ、ヒュ、ヒュン
と、魔王の背後から突然何十もの弓矢が降り注いだ。
弓矢は魔王に命中することなく、その手前でまるで目に見えない壁にぶつかるかのようにして激突し、あっさりと弾かれてしまった。だが、弓の飛んできた方を俺が見ると、そこには黒衣を身にまとった弓兵たちがいた。俺の部下たち、大切な仲間たちの姿だ。
「バカ、お前たち、どうして、逃げなかった…」
「何言ってるんですか。この戦いの後も、隊長に生きて部隊の指揮を取ってもらわないといけないでしょう」
弓兵の一人が答える。直後、魔王が腕を振った。闇の魔法が蠢く、弓兵たちが慌ててその場から逃げる。だが、逃げ遅れた弓兵の一人が、闇に飲み込まれてしまった。
「や、やめろ。もう、やめるんだ」
仲間の死ぬ姿に、俺は両目から涙がこぼれ出した。もう、やめてくれ。俺のために戦わないで、今すぐ逃げるんだ。
そう叫ぶ。叫びたいのに、体が動かない。それでも、涙だけは零れ続ける。
そんな俺の目の前で、黒衣の戦友たちは魔王を相手に見事な連帯を取って戦う。それに魔王が翻弄されているように見えるが、相手は魔王だ。黒衣の部隊がいくらうまく立ち回ったとしても、あの圧倒的な実力を前にすれば、その行動もどれほどの意味になるか分からない。
――カァッ
そんな中で、白い光が部屋の中に満ちた。
途端、俺の周囲にいた黒い影の亡霊たちが、次々に光に飲み込まれて消えていく。
「…おのれ、神聖魔法か!」
次々に消えていく亡霊たちの姿を見て、魔王が憎らしげ口にする。
光に包まれ、次々に亡霊たちが消えていく。その中を、魔法槌の水晶を光輝かせながら、アリサが俺の傍へと歩いてきた。光は、アリサの持つ魔法槌から放たれていた。
「どうして、お前まで」
「お兄ちゃんを見捨てるなんてできないよ。だって家族だもん」
アリサは両目から涙を流しながら、俺の傍までやってきた。放たれる光が、周囲にいた亡霊たちを全て光で包みこんでいく。
――バカ、俺なんかのためにどうして。
この場にいる妹にそう思いながらも、俺は怒ることなどできるはずがなかった。
そして、光に包まれていく中で、傍にいた母が言った。
「クラウ、私たちを許して。そしてもう、あの日のことで自分を責めないで」
あの日、それはミツカの街が滅びた日のこと。全ての人と、思い出のある街が消え去ったのに、俺一人だけが生き延びてしまったこと。俺の心に忘れることのできない、悪夢として刻まれた記憶。
「お前は自慢の息子だ」
父は穏やかな表情をしていた。
「お嬢さん、息子のことを頼むよ」
そして光に包まれる中、父はアリサに語りかけた。それにアリサが頷く。
やがて光に包まれた二人は、この場から消えていった。
「父さん…母さん…」
消えていく二人の姿を見ながら、俺の両目からはさらに熱い涙がこぼれ出していた。あの日から、俺はずっと自分一人だけが生き残ったことに、罪悪を感じていた。その思いが、今涙と共に溶け出していく。
――俺は、前に進んでもいいんだよな。
あの日ミツカが滅びた時のことを忘れることはできない。しかし、あの日の記憶に囚われ続けた俺は、そこから踏み出してもいいという思いが胸に溢れてきた。
「お兄ちゃん、大丈夫!?今、回復魔法をかけるから」
そんな俺の傍で、アリサが跪いて魔法の詠唱を始めた。温かな光があふれて、俺の体に流れ込んでくる。
「アリサ、ありがとう。いままで俺と一緒にいてくれて」
「お兄ちゃんとは、ずっと一緒に暮らしてきたんだよ。だから、当然のことだよ。それに、大好きだから」
「えっ?最後の言葉が聞こえなかった」
「な、なんでもないよ」
アリサは頬を赤く染めていた。なぜ赤くなっているんだろうと思う俺の前で、アリサはそれ以上しゃべらず、目を閉じて魔法に集中した。きっと流れ込んでくるのは、魔法の力だけでなく、アリサの温かな思いも、この力には込められている。
そう思いながら、俺は自分の体が回復していくのを感じた。
「…アリサちんの告白、失敗だね」
「なんだか、残念」
たった今の、クラウとアリサのやりとりを見ながら、ファンとリーがつまらなそうにしていた。
「あなたたち、この切迫した状況でよくそんなことを話してられるわね」
そんな二人に、ユエメイが言う。
そう、まだ魔王との戦いの最中なのだ。
「アリサ助かったよ。それに、ユエメイたちも来てくれたんだな」
俺はアリサの回復魔法の温かさを感じながら、アリサとその護衛役である三人の乙女たちを見た。
「もちろん、アリサと私たちはセットですから」
「例え魔王がいる地獄の果てでもお供します」
こんな状況なのに無邪気なファンとリー。
「クラウ隊長がいてこそ、私たち黒衣の部隊です」
いつもはクールなユエメイが、穏やかな笑みを浮かべる。
「ああ、ありがとう」
俺は彼女たちに答えながら、回復し始めた体を動かした。アリサのおかげでだいぶ痛みが和らいでいた。全快と言うには程遠いだろうが、これ以上部下たちに魔王との戦いを任せておくわけにはいかなかった。
俺がこうしている間にもゲイルたちは魔王と戦い続けている。魔王の攻撃の前では、常識は通じない。どれだけ連帯して魔王に攻撃を仕掛けても、魔王の振るう魔力の前に犠牲が出る。
俺の大事な戦友たちが、こうしている間にも犠牲になっているのだ。
「アリサ、助かった」
俺は立ちあがり、アリサの頭を撫でた。
「お兄ちゃん、絶対に生きて帰ろう」
「ああ、必ず生きて帰る」
アリサに答えて、俺はその場から駆けた。相棒の魔剣を左手に構え、魔王へ向けて突撃した。
クラウがいない間も、魔王とゲイルたちの戦いは続いていた。
ゲイルの振りかざす斧を、魔王は爪のサーベルで受け止める。ゲイルの膂力は人並み外れていて、攻撃をまともに受け止めれば体ごと勢いに巻き込まれてしまう。だが、魔王はゲイルの重い一撃を受けても、力む様子すらない。
「グヌヌヌ」
「羽虫よ、軽いぞ。それで全力か?」
顔に余裕を浮かべる魔王。ゲイルの斧を受け止めているのとは別の手を動かす。その手から伸びた爪のサーベルがゲイルの体を裂こうとするが、それより早くゲイルは体を後ろに飛ばして回避する。
だが、魔王は後退したゲイルをさらに追撃。爪を突き出し、その体を貫かんとする。
「キィエエエッ」
魔王が振り下ろした爪の一撃は。しかしその前に飛び出したアーチャーの大盾に防がれた。
「助かった」
ゲイルが短く答える。
「≪クロムの大盾≫か。多少は頑丈にできているようだが…」
魔王は爪のサーベルにさらに力を入れる、ギリギリと金属がきしみを上げて、その中に詰めが食い込んでいく。
「ワワワッ!」
「バカ、そこをどかんか!」
ゲイルが叫び、アーチャーの体をぐっと後ろに押し飛ばした。直後、アーチャーが構えていた盾を、魔王の爪が貫通した。黒い煙を上げながら、大盾が消滅していく。
「この化け物が!」
ゲイルは叫び再び魔王へと切りかかった。だがその斧を受け止める魔王は、さもつまらないものを見るようにゲイルを見た。
「愚かなものだ。圧倒的な力の差がありながら、我が前に立ち塞がるとは」
そう言いながら、魔王は空いた片手をパチンとはじく。
直後、魔王の死角から襲いかかろうとしていた槍兵が、黒い炎に全身を包まれる。
「グワアアッ、し、死にたく…」
叫び声もむなしく、男は炎に焼かれて絶命する。
「ぬんっ!」
戦友を殺されたことに、ゲイルは怒り心頭。魔王へと振り下ろす斧に、体の全ての力を叩きつけた。だが、魔王はそんなゲイルを静かに見る。
魔王はニヤリと笑った。
そしてゲイルの視線が、魔王の右手がぶれるのを見た。
――なんだ?
と思った時には、ゲイルは自分の腹に違和感を覚える。直後、激しい激痛が襲ってきた。
「なんだと…」
ゲイルはゆっくりと視線を落とし、自分の体を見た。そこには魔王が右手の爪が、自分の体を貫いている光景があった。口から温かな血が流れ出し、手にしていた斧を地面へと落としてしまう。冷たい金属が床へと落ちる硬質の音が響いた。ゲイルノ瞼がピクピクと痙攣し、体の全てから力が抜けていく。
「なんと、こんなことで、ワシは死ぬか」
直後、腹を貫通していた魔王の爪が抜かれ、ゲイルの巨体がどさりと地面に倒れた。
「ゲイルさん!」
後ろに飛ばされていたアーチャーが絶叫を上げる。
「すまんのう、ここまでのようだ」
ゲイルは体から流れ出す血の水溜りの中に倒れ、浅い呼吸を繰り返す。まだ絶命していないが、流れ出す血の量は尋常でなく、もはや助かる見込みなどない。
「隊長、すまんですな。もう役に立てそうにないです」
浅い息の中、ゲイルは遠くから駆けつけてくるクラウの姿を視線に捉えてそう口にした。だがその声はあまりにもか細く、それが声になったのかどうかもゲイルには分からなかった。視界が薄れていき、全ての意識が消えていく。
「そ、そんなゲイルさん!ゲイルさん!」
――馬鹿もん、ワシのことより、早く逃げんか!
ゲイルは消えていこうとする意識の中で、叫び続けるアーチャーの声が聞こえた。だが、やがてその声も聞こえなくなった。
アリサのおかげで回復した俺は、魔王へ向けて駆け出した。
直後、俺の目の前で繰り広げられた光景を、俺は理解することができなかった。
魔王のサーベル状の爪がゲイルの体を貫き、そして引き抜かれた。直後巨漢のゲイルが、力を失って地面へ崩れ落ちた。
「そ、そんなゲイルさん!ゲイルさん!」
大盾を失い、身を守る盾も、武器もないアーチャーが、悲鳴を上げる。
「さて、次はお前だ、羽虫よ」
そんなアーチャーに向けて、魔王がゆっくりと視線を向ける。
恐怖にかたまってしまったアーチャーは、茫然自失の程でその場から動かない。
俺の戦友たちを数多く殺し、そしてゲイルまで。
――これ以上はやらせない!
「ウオオオッ」
俺は吠えた。
周囲の景色の全て消え去り、無情に仲間を殺していく魔王の姿のみが視界を占める。手にした魔剣を下段に構え、俺は全力で、魔王に肉薄する。だが、魔王は右手の爪のサーベルをアーチャーへと振り降ろした。この距離では、絶対に間に合わない。
「ヒエエエエッ」
ゲイルの死に直面して、アーチャーは完全に我を忘れてしまっている。その場から動くこともできずに、ただ悲鳴を上げるだけだ。
「オオオッ」
俺は無我夢中で吠え続けた。
――間にあえ、間にあえ、間にあわなければ意味がないんだ!
時が制止した。
魔王が今にも振り下ろそうとする爪が空中で止まり、怯えていたアーチャーの叫び声も聞こえなくなる。フリューバーと対峙した時と同じく、時間が停止した。しかし俺はそのことにも気付かなかった。ただ無我夢中で魔王に肉薄し、アーチャーに振り下ろされんとする魔王の右手を剣で切り落とす。
時が、再び動いた。
――ザシュッ
黒い血が飛び散り、魔王の右腕が弧を描きながら空中を舞う。それまで無表情に殺戮を行っていた魔王の顔が、驚きと驚愕に彩られた。
「貴様、どこから現れた!」
停止した時間の中で、俺だけが動いていた。魔王さえも、あの止まった時間につかまっていたため、俺の動きを見ることができなかったのだ。
だが、俺は魔王を睨みつつ、背後に語りかけた。
「アーチャー、無事だな?」
「ヒィヒィッ」
頼りないあえぎ声が聞こえる。だが、魔王と対峙する俺にはアーチャーの方を振り向く余裕はない。
「ゲイルを頼む」
それだけ言い、俺は全神経を魔王へと集中させた。魔王のことも、アーチャーのことも、意識の外へと追い出す。加減などとてもできる相手ではない。いや、加減などなくても、勝てる見込みすらない相手なのだ。
そんな俺の目の前で、魔王は口をゆがめて笑った。
「甘いな。あの程度で、我に傷をつけられると思うなよ」
魔王の斬られた右腕からは、血が流れている。だが、その血がまるで意識があるかのように動き始めた。蛇のように蠢き、切り落とされ床で転がっている右手へと向かって急激に伸びていく。血が腕を捕まえた瞬間、転がっていた腕が魔王の切断された腕へと向かって飛ぶように動く。そのまま斬られた場所に、転がっていた右腕がひっついた。
音すらなく切断されていた腕がひっつき、斬られた跡が消える。
魔王は眼前で対峙している俺の姿など気にもならないようで、右腕を上げて、ゆっくりと指を動かしていく。
「ほれ、たかが剣一本で我に傷一つ…」
魔王の動きが止まった。持ち上げていた指が動かなくなり、右腕がだらりとぶら下がる。
――ゴトッ
ひっついていた腕が再び地面に落ちて不気味な音をたてた。
「な、なに!再生が無力化されただと!?」
驚愕で目を見開く魔王。
だが、俺はそれ以上魔王の姿を見ているつもりはなかった。
――ブンッ。
黒い刀身を一閃させる。その一撃を、魔王は後方に飛んで交わす。髪のいくつかが、切られて空中を舞った。
「その剣…ただのアンチマテリアルではないな。我の力を奪うなど…」
「ご託はいい」
驚愕する魔王。だが、俺はそれ以上奴がしゃべるよりも早く、剣を突き出し、魔王の体へと叩きこむ。
「チイッ」
魔王は顔をゆがめながらも、黒い闇を呼び出して、俺を襲わせる。目の前に現れた闇を前に、俺は左手に持つ相棒に言った。
「食え!」
直後、剣の一振りすらなく、俺に迫っていた闇がけし飛ぶ。
「な、何!我が魔力がかき消されただと!!」
魔王が驚愕の声を上げるが、それすらも俺の耳には聞こえず、手にした魔剣を魔王の体へと打ち込んだ。
――ザンッ
手ごたえがない。
見ると、魔王の姿が消えてなくなっていた。俺の相棒は、奴が纏っていた黒いマントを貫いただけだ。
――どこに行った?
視界ではなく、気配だけで魔王の位置を探る。
すぐに体を右に動かし、俺は空中に浮かぶ魔王を睨みつけた。魔法によって移動したのだろうが、そんなことは気にせず、俺は魔王へと剣先を向ける。
「グヌヌッ、まさか我が羽虫ごときに遅れを取るとはな。だがよかろう。我を本気にさせたこと後悔するがよい!」
――グヲォォォォッ
魔王が叫び声をあげる。その途端、人の形をしていた魔王がどす黒い闇を放った。闇が見る見る間に周囲へ広がっていき、魔王の姿を完全に覆い隠す。闇からは陰々とした風が巻き起こり、俺の体にも吹きつけてくる。
まるで、命を奪い取るような呪われた闇。
――まさか!
俺は咄嗟に、周囲を見回した。
「あっ、うっ、あっ」
片膝をつきアーチャーが首を抑えながら、苦しんでいる。
「お、にい…ちゃ…」
遠くにいるアリサたちにまで陰気な風は吹き付け、苦しむ声を上げていた。
俺は知っている。これは、呪いの力だ。俺の手にする相棒が、フリューバーとの戦いで一度だけ俺の命を吸ってきたことがある。あの時に感じたのとまったく同じ呪いだ。この呪いに俺が命を吸われたのは、あの時だけだった。
魔王の放つ陰気な風を受けながらも、だから俺はまるで影響されなかった。
だが、俺の仲間たちはそうじゃない。
俺は仲間を見まわした。
アーチャー、アリサ、ファン、リー、ユエメイ、無残に倒れたままのゲイル。そして魔王との戦いで、その圧倒的な力の前に倒れた俺の部下の多くが部屋中に倒れていた。七十人の部隊が――仲間たちが――今ではほとんど残っていない。かろうじて生きている者がいても、彼らも吹きつける風に顔色を青くさせ、一様に苦しみを浮かべていた。
――このままでは、皆が死ぬ!
俺はこの呪いの力を止めるべく、魔王がいる闇へ飛び込んだ。
闇の中に飛び込むと、その中はどこまでも続く薄暗い闇が広がっていた。
ホールの中にあったのと同じ青色の灯がそこら中に浮いて、この闇の世界を薄暗く照らし出している。
その闇の中央。黒い襤褸切れのマントを纏い、巨大な黒の大釜を構えた髑髏の姿があった。しかし、右腕が途中からなくなっている。
――魔王。
俺はその姿を見て判断した。今の奴は人の姿をしていない。だが、全身から漂う気配は間違いようがない。
魔王は髑髏の中にある赤い目を光らせて、俺を睨んできた。
「この中に飛び込むとは、よほどの愚か者と見える」
魔王の声はひどく乾いていた。もはや人間の姿をしていた時の声とは完全に別物で、その見た目と共に、死者が直接話しているようにしか思えない。
だが、これこそが魔王の本来の姿であるのだと確信もできた。
魔族の王でありながら、まるで冥府の王のごとき姿。この闇の外にいる仲間たちのためにも、早く決着をつけなければならない。俺の中で焦る声がする。だが、目の前に立つ魔王が、もはや手加減をするなどあり得ない。圧倒的な力で俺に襲いかかってくるだろう。その全身から滲み出す力に、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
俺の眼前で、魔王は目を細めた。
「…なぜ、おまえはこの闇に命を食われぬ。この中に入れば、あらゆる生者は皆等しく、命を食らい尽くされてしまう。なぜ、お前は食われぬ!?」
「さあな、俺にも理由は分からない」
「ククク、そうか。我は思い違いをしていたようだ。この場に耐えられるのであれば、お前は人間であるはずがない。魔族か、そうでなければ…」
そこで魔王は言葉を止めた。
「詮索など栓なきこと。どの道ここでお前は朽ち果てるのだからな」
魔王が大釜を構えた。
「俺も、時間をかけるわけにはいかないんでね」
俺も剣を握りしめ、魔王と対峙した。外では、今の俺の仲間たちの命が削られている。魔王と悠長に話しているわけにはいかなかった。
とはいえ、相手は魔王。なまじ半端な攻撃を仕掛けたところで、通用する相手ではない。互いに武器を構え、緊迫した緊張が続く。
「死者どもよ、食らい尽くせ!」
緊張は長いようでいて、短かった。魔王の叫び声と共に、俺の足元から闇の帯がユラユラと何十も浮かび上がる。
「魔法は効かないと言ったはずだ!」
俺は相棒を振るい、闇の帯を切り払った。だが、闇は何事もないかのように、地上から空へと向けて伸び続ける。
「なに!?」
「それは魔法などではない。死者の命から生み出した呪縛の力。さあ、命なきものの力に縛られるがよい」
空へと伸びた闇の帯は、直後空から俺のいる場所に向けて次々に襲いかかってきた。
――ヤバイ!
剣で切れ払うことはできない。そして、逃げるにはあまりにも数が多すぎた。俺は、襲いくる闇の帯に直撃された。
「グアッ」
肺の中から空気が漏れ出し、直後俺の全身に痺れが走る。全身に力が入らなくなり、左手に持つ黒刀の相棒を取り落とす。
「今、お前に滅びというものを教えてやろう」
動けなくなった俺の前で、魔王は巨大な鎌を振り上げる。俺は、その魔王を睨んだ。このまま死ぬことはできない。俺が死ねば、この外にいる仲間たちも死んでしまう。何としても、こいつを倒さなければ。そう思い歯を食いしばる。
――動け!頼むから動け、俺の体!
だが、それでも俺の体は動かない。
「滅びよ!」
魔王が勝利を確信し、大釜を俺の体へと振り下ろした。
もはやどうにもできない。
そこで、時が止まった。
――あなたを見せて。
ミツカの街で、そしてフリューバーとの戦いの中で聞こえた、あの声が俺に語りかけてきた。俺が危険に立たされた時に、この声は突然やってくる。
「見せるって、何をだ」
――あなたは知っている。
「知っている。何を…だ?」
そう口にしながら、俺はこの暗い闇の世界に視線が向いた。今まさに、魔王の大釜に倒されようとしている。相変わらず体は俺の言うことをきかず、動かない。それでも、目は動く。
暗い、暗い闇の世界が、どこまでも広がり続ける光景が存在している。
その闇に俺の視線が固定される。
――あなたは知っている。
魔王は、滅びよと言った。
だが違う。
「俺は知っている≪滅び≫は…」
俺は無意識に右手を握りしめていた。呪縛されていたはずの右手が拘束の中から抜け出し、それが俺の全身に広がって自由を取り戻していく。
俺は、知っている。ミツカの街で見たあの闇は、こんなものじゃなかった。フリューバーを倒した闇は、この程度のものではなかった。それに比べてしまえば、今この空間に広がる闇など、ただのまやかしにもならない。
あの闇こそが≪滅び≫だ。
――ドクン。
俺の心臓が、体の中で大きく跳ねた。
――さあ、あなたを見せて。
声が俺の背中を押しだすように、囁きかけた。
俺は立ちあがり、今まさに振り下ろされようとする魔王の大鎌へと右手を振り上げた。
再び、時間が動き始める。
魔王の大釜が、振り下ろされた。
「フハハ、死者の列に加わり、永劫の滅びを…な、なにっ!」
勝ち誇ろうとした魔王。だが、その手にする大釜が突然音もなく黒い灰と化し、消え去った。
「どういうことだ。貴様何をした!?」
「俺は知ってる。あの中で、俺は見せられたんだ」
驚く魔王に向けて右手を突き出し、その体に触れた。
「グアッ、アアアッ、何をした!」
俺の手が触れたところから、魔王の体が黒い灰へと変わっていく。魔王が絶叫を上げ。杯を振り払おうと、大釜を失って空いていた左手を伸ばした。左手が灰に触れた瞬間、その手まで黒い灰と化す。
そして、消え去る。
「ギャアアア、我の体が、腕が!」
「≪滅びろ≫!」
俺は魔王の上げる絶叫など聞いていなかった。
「≪こいつ≫を消す」
心の中から黒い感情が沸き上がり、俺は魔王が黒い灰に飲み込まれていく姿を見る。
そして、この醜悪な空間が気に入らない。
俺は腕を振るい、この空間全てに≪触れた≫。魔王が生み出した闇の空間が音を立て、ひびが入っていく。
ひびが入り、闇の空間が音を立てて砕け始める。
俺は、その光景に口の端を曲げて笑った。
――脆すぎる。あまりにも、脆すぎる。
口からひどい笑いが漏れだした。
――若大将、なんて、ひどい顔をしてるんですかい。
だが、空間が飛び散る寸前、声が聞こえた。魔王に体を貫かれ、死んでしまった戦友の声が。
「ゲイル?」
俺は声の主を求めて、周囲を見回した。だが、声の主の姿はどこにもない。
――今のは、お前だったよな。
声は返ってこない。それでも俺は確信した。
――俺、そんなにひどい顔をしていたか。
微かに苦い思いがする。時間が止まった中。あの声を聞いて、俺は我知らず自分でありながら、何か別のものになっていた気がする。
そう、それは絶望に取り付かれてしまった、悪意の塊のように。
その間、守ろうとしていた皆のことまで忘れてしまっていた。
「俺は、皆を守るためにここに来たんだ」
俺がそのことを思いだした時、亀裂の入った魔王の世界が完全に砕けちり崩れ去った。
魔王の空間が砕けちり、完全に崩れ去った。
俺は、魔王の作った空間から抜け出し、アリサたちがいるホールの中へと再び戻ってきた。
「お兄ちゃん!」
「隊長!」
周囲から、俺の仲間たちの声が聞こえてくる。もうほとんど生き残りがいない。生き残っている皆も、憔悴し切った表情をしていた。だか、それでもまだ俺は、全てを失わずに済んだ。
「グアアアアアッ。おのれ!おのれー!」
だが、この世界に戻ってきたのは俺一人ではなかった。
空中に骸骨姿の魔王が浮かんでいた。だが、その体の半分はすでに崩れ去るように消え、残った半身が暴れまわりながら絶叫を上げる。
「灰に、我の体が灰になっていく。お前たちごときに、この魔族の王たる我が滅ぼされるなどあっては…」
――ドッ
魔王の声が途切れた。
――何が起きた。
俺が見つめる前で、魔王の体に何十本もの矢が突き立つ。続いて光の槍が飛び出し、魔王の体を貫いていく。光魔法による攻撃。魔族に対してもっとも高い攻撃能力を持つ魔法。それが、次々に魔王の体へと打ちこまれていく。
魔法が放たれた方を振り向くと、ホールの扉が開かれ、そこから兵士たちの一団が姿を現していた。その先頭をいくのは、青い髪と瞳をした男。遠征軍の総指揮官であるユウナス将軍だった。
「魔族よ、この場で果てろ!」
普段は穏やかな風貌をしている将軍が、鋭い眼光を湛えていた。右手に剣を握り、魔王に向けてそのまま駆けだした。加速をつけて空中を飛び、魔王の傍へと飛び上がる。剣光一閃。
ユウナス将軍が刃を走らせ、魔王の体を上下に二分した。
「ガアアア、羽虫どもが、羽虫がー!」
魔王は絶叫をほとばしらせ、やがてその声が消える。空中に浮いていた体が真っ二つに分かれ、地面へと落ちる。直後、魔王の体の半分を奪い去った黒い灰が、魔王の残された体にまで広がった。魔王の体が黒い灰へと変化し、それが音もなく消えていった。
魔王が灰と化して消え去る姿を見取り、ユウナス将軍は茫然としていた俺へと向き直った。
「なぜ、将軍がここに?」
突然の事態に付いていけない中で、俺はそれだけを訪ねた。
「君たちが城に潜入している間に、我々は城壁を突破し、城内に突入することに成功した。今、全軍を上げてこの城の制圧を行っている。だが驚いた。魔王がいると思われる部屋に突入してみると、そこで君たちが魔族と対峙していた。あれは、ただの魔族ではなかったな」
「…魔王、です」
「おおっ」
魔王と言う言葉を聞いて、兵士たちが歓声を上げる。
「そうか、魔王はすでに半生半死の状態だった。君たちが活躍してくれたからこそ、我々が容易に魔王を打つことができた」
「……はい」
ユウナス将軍の言葉に、俺は小さく頷いた。
――俺たちの活躍で、魔王を容易に打つことができた。でも、俺の戦友は、ほとんど死んでしまった。
部屋に残された俺の仲間は、ほんの一握りになっていた。七十人もいた仲間たちが、今では本当に僅かに残っただけ。あの強かったゲイルも床に倒れたまま動くことがなく、周囲には黒衣を纏った動かぬ仲間の体が、いくつも…何十体と転がっていた。
魔王が倒されたことで安堵したのか、アリサは床にへたり込んでしまっている。アーチャーは、動かぬゲイルの姿をずっと眺めていた。ファンとリーは涙を流して、互いに抱き合って仲間たちの死を嘆いている。ユエメイは、沈痛な表情で瞳に涙を浮かべ、この場の光景を眺めていた。そのほか、生き残った数人の仲間たちも、満身創痍で皆疲れ切った顔をしながら、この惨状を見ている。
そんな彼らの姿を、部隊長である俺は正視することができなかった。皆、俺についてきてくれたのに、こんな結果になってしまうなんて、あまりにも残酷すぎる。
「我々は宰相閣下より命令を受けている」
そんな俺の傍で、ユウナス将軍が言った。だが、今の俺にはそんな言葉など聞こえていない。もう、宰相の命令でも何でも好きにしてくれ。俺は、もう疲れた。戦いなんて御免だ。頼むから、これ以上は放っておいてくれ。
そう思っている俺に、ユウナス将軍は告げた。
「もし≪黒衣の部隊≫が魔王と戦い、魔王を窮地に陥れるほどの実力があれば、魔王の死後彼らを全て殺せ」
直後、ユウナス将軍の白刃が閃いた。
俺は、その一撃を回避しようとしたが、間にあわず剣先が体の一部をかすめる。
「将軍、本気ですか!」
「全員殺せ」
俺の言葉など無視して、ユウナスは引き連れてきた兵士たちに命じた。将軍の冷徹な命令に、兵士たちは迷う様子すらなく一斉に武器を構えた。将軍と対峙していた俺は、その視線の隅でアーチャーの体に弓矢が突き立つ光景を見た。
「たい、ちょ…」
短いアーチャーの絶叫。
魔王との戦いで大盾を失って武器を持たないアーチャーは、普段であれば防げたはずの攻撃すら防ぐことができなかった。
アーチャーの死に、俺の中で何かが込み上げてくるよりも早く、ユウナスの剣が俺に振るわれた。しかし、魔王との戦いで消耗していた俺には、その剣がひどく重く感じた。されに仲間たちが死んでしまったことが、俺の心を、さらに重くしていた。そして僅かに生き残った仲間の一人が、今死んだ…
ユウナスの振るう剣を、俺はまともに受け止めきれなかった。斬撃の衝撃で手にした相棒を離してしまい、そのまま空中をくるくると回りながら飛んでいった。普段の俺であれば、軽く受け止められる一撃が、なんと無様だろう。
――カラン
俺の手を離れた剣は地面の上を転がり、そのまま動きを止めた。
そんな中で、ユウナスの部下たちが走り寄り、鎧のガチャガチャという耳障りな音が響く。
あれの視界の隅でアリサとそれを守るユエメイ、ファン、リーたちの元へも、剣を持った兵士たちが次々に駆け包囲する。
俺の周囲も同じように、包囲されてしまった。
そして魔王との戦いを生き延びながらも、力なく横たわっていた俺の部下たちへ、次々に無慈悲な斬撃が浴びられていった。赤い血が飛び散り、殺されていく。
「やめろ…」
この光景に俺は顔を上げることができずに小さな声で言った。 絶望が、俺を包み込んでいく。
しかし、その言葉をユウナスは無視した。彼は無慈悲に、俺の体へ剣を振り降ろした。
俺の右肩から、刃が食い込む。だが、それと同時にユウナスが手にしていた剣が、黒い灰と化して消え去った。剣が消え去る様をみたユウナスは、青い目を見開いて俺を茫然と見ていた。
――ビシャッ
俺の斬られた肩から流れる血が、勢い良く地面に流れる。しかし、それだけの大怪我を負ったのに、なぜか痛みを感じない。
――なぜ、俺の仲間は殺されたんだ。
俺の内面で静かに黒い怒りが渦巻く。
俺の周囲を包囲していた兵士たちの中で、背後にいた兵士が切りかかってきた。だが、俺の体に刃が触れる前に、振るわれた武器ごと兵士が音もなく灰と化し、消え去っていく。
その非現実的な光景に、兵士たちはしばらく反応ができなかった。だが、気を取り戻した彼らは、口々に叫んだ。
「ま、魔族だ!」
「こいつは魔族だ!」
「こんなこと、魔族でなければできるはずがない!」
兵士たちは一斉に恐怖に顔をしかめ、驚きの声を上げる。
だが、俺はその悲鳴も聞こえていなかった。それよりも、離れた場所で包囲されていたユエイが右腕を兵士に切られていた。右腕から赤い血を流し、顔を苦痛でしかめている。その傍にいるアリサが、甲高い悲鳴を上げた。
「もう、やめてくれ…」
俺の中で、何かが爆発した。
アリサたちを助けようと俺は武器も持たずに兵士たちに飛びかかり、≪触れた≫瞬間に兵士たちが次々に灰となり消えていく。兵士たちの向けられる矢も魔法の数々も全て俺の体に触れた途端に、消え去っていく。だが、それさえも俺は気づくことがなかった。
ただ、アリサたちを助けたい一心でいた俺は、それ以降の出来事を覚えていない。
再び気づいた時、ユウナスに率いられていた兵士たちの姿が部屋の中から全て消え去っていた。そして、俺は恐怖に振るえるアリサたちの傍で、ユウナスの体に相棒の剣を突き立てていた。
ユウナスの口から赤い血が飛び散り、ゴフリと音を立てる。
「なぜ、こんなことに…」
俺の問いに、ユウナスが信じられない力で、俺の胸倉を掴んだ。その力に、俺は抗えなかった。もう、何も考えることができない。仲間たちのほとんどが死に絶え、生き残った者たちも、あろうに最後は味方に殺されていったという現実に。
虚脱し力を失っている俺の胸倉を掴むユウナスが、さらに腕に力を入れる。俺の刃が貫いている体にさらに刀身がめり込んでいくが、ユウナスはそんなことを構いもせず、力を込め続ける。
もう助からないのは確実だ。死を前にして、しかしこの将軍は恐るべき力を発揮していた。口から赤い血を流しながら、ユウナスの顔が俺の眼前にまでやってくる。ユウナスは俺の目を正面から捉えて告げた。
「帝都へ、行け。閣下…宰相、閣下を、あいつか、ら、救って…」
そこでユウナスの体がガクリと力を失った。体が灰になり、そのまま空気の中へと消え去って消滅した。
あとに残されたのは、俺とアリサ、負傷したユエメイに、ファンとリーの四人にだけだった。七〇人いた残りの仲間は、皆死んでしまった。
そして、ユウナスも、彼についてきた兵士たちも、全て消え去ってしまった。




