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魔性の勇者  作者: エディ
第1章
10/23



 俺たちがたどり着いた塔からは、戦場全体を眺めることができた。

全体への指揮を行いやすいのだろう。宰相閣下とユウナス将軍の2人は、そこからさまざまな指令を伝令に持たせて伝えていく。これまでは部隊単位(俺とエスト兵長の部隊)の指揮を執っていた宰相だが、その指揮を俺とエスト兵長に任せ、全体の指揮を執ることに専念していた。軍を指揮する彼女が、本来いるべき立場に戻ったのだ。

 ただ、目立つ場所であるため、魔物の軍団が必要以上に襲いかかってくる。

 二人の将軍たちの指揮する様子を、のんびりと見学しているわけにもいかず、俺たちは周囲での防衛に駆りだされ、魔物との戦いを行っている。

 しかしエスト兵長率いる部隊。それに、ユウナス将軍直営の部隊もこの場にはいる。三部隊での連帯であるため、魔族の立て続けの攻勢も次々に跳ね返していく。特にエスト部隊にいる三人の魔導兵が放つ雷撃が強烈で、空中から襲ってくる魔族に広範囲の稲妻を炸裂させて次々に撃退していく。また、雷の力によって体を痺れさせた魔物が、そのまま空中から落下して、地面へと叩きつけられていく。

 魔族は人間に比べて頑丈だが、さすがに塔の上から真下の地面に叩きつけられれば、無事ではすまない。

 着々と迎撃される魔族たち。

 全体の戦況を考えるのは、将軍たちの役目であるが、どうやらこの戦いは勝てそうだ。今までの戦場経験から俺がそう思い始めていたとき、事態は動いた。


 とてつもない魔力の波動が前触れもなく襲ってきた。

「グッ」

 俺が口の中でこらえるようにして声を出して踏ん張った。だが、強烈な魔力の力によって体が地面に向かって急激に押しつけられる。俺だけではない。見ると、周囲にいる全ての兵士たちが、皆一様に地面へと突っ伏していく。

「重力魔法?」

 苦々しい声を出したのは、クレスティア宰相だ。

 俺の視界の隅にいるクレスティア宰相が、苦しい表情をしている。常に傲然たる態度の宰相に、取り乱す様子はない。だが、襲ってくる魔法の力には抗しきれないようで、徐々に地面へと向けて、体が吸い寄せられていく。

 その傍には、地面に片膝をついて歯を食いしばるユウナス将軍の姿があった。

「グヌヌッ、こ、この程度のことで・・・」

「ヒャアアアッ!」

 見れば、俺の部隊で最も力のあるゲイル。それに、悲鳴ばかり上げているが、ゲイルの力を正面から受け止められるアーチャーでさえ、地面に跪いて、襲いくる力に抗しきれないでいる。

「お、お兄ちゃん」

 また、魔導兵として魔法の力に高い耐性のあるアリサでさえ、この力の前では抗うことができず、地面に突っ伏して、助けを求めるように俺の方を見ていた。

 ユエメイ、ファン、リーの三人も、俺の部下たちも、この場の誰もが地面へと倒されていく。

「クソウ、何なんだよ、この力は・・・」

 俺も剣を立てて何とか力に抗しようとするが、それもかなわずに片ひざが地面についてしまう。

 とてつもない力が体にのしかかり、この態勢を取っているのさえ、あとどれだけ持つことか。

「・・・私はね、地べたに這いつくばるのが嫌いなの」

 だが、誰もが地面へと吸い寄せられる中、クレスティアが低い声で呻いた。どこにそんな力があるのか、地面に触れそうになった体を持ち上げ、傲然とした様で近くの机に右手を置く。

 そのまま、地面へと強烈に吸い寄せる力に抗って、ゆっくりとだが姿勢を上げていき、ついには立ちあがってしまった。

 ――おいおい、本当に人間か?

 この場に兵士たち――その多くは男だが、そんな男たちが地面に這いつくばらずにはいられない中で、女性であるクレスティア一人だけ立ちあがって見せたのだ。

「ほう、これは関心感心」

 と、異常な事態の中、頭上から甲高い声がした。そして一つの影が舞い降りてくる。

 そいつは人と変わらない姿、大きさをしているが、背中には翼をはためかせていた。まるで天使のような、と形容したいところだが、そいつは自らの体に匹敵するほどの長い尻尾を持っていて、先端に行くほど鋭くとがっていた。そして、銀色の色をした皮膚が不気味に光沢を放つ。

 そして最悪なのは、人間を嘲るような嘲笑を浮かべていることだ。

「魔族か・・・」

 上空から現れた魔物は、ゆっくりと地面に降り立った。高重力の中で、まるで自分一人だけが、その力を受けていないかのような身軽さだ。

 ならば、この魔物が、この重力魔法を放ったのだろう。

 俺が推測している前で、魔物は右手を胸に当てながら、ゆっくりと一礼した。

「皆さまこんにちわ。私の名は、フリューバー。魔王陛下に使える三魔将の一人にして、翼将の名を持つ高貴な魔族だよ」

 魔物のくせに礼儀をわきまえているらしい。ただし声は耳障りなほどに甲高く、鼓膜に気味悪く響く。そして気位の高さを示す魔物であるが、それは本物の気位というものではなく、何かとってつけたような薄っぺらな響きを含んでいた。

「魔族の将軍か・・・」

 口にしたのは、クレスティア宰相。

 その前で魔族は嫌みたらしい笑顔を顔全体に浮かべる。

「さよう。だけどね、君たちが私の名前を覚えておく必要はないのだよ。何せ君たちは今から僕によって殺されるんだからね。ああ、ゾクゾクするねえ。弱っちい虫けらどもを、ひとつひとつ処分していくなんて。ああ、快感だねー」

 自らの言葉に酔って、自分の体を両手で抱きしめるフリューバー。

「…ゲスが」

 クレスティアが、毒づいた。目の前にいる魔族を鋭い目で睨みつけ、忌々しいものを見る視線を放つ。

「フフン、人間にこの僕の高尚な趣味が分かるはずもないよ。楽しいんだよ、人を処分していく快感は、それはもう体がゾクゾクしてたまらない…でも、君は人間にしては美しいようだね。そうだ、君は殺さないで上げよう。かわりに僕にして、飼って上げるからね」

 人間たちがまったく動けないことをいいことに、フリューバーは余裕綽々の態度で、クレスティアの前へ移動する。ねっとりとした視線を向け、指先をツッとクレスティアの片頬に当てる。

 クレスティアは忌々しそうに魔物を睨むが、彼女とて立っているだけで精一杯の状態だ。その手を振り払うことすらできない。

「魔族ごときが、帝国宰相たる私に触れるなんて、覚悟はいいんでしょうね」

「帝国宰相?・・・なるほど噂で聞いているよ、人間の国の宰相は極めつけの美人だと。なるほど、噂通りこれは大変に美しい。男を垂らし込んで、国を牛耳るなんて、人間にしておくには惜しいね。どうだい、せっかくだから僕の五人目の妻として迎えてあげてもいいんだよ」

 クツクツクツと不気味に笑い、ねっとりとした視線をフリューバーはする。それにしても、その仕草ひとつひとつが、嫌味なまでに芝居がかっている。

「まあ、冗談?」

 そんな中、動けないはずのクレスティアが、剣呑な顔を浮かべる。そして、手を腰に吊るした剣の柄へと伸ばす。

「アッハッハッ、やめておきたまえ。立っているのがやっとなんだろう。剣を抜くなんて・・・」

 ――ザッ

銀閃が弧を描く。完全に魔族は油断していた。クレスティアの切りだした一撃が、魔族の腹を直撃する。

「なっ、なっ!ぼ、僕が、この僕が…人間ごときに切られるなんて!」

 腹から緑色の血を流し、傷口を手で押さえるフリューバー。顔に驚愕と、傷を負ったことに対する恐怖を浮かべる。だが、すぐさま表情に毒を宿し、口の端を禍々しく吊り上げた。

「女、お前は簡単に殺してやらないよ」

 ――ズズズンッ

 フリューバーの怒りに呼応して、重力の力が増し加わった。床に倒れていた全員が、うめき声を上げる。

 かく言う俺も、剣を杖代わりにしてなんとか床に突っ伏すのだけは耐えていたが、強まった重力にこれ以上抗えそうにない。体の中からミシミシという音がし、このまま潰されてしまうのではないかという恐怖が、ジワリとわいてくる。

 そしてあの宰相でさえ、この重力には耐えられなかった。振るった剣を重力の力に逆らえきれず地面に落してしまい、片膝をつく。

 そんな中、フリューバーは尻尾をぶんぶん振るい、その尖端をクレスティアに向けた。傷は負ったが、致命傷ではなかったのだろう。その顔は、動けない相手を痛ぶることへの愉悦に満ちていた。

「まずはお前の右手を貫いてあげよう、それから左手、次は足。顔をなぶりものにして、それから目をくり抜いて・・・僕に逆らったことを、絶望と恐怖で後悔させてあげるよ。アハハハハ」

 フリューバーは、脅すように尻尾をピシャンと地面に叩きつけ、尖端をまっすぐにクレスティアへと向けた。

「さあ、苦痛の始まりだよ」

 ――ビュッ

 フリューバーの尻尾が、クレスティアと向けて突きだされる。


 ――このまま何もできないのか…

 俺は重力にからめとられ、身動きができない。目の前ではフリューバーの尻尾の一撃が、まさに宰相の体を貫かんとしている。あの鋭い尻尾に一撃されれば、人間の体など簡単に貫かれてしまう。

 あの魔族は、宰相を弄り殺し。そのあと、この場にいる俺たち全員を殺すだろう。

 ――アリサ、ゲイル、アーチャー、ユエメイ、ファン、リー、みんな…

 俺は自分についてきてくれる部下たちのことを思う。

 ――また、繰り返したくはない。

 幼いころに俺が住んでいた街は、俺だけを残して跡形もなく消えてしまった。みんな、死んでしまった。両親も友達も、大切な人たちが、みんな、みんな、みんな。

 ――こんなところで、死ねない。こんなところで死なせるわけにはいかない!

 俺は歯を食いしばり、相棒の剣を頼りに、強烈な重力の力に抗って立ち上がった。巨大な力が加わり、それに耐えている膝がガクガクと震える。今にも俺の体を地面へと再び吸い寄せようとする巨大な力。抗えないほど絶望的な魔力。

 だが、俺はゆっくりと一歩、踏み出した。

 ――おかしい、さっきからまるで目の前の光景が止まっている。

そこで気がついた。フリューバーの尻尾がいまだに宰相の体を貫かず、空中で時が止まったかのように動かない。

 ――お前なのか?

 俺は咄嗟に、左手に持つ愛剣に語りかけた。

 人の命を食らうことで、魔力を無力化する魔剣。その恐るべき呪いの剣ならば、今こ状態を作り出していても不思議ではない。

「お前が人の命を食らう魔剣だというなら、いいぜ、俺の命をくれてやる。だから、あいつだけは…」

 魔剣が、答えるかのように鈍く光った。

 俺は冷たくフリューバーを睨みつけ、駆けた。体に加わっていた重力の拘束が消え去り、そのまま跳躍する。

「うおおおおおっ」

 フリューバーとクレスティアの間に割り込み、俺は相棒をフリューバーの体へ切りつけた。

 停止していた時が、再び動き始める。

 ――ザシャッ

 俺の剣の一撃が、奴の右肩から心臓に向けて深く食い込んだ。

「おおおおおっ」

 あらん限りの力を振り出し、魔族の体の中へと相棒を食い込ませていく。お前を生かしはしない。このまま死ね!

「ギャアアアアア」

 それまで圧倒的な力で人間を地面に這いつくばらせていたフリューバーが、悲鳴を上げて地面に倒れた。

「な、なんだよ。なんだよ、今のは。いきなり目の前に現れるなんて…」

 停止していた時間の中で、動いたのは俺だけだった。フリューバーには俺が突然目の前に現れたように見えたのだろう。いや、フリューバーだけでなく、この場にいる兵士の全て、あの宰相さえもが、目を見開いて唖然としている。

「あなた…」

「下がってください」

 驚きで身動きの取れない宰相を背後に、俺はフリューバーへ向けて一歩前進する。黒刀の相棒を振るい、そのまま一気に振り下ろす。

 恐怖を顔に浮かべていたフリューバーは、それでも咄嗟に左腕を振り上げ、俺の一撃を防いだ。しかし、左腕を俺の剣が抵抗もなく切り落とす。腕が緑色の血をまき散らしながら、空中を静かに舞う。そのまま地面にゴトリと音を立て、二、三回と跳ね上がって転がった。

 その頃には、俺は再び刃を構えて、奴の顔へ止めの一撃を繰り出した。

「終わりだ!」

 だが、俺の目の前でフリューバーの目が光った。

その瞬間、俺の視界をいきなり爆発が襲った。

 ――ドガーーン

 強大な魔力の力が解放され、俺のいた塔は、床以外の全てが爆発で砕け散った。


 ――ピクピク

 城の塔を破壊したフリューバーは、頬を痙攣させていた。

 床以外の全てが砕け飛び、周囲には空が広がって見える。

「なんなんだよ、貴様は!」

 奴が叫ぶのももっともだ。

 目の前では爆発の直撃を受けたはずの俺が、無傷の姿で立っていたのだ。塔を吹き飛ばす魔力の前に、あり得ない事態なのだ。驚くのはフリューバーばかりでなく、宰相をはじめとする誰もがそうだった。

 だが、俺の愛剣は命を食らうことで、魔力を無効化してしまう呪いの剣だ。フリューバーの起こした爆発が魔法による力である限り、この剣がすべて無力化する。

「残念だが、俺に魔法は効かないぜ」

 俺は余裕を浮かべて言う。

 その様子が、フリューバーには気に食わなかったのだろう。フリューバーは後ろに飛んで、俺から距離を取った。

 左腕が切り落とされたため、残った右手を握りしめ、空へ向けて高々と掲げた。

「再び地面に這いつくばるがいい」

 ――ドドドッ

 強力な重力の力が再び周囲に広がる。ミシミシと音が立ち始め、地面へと這いつくばらせようとする力の奔流が迸った。

 だが、同じ手を二度も食わない。

「相棒、お前の力を見せてやれ!」

 俺は叫びながら相棒を一閃させた。黒い剣が唸りを上げて風を切る。斬ったのは風だけでなく、フリューバーが起こした重力の魔法までも切り捨てた。

 重力の力が消え去り、体にかかっていた負荷が消え去る。

その光景に、フリューバーが再び頬を痙攣させた。

「ア、アンチマテリアルだと…それも私の魔力を無効化させるとは…人間ごときが、なぜそのようなものを持っている!」

「アンチマテリアル?」

 フリューバーの発した言葉の意味が分からなくて、俺は問い返す。

「魔力を無効化させる物質のことよ」

 答えてくれたのは、宰相だ。

「魔法の力を無効化させるアンチマテリアルは、希少な鉱物…でも、あれだけの魔力を無効化するものは、私も初めて見るわ」

 宰相の声には、微かな驚きが混じっていた。だが、宰相は口ではアンチマテリアルのことを言いながらも、視線をゆっくり別の方向に向けていた。視線の先には、フリューバーから死角になっているエスト兵長がいる。その視線に気づいて彼は頷いた。

すでにフリューバーの重力魔法は失われている。エスト兵長は静かに立ちあがり、抜刀してフリューバーに剣を振り下ろした。完全にフリューバーの死角を突いた攻撃だったが、フリューバーが気づくのは早かった。

「うるさいんだよ。僕に近づくんじゃない!」

 すでに深手を負い、傷口から血を滴らせていても、魔族の将軍だけのことはある。翼を大きく動かし、今まさに斬りかかろうとしたエスト兵長の体を跳ね飛ばした。

「グッ」

 短い悲鳴を上げてエスト兵長が地面に倒れこむ。

 だが、それに呼応して、周囲にいた兵士が、一斉に武器を構えてフリューバーを包囲した。俺も相棒を構え、フリューバーに正面から対峙する。

「まったく、忌々しい奴らだねぇ」

 周囲を囲まれ、さすがのフリューバーも顔をこわばらせる。

「でもね、お前たちごときが僕を倒せるはずがないんだよ!」

 ――グワッ!

フリューバーの右腕が俺に向かって伸びてきた。素早い動きだが、その動きに俺も反応する。後方に飛びながら、繰り出される右手に剣を…

 ――な…に…

普段の俺だったら、フリューバーの右腕を切り落としていたはずだ。だが、俺の意思に反して、体がいきなり動かなくなった。視界がぐらりと揺れ、視野がかすむ。心臓が早鐘のように打ち、ドクドクと血の流れる音が頭の中に響いた。

「なん、だ。これ、は?」

 意識が急激に不鮮明になり、手に力が入らなくなる。

――まさか、お前なの、か…

手にした相棒。黒い刀身を鈍く輝かせる剣を見て、俺は愕然とした。いままで俺の手にありながら、この剣に一度として命を吸われる感覚はなかった。なのに、その感覚がいま急激に、俺の中で大きくなる。

 ――まさか、こいつの魔法を斬ったせいで…

フリューバーとの戦いで必死だった俺は、命をくれてやるとこの剣に言った。それが契機だったのか、黒い魔剣が俺の手から命を吸い出す感覚が生々しく伝わってきた。

――ちくしょう、今、こんなところで…

 だが、それ以上考えるより早く、フリューバーの突き出した右腕が俺の胸倉を掴んだ。そのままフリューバーは、翼をはためかせ空へと急上昇して飛び上がった。

「お兄ちゃん!」

「若大将!」

「隊長!」

 俺の部下たちが悲鳴を上げる。だが、その声に俺は答えることもできず、フリューバーになされるがまま、空へと連れて行かれる。

「お前だけはね、必ず殺してやるよ。この僕の体をこんなにして、このまま死んじゃったらどうするんだよ!」

 体に深手を負い、いまだに止まることなく血を流しているフリューバーは、狂気の目で俺を睨む。その瞳の奥に、俺は≪死の予感≫を見て取った。今まで戦場で、こんな目をした人間を何人も見てきた。死ぬ寸前や、その前触れのある人間は、みんな目の奥にこの色を宿す。いまだに空を飛ぶ力はあるらしいが、いかに魔族とて、体に深く食い込んだ傷は致命傷なのだろう。

「いい様だな」

 そんなフリューバーに、俺はニヤリと言ってやった。当然、フリューバーは激怒する。

「ええい、このゲス野郎め!死ね!」

 フリューバーは、上昇をやめて急降下を始めた。急激に地面が近づいていく。

――まずいな、こんな高さから落とされたら、マジでしゃれにならん。

 フリューバーも満身創痍だが、俺だってこの状況はどうしようもない。俺は魔法を使えないし、フリューバーのように翼があるわけでもない。そして、ここでフリューバーにとどめを刺せても、この高さから落ちれば確実に死ぬしかない。

おまけに、手にする魔剣がいまだに俺の命を吸い続ける感覚が止まらない。意識が混沌として、体の節々が急激に冷たくなる。

絶望的な状況に、全身から冷や汗が沸く。

それでも、このまま敵になされるがままというのは癪だ。ならば、せめて相討ち覚悟で…。

俺は感覚の薄れゆく左手に何とか力を込めて、魔剣を動かす。せめて一撃。ただ一撃でいいから、こいつにとどめを…

「残念だけど、お前一人で死ぬんだよ!」

「なっ!」

俺の最後の抵抗は、あっさり裏切られた。俺の胸倉をつかんでいたフリューバーが手を離した。そのまま、俺の体は空から地面へと向かって落ちていった。

「アッハッハッ、無様に死んでしまうがいい!」

 翼をはためかせ、狂った笑いを浮かべるフリューバー。空中に留まるその姿が俺の視界から遠ざかっていく。その代わりに、真下の大地が俺の視界全体に広がっていった。

「俺は、こんなところで死ぬのか」

 諦めたくなかった。だが、これ以上、どうにもならない。俺は歯を食いしばり、悔しさに打ちひしがれながら、最後の時を待った。


 ――……い。


「?」

だが、その時俺は再び妙な感覚に襲われた。

体の落下が止まり、あの時間が停止していた時と全く同じ状態になる。

俺の体は、目前に迫っていた地面の前で動きを止めていた。

指一本動かすことができない、全ての時が止まった世界。その中で、俺の意識だけが保たれていた。


――あなたは、…い。


声が聞こえるが、はっきりと聞こえない。

おかしいな、なんでちゃんと聞こえないんだ?

そう思いながら、左手に持つ魔剣が、俺の命を吸い尽くす感覚が、まだ存在していることに気付いた。

こいつのせい、なのか…?

今まで相棒と思って振るい続けてきた剣が、まさか突然牙をむいて俺の命を吸い出すことになるとは。今まで、こいつのおかげで多くの危険を脱してきたが、その相棒が今や俺に対して情け容赦ない呪いの力をあらわにしている。


――あなたは、死なない。


だが、俺の命が吸い出され続ける中で、声はより鮮明になって聞こえ出した。

…あの時…ミツカの街で聞いた声?

なんで、あの時の声が聞こえるんだ?


 ――あなたは、死なない。


魔剣が俺の命を吸い続けていた感覚がなくなった。

それと同時だった。俺の心臓の音が聞こえなくなった。

…えっ、本当に俺は死んだのか?

鼓動が聞こえない。ものすごく、冷たい感覚が俺の体を襲う。ひどい孤独感が流れ込んでくる。

待ってくれ、俺はまだ死ねない!アリサたちの傍に居たいんだ!大切な仲間と共にいたい!


――大丈夫、あなたは死なない。


そんな中で、声が明瞭に響く。

 死なないというが、ならば、俺の感じているこの恐怖は何なんだ!


――あなたの、姿を見せて。


その声が響いた瞬間、俺の中で、ドクンと鼓動が響いた。

心臓の音。

でも、違う。何かが違っていた。

それは確かに俺の心臓の鼓動だが、しかし今まで動かしていた心臓と違う、何か別の鼓動。

 

――さあ、あなたを見せて。


 奇妙な感覚が急激に終わり、時が再び動き始めた。

 俺は咄嗟に体をひねり、足から地面へと着地した。

 襲撃が足から、体全体に強烈に伝わる。

「ガッ」

 その衝撃に、口から大量の息が漏れだし、声にならない悲鳴を上げる。

「…生きている…のか?」

 だが、あれだけの高さから落下したのに、自分が生きていることを感じた。

――なぜ、なんだ?

そう思ったが、考えている余裕はなかった。

「なんでだい!?お前はあの高さから落ちたのに、なぜ死なないんだい?」

 顔全体をピクピクと痙攣させたフリューバーが、俺を憎々しげに睨みながら、空から舞い降りてきた。

「…さあな、俺もその理由を知りたいね」

 自分でも驚いたが、俺の声はひどくかすれていた。

そんな俺の目の前で、空から降りてきたフリューバーが、ガクリと地面に足をついた。胸の傷口から大量の血が流れ出し、地面に溢れていく。

「チイッ、この僕が…まだ、まだ死ねないんだよ…こんな人間相手に、この僕が死ぬはずがないんだよ!」

 もはやフリューバーは、死の領域に片足を入れていた。満身創痍の姿には、もはやまともに体を動かすことさえかなわないのだろう。だが、それでも右腕を持ち上げ、指先を俺に向ける。

「死ね!」

 フリューバーが叫んだ直後、急激に魔力が増幅され爆発が巻き起こった。

 一撃では終わらない。

「アハ、アハハ、アハハハハハ」

 狂った笑いを上げつづるたびに、魔力の爆発が次々に炸裂した。連続する爆発に、空気が振動し、ビリビリと音を立てて周囲を圧倒する。土煙が巻き起こり、あっという間に周囲の視界を奪っていった。

「ハハハ…ハアッ、ハアッ、ハアッ」

 連続した爆発の末、フリューバーは息をついた。

「フ、フフフッ。人間がね、僕に逆らうから、こうなるんだよぅ」

 満身創痍のフリューバーは再び立ちあがり、前に歩き始めた。しかしその動きはふらついていて、まっすぐ歩けないでいる。それでも魔族の将軍としての意地なのか、爆発の中心へたどり着いた。

「…なぜ、なぜ生きてるんだい?」

 爆発の中心でフリューバーが見たのは、彼の期待するものではなかった。

左手に黒い魔剣を構えた、黒衣の男が平然とした姿で立っている。つまり、俺の無事な姿を見つけたのだ。

 俺は、フリューバーの爆発の魔法を、手にした魔剣で全て斬り伏せていた。不思議なことに、魔剣が俺の命を吸う感覚は完全に消え去っていた。それどころか、フリューバーの強力な魔力を、いとも簡単に切り裂いていく。今までにもさまざまな魔法を切り裂いてきた剣だが、その斬り味が以前より増している気がした。

俺は、目の前に姿を現したフリューバーを静かに見た。

「なんだよぅ。気に食わない目だね」

 フリューバーの尻尾がうごめき、俺に向かって突き出された。

――シャッ

黒い刀身を一閃。俺に向かってきたフリューバーの尻尾を切り捨てた。

「気に食わない…気に食わない…」

 だが、尻尾を斬られても、フリューバーは呪詛のように同じ言葉を繰り返す。その目にはすでに光が失われ、生きているようにはまるで見えない。それでも、フリューバーは右手を突き出して、俺に向かって殴りかかってきた。

その動作はあまりにも緩慢で、簡単に避けられるものだった。

だが、俺は避けるのでなく、剣を持たない右手でその拳を受け止めた。フリューバーの拳を受け止めた瞬間、俺は自分の体から奇妙な感覚を感じた。

――何だ?

そう思った瞬間、俺が掴んだフリューバーの右手が黒い灰と化した。灰はフリューバーの右手だけでなく、そこから右腕へと駆けのぼり、さらに体へ、全身へと広がっていく。

「お前、人間じゃない…魔族だね」

フリューバーが光のない目で呟いた。

「何?」

 その言葉に、俺は僅かの驚きを感じた。だが、それ以上疑問を口にする暇はなかった。俺の目の前で、フリューバーの顔までもが黒い灰と化してしまった。フリューバーの全身は黒い灰の塊と化し、風に吹かれて消え去るように、空気の中へと溶け込み、消えていった。あとには、フリューバーの存在を物語るものは何一つ残らず、忽然と消滅してしまった。

 その光景に、俺はしばし呆然とした。魔族が死ぬときは、灰になって死ぬのか?

いや違う。俺が今までに倒してきた魔物は、その場に横たわって死体として残っていた。決して灰になって消えたりはしない。

 そこまで考えて、俺の脳裏に、思い出したくもない記憶が蘇ってきた。

ミツカの街だ!

…俺は、これと同じ力を知っている!

ミツカの街は、黒い闇に包まれて、全てが消え去ってしまった。

フリューバーを灰と化した力は、あの時見た黒い闇とまったく同じものだ。

…そこまで考えて、俺は自分の右手を見た。

だが、そこには普通の人間となんら変わらない、俺の右手があるだけだ。試しに拳を握り、開いてみるが、何も起こらない。自分の体にこすりつけてみたが、突然俺が灰になるわけでなく、何も起こりはしない。

「…俺、何やってるんだ?」

 自分の右手が、あの魔族を消し去ってしまったのだろうか?そのことを思わず確かめてしまったが、すぐに頭を振って、自分の馬鹿な考えを振り払った。

「…まさかな」

ただの偶然だろう。そう思い込みたかった。だが、そう思うには腑に落ちないことが、多すぎた。それに、ミツカで聞いたのと、同じ声を聞いたのもついさっきのことだ。

あまりに釈然としないことが多すぎる。しかし、俺は、このことについてそれ以上考えるのをやめた。これ以上、考えたくなかった。

 ――これ以上、考えてはいけない。

俺の心の中で、何かが呟いていた。


 あとがき出張所


「ホーッホッホッホッホッ。僕はね、高貴な魔族なのだよ。魔将軍の中で、もっとも美しいんだよ。僕はね、とてつもなく偉いんだよ。いいかい皆、僕のことをただの魔族と思っちゃいけないんだよ。ハーッ、ハッハッハッハッ」

 銀色の肌をした魔族は甲高い声を上げ続ける。

 ―――カンッ

 と、甲高い声を発していた魔族の頭に、アルミ缶が命中した。

「うるさい奴ね。近所迷惑よ。黙ってなさい」

 不機嫌な視線を放つのは、宰相クレスティア。

「す、すみません。気をつけます。もう2度としないので、ごめんなさい」

 本編でのやたらと高慢ちきな態度はどこへやら、頭をペコペコと下げる魔族。

「まったく、一話しか出番のない雑魚モンスターが、あとがきに出てくるなんて世も末ね。それに、もう二度と出番なんてないから、二度とできるわけないでしょう」

 本編で侮辱されたりして不機嫌な宰相閣下である。


 それにしても、こんなあとがきが続いていることの方が、世も末っぽいけれど・・・


「コホン、仕切り直して、ようやく準主役がまともに活躍したわね」

「ま、まともにって、ひどい言い方だな。それに俺は準じゃなくて、正規の主役だ!」

 クレスティアの言葉に、俺はものすごく傷つきながら言う。

 でも、主役として活躍できたのは、今回が初めての気がするので、準主役という言葉が、ものすごく気になってしまう。

「安心してちょうだい」

 クレスティアはニコリと微笑んだ。この人、どうでもいいけど、ものすごい美人なので、ツイツイ・・・イ、イヤ、何でもないぞ。なんでもない。

 俺の内心を知ってか知らずか、クレスティアは腰に手を当てながら言った。

「この物語は私が最初から最後まで活躍して、帝国を乗っ取って、魔族を滅ぼして、最後に世界征服を果たすという、スペクタクルドキュメンタリー小説でしょう」

「・・・スミマセン、クレスティアさん。あなた何言ってるの?」

「だから、私の野望成就を書いてく物語。もちろん、主役は、わ・た・し」

 自分の顔に指をさしながら、俺にグングンと近づいてくるクレスティア。

 ―――や、やめろ。息がかかる。近い、近すぎる。

 ドギマギしまくる俺の姿を見て、顔を離したクレスティアはクツクツと笑う。

 ―――イカン、完全におもちゃにされてる・・・

「ということで、今回は準主役が活躍しけど、次回からちゃんと主役の私が活躍するから安心なさい」

「だ、だから主役は俺だ~」

 俺は悲壮な声で叫ぶのものの、クレスティアは嫣然微笑んで一蹴した。


「ホーッホッホッホッホッ」

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