真面目な魔法使いが伯爵家のルールを変える
厳冬のある日のこと。
ホフハイマー伯爵家に雇われている魔法使いが、領主執務室を訪れた。
「申し訳ございません。
私はホフハイマー伯爵家にお仕えする身として、取り返しのつかないことをいたしました。
責任を取って、職を辞するしかございません」
深くうなだれる若き魔法使いを前に、伯爵領本邸を預かる次期伯爵のモーリッツは困惑した。
魔法使いの名はオイゲン・アイネム。
年齢は、次期伯爵と同じ二十五歳。
同時期に学園に通っていた二人だが、専攻が違うためクラスメートになることはなかった。
しかし、たまたまクラブ活動で一緒になり友人となった。
その縁で、モーリッツは自分のところで働かないかと誘ったのだ。
「……取り返しのつかないこと、とは何をしたのだろうか?」
由緒ある伯爵家には規約が多い。
正直言って、次期伯爵のモーリッツですら全部は覚えきれていない。
中には時代遅れのものもあって、整理しなくてはいけないと思いつつ放置しているのが現状である。
「雪を……」
今は冬、窓の外は一面の雪野原である。
「雪を、魔法を使って片付けたのです」
「それの何が規約に触れるのだ?」
「使用人規約によれば、労働時間前は準備時間として体力を温存すること、とあります。
私は魔法使いですから、魔力も体力として考えるべきです。
つまり、本来であれば仕事に使用すべき魔力を無駄遣いしてしまったのです」
「……そんなに大量に魔力を使用したのか?」
魔力使用量は、一晩寝れば回復できる量を十割として計算するのが通常である。
「はい。使用人寮の周囲と通路を片付けましたので、魔力量の三割ほどは消費してしまいました」
「三割。だが、君の通常業務での最大使用量は五割だったはずだ。
十分、余裕があるのではないか?」
「そういう問題ではないのです!」
ああ、こいつ、真面目過ぎて時々面倒くさいんだよな、と思ったモーリッツだが、もちろん口にも態度にも出さず、侍従にお茶の支度と、立ち会わせる執事を呼ぶことを命じた。
使用人であるからと座ることを固辞したオイゲンを何とかなだめすかし、それだけでもくたびれて一休みしたいところだが、せめてと喉を潤したモーリッツは話を進める。
「学園で友人だった君を勧誘して、私は本当に助かっている。
君は魔力も多いし、魔法の使い方も繊細で的確だ。
次の査定では大幅な待遇改善を考えているのだが……」
「いえ、私などにはもったいないことです。
この先も、どんな規約違反を犯してしまうかを考えただけで恐ろしくて……」
話をするだけで土下座しそうな勢いだ。
やっと座らせたソファに押しとどめるため、彼の背後には騎士を一人配置し、立ち上がろうとしたら遠慮なく肩を抑えろと言ってある。
「今後のことを考えると恐ろしくて、職を辞することまで考えるとは。
それは、もっと雪が降るかもしれないから、魔力の使用量が増えるとかそういう?」
「心配は雪にとどまりません。
春になれば花粉が飛び、毛虫の毛が飛び、夏になれば熱い大気が肌を焼くかもしれません。
その対策には、どれだけの魔力があっても足りないかもしれないのです」
「ん? 君はそこまで他の使用人を気遣ってくれていたのか?」
「他の使用人の皆さんは関係ありません。
私はひとえに愛する妻の身を案じているのです。
そのためなら何でもしたい。出来る限りのことをやりたい。
それは、とても歯止めのきかない気持ちなのです。
私は妻を愛しています。
彼女のためなら、どんなことでも……」
「さすがに殺人とかは困るな」
「やむを得ない場合は、お約束できかねます、と言いたいところですが国の法で罪になるようなことをしでかしては妻を悲しませますから、それは思いとどまります」
モーリッツは心の中でため息を吐いた。
「君の奥さんは、私の妻の侍女として働いてくれている。
それなのに君が辞職したら悲しむのではないか?
今後、どう生きていくつもりなのだ?」
そう言われてオイゲンが口ごもった時、執務室のドアが叩かれた。
「……今、取り込み中だ」
「取り込み中の案件の関係者を連れてきましたわ」
明るく言いながらドアを開けて勝手に入ってきたのは、次期伯爵夫人であるテレーゼだ。
続いて入って来たオイゲンの妻ドーリスが、モーリッツに頭を下げた。
「申し訳ございません、若旦那様。
うちの人、本当に面倒くさくて。
真面目なところは信用できて、いいんですけど。
真面目も過ぎれば、なんと申しますか……」
夫のオイゲンは妻が来たことで、貝のように押し黙ってしまった。
このままでは、らちが明かない。
「彼に聞いた話からすると、妻である君のことが心配で、今後も規約違反を犯すのではないかと心配しているということなのだが。
今回の除雪の件は、むしろこちらの手配が遅れたことを謝らねばならない。
他の使用人たちも助かるし、業務と認めて時間外手当も出そう。
しかし、どうもよくわからないのだが、君たちは婚姻して一年経っているだろう?
今になって、過剰に妻の心配をするというのはどういう……」
「あなた、そこは察してくださる?」
テレーゼはちらりとドーリスの腹部に視線を走らせる。
細身の彼女だが、今はウエストを締め付けないドレスを着ていた。
それを見たモーリッツは、さすがに気づく。
「なるほど、大事な家族二人分の心配が爆発してしまったというわけか」
「そういうことよ」
「本当に申し訳ございません。
妊娠中は妊婦が情緒不安定になりやすいと聞いていたのですが、わたしが平気な分、夫が不安定になってしまい……」
「なるほど。
だが、この件は彼の妻である君を頼るしかない。
彼は伯爵家にとって今後とも重要な働き手だ。
すまないが、なんとか手綱を握って、うまく操縦してもらいたい」
「はい。ご期待に沿えるよう努めます」
「あら旦那様、わたくしが家から連れてきた大事な侍女に、そんな役割を担わせて、無報酬とはいきませんわよ?」
話がまとまりかけたところで、テレーゼが割り込んだ。
「も、もちろんだ。
だが、侍女としての報酬を上乗せするには名目が難しいな」
「それでしたらご心配なく。
彼女はもうすぐ産み月ですし子育てに専念してもらって、復帰後は乳母にジョブチェンジですから。
乳母の手当てを、しっかり用意してくださいましね」
「乳母? ジョブチェンジ?」
モーリッツの表情は困惑から一転、喜色満面となった。
「テレーゼ、子が出来たのか!?」
「ええ、お医者様が間違いないと」
「それは嬉しい。
身体に気を付けて丈夫な子を産んでくれ」
「もちろんですわ」
次期伯爵は生まれてくる子供に思いをはせた。
男の子なら妻の地位が上がるが、無事に生まれてくれるなら女の子でも大歓迎だ。
そう、出産は人生の一大事。
愛する妻の身に何かあったらと思うと、その心配も募っていき……
「なるほど、そうか」
彼は唐突に理解した。
なってみないとわからないものだ。
妊婦の夫の気持ち。
自分自身のことでないからこその、どこか漠然とした不安。
やるせない心。
「よし、オイゲン。
とりあえず今夜、仕事が終わったら一緒に飲もう。
そもそも友人同士なのだし、腹を割ってとことん話そう」
まだ黙りこくったままのオイゲンだったが、小さく頷いた。
「あれでよかったのでしょうか?」
執務室を辞した後、ドーリスは次期伯爵夫人に訊ねた。
「すべてが一気に解決するとは思えないけど、今後も同じ悩みを抱く者が出るはずだわ。
とりあえず、一人で悩まないように気づかいをするという、きっかけにはなると思うの」
「一人で悩まない……大事なことですね」
「それぞれの家庭の問題だとしても、それぞれの家庭で解決できるとは限らないでしょう」
「はい。恥を忍んで、若奥様に相談しておいて良かったですわ」
「ええ、よく言ってくれたわ。
おかげであなたたちを失わずに済んだ。
さ、お部屋に戻って祝杯、は無理だからお茶しましょう」
「はい」
「あなたもそろそろ産休を取ってもらう時期だし、一段落したら今回の原因になった古臭い規約を改定する相談にも乗ってほしいわね」
「何なりと」
「実際に改定するのは旦那様たちだけれど、せっかくなら女性に関係が深いものについては意見をまとめておいて進言したいじゃない」
「せっかく、とおっしゃるのでしたら、現伯爵夫人にもご相談されては?」
「そうね。お義母様もきっと、何か意見をお持ちのはずよね。
ええ、後で手紙を書いて送りましょう」
先ほどの出来事を肴に、夫人の居間では侍女たちの話が弾む。
春の女神たちは一足早く、ホフハイマー領に温かな風を運び始めていた。




