03話
――昼。
洞窟内に、重たい足音が響く。
兵士たちが列を作り、奴隷たちに昼食を配っていった。
配られる物は朝と同じ、硬いパン。
それに加え、今日は濁った汁物が一杯付いていた。
記憶を失った女性は器を受け取り、黙って腰を下ろす。
朝と同じように、パンを汁に浸し、噛みしめるように口に運んだ。
(……味が、分からない)
空腹は満たされているはずなのに、何も感じなかった。
食事を終えると、年老いた男が低い声で言う。
「今から少し休憩じゃ。この後、また同じ作業の繰り返しになる」
そして周囲を見回しながら続ける。
「この時間なら、洞窟内を歩き回っても構わん。ただし……兵士の目に付くな」
女性は頷き、立ち上がった。
「……少し、歩いてきます」
洞窟の奥へと足を進める。
休憩中のためか、地面に横たわる者、ぼんやり話す者、壁にもたれて眠る者が点在していた。
どの顔にも、生気はない。
さらに奥へ進むにつれ、人影は消えていく。
「……この先は、人がいないわね」
引き返そうと、踵を返しかけた――その時。
「……痛い……もう……やめてください……」
微かな声。
女性は立ち止まり、耳を澄ませる。
(……今の、聞き間違いじゃない)
引き返すのをやめ、声のした方へ向かう。
やがて目に飛び込んできた光景に、息を呑んだ。
地面に伏せさせられた一人の女性。
その背中に、男の足が乗せられている。
――朝の、あの男。
「……何を、してるの……」
怒りが、胸の奥から湧き上がる。
「やめなさい!その人から、足をどけて!!」
声を張り上げながら、駆け寄った。
男が振り向き、ニヤリと笑う。
「おお、朝の糞女か。次に会ったら覚えておけって言ったよな?」
男は足を退け、袋を投げ捨てる。
「ほら、昼メシだ」
パンを地面に落とし、踏みつける。
汁物もわざとこぼし、土に染み込ませた。
押さえつけられていた女性は、泣きそうな顔で潰れたパンを拾う。
その姿を見た瞬間、女性の中で何かが切れた。
「……許せない!!」
叫び、拳を振るう。
だが――
拳は男の頬に当たるも、びくともしない。
次の瞬間、腕を掴まれ、強烈な一撃を受ける。
「――っ!!」
息が詰まり、膝が崩れる。
逃げようにも、腕は掴まれたまま。
ドゴッ。
ドスッ。
バシッ。
鈍い音と、苦痛の悲鳴が洞窟に反響する。
やがて男は、女性を乱暴に突き飛ばした。
「もう昼休みも終わりだな」
吐き捨てるように言う
「今日からお前も俺様の道具だ。逆らうな。殴らせろと言われたら、黙って殴られろ」
そう言い残し、男は去っていった。
地面にうずくまる女性のもとへ、先ほど助けようとした女性が近寄る。
「……大丈夫ですか……?私のせいです……私なんか、助けなければ……」
記憶を失った女性は、血の味を噛みしめながら答える。
「……そんな……決まってるでしょ……助けたかった……それだけ…………あの男は、間違ってる……」
立ち上がろうとするが、力が入らない。
視界が滲み、暗くなる。
「……ボヤけて……きた…………これ……まず……い……」
そのまま、意識を失った。
残された女性は、呆然と立ち尽くす。
(……どうしよう)
午後の作業は、もう始まっている。
ここは人の来ない場所。
(……見捨てれば……助かる)
特別牢獄。
拷問。
恐怖が、判断を狂わせる。
「……そう……見捨てれば……」
一度は、その場を離れた。
だが――
数歩進んだところで、足が止まる。
「……やっぱり……無理」
唇を噛みしめる。
「助けてくれた人を、見捨てたら…………私は、人でいられなくなる」
引き返し、気絶した女性を抱き起こす。
小柄な身体では、運ぶのは困難だった。
よろめきながら、必死に引きずる。
その時――
複数の足音が迫ってきた。
「お前たち、何をしている?」
兵士たちが現れる。
「午後の作業は始まっているぞ。……怪しいな」
「待ってください!」
「黙れ!!」
「話を――」
ドンッ。
鈍い音とともに、小柄な女性の身体が崩れ落ちる。
拳が顔を打ち抜いていた。
「奴隷の分際で口答えするな」
兵士は冷たく命じる。
「こいつら二人、特別牢獄へ連れて行け」
意識を失った二人は、引きずられていく。
その様子を、少し離れた場所から年老いた男が見ていた。
「……何をしておるんだ……」
呟く。
近くにいた体格のいい男が笑う。
「俺様の道具がいなくなっちまったな。まあいい。新しいのを探せばいいだけだ。それに特別牢獄から戻った後に、また楽しませてもらうさ」
――――――
特別牢獄。
重い扉の奥、冷たい石床に二人は放り込まれた。
兵士が言う。
「目を覚ましたら、土を食わせろ。実験を再開する」
「今度は魔物同士で戦わせる」
白衣を着た人物が眉をひそめる。
「待て。その女は……記憶を消された被検体だ」
「魔物にしていいのか?」
兵士は少し考え、頷いた。
「……確かに」
「なら、もう一人を魔物にする。その姿を“見せる”」
そして、懐から小瓶を取り出す。
「記憶消去薬はもう一つある。実験後に使えば問題ない」
「制作者も、使用後の経過を欲しがっている」
白衣の男は、静かに笑った。
「……了解した」
「この実験が成功すれば、魔物を使って他国を滅ぼすことも、魔族の領域に侵攻させることも可能になる」
「……期待しているぞ」
二人が目を覚ます、その時を待ちながら――
狂気の計画は、静かに進んでいた。




