34、神速の死闘と、剥がれ落ちた虚構
地下から噴き出した圧倒的な魔力が、一瞬で周囲を飲み込もうとした。
テサロンは反射的にラミとオルンの二人を小脇に抱え、超抜の速さでその場を離脱する。直後、三人がいた地面は猛烈な炎によって一瞬で灰と化した。
「あの一瞬で、二人を抱えてそこまで離れるか。流石は『神速』のテサロンと言ったところか」
闇の中から現れたのは、一人の仮面を付けた魔族だった。その手には、手足が異常な方向に折れ曲がり、血まみれで意識を失ったバビの体が、無造作に吊るされていた。
「……バビ! 貴様、そいつは生きているのか! それに、なぜ俺の名を!」
テサロンの殺気が膨れ上がる。魔族は鼻で笑うと、バビの体をテサロンたちの方へ放り投げた。
「さあな。だが、こいつのせいで俺様の計画は台無しだ。地下にいた連中ごと、この施設を自爆させようとしおって……。おかげでここは破棄せねばならん。名前? お前は魔族の間で『危険人物』として周知されている。知っていて当然だろう」
テサロンはバビの無惨な姿を見て、奥歯を噛み締めた。彼はラミとオルンにだけ聞こえる低声で告げる。
「ラミ、バビを連れて離脱し、回復させろ。オルン、お前もついていけ。……ここは俺が食い止める」
「わかったわ」
「嫌だ、私も戦う! 師匠の戦いを見ろって言ったじゃない! 相手がヤバいのは私でも分かる……けど、ここで逃げたら、もう鍛えてもらえない!」
オルンの悲痛な叫びを、テサロンは無視した。
「ラミ」
「……ええ。オルン、ごめんね」
ラミはテサロンの意図を汲み、オルンに強制的な「睡眠」の魔法をかけた。
「テサ……ロン……ひどいよ、嘘つき……」
意識を失うオルンを、ラミはバビと共に魔法で浮かせ、脱出を開始する。それを見送り、テサロンは再び魔族を睨み据えた。
「へぇ、逃げる二人を追わないのか?」
「お前を相手に背を向ければ、その瞬間に首が飛ぶ。……俺はそこまで愚かではない」
魔族が構えた。その刹那、テサロンの姿が消失する。
「ちぃ……見えているのか、お前」
魔族の背後に現れたテサロンの顔が険しく歪む。
「噂通りの神速だ。危ないところだったよ」
「嘘をつけ。斬りつける瞬間に、刀を通じて電流を流し込んできただろう」
一瞬の交錯で、互いの実力を悟る。人智を超えた激突が、再び幕を開けた。
一方、村からかなり離れた安全圏に辿り着いたラミは、必死にバビへ回復魔法をかけ続けていた。
「……酷い状態だけど、まだ息はある。流石は獣人ね」
遠くで響く轟音と震動を感じながら、ラミは祈るように呟く。
「テサロン、死なないで……」
その時、横たわっていたオルンが、ふらふらと立ち上がった。
「……行かなきゃ」
「オルン!? 嘘でしょ……スリープの魔法がもう解けたの? 一日は眠るはずなのに」
オルンの瞳は焦点が合わず、何かに急かされるように虚空を見つめていた。
「行かなきゃ……。テサロンのところへ。頭の中に、あの魔族の声が響くの。『増援が来るまで耐えれば、素体として持ち帰る』って」
「何を言ってるの? 思考が聞こえるなんて……」
「今は聞かないで! テサロンを助けるために、私は戻る!」
止める間もなく、オルンは戦場へと走り出した。バビを離せないラミは、ただ彼女の背中を見送ることしかできなかった。
走り続けるオルンの脳内は、無数の「声」で溢れかえっていた。
『うるさい、うるさい、うるさい! 誰なの!? 完成体って何!?』
頭が割れるような痛みに叫んだ時、目の前の地面から、一人の男が静かに現れた。三角の麦藁帽子を被った、異様な気配の男だ。
「お待ちなさい」
「……誰? あなたからは……声が聞こえない。人間なの?」
「お迎えに参りました。唯一の完成体――オルン様」
「完成体? 何を言っているの。私は急いでるのよ!」
男は動じず、言葉を続けた。
「貴女の『力』があれば、テサロンを助けられますよ」
その言葉に、オルンは足を止めた。
「私の力で……助けられる? でも、そんなの……」
「頭に響くのでしょう? 魔物や魔族の声をが。……それこそが、貴女が完成体である証だ」
男は冷酷に真実を告げた。
「完成体。それは魔族、魔物、そして人間の素材を掛け合わせ、人為的に作り上げられた生物。君はあの村の地下、培養槽の中で生まれたのだよ」
「嘘……嘘よ、そんなわけない!」
「いいや。あの日、人でも魔物でもない、塊が暴走し死体の山へと逃げ出し、そこで泥のように眠りについた。そこで偽造した死骸の悪臭や瘴気を取り込むことで、今の『人間』の姿へと変貌を遂げたのだ」
動揺するオルンの前に、男が指を鳴らして映像を浮かび上がらせた。そこには、培養槽の中で蠢く肉塊と、それが少女の形へと変わっていく悍ましい過程が映し出されていた。
オルンはその場に座り込み、顔を覆った。
「……あは、はは……。何よ、それ。……私は、化け物だったのね」
「ああ、そうだ。君は美しい化け物さ」
「……もういいや。こんな世界、壊してしまおう」
オルンの纏う空気が、一瞬で絶対的な「死」へと変質した。
「待て、何を――」
「うるさい。……そのまま、自害しろ」
オルンの言葉は、もはやただの発話ではなかった。絶対的な命令。
男の右手が勝手に動き出し、自らの首を掴んだ。
「っ!? 体が勝手に……! 早まるな、オルン――」
「黙って。知りたくもないことを話した罰を受けて」
男の手に、彼自身の魔力が凝縮される。そして、迷いなく己の首を切断した。
血飛沫が舞い、三角帽子の男の体は地面へと崩れ落ちた。
血の海の中で、オルンの瞳から感情が消えた。
彼女はただ、愛する師を「救う」ために、あるいはすべてを「終わらせる」ために、戦場へと歩き始めた。




