26、決別と悲哀の咆哮
バビはアノの腹部に深々と突き刺した刀を引き抜き、血を振り払った。
「……安らかに眠れ」
冷酷に言い放ち、その場を立ち去ろうとした瞬間、彼の生存本能が激しい警鐘を鳴らす。
バビは咄嗟に横へ跳んだが、一瞬遅かった。鋭い衝撃と共に、彼の左腕が肩から先を失い、宙を舞う。
「……即座に首を撥ねておくべきだったか」
切断面を抑え、苦渋に満ちた声を出すバビ。その視線の先には、再び「白銀の狐」へと変貌したアノが立ち尽くしていた。彼女の口には、バビの左腕が肉塊として咥えられている。
アノはそれを吐き捨てると、地を震わせるような低い唸り声をあげた。
「ほら見ろテサロン……こいつは『怪物』だ。腹の傷がもう塞がっていやがる」
バビはアノを挑発するように走り出した。
「ここじゃ本気が出せねぇな。俺を殺したければついてこい!」
狐と化したアノは怒りに任せ、赤い魔力弾を撒き散らしながら、森の奥へと消えていくバビを追った。
しばらくして、紅とソラニアがようやく現場へ辿り着いた。そこには、意識を失ったテサロンと、朦朧とした状態のラミが倒れていた。
「ラミさん! 起きて、何があったの!?」
紅が必死に揺り動かすと、ラミはようやく意識を取り戻した。
「バビ……いないわね。アノって子も……。バビの奴、ただの気絶じゃないわ、魔法で私の動きを封じやがった……」
「アノは……アノはどこ!?」
「紅、待って!」
止める声を振り切り、紅は倒木や焦げ跡を辿って森の深部へ駆け出した。死角から襲い来る透明な魔物たちを、紅は振り返りもせず、研ぎ澄まされたナイフの一閃で葬っていく。
(アノ……無事でいて。お願い……!)
開けた広場に出た紅が目にしたのは、変わり果てた光景だった。
至るところが黒焦げになり、地面には炭化したバビの遺体が転がっている。その傍らで、返り血に染まったアノが静かに立ち尽くしていた。
「……紅。ごめん。私、もう貴女とは一緒にいられない」
アノの掠れた声に、紅は足を止めた。
「何を言ってるの、アノ! 私は、ずっと一緒にいたい。だから――」
「無理だよ……。私は、自分が『魔物』なんだと思い知らされた。こうして殺されかけ、この手で人を殺した。このままじゃ、いつか絶対に紅を傷つけてしまう。だから……さようなら」
「迷惑なんて思わない! 私が、鍛えて欲しいなんて言わなければ……! 全部、私のせいなのよ、アノ!」
紅の絶叫。しかし、アノは悲しげな瞳で武器を構えた。
「……こんなこと、したくない。でも、これしかないの」
アノが最短距離で斬りかかる。紅はナイフでそれを受け止めたが、アノの蹴りが腹部を捉え、紅は大きく吹き飛ばされた。
「……させない。私が、貴女を連れて帰るんだから!」
紅は覚悟を決め、ナイフを構えて走り出す。紅の渾身の突き――だが、アノはそれを避けることなく、自らの掌をナイフに突き立てた。
肉を貫く鈍い音。飛び散る血。
「えっ……何で……。アノ、どうして避けないの!?」
突き刺さったナイフから手を離し、紅が叫ぶ。
「……バビとの戦いで、悟ったの。痛みに耐えれば、隙が生まれるって」
アノはナイフを引き抜き、床に捨てた。その手は見る間に狐の鉤爪へと変貌し、傷口を無理やり繋ぎ合わせる。
「甘いのよ、紅……。私は、お腹を貫かれたの。その時の絶望も痛みも、貴女にはわからない……。今の貴女じゃ、私の攻撃は防げないわ」
アノの姿が消えた。
神速に近い踏み込みで紅の背後を取ると、情けを断ち切る一撃が紅の項に叩き込まれた。
「……あ、の……行か……ない……で……約束、したじゃ……な……」
倒れ込む紅を、アノは優しく抱きとめた。意識を失った紅をそっと地面に下ろすと、アノの体に変貌の反動による激痛が走る。
「うわぁぁぁぁ……っ!!」
悲鳴を上げながらうずくまるアノ。だが、彼女は痛みを堪えて立ち上がり、最後に一度だけ紅の寝顔を見つめた。
「ごめんね、紅……。これで、貴女は救われる。自分のために生きてください。さようなら」
しばらくして、現場に駆けつけたソラニアが見たのは、気絶した紅と、黒焦げになったバビの無惨な姿だった。
「紅!? 何があったの……!? って、この人はバビさん……? ウソでしょ……アノが、殺したの……?」
静まり返った森の中で、ソラニアは震えが止まらず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
アノは、孤独な闇の中へと去っていった。




