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記憶を消された女性  作者: ひろろん
24/37

24、不信の火種と、紅蓮の咆哮

 

 地下修練場。頭上から降り注ぐ魔法の弾丸を、くれないは目を開けたまま、最短の動きで切り裂いた。その瞳には、先ほどまでの迷いはない。


「……すみません、ラミさん。次は目を瞑らずにやってしまいました」


 申し訳なさそうに頭を下げる紅に対し、ラミは内心で戦慄していた。


(今のを視認して斬ったというの? 反応速度が異常だわ。きっかけ一つで、こうも化けるなんて……)


「……いいわ。今のは抜き打ちのテストよ。約束通り魔法を教えてあげるけど、どうする?」


 だが、紅の答えは意外なものだった。


「いえ、魔法はまた今度で大丈夫です。今は……この研ぎ澄まされた感覚を、もっと体に馴染ませたいんです」


「いい覚悟ね。なら、皆が帰ってくるまで続けましょう。次は数を二つに増やすわよ。死ぬ気で喰らいつきなさい!」


 紅は再び世界を遮断するように目を閉じ、集中を高める。二つの魔力球がうなりを上げて彼女を襲った。


 一方、テサロンとバビに連れられたアノとソラニアは、人里離れた深い森の奥へと足を踏み入れていた。


「……何か嫌な感じ。ソラニア、何か聞こえない?」


 アノが肌を刺すような悪寒に身を震わせると、ソラニアも長い耳をぴくりと動かした。


「……近くに、たくさん何かがいる」


 バビが不敵に笑う。


「正解だ。ここは姿を消すのが得意な魔物の巣窟。俺たちは見物しててやるから、二人で切り抜けてみろ」


「そんな……いきなり実戦なんて!」


 アノが叫んだ瞬間、ソラニアの足元の地面が爆ぜた。


「ソラニア、危ない!」


 アノが突き飛ばすようにソラニアを庇う。間一髪で回避したものの、そこには何も見えないはずの空間から鋭い爪跡が刻まれていた。


(アノの方がソラニアより気配に敏感だ。だが、それだけではこの「不可視の暗殺者」は倒せんぞ……)


 テサロンとバビは、一歩引いた位置で冷徹に戦況を見守る。


「見えない……けど、ガサガサって音が聞こえる!」


 ソラニアが耳を研ぎ澄ますが、集中が追いつかない。アノの体には、再び「嫌なビリビリ感」が走り抜けた。


「ソラニア、左へ避けて!」


 しかし、わずかに反応が遅れたソラニアの肩を、見えない爪が切り裂く。


「つぅ……っ! アノが言ってくれなかったら、死んでた。……これ、どうすればいいの?」


「体に走るこの『嫌な感じ』を信じるしかないわ……。ソラニア、右よ!」


 アノは反射的に剣を抜き、真横に一閃した。確かな手応え。虚空から鮮血が舞い、返り血で魔物の輪郭がうっすらと浮かび上がる。


「手応えはあった! でも、浅いわ!」


「一匹だけじゃない。……ソラニア、それは罠よ!」


 血の跡を追おうとしたソラニアを止めようと、アノが駆け出す。しかし、魔物の狙いは最初から、より敏感なアノの方だった。

 背後から音もなく迫った爪が、アノの背中を深く引き裂く。


「がふっ……! 嫌だ……こんなところで、死にたくない……っ!」


 絶望と怒りが、アノの心に火をつけた。

 傷口から噴き出した魔力が彼女を包み込み、少女の姿は瞬く間に、神々しくも恐ろしい「白銀の多尾狐」へと変貌を遂げた。


「おい、テサロン……なんだあれ?魔物に変貌しただと?それになんて威圧感だ!」

「今は話せない‥とりあえず様子を見る。……まだだ」


 変貌したアノに、もはや迷いはなかった。鋭い嗅覚で魔物の位置を特定し、残像を残すほどの速さで駆け抜ける。一振り。二振り。見えないはずの魔物たちが次々と朱に染まり、断末魔を上げて地面に転がる。


「――ウオォォォン!!」


 咆哮と共に、空中に無数の紅い魔力球が出現した。それは意志を持つ弾丸となって森を焼き尽くし、隠れていた魔物を根こそぎ灰へと変えた。


 すべての気配が消えた時、狐の姿は溶けるように解け、アノは元の姿でその場に崩れ落ちた。


「……終わったか」


 バビが動いた。だが、その手にある槍は、倒れたアノの喉元に向けられていた。


 ――ガキンッ!


 テサロンの刀がそれを弾く。


「テサロン、どけ。こいつは危険だ。一瞬でこれだけの魔物を殲滅したんだぞ。……ここで始末すべきだ!」


「バビ、やめろ。アノは俺の教え子だ」


「教え子!? また同じ過ちを繰り返すつもりか!」


 バビの咆哮が森に響く。


「前の教え子が大罪人になった時、お前はどれだけ苦しんだ。今度は化け物だと知ってて鍛えたんだぞ! こいつが暴走してからでは遅いんだ。紅には俺が殺したと伝えろ。俺を憎ませればいい。……どけっ!」


「断る。紅がどんな思いでここまで来たかを知っている。アノを殺させはしない」


「なら……お前を気絶させてでも、俺はこいつを殺す!」


 バビの全身から殺気が溢れ出し、大気が震える。テサロンもまた、眼帯の奥の瞳を鋭く光らせ、刀を構え直した。


 友情と信念が激突しようとしたその時、恐怖に立ちすくんでいたソラニアが、震える手で二人の間に割って入ろうとしていた。

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