19、密航者と、残酷な真実
大型帆船の揺れに身を任せ、紅とアノは兵士に案内された空き部屋で息を抜いていた。小窓から見えるのは、どこまでも続く蒼い海だ。
案内した兵士によれば、新大陸「クラリストン」まではあと六時間の船旅だという。
しかし、廊下から聞こえてくる騒がしい声が、その静寂を破った。
「どこへ行った、あの野郎!」
「まだ近くにいるはずだ。売り物のくせに逃げるなんて……。最初から隷属の首輪をつけておくべきだったか」
紅は思わず眉をひそめた。
「……あまり大きな声では喋れないわね。外の連中に丸聞こえだわ」
「そうですね……。あと六時間、ここでじっとしていましょうか」
アノが同意したその時、突如として足元のベッドの下から声が漏れた。
「えっ!? あと六時間で到着なの? 嘘でしょ……あ、不味い」
紅とアノは弾かれたように立ち上がった。紅は懐からコレハに貰ったナイフを抜き、アノも護身用の剣を構える。
「……誰? 兵士を呼ぶわよ!」
紅が鋭く牽制すると、ベッドの下から長い耳を震わせたラビットヒューマン(兎人族)の少女が這い出してきた。彼女は涙目で両手を上げる。
「待って! 兵士は呼ばないで、お願い! 勝手に入ったのは謝るから……っ!」
アノが少女を凝視した。
「兎人族……。もしかして、外で探されているのはあなたなの?」
「拉致されたの……。目が覚めてから鍵を開けて逃げ出して、ここに隠れてた。……お願い、私は住処に帰りたいだけなの」
紅はナイフを下げ、事情を汲み取った。
「分かったわ。兵士には言わない。……それで、あなたの住処ってどこなの? クラリストン大陸にあるの?」
その問いを聞いた瞬間、少女は血相を変えて紅に飛びつき、その肩を激しく揺さぶった。
「待って、待って! 今、クラリストン大陸って言った!? 嘘でしょ!? 私の家は……ゼカルト国の王宮の離れなのよ!」
紅は困惑した顔で少女を見つめ、残酷な事実を告げた。
「残念だけど、この船の目的地はクラリストンよ。あなたは逆方向の船に乗ってしまったみたいね……」
その時、部屋のドアが激しくノックされた。
「探し物をしてるんだが、少し協力してくれねぇか。中を調べさせてもらうぜ。兵士の許可は取ってある」
少女は悲鳴を飲み込み、再びベッドの下へ潜り込んだ。
「……アイツの声だ。お願い、やり過ごして!」
無茶を言う、と紅は冷や汗を流した。ここで踏み込まれたら全員終わりだ。
「……あの、着替え中なので。特徴だけ教えてもらえますか?」
紅は努めて冷静な声を出す。外の男は舌打ちをした。
「ちっ。……後でまた来る。部屋から出るんじゃねぇぞ」
足音が遠ざかる。だが、その直後に聞こえた男たちの会話が、少女の心を打ち砕いた。
「本当にあそこに隠れてるのか? アイツを売り飛ばした親も、一緒に捕縛しておくべきだったな。そうすれば、もっとスムーズに取引先に引き渡せたのに」
「今さら言っても始まらないだろ。早く見つけ出すのが先決だ」
「……嘘。お母さんが、私を売るわけない。あり得ないわ!!」
叫び声が上がった。ベッドの下から飛び出した少女は、もはや周囲の状況など目に入っていない様子だった。
「声が大きいわ、気づかれる!」
紅が必死に制止するが、少女は狂ったように首を振る。
「そんなの関係ない! お母さんが私を売るはずないんだから!!」
「あっちだ、女の声がしたぞ!」
「着替え中なんてのは嘘だったか。野郎ども、あの部屋だ!」
荒々しい足音が部屋に迫る。
「……紅、逃げましょう! ここにいたら捕まるわ!」
三人は部屋を飛び出し、入り組んだ船内の通路を走り出した。
「いたぞ、捕まえろ!」
「匿っていた女二人も生け捕りにしろ。まとめて売り払ってやる!」
背後から迫る追っ手の影。必死に逃げ回った末、三人が辿り着いたのは、無情にも行き止まりの甲板の隅だった。
「まずった……行き止まりよ」
「引き返せません……っ」
男たちが下卑た笑いを浮かべながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「運がなかったな。無駄な抵抗はやめろ。この数から逃げられるわけがない」
「イヒヒ、売られた兎女には手を出さないが、残りの二人は可愛がってやってもいいよな? 匿ってた罰だ」
「好きにしろ。ただし、壊すんじゃねぇぞ。そいつらも立派な商品なんだからな」
と、ピンチをむかえるのであった。




