第7話:国一番の精鋭部隊よりも、シチューの焦げの方が重大事案です
その日の夕食は、アリス特製の『ホワイトシチュー』だった。
世界樹の恵みをたっぷり受けた野菜と、鶏肉のクリーム煮。
隠し味には、滋養強壮に効くマンドラゴラのすりおろし(無毒化済み)が入っている。
「いい匂いね。さあ、みんなでお手伝いできるかしら?」
キッチンでは、アリスの号令のもと、子供たちが動き回っていた。
「俺が火加減を見る!」
タツヤ(5歳)が、口から小さな炎を吹いてコンロの火力を調整する。
「私はお皿を出す……」
ミカ(10歳)が、翼でバランスを取りながら、人数の分の皿をテーブルに並べる。
「ぼ、僕はテーブルを拭きます!」
レン(7歳)が、布巾を持って懸命にテーブルを磨く。
「まんまー!」
リラ(1歳)は、つまみ食いをしようとしてアリスに捕獲されていた。
完璧な連携だ。
アリスは鍋をかき混ぜながら、この幸せな時間が永遠に続くことを願った。
……しかし、その願いは、無粋な侵入者たちによって破られた。
ウゥン、ウゥン、ウゥン……!
部屋の空気が赤く点滅する。
アリスが設置した『害虫駆除アラーム(対人・対軍用)』が作動したのだ。
「……あら」
アリスの声のトーンが、半音下がった。
「シチューの仕上げ、これからなのに」
* * *
アリスがエプロン姿のまま、お玉を持って庭に出ると、そこは既に包囲されていた。
森の木々の間から、殺気を放つ武装集団が三つ、それぞれの方向から展開している。
正面には、深紅のローブを纏った『王立魔導師団』。
「見つけたぞ! 逃げ出した竜の実験体を返してもらおう!」
彼らの狙いは、最強の生物兵器の素体であるタツヤだ。
右翼には、白装束に身を包んだ『聖教会・異端審問官』。
「穢れた天使の紛い物を引き渡せ! 神の御名において浄化する!」
彼らの狙いは、教義に反する存在であるミカだ。
左翼には、漆黒の装備で顔を隠した『暗部特殊工作部隊』。
「廃棄処分ナンバー・ゼロ(レン)を回収する。国家機密の漏洩は許されない」
彼らの狙いは、人造勇者計画の証拠隠滅のためのレンだ。
国の中枢を担う三組織が、それぞれの「正義」と「欲望」のために、この辺境の小さな家に集結していた。
その殺気に、家の中から出てきた子供たちが震え上がる。
「う……うう……」
ミカが顔面蒼白になり、レンがガタガタと膝を震わせる。
タツヤだけが、勇気を振り絞って二人の前に立った。
「や、やめろ! 僕たちに近づくな! 僕が……僕が相手だ!」
小さな身体から炎を出して威嚇するが、相手は国最高峰の戦力だ。
魔導師団の隊長が、冷酷に杖を振り上げた。
「抵抗するな、実験動物ごときが。女と他のガキもろとも、まとめて焼き尽くしてやる! 『獄炎』――!」
放たれたのは、家一軒を灰にする高位攻撃魔法。
轟音と共に、灼熱の業火がアリスたちに迫る。
「ママ!!」
子供たちが悲鳴を上げた。
カッッッ!!!!
しかし。
炎がアリスたちに届くことはなかった。
アリスが持っていた「お玉」を一振りした瞬間、業火はあたかも最初から存在しなかったかのように、空中で霧散したのだ。
「……は?」
魔導師団長が目を丸くする。
アリスは、静かにため息をついた。
その瞳から、ハイライトが消えていた。
「今、煮込み時間なのよ」
アリスの声は低く、しかし戦場全体に響き渡った。
「火加減が大事な時に、そんな馬鹿みたいな温度の炎を出さないでくれる?シチューが焦げたら、どう責任を取ってくれるのかしら」
「な、何を言っている……!?我々は王立魔導師だぞ!国家反逆罪で処刑する!」
「異端者め、神罰を受けよ!」
三つの組織が、一斉に攻撃を開始した。
魔法の雨。聖なる鎖。毒塗りの短剣。
あらゆる死の凶器が、アリスと子供たちに殺到する。
アリスは、エプロンのポケットから「何か」を取り出すこともなく、ただ右手をかざした。
「錬金術式:『分別廃棄』」
パシュン。
という間の抜けた音がした直後。
空中に展開されていた数百の攻撃魔法が、すべて「花びら」に変わった。
飛来していた短剣や鎖が、すべて「ゴム製のアヒル」や「スポンジ」に変わった。
「なッ……!? 俺たちの魔法が!?」
「武器が……オモチャに!?」
混乱する兵士たちに、アリスは冷徹に告げた。
「貴方たちの攻撃は、我が家の食卓にとって『不要なゴミ』と判断しました。なので、可燃ゴミと不燃ゴミに分別させていただきました」
アリスの錬金術は、物質の構成要素だけでなく、そこに込められた「殺意」や「魔力」という概念すら分解・再構築する。
彼女の前では、戦略級魔法も「ただの光る空気」に過ぎない。
「さて。次は貴方たちの番ね」
アリスが一歩踏み出すと、大地が震えた。
『ママ・イズ・ゴッド』の威圧効果だ。
歴戦の兵士たちが、本能的な恐怖で後ずさりし、腰を抜かす。
「わ、悪かった! 帰る! 帰るから!」
「神よ……悪魔だ……!」
「待ちなさい」
逃げようとする彼らを、アリスの声が縛り付けた。
「ウチの子たちを『実験体』だの『廃棄物』だの呼んで、散々怖がらせてくれたわね。……タダで帰れると思っているの?」
アリスの背後に、巨大な錬金術陣が展開する。
それは攻撃魔法ではない。
巨大な「転送ゲート」だ。行き先は、王都の下水処理場、およびドラゴンの巣窟のど真ん中。
「『強制退去』。二度と、私の家族の半径一キロ以内に近づかないこと。……いいわね?」
「ヒィィィィィ!!!」
ドォォォォォン!!
アリスが手を振り下ろすと、突風と共に、三つの組織の精鋭たちは空の彼方へと吸い込まれていった。
まるで、掃除機に吸われるホコリのように。一瞬で、綺麗さっぱりと。
* * *
静寂が戻った庭に、花びらが舞い落ちる。
子供たちは、ポカンと口を開けてその光景を見ていた。
「す、すげぇ……」タツヤが呟く。
「神様……?」ミカが祈るように手を組む。
「ママ……最強……」レンが呆然とする。
アリスはふぅ、と息を吐き、いつもの優しいママの顔に戻って振り返った。
「ごめんね、みんな。大きな音でびっくりさせちゃったわね」
「ママー!」
リラが一番に駆け寄り、アリスの足に抱きついた。
続いて、タツヤ、ミカ、レンも、涙目でアリスに飛びついた。
「怖かった……! 連れて行かれるかと思った……!」
「ママが守ってくれた……!」
アリスは四人の子供たちをまとめて抱きしめた。
その温もりが、子供たちの震えを止めていく。
「当たり前でしょう。貴方たちは、私が拾った『宝物』じゃない。私の大事な、大事な家族よ」
アリスは一人一人の頭を撫で、ニッコリと微笑んだ。
「誰も連れて行かせないし、誰も傷つけさせない。ママがいる限り、絶対にね」
子供たちは泣きながら、それでも最後は笑顔で頷いた。
血の繋がりも、種族も関係ない。
最強のママを中心とした、鉄壁の絆がここに完成したのだ。
「さあ、冷めないうちに戻りましょう。今日はシチューよ」
「「「はーい!!」」」
家の中からは、温かくて美味しそうな匂いが漂ってくる。
その夜の食卓は、今までで一番賑やかで、そして世界で一番安全な場所だった。
――こうして。
国の中枢組織が神隠しに遭ったというニュースが王都を駆け巡る中、辺境の森では、今日も「おかわり!」の元気な声が響いていた。




