第6話:その少年は「無能」だけど、読み聞かせの天才でした
アリスの家は、すでに「異種族最強保育園」の様相を呈していた。
長女のリラ(1歳)は、積み木の代わりにミスリル鉱石を積み上げ、 長男のタツヤ(5歳・元古龍)は、おやつの焼き芋を作るために裏山へマグマを汲みに行き、 次女のミカ(10歳・元天使)は、庭の掃除中にうっかり『聖域結界』を発動させ、雑草ごと害虫を浄化(消滅)させている。
アリスは洗濯物を干しながら、ふと遠い目をした。
「……平和だけど、何かが足りないわ」
みんな、あまりに優秀すぎるのだ。
風邪も引かない、怪我もすぐ治る、自分のことは自分でできる(物理的に)。
アリスの「お世話したい欲」が、完全には満たされていない。
「もっとこう……『ママ、靴下が履けないよ〜』とか、『転んで痛いよ〜』とか泣きついてくる、手のかかる普通の子供成分が欲しいわ……」
そんな贅沢な悩みを抱いていたアリスの元に、その少年は現れた。
* * *
それは雨の降る午後だった。
アリスが森の入り口で拾ったのは、ボロ雑巾のように濡れそぼった、痩せこけた人間の少年だった。
年齢は七歳くらい。
髪は泥で汚れ、身につけているのは、囚人服のような灰色の服一枚。
そして首には、鉄製の首輪が嵌められ、そこには『NULL(欠陥品)』という文字が刻印されていた。
アリスは彼を家に連れ帰り、ベッドに寝かせた。
タツヤとミカが心配そうに覗き込む。
「ママ、この子……魔力がないよ?」
タツヤが鼻を鳴らして不思議がる。
「ええ。完全に『ゼロ』ね。一般人以下だわ」
魔力がないだけではない。
体力も、筋力も、生命力も、全てが平均値を下回っている。
アリスの鑑定眼が弾き出した情報は、彼が『人造勇者計画の失敗作』であることを示していた。無理な投薬と実験の末に、「才能なし」として廃棄されたのだ。
「う……ん……」
少年が目を覚ました。
見慣れない天井。温かい布団。
そして、自分を取り囲む、圧倒的な強者(ドラゴンと天使と魔王種)の気配。
少年は弾かれたように飛び起き、ベッドの隅でガタガタと震えだした。
「ご、ごめんなさい!僕、何も盗んでません!すぐ出て行きます!だから殴らないで……!」
その反応は、彼がこれまで受けてきた扱いを如実に物語っていた。
アリスはスープの皿を持ったまま、優しく声をかけた。
「落ち着いて。誰も怒ってないわ。貴方の名前は?」
「……レン……」
レンは首輪の刻印を隠すように首をすくめた。
「僕には魔力がありません。剣も振れません。荷物も持てません。……ただのゴミです。ご飯を食べる価値なんてありません」
彼は、自分が「機能」しないことを必死に謝罪した。
タツヤのような力も、ミカのような光もない自分は、ここにいてはいけないと知っているからだ。
だが、アリスの反応は、レンの予想を斜め上に裏切った。
「あら! じゃあ、すぐに風邪を引いちゃう?」
「え……? は、はい。雨に濡れるとすぐ熱が出ます……」
「転んだら、怪我をしちゃう?」
「します……。治癒魔法も使えないので、治るまで何日もかかります……」
アリスの目が、キラキラと輝き始めた。
「素晴らしいわ! つまり、ママがしっかり見ていてあげないと、すぐに死んじゃうくらい弱いのね!?」
「……は、はい?(なんで嬉しそうなの?)」
レンは困惑した。
無能であることは罪のはずだ。なのに、この人はそれを「才能」みたいに言う。
「最高よ、レン君。貴方は今日からウチの子になりなさい」
「え……でも、僕は何の役にも……」
「役に立たないからいいのよ。子供の仕事は『守られること』なんだから」
アリスは有無を言わせず、レンの口に温かいスープのスプーンを突っ込んだ。
野菜とミルクの優しい味。
レンの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
* * *
こうしてレンの生活が始まったが、彼の劣等感はすぐには消えなかった。
タツヤは薪割りを一撃で終わらせ、ミカは洗濯物を一瞬で乾かす。
レンだけが、何もできない。重い水桶を持とうとして転び、膝を擦りむいて、アリスに手当てされるだけだ。
(やっぱり、僕だけお荷物だ……)
夕方。
レンがリビングの隅で膝を抱えていると、リラがトテトテと歩み寄ってきた。
リラの手には、絵本が握られている。
「よんでー!」
リラが絵本を差し出した。
しかし、タツヤは外で素振りをしているし、ミカは夕食の準備を手伝っている。
アリスも手が離せない。
「……僕で、いいの?」
「あい! れんおにーちゃん!」
レンは恐る恐る絵本を開いた。
文字を読むことくらいしか、彼にはできない。
彼はリラを膝に乗せ、ゆっくりと、物語を読み始めた。
「むかしむかし、あるところに……」
レンの声は、優しく、穏やかだった。
タツヤの元気な声とも、ミカの透き通った声とも違う。人間の、等身大の温かさを持つ声。
リラはレンの胸に頭を預け、うっとりと聞き入っている。
「……王子様は、お姫様を助けました。おしまい」
「ぱちぱちー! もういっかい!」
リラがねだる。
レンは困ったように笑い、また最初から読み始めた。
その光景を見ていたアリスが、キッチンから顔を出して言った。
「すごいじゃない、レン。リラがそんなに大人しく聞き入るなんて、初めてよ」
「え……?」
「タツヤだと興奮して暴れ出しちゃうし、ミカだとすぐ寝ちゃうの。レンの声は、リラを安心させるのね」
アリスは微笑んだ。
「貴方は魔法は使えないかもしれない。でも、リラにとっては『一番優しいお兄ちゃん』よ。
それは、立派な貴方の『役目』じゃないかしら」
レンの胸に、温かいものが満ちていった。
何かを倒さなくてもいい。奇跡を起こさなくてもいい。
ただ、妹に絵本を読んであげること。
それが、この家での僕の魔法なんだ。
「……うん。僕、もっと読むよ」
レンは初めて、怯えのない、自然な笑顔を見せた。
窓の外では雨が上がっていた。
タツヤが薪を持って戻り、ミカがテーブルを拭き、レンがリラに絵本を読む。
そしてアリスが、「ご飯よー」と声をかける。
最強の魔族、古龍、天使。そして、最弱の人間。
凸凹だけれど、完璧なバランスの「家族」が、ここに完成した。
(さて……)
アリスは鍋をかき混ぜながら、瞳の奥だけで冷たく笑った。
(こんな可愛い子たちを捨てた国と組織には、きっちり「養育費」と「慰謝料」を請求しないといけないわね。……国が一つ買えるくらいの額を)




