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第四話:温泉を探しに行ったら、お兄ちゃんを拾いました

アリスが愛娘リラを連れて、辺境の森『迷わずの森』に移り住んでから、一年と数ヶ月が過ぎた。


世界樹の恩恵を受けた森での生活は、快適そのもの。  

だが、最強ママのアリスにも、一つだけ解消したい悩みがあった。


(リラの寝付きを良くするための温浴効果と、私の慢性的な肩こり解消……やっぱり「お風呂」のグレードアップが必要ね)


現在の住居にあるのは、錬金術で作った全自動浄化ユニットバス。

機能的には完璧だが、成長著しいリラと一緒に浸かるには、少々手狭になりつつある。  


それに、アリスは知っていた。

この森の最奥、活火山帯の近くには、どんな怪我や病も癒やす『幻の秘湯』が湧いているという情報を。


「よし、リラ。今日はピクニックがてら、大きなお風呂を探しに行きましょう」


「あい! ぴくにっく!」


アリスはリラを特製の背負子(ベビーキャリア・改:衝撃吸収機能付き)に乗せ、意気揚々と森の奥へと足を踏み入れた。  


これが、新しい家族との運命的な出会いになるとは露知らず。


 * * *


森の最深部に近づくにつれ、周囲の景色は一変した。  

緑は失せ、赤茶けた岩肌が露出し、肌を焼くような熱気が立ち込めている。


(……おかしいわね)


アリスは足を止めた。  

温泉特有の硫黄の匂いではない。


鼻をつくのは、鉄錆と、何かが焦げたような生臭い臭気。  


そして何より、この場所のマナの流れが、アリスたちの住む家の方角から来る「癒やしの波動」を求めて、必死に渦巻いているのを感じた。


「ママ? ここ、いたいいたい、する」  

背中のリラが、不安そうにアリスの服をギュッと握りしめた。  


リラの鋭敏な魔王因子が、空間に満ちる「悲鳴」を捉えているのだ。


「大丈夫よ。ちょっと見てみましょう」


アリスは警戒レベルを引き上げ、岩陰を回り込んだ。  

そこに広がっていたのは、小さなマグマ溜まり。


そしてその岸辺に、真っ赤な塊が倒れ伏していた。


「……ドラゴン?」


それは、伝説上の生物『古龍エンシェント・ドラゴン』の幼体だった。  


全長は50センチメートルほど。

本来なら宝石のように輝くはずの真紅の鱗は、煤と泥で汚れ、光沢を失っている。


アリスは息を呑んだ。

「竜がいること」に驚いたのではない。


その身体に刻まれた傷跡の「悪意」に、戦慄したのだ。


野生の生存競争でついた傷ではない。  

鱗の継ぎ目を狙って、鋭利な刃物で切り開かれた手術痕。  


拘束具が食い込んだまま、肉と癒着した足首。  


そして背中には、無理やり魔力を抽出されたであろう、焼け焦げたあなが開いていた。


(……なんてこと。この子は「実験」されていたのね)


ここ数日、森の結界に微弱なノイズが走っていた理由がわかった。  

この幼竜は、どこかの研究所から命からがら逃げ出し、本能的に世界樹のマナが溢れる「アリスの家」へ助けを求めて辿り着いたのだ。


だが、今の彼には、もう治癒する力さえ残っていない。  

体内の魔力炉が暴走し、自身の身体を高熱で焼き尽くそうとしている。


「グルルゥ……ッ!」  


アリスが近づくと、幼竜は虚ろな目を開け、弱々しく威嚇した。  


その瞳は「来るな」と拒絶しているのではない。


「痛い、怖い、助けて」と泣いていた。


「っ……!」  


アリスの胸が締め付けられた。  

彼女の目には、それが最強種族のドラゴンには見えなかった。  


ただ、傷ついて、親を探して泣いている迷子に見えた。


「大丈夫。怖くないわ」


アリスは躊躇なく、高熱を発する幼竜の首元に手を伸ばした。  

ジュッ、と皮膚が焼ける音がする。  


リラ由来の耐熱スキルがなければ、腕ごと炭化していたほどの熱量だ。


「ママ!?」


「リラはそこで待っていて。この子、お熱があって苦しいの。ママが冷ましてあげるから」


アリスはそのまま、燃えるような竜の身体を抱きしめた。  


錬金術師として「ポーションをかける」という選択肢はなかった。


硬い鱗に阻まれるし、何より、今の彼に必要なのは薬ではないと直感したからだ。


「錬金術式:『熱量転移ヒート・ドレイン』……!」


アリスは自らの魔力回路を全開にし、幼竜の暴走する熱エネルギーを、自分の身体へと引き込み始めた。  

凄まじい激痛が走る。血管の中を溶岩が流れるような感覚。  


だが、アリスは腕を緩めない。

むしろ、より強く抱きしめた。


「痛かったわね。辛かったわね……。もう大丈夫。悪い人間はここにはいないわ」


耳元で、子守唄のように囁き続ける。  

それは魔術的な詠唱ではなく、ただの母の言葉だった。


やがて、幼竜の強張っていた筋肉が、ふっと緩んだ。  


アリスを通して流れてくる、リラの穏やかな魔力と、アリス自身の献身的な体温。

それが、傷ついた魔力炉を優しく鎮火させていく。


「きゅぅ……?」  


幼竜の瞳から、警戒の色が消えた。  

彼は不思議そうに、自分を抱きしめる小さな人間を見つめた。  


生まれて初めて触れた、痛みを与えない「手」。


「……いい子ね。頑張ったわね」


アリスは汗だくになりながら微笑み、幼竜の煤けた鼻先を撫でた。  

すると、背負子からリラが身を乗り出した。


「よしよしー。いたいの、とんでけー」  


リラが小さな手を伸ばし、幼竜の額にペタリと触れる。


その瞬間だった。  


幼竜の身体が、淡い光に包まれた。


幼竜は求めていた。  

温かいアリスの腕に抱きつきたい。  


優しいリラの手を、自分の手で握り返したい。  

でも、今の鋭い爪と硬い鱗では、彼女たちを傷つけてしまう。


――もっと、小さくて、柔らかな姿に。

――彼女たちと同じ、家族になれる姿に。


その切実な願い(イメージ)に、アリスの『万象錬金』とリラの『魔王因子』が呼応した。  

光が収束する。  


巨大な竜のシルエットが縮み、人の形を成していく。


そこに現れたのは、真紅の髪と、小さな角を持った、五歳くらいの男の子だった。  

まだあどけない顔立ちだが、その瞳は澄んだルビー色をしている。


「あ……」  

男の子は、自分の掌を見つめ、それから恐る恐るアリスの服の裾を掴んだ。  


今度は、破れない。傷つけない。


「……ま、ま……?」  


辿々しい声で、彼はアリスを呼んだ。


アリスは驚きに目を見開いたが、すぐに慈愛に満ちた表情で彼を抱きしめ直した。  

竜でも、人でも、関係ない。  


ここにあるのは、親を求める一つの命だ。


「ええ、そうよ。私がママよ」


アリスは、ポケットからハンカチを取り出し、煤で汚れた彼の顔を拭った。


「名前が必要ね。強くて、真っ直ぐで……そう、『タツヤ』はどうかしら」


「……タツヤ」  


少年は嬉しそうに繰り返し、リラの方を見た。  


リラが「たつやー! おにーちゃん!」と満面の笑みで呼びかけると、彼は恥ずかしそうに、でもしっかりとリラの手を握った。


「帰りましょう、タツヤ。お家で、美味しいご飯が待っているわ」


アリスは、右手にリラを抱き、左手でタツヤの手を引いて歩き出した。  

温泉探しは失敗だったけれど、もっと温かいものを持ち帰ることになった。


――後に、この少年が『竜王』として覚醒し、世界中の竜族を統べる存在になるのだが、それはまだ先の話。  

今の彼にとっては、繋いだアリスの手の温もりだけが、世界の全てだった。

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