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三十二話

 北斗君は目を細めると笑った。

 いや、笑い顔に顔を歪めた。


「待ってて。約束を今、果たすから」


 そして狐の面を大切そうに胸に押し当てたまま舞姫桜の根元に行くと、それを置いて太い根の向こうに隠されていたバイオリンを手にとった。


「この馬鹿が持ってきてて良かった。無くなった時は本気でひやっとしたよ」


 バイオリンを愛おしそうに眺めるその目は冷たい。


「じゃ」


「あぁ。三度目の狐だけはこいつだよ」


 氷のような目は、今やぴくりとも動かない先生に向けられた。

 本当に死んでる?

 ぞくりとして、確かめる事もできなかった。


「まぁまずは、約束を果たそう。この為にここに来たんだから」


 そう言うと、北斗君はバイオリンを構え、そっと玄に弓を添えた。

 桜が一斉に舞い散る。

 漂う血の匂いとその桜の薄紅色の美しさは本来は不釣り合いなはずなのに、不気味なほど溶けあって…妙は高揚感を覚えさせた。


「これが、君との約束の曲だよ」


 滑らかに弓が滑り、世界が流れる旋律に飲み込まれた。


「あぁ」


-桜が舞う

 音の波が舞う


-桜が踊る

 囁くのは甘い痛み


-桜が嘆く

 歌うは愛しい思い出


 置かれている状況すら忘れさせるほどの迫りくる音の洪水は、私を包みこむ。

 そうだ……1年前の約束。それは舞姫桜にちなんで……。


 舞姫には恋人の楽人がいた。しかし高貴な身の彼女と一介の笛吹きの結婚など許されるはずもなく…父親が反対する。が、二人の熱意に押された父親は条件を出すのだ。楽人が彼女のための曲を作り、彼女が舞う。それが素晴らしければ結婚を許すと。

 けれど、約束の日、楽人は現れなかった。父親の手下に暗殺されたのだ。

 それを知らない舞姫は裏切られたと嘆き、自害する。

 聞こえないはずの恋人の旋律に舞うように、この木の上から飛び降りて。


 そう、その姫の哀しみを救おうって、北斗君は私に約束したんだ。

 1年後。私の為の曲を作ってここで聴かせてくれるって。

 いつの間にか流れていた涙は温かかった。

 掌をそっと胸の前で開けると、そこにまた花びらが舞い降りた。涙が重なる前に、私はようやく理解した。


 北斗君はずっと傍にいてくれてたんだ。


 この曲は、こんな血の匂いのする場所で聴くはずじゃなかった

 本当は……


 あの時触れた場所がまた熱を帯び始める。

 私も、同じ気持ちだったんだよ。北斗君。


 旋律は最期の想いに高鳴り、薄紅色にかき消えた。

 私はゆっくり顔を上げる。

 そこには、バイオリンを置いた『狐』がこちらを見ていた。


「これで、もう、この世に未練はないだろう? 希」


 一歩踏み込んでくる。


「何が……したいの?」


 一歩後ろに後ずさる。


「希!」


 後ろから声が飛んだ。

 振り返った私の目に映ったのは、光!

 光は肩で息をしながら、石段を駆け上り目が合うと少し表情を緩め、私と『狐』の間に立った。


「よかっ……た。間に……あって」


「どうして?!」


 『狐』が無表情でこちらを睨みつける。


「ハヤテが、教えてくれたんだ。桜が呼んでるって。だから、俺は……。北斗! やっぱりお前だったんだな!」


 光の声は闇を切り裂く怒声となる。

 でも、私はそれに首を振った。


「違うの。北斗君じゃない」


 光の腕を掴む。


「は? 北斗じゃないって?」


 『狐』を見据えながら納得いかない様子で尋ねた。

 そうなのだ、この一連の事件は北斗君のせいじゃない


 梓の首にリボンを巻き

 ハヤテの腕輪を川に流した

 『狐』は……


 私は、掌の桜の花びらを握りしめると、月光に白く冷たく光るその顔を見つめた。

 唇が、これから口にする真実を否定しようと震える。


「そうよね?」


 『狐』は答えない。

 ずっと同じ顔でこちらを見つめている。


「南くん」


 『狐』が泣きながら笑った。

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