二十九話
自転車が軋む音がする。
ぬかるみ道に轍を刻み込みながら行く月影の下は、妙に明るく星が見えなかった。
頬に当たる風はこの疾走に生まれたものなのか、山から吹く夜の息吹なのかは判然としなかったけど聞こえないはずの時の刻みが自分の鼓動となって、急きたてた。
そして…私がついたのは…。
永遠を思わせる暗闇を見上げる。
冷たく何かが息を潜める石段…。
そう、私は月詠神社の方に来たのだ。
光が北斗君より大切とか、北斗君が光よりどうでもいいとか…そう言うんじゃない。
家に近いこちらを選び、光を助けてから十字路に向かおうって思ったのだ。
光なら、なんとかしてくれるかもしれない…そんな根拠のない、でも確信に近い思いもあった。
だから…怖がってる暇なんかないんだ。
ざわざわと黒い塊になった石段を覆うような木々が、手招きするように揺れている。
風が吹きあがって行くたびに、人の囁き声のような音がして…あるはずのない何者かの視線まで首筋に感じる。
「行かなきゃ」
呟くと、私は一気に石段を駆け上がり始めた。
昼間の雨で散った薄紅色が濡れた石段に貼りついていて、時々流れる雲の合間から零れ落ちる月明かりに照らされると、それはまるで桜の絨毯のようだった。
見上げると、舞姫桜がまだその枝先につけた羽衣を振っている。
舞姫は…どうして恋人と結ばれなかったんだっけ
どうして…そうだ…
最後の石段を踏みつけ、体を持ち上げた。
上がった息にいつしか足元ばかり見ていた視線を上げるとそこには…
目を見張り息を飲む
やけに自分の鼓動と乱れた呼吸だけが耳に着いた
暗闇に白くぼんやり浮かぶそれは、無表情のような吊りあがった目に裂けた口でこちらを花吹雪の向こうからじっと…まとわりつくような視線で見つめていた。
「……こんばんは」
真っ白な狐の顔が、桜の向こうからそれだけを覗かせてこちらを見ていたのだ。