十九話
自転車のない私は、昨日と同じように北斗君の後ろに座った。光は相変わらずふてくされてる。正直、こんな雰囲気嫌いだ。
ぬかるんだ道の泥が柔らかい新芽の雑草に跳ねている。
私もなんとなく面白くなくて、自転車のタイヤが作る車輪の跡にしばらく目をやっていた。
昨日の雨雲は去ったようだけど、まだ空には薄い雲がかかっていて、所々の雲間から陽がこぼれているのが時々降り注ぐが、すぐに灰色の世界に戻ってしまったり…今の心の中のように変な空だった。
「光君……僕の事、気に喰わないのかな?」
北斗君が背中越しに囁いた。
「わかんない」
正直に答える。だって、去年はあんなに仲が良かった。今年だって、首なし地蔵の辺りまでは普通だったじゃない。一体何なんだろう? 私は顔を上げて、私達の少し前を行く光の方に首を向けた。
「ね、光。何か怒ってるの?」
「別に」
短い返事は怒ってる証拠だ。私は一つ溜息を小さくつくと
「何よ~。ヤキモチでもやいてんのぉ?」
冗談めかして言ってみた。だって、そんなはずないもの。案の定、光は
「ばーか」
そう一言悪態をついて、スピードを上げて行ってしまった。私と北斗君はキョトンとして顔を見合わせる。何故だかそんな光がおかしくて、私達は同時に吹き出した。
――
「おや。君たちか」
大谷先生は私達の何度目かの呼び鈴にようやく出てくると、いつものおっとりした口調で目を丸めた。
若いくせに、落ち着いて見えるのはこの性格ゆえだろう。あんまり寝てないらしく、服装は昨日のままだしまだ目は眠そうだ。
「先生! 梓は?」
「ん? 梓ちゃん? 大丈夫だよ」
先生は欠伸を噛み殺しながら頭をかくと、うんと背伸びした。光はその態度にもどかしく思ったのか、イライラを足踏みに変えながら両拳を握りしめる。
「だから……詳しく教えろって。なんで倒れてたんだ? 今、どんな状況なんだ?」
掴みかからんかの光の剣幕に、先生は苦笑いしてちょっと腰を引いた。
「まぁまぁ。落ち着いて。梓ちゃんはね、眠っていただけなんだ」
「え? 嘘。だって……」
信じられない。だって、あの時、揺すっても叩いてもまるで反応がなかった。
「うん。詳しくはもう少し調べてみないと分からないんだけどね」
先生はひょろひょろ長いその手を組んで、無精ひげの顎をさすった。
「薬かもしれないけど、小さな火傷の跡があったんだ。だからもしくは……。とにかく、事件かもしれないって。今、光君のお兄さんが調べてるよ」
「梓は?」
「入院なのは、検査と、ちょっと肺炎にもなりかけててね。他に目立った外傷はなかったけど大事をとったんだ。すぐに退院は出来ると思うよ」
そう言うと、私たちを安心させるように眼鏡の奥の目は微笑んだ。安堵と同時に『事件』なんて物騒で馴染みのない単語に不安が広がる。一体、梓にそんな事して、なんのつもりだったんだろう?
「……梓ちゃんは他に何か言ってましたか?」
北斗君の質問に、先生は唇を少し曲げた。
「たとえば、犯人を見たとか」
「それなんだけどね……」
ため息混じりにそう言うと、眉を寄せ
「狐から電話があったって言うんだ。リボンを預かったから、首なし地蔵まで取りに来いって。それで、行ったら狐がいて……それからは分からないって」
狐?
意味不明の内容に三人で顔を見合わせる。
「君たちでもわかんないか。まぁ、小さい子の言う事だし、まだ混乱してるのかもしれない。何か心当たりがあったら、大人に教えてくれるかい?」
「わかりました」
光はまだ腑に落ちないと言った顔で頷いた。
――
先生が診療所へと消えてから、私達はあてもなく歩き始めた。
梓の無事を聞いても足取りが重いのは、きっとあの、不穏な名前のせいだ。
狐
なんだろう? 気味が悪い。ふと、よく夏の夜店でみる、あの吊りあがった目の耳まで口が裂けた狐の面が思い浮かんだ。
狐って、あの人を化かすっていう、あの狐なの? 信じられない。でも、これが本当なら、梓は狐に狙われたって事?
「光」
光は自転車を押しながら頷いた。この町にはたくさん不思議な話はあったけど、本当にこんな事が起きるなんて。
「調べよう。もう一度。首なし地蔵を」
そう唸るように光が言った時だった。
「子供が川に流されてるぞーっ!」
遠くで大人の叫び声が聞こえた。
「?!」
その声に、私達は冷水でも浴びせられた様な衝撃を感じて顔を跳ね上げる。子どもって、この町には私達と梓以外には……。
まさか、ハヤテ?!
北斗君と光を見ると、二人とも硬い表情に顔を青くして頷く。確認するしかない。
私達は自転車に飛び乗り、その声がする川の方へと不安に追い立てられるように走りだした。
自分達の想像がまるで外れている事を願いながら。