清楚系の女の子
ここ十日ほど、まるで出勤のように、俺は毎日決まった時間に荒木絵里子の家の前に立ち、大声で叫んでいた。
「荒木絵里子さん!オレと結婚してくださいーー!!」
彼女に届いているかどうかは分からない。
それでも、俺は半月もの間、風雨にかかわらず毎日叫び続けた。喉が枯れても、扉は一向に開かない。
閉ざされたカーテンは一度も動いた様子がなく、もしかしてこの努力は全部無駄なんじゃないかと、ふと思ってしまう。
でも、その時。
琥珀色の瞳が、ひっそりとこちらを見つめていた。
甘い笑顔を浮かべた少女が、後ろを振り返りながら言う。
「今日も来てるよー」
「彼のことはもう言わないでって言ったでしょ?」
絵里子は顔を上げず、手元の書類にペンを走らせていた。
少しの沈黙の後、彼女は尋ねた。
「……今日で何日目?」
「たしか……16日目だったかな?」
カーテンのそばの少女は、あごに指を添えて答える。
「そう……」
絵里子の声には、感情がこもっていない。
「彼に伝えて。もう無駄な努力はやめるようにって」
「えっ?」
「分かってるでしょ、私、男には興味ないから」
「でも、彼イケメンだよ?」
その頃、門前では——
また荒木鉄斎が来ていた。俺は内心「またかよ」と顔をしかめる。
「ウチの娘を口説こうなんて、百年早ぇよ」
その言葉に、俺の怒りが爆発した。思わず睨みつけて怒鳴る。
「頼むから、俺の傷に塩を塗るのはやめてくれ!!」
額に青筋が浮かび、拳を握る。
弓のようにしなり、鋭く突き出したその一撃には、失恋の悲しみと怒りが詰まっていた。
——ドン!
風が舞い、落ち葉が渦を巻く。
拳が彼の腹にめり込んだ瞬間、まるで水の上を打ったかのように、腹筋がぷるんと波打った。
風が止むと、俺は拳を引いた。
口元にはわずかな笑みが浮かぶ。師匠、甘いですね。そんな手で俺の拳を受け流せるとでも?
「……いいパンチだったな……」
鉄斎は顔を歪めて腹を押さえる。だが目は驚いていた。
こいつ……素質はある。だが女に目がないのが難点だ。
師匠は溜息混じりに言った。
「武道家が女のことでクヨクヨしてどうする」
「武道の真髄は、美少女のためにあるんだろ?」
鉄斎は絶句した。
「……それが貴様の信念か」
「そうだけど?」
俺は堂々と答える。
「正義のため?守るため?冗談じゃない。そんな台詞、俺の辞書にはない」
「……お前という男は……教育を見直さねば……」
師匠が頭を抱える中——
「カチャッ」
ついに、待ちに待った扉が開いた。
俺は顔を輝かせる。
「やった!ついに成功だ!」
だが、扉の向こうにいたのは、見知らぬ少女だった。
「……なんだよ」
まるで空気が抜けたフグみたいに、俺の心もしぼんでいく。
一方、少女は俺を見るなり可愛らしく笑った。
彼女は絵里子とは正反対で、華奢で素朴な魅力を持つ少女だった。
「何がおかしいんだよ?」
俺は不機嫌に言った。
「怖っ!あたし、絵里子さんの伝言を伝えに来たんだけどな〜」
早く言ってくれよ。
「すみません、美しいお嬢さん」
すかさず頭を下げると、彼女はまたくすっと笑った。
「教えてくれる?」
「お嬢様は……もう、無駄な努力はやめてほしいって」
ブフッ!
師匠の口から笑いが漏れた。俺はすかさず拳でぶん殴った。
鉄斎が倒れても、俺の心は晴れなかった。
……やっぱり俺って、女運ないのかな。
異世界でも、21世紀でも、ダメなのか。
このまま孤独に朽ち果てるのかな……
はあ、とため息をついて帰ろうとしたその時。
少女が、ためらいがちに言った。
「でもね……お嬢様、別にあなたのこと嫌いってわけじゃないと思う」
もじもじしながら、彼女は拳をギュッと握って応援のポーズをとる。
「むしろ……すごいと思う!」
「それに……」
「私、あなたのこと……ちょっと尊敬してるんだ」
「え?」
「だって、女の子のために毎日ここまで来て、十何日もずっと待ってるなんて……普通できないよ。私だったら、初日で諦めてたかも」
彼女は少し照れたように笑った。
「だから……渡辺悠人さん。あなたって、普通じゃないよね」
これ……褒められてる?
俺は服の裾を握りしめ、手のひらに汗がにじんでいた。
冷静になれ、俺。
ここはクールに、男らしく返せ!
そう思って口を開いた俺の第一声は——
「ありがとう……君、名前は?」
どこまでも凡庸だった。
でも仕方ない。退学してから、他人との会話はめっきり減っていたし、異性なんてなおさら。
彼女に変な印象を与えていませんように……そう願いながら、こっそり視線を向けると——
たぶん、彼女も少し緊張していた。
「わ、私、桧森奈緒って言います」
「奈緒……か。いい名前だね」
その一言に、彼女は息をのんだ。
風が頬を撫で、彼女の顔がほんのり赤く染まった。
照れてる女の子って、なんでこんなに可愛いんだろう。
まるで時間が止まったかのような一瞬。
師匠が後ろから肩をポンと叩いてきた。
「見惚れてんじゃねぇよ」
「お前、あの子に気があるんじゃねぇの?乗り換えるってのもアリだぞ?」
まるで悪魔の囁き。
一瞬、揺れた俺の心。
でもすぐに打ち消した。
「俺の心は、絵里子さん一筋だ」
そう言って帰路につこうとした、その時だった。
口笛の音が響いた。
「おーい、毎日ここで失恋コントやってるアイツじゃん?」
顔を上げると、派手な格好の青年が、取り巻きを連れてこちらに歩いてくる。
「お前は……?」
「フィード・ハルト。昔、絵里子さんにアタックしてた者さ」
師匠が耳元で囁く。
「こいつ、闘技場の拳王の弟だ」
要は、手を出すなってことだろうけど——
今の俺は、そんな理屈が通じる状態じゃなかった。
俺は即座に言い返す。
「つまり振られたってことか?」
フィードの表情が引きつるが、すぐに嘲笑を浮かべた。
「オレは賢明だったのさ。あんな冷たい女、早く見切りをつけた方が身のためだ」
彼は一歩近づき、耳元で囁いた。
「最近、闘技場で連勝してるらしいな。だが、やめておけ。あの女に時間を割く価値なんてない」
拳が震える。
「今、なんて言った?」
「文字通りさ。お前みたいな顔なら、他の女を狙えば多少はモテるかもな。でも、あの氷女に執着するのは、マジでバカの極みだ」
深く息を吸い、怒りを飲み込む。
「お前、自分が振られたからって、彼女を悪く言うのか?」
「闘技場の女なら、強い男に嫁ぐのが当然だろうが?」
——は?
俺の中の現代的な男女平等精神が、今、完全にキレた。