アリーナの美女
競技場は珍しく静寂に包まれていた。もし最初にこの蠕虫を食べたのが能力を得るためだったなら、続けて食べる理由は単純にその柔らかくて滑らかな食感と、爽やかで甘みのある味のためだった。
「……」
「選手!選手!行動を止めてください!」
司会者がようやくショックから立ち直り、大声で私に叫んだ。
言われて、私は仕方なくやめた。
この蠕虫の肉は柔らかくて糯っこく、土の香りがほんのりする。言ったら笑われるかもしれないが、異世界で食べた中でこれが一番美味しい食事だった。
第一試合が終わり、私が退場すると、競技場は停滞したように見えた。しかし、それは次の出場者がいないという意味ではない。血に飢えた観客たちがいる限り、この肉と血の臼は止まらない。
「なんだ!あれは俺の大事な弟子じゃないか!」
競技場の裏手に入ると、突然、巨大な影が遠くから駆けてきた。視力に自信がなければ、暴走した戦車かと思うほどだった。
彼は突然私を抱きしめ、私は死にかけた。
彼の致命的な抱擁で息が苦しく、周囲の人に向かってこう紹介していた。「こいつは俺の弟子、渡辺悠人だ。」
私は無理やり笑顔を作ったが、誰も私のことを知らなかった。
顔が熱くなった。酸欠のせいか、久しく誰かに誇らしげに見られていなかったから、恥ずかしさを忘れていたのかもしれない。
「……もういい、師匠。」
私は必死に解放されようとしながら、お世辞を言った。「名師は高徒を生むって言うけど、功績は全部俺のものじゃないよ。」
それを聞いて、目の前の筋骨隆々の大男の目に涙が浮かんだ。
「まさか、師匠、そっちのメンタルも弱いのかよ!」
「弟子がそうなら、師は何も望まん。」
「師匠!」
「追加練習だ!今日こそ満足させてやる!」
師匠の熱意に押されて、私は断る余地がほとんどなかった。
本当に、余計なことを言わなければよかった。
今回はいつもと違い、室内で型や動作を覚えるのではなく、重りを背負って長距離走だった。
競技場は複合施設で、居住区や訓練施設、広い敷地もある。
今、私は師匠を背負って走っていた。
「呼吸のリズムを意識しろ。」
言うのは簡単だな。まず俺を降ろしてくれよ。
「試合前は技術の向上が急務だったが、今は基礎体力の強化が目的だ。」
「武道家として、師匠みたいにムキムキじゃなくても、少なくともたくましくあるべきだろ?」
私は師匠のベッドを壊すほどの巨体を思い出し、頭をその上に押し付けて冷や汗をかいた。
「心配するな、今の均整の取れた体型には満足している。」
何周か走り続けて疲れたが、この過負荷トレーニングは確かに効果的で、身体の潜在能力を最大限に引き出せている気がした。
黒牙流呼吸法も効いているのかもしれない。
最も分かりやすい変化は、師匠を背負うのから大木を担ぐのに変わり、息切れがなくなり余裕が出たことだ。
「まさに驚異的だ。お前は化け物か!」
師匠だけでなく、周囲の者も私の変化に驚いていた。たった午後だけの成果だというのに。
「さあ、下ろせ。薬湯を用意してある。」
そう言われて、大木を地面に放り投げると、長時間握っていた場所は皮が剥けて二つの手形がついていた。
大木は転がってほこりを舞い上げた。
汗で服がびしょ濡れだったので、素早く脱いで、師匠の作った薬湯に飛び込んだ。リラックスすると思いきや、じわじわと刺すような痛みが襲ってきた。
「師匠、これって家の掃除をするつもりですか!?」
そう思うのも無理はない。これは刀や剣による痛みではなく、虫が毛穴から身体の中に這い入るような痛みで心底痛むのだ。
「我慢しろ、これは秘伝の薬だ。皮膚の強さが増す。貴重な薬草だから途中で投げ出すな。」
言いながら、この老いぼれは浴槽から出ようとする私を押し戻した。
「師匠、あなたも入ってみませんか?」
師匠の言葉は半分しか信じていなかった。秘伝の薬は本当だが効果は怪しい。私は強靭さは感じないのに、全身がだるくて筋肉がむくんでいた。
「これは私の師匠から伝わったもので、当時は大金があっても売らなかった。」
「師匠、舌の調子はどうです?」
「どういう意味だ?」
「嘘つくと舌がもつれるって意味さ。」
話そうとしたところで、周囲が騒がしくなった。
好奇心は誰でもあるものだ。私も例外ではなく、人だかりの視線の先を見た。
息を止めそうな光景が目に入った。
それは美人だった。人間離れした美しさ。
清潔で端正な薄紫のワンピース、漆黒の長髪、雪のような肌、冷ややかな目が群衆を見下ろすが、嫌味はなく、彼女だけの誇り高く冷淡な雰囲気を纏っていた。
軽やかな足取りで歩いてきて、その優雅さは言葉にできなかった。
だから皆がぽかんとした顔をしていたのか。私も例外ではなかった。
現実に打ち砕かれたはずの心が、彼女を見て突然鼓動し始めた。
これが恋というやつか?
いや、冷静に。顔だけじゃなくて、魂や性格、価値観が重要だ――でも、やっぱり好きだ!
……違う、彼女は私に向かって歩いてきた。
これが俺の魅力か?毎日女の子とイチャイチャする生活が始まるのか?
そう思った矢先、彼女が言った。
「あなたが父が最近迎えた弟子?」
清らかで心地よい声は春の最後の雨のようだった。
私は目を見開いた。
父?弟子?
急いで荒木鉄斎を見ると、彼は娘の前で巨大な体をまるで丸く縮めているようだった。
父親が娘に怖がられている?驚いたのはそれだけでなく――
荒木鉄斎のような男がこんな美しい娘を持つなら、その妻は天女のような人だろう。
「はい、えっと、渡辺悠人です。あなたは?」
「荒木絵里子です。」
この世界に来てしばらく経つが、ここの人の名前は欧米風か日本風ばかりで、本当に変だ。
その時、荒木鉄斎が恥ずかしそうに近づいてきて、慎重に言った。
「絵里子、今日ご飯を作ったんだ、一緒に食べないか?」
なんだって?これがあの厳しい師匠か?こんなに弱腰なのは初めて見た。
「いいえ、弟子に会いに来ただけです。」
彼女は高原の雪蓮のように冷たく言い、振り返って去っていった。残るのは香りだけ。
その迫力に周囲の人は道を空けた。
私は呆然と彼女の背中を見つめ、関係を断つのは忍びなかった。
荒木鉄斎はため息をつき、私に向き直って言った。
「薬湯が薄くなった。出てこい。」
私は振り返り、
「ねえ、本当に娘さんなの?」
「何言ってるんだ?間違いないよ!」
「怪しいなあ~」服を着ながら隣に寄って言った。「でも娘さんのこと教えてよ!」
私の好奇心は止まらず、師匠の困った顔からも多くを読み取ろうとした。
「俺のことは気にするな。」
荒木鉄斎は悲しそうに私を見つめ、不安を与えまいとした。
「お前、自惚れるなよ。娘のことだ、好きなことや誕生日、サイズまで全部教えろ。」
「なに!」
顔が真っ赤になり、何かを悟ったようだが、結果は明白だった。けどあえて聞いた。
「娘を口説きたいのか?」
「ダメか?」
私は日本の若者で、百本以上のギャルゲーを攻略してきた。女の子を落とすのは朝飯前だ。
「もちろんダメだ!!」
彼は叫び、つばが私の顔に飛んだ。そこまで熱くなるか?
「師匠、父娘仲直りしたくないの?家族団欒は?」
私は囁くように誘惑した。
その言葉に、荒木鉄斎は遠い目をし、良い夢を見ているようだった。
私は慌てず、彼が我に返るのを待った。
しかし彼は眉をひそめ、娘は触れてはならぬ逆鱗だと宣言した。どんな者でも、得意の弟子でも許されない!
「どうしたらいいんだ?頼む、父娘が仲良くなる方法を教えてくれ。」
師匠はあまりに操りやすい。
もし私が絵里子と結婚すれば、師匠は私の言いなりになるのだろうか?
そんなことは口にできず、しぶしぶ言った。
「昔、仏陀が肉を切って鷹に与えたように、今の俺は色仕掛けだ。俺と娘さんが結婚すれば、師匠と絵里子さんの確執も解消できる。」
それが方法か?
荒木鉄斎は私を上から下までじっくり眺め、白すぎる肌、小柄な体、どこも娘に釣り合わないと言った。
でも、それしか方法がないようだ。
「わかった。」
荒木鉄斎は歯を食いしばり、嫌々ながら「娘の情報は全て教えてやる。」と言った。