牢屋の中のグルメと鉄拳
正直な話、トムには魔法の才能があるかもしれないけど──武道の才能だけは絶対にない。
なぜか?
だって階段を一段登っただけで息が上がってるんだぞ? そんな体力でどうやって武道家になるつもりなんだよ。
「二階に着けばご飯ですよ、師匠。監獄メシとはいえ、意外と美味しいんです!」
本人はやけに楽観的で、満面の笑み。でも俺の中では、彼の武道修行にはもう死刑判決が下された。
「師匠って呼ぶなって……」俺は手すりに手を添えながら、増えていく囚人の往来を眺める。「この監獄って、なんか娯楽とかあるのか?」
「ありますよ、師匠。毎朝、1時間のひなたぼっこタイムがあります!」
「……へぇ、それは意外といいな。」
これは意外な高評価ポイント。まさか異世界の監獄がここまで人道的だとは思わなかった。現代社会だったら人権団体からフルボッコだろうけど、そもそも期待値ゼロの俺にとっては、これだけでもう大満足だ。
抵抗できないなら、受け入れるしかない。
トムの後ろをついていきながら、彼のビクビクとした態度にため息が漏れる。まったく、無駄にでかい図体してるくせに。
食堂に到着すると、煮込み肉と古パンと鉄の匂いが入り混じった独特な香りが鼻をつく。
建物はかなりボロい。天井の梁はむき出し、壁はひび割れ、四隅に吊るされたランプは今にも落ちそうに揺れている。囚人たちは三々五々、長テーブルの両側に腰かけ、トレーには食えなくはないが全くそそられないメニュー──ライ麦パン、人参の煮込み、そしてキャベツ。
食えないほどではないが、俺の中の「最低限」を軽く下回っていた。
「お前、元貴族の坊ちゃまだったんだろ? これが『美味しい』とか、嘘だろ?」
「師匠、けっこうイケますよ? 僕が取ってきますから、ちょっと待っててください!」
そう言うと、トムはぷるぷる揺れる体をくねらせて配膳口へ向かった。
俺は深追いするのも面倒なので、とりあえず腰を下ろして待つことにした。が──
待てども待てども、帰ってこない。
時間にして小半炷香……いや、そんな単位はどうでもいい。要するに周囲の囚人はすでに何回も入れ替わってるのに、トムだけが戻ってこないのだ。
俺も最初はのんびり肘をついて待っていたが、次第にイライラしてきて、ついには立ち上がってつま先で背伸びして探し始めた。
そして──俺の腹が最後通告を発し、俺の理性が限界を迎えたその時。
学者いわく、軽い空腹は脳を活性化させるという。なるほど、今の俺はバリバリにアクティブだ。もしかしてあいつ、俺に下馬威でもかましてるつもりか? どこかでこっそり飯食いながら笑ってんじゃねえのか?
イライラが限界に達した俺は、立ち上がって打飯所へ突撃した。
そこで見たのは──
列の途中に立って、トレーを抱えているトムの姿。
「……おい。」
そう声をかけようとした矢先、一人の囚人がスッとトムの前に割り込んだ。
だがトムは……なんと、文句一つ言わず、まるでそれが当然かのように列の最後尾へと移動していったのだ。
……俺の身体がピクッと震えた。思わず膝がガクッときそうになった。
まさか、この小さな監獄に、慈悲深き聖人が生まれていたとは……!
たぶん、こんなことが毎回起きてるから、俺の飯が全然来なかったんだ。
「おい!! トム、お前草でも食って生きてるのか!?」
トムはきょとんとした顔で振り返り、「あ、師匠……すみません、ちょっと譲ってたら時間かかっちゃって……」
「お前それ以上譲ってたら、俺は晩飯になっちまうぞ!!」
「だって、みんな怖そうな顔してるんだもん……」
「お前だって丸くてデカいだろ! 丸くたって、角はつけられるんだぞ!?」
はぁ……こいつほんとにもったいない体格してやがる。
俺は腕まくりをして、トムを引っ張って、さっき割り込んできたやつのところまで連れて行った。
「おい!」
振り返ると、そいつが睨みつけてきた。
「ガキ、なんだよ?」
体格はデカくて、目つきもヤバい。
話すたびに飛んでくる唾を、俺はちゃっかり顔を拭いた。
デブの言う通り、こいつはマジで手強そうだ。
でも――
「クソが!」
華麗な技なんて使わず、ただの真っ直ぐなパンチをぶん殴る。
案の定、モロに当たった。
そいつは吹っ飛んで、腹がベコッと凹み、唾と胃液が空中でぐるっと弧を描いて、壁に激突。完全に気絶した。
やっぱ俺、まだまだイケるな。監獄のランクは厳しいらしいけど、弱い奴はイジメられるって話を聞いてた。今回の一発で、俺のポジションは間違いなく中の上だ。
痺れた拳を振りながら周囲をチラ見。
喧嘩が起きると、監獄の奴らは興奮するもんだ。飯食いながら観戦しようと思ってたけど、まさかこんなに早く決着つくなんてな。今ここにいる全員が、この若造を絶対に手を出すなって刻み込んだはずだ。
あの恐ろしい男がニヤリと笑いながら周りを睨むと、皆ビビって飯も食わずに散り散りに逃げていった。
さすがだな。
臆病な俺でも、あの風見鶏連中にはちょっと感心しちまう。
まぁ、俺の腹にはいいことだ。
「デブ……じゃねえ、トム。これで俺たち、一番手になったな。」
「師匠、それはヤバくないですか?」
「口はいいから早く飯取ってこい。俺はお前みたいに200ポンドも脂肪はないんだ。」
「師匠、違いますよ!太ってますけど、俺は普通の人より腹が減りやすいんです!」
「ほうほう、じゃあ脂身多めの肉を俺にくれ。それが武の第一歩だ。」
飯を取って戻ると、食堂はほとんど空っぽだった。
見た目はアレな飯だが、監獄で美食を期待する方が間違いだ。腹を満たせりゃ十分だ。
そう思いながら一口。
「ん?この肉……?」
柔らかく煮込まれてて、濃いスパイスと脂の香りが絶妙に絡み合って、意外にも美味い!
「どうだ?なかなかイケるだろ。」
トムが得意げに笑い、椅子まで震えてる。
「今日はマーサおばさんが作ったんだ。彼女の腕はマジで確かだぜ!」
「そ、そうなのか?」
がっついて食べる俺に構う余裕なんてない。
たぶん、久々の美味い飯か、ただ腹が減りすぎてただけかもしれない。こんな牢飯が、俺にはご馳走だ。
「師匠、実はスープも絶品なんですよ。」
トムはスープの器を持ち上げて、丁寧にご飯にかける。白くて濃厚なスープが米粒の隙間を埋めていく。
「このスープの主役は豚骨で、砕いて骨髄からコラーゲンと旨味を引き出してる。そこに胡椒の葉、人参、ウコンのスライス……濃すぎず脂っこくもない、あっさりなのにコクがあって香りもバッチリ。」
言われるがまま、一口すくって口に含むと、目がパッと輝いた。
「マジで、だいぶ美味くなったな!」
「だろ!」トムは満面のドヤ顔。
「トム、お前料理得意だったのか?」
「いや、違うよ。ただの食いしん坊で、たくさん食べるうちに味にうるさくなっただけ。」
「なるほど〜。」
トムは監獄より美食家にでもなった方が向いてる気がする。
このスープ、本当にうまい。マーサさんに会ってみたいな。
すると突然、スプーンが器の底に当たり、スープを飲み干してしまった。
まだ足りねぇのに、唇を舐めてトムを見ると、まだ半分残ってた。
「おい、そっちのスープ飲むの待ってくれ。味の層をもっと研究したいんだ。」
「え?でも俺はまだ……わかったよ。」
トムは素直に器を差し出した。俺は頷く。
「トム、忘れるな。美食は人生の万能薬だ。たとえここに閉じ込められても、旨いものへの敬意だけは忘れんなよ。」
「はい!肝に銘じます!」彼は真剣にスプーンを掲げ、目に光る涙を浮かべて叫んだ。
「絶対に真面目に、努力して食べます!」