「最後の晩餐」と十年の刑──冗談じゃない!
夜は、この地に重くのしかかっていた。
壁の隅にあるランプがぼんやりとした光を放ち、壁に浮かぶ水跡と月の光が告げてくる──ここはどこかの宿屋の一室なんかじゃない。罪が確定する前の勾留監獄だ。
まだ有罪が決まったわけじゃない。逆転の望みは、ゼロじゃない。
……でも、やっぱり眠れない。
「フゴォーッ……フゴォッ……グォーー……」
このいびき、魔物の咆哮かよ。牢屋の中に何度も響き渡る。
「同じく捕まった身なのに、なんであいつはあんなに図太く寝てるんだよ……」
向かいのベッドでぐうぐう寝てるルームメイトを見つめる。肥えた体、呼吸と一緒に上下する腹、あの顔はハム一本丸ごと飲み込みそうな勢いだった。
俺は体をひねって枕で耳を塞いだ──効果なし。もう一度寝返りを打って腕で耳を押さえる──やっぱり無駄。ついに起き上がり、虚ろな目で天井を見つめた。
俺の眠りよ、安らかに眠れ──。
昼間の逮捕の記憶が脳内でエンドレスリピートされる。突然の拘束、無理やり着せられた罪名、そしてフィードのぶん殴りたくなるあの顔──
……これからどうすればいいんだ?
明日には取り調べに呼び出されるかもしれないし、いきなり「尋問官」に連れて行かれる可能性だってある。
この国の法がまともとは思えない。しかも俺は奴隷身分だ。処刑されても誰も文句言わない、そんなポジション。
「悠人──」
思いがけない声が、この場所に響いた。
俺は慌てて身を起こし、薄暗い廊下の向こうを見る。そこには細身のシルエットが鉄格子にもたれかかっていた。
「奈緒!」
心臓が跳ねるほどの驚きと喜び。まさかこの厳重な監獄に、奈緒が会いに来てくれるなんて!
「な……なんで来たんだ?」
彼女はふっと微笑む。唇の端には柔らかく引き締めた気配があるが、その目元には涙を拭ったような跡が残っている。泣いたばかりなのが、見てわかった。
「心配だったから。」
そう言って、彼女は胸元に手を入れ、服のボタンを外し始めた。
「ちょっ、なにしてんの!? ここそういう場所じゃないから!?」
俺は目を覆ったが、指の隙間からしっかり覗いてしまった。
「え? なんでまた変なこと想像してんの?」
奈緒は胸元から、精巧な弁当箱を取り出した。蓋と本体の継ぎ目からは、ほんのり湯気が立っている。
「絶対ご飯食べてないと思って、少し作ってきたの。こっそり中に忍ばせて。」
……なるほど、服の中で保温してただけか。
「……結構、あったかそうだな。」
「変態。」
鉄格子越しに渡された弁当を受け取る。ほんのり温かく、彼女の香りがほのかに残っている。
「なんか……余計に美味しそうに感じるわ。」
「素直すぎるよ!」
弁当を開ける。
ふっくらとした白いご飯に、香辛料がパラッと振りかけられていて、端には分厚い煮込み肉が二切れ。お馴染みの漬物と焼き卵、さらには角にちょこんと果物まで添えられていた。
湯気と一緒に、温もりがあふれ出す。それは食べ物の温度だけじゃなく、込められた想いのぬくもり。
俺はがっつりと一口噛み締めた。味が口いっぱいに広がって、泣きそうになった。
「うぅぅぅ……人類の至宝……もう死んでも悔いはない……」
「ご飯食べながら感動するのやめてよ、変な人みたいだから!」
「だってこれが最後の晩餐かもしれないんだぜ? そりゃ全力で味わうだろ!」
「バカなこと言わないで。荒木鉄斎さんの努力を無駄にする気? 彼は闘技場に戻ってから、いろんな人に頭下げまくってたんだよ? あたしと絵里子さんも、あんな彼初めて見た。」
「……本当に?」
絵里子小姐の実力は認めてる。でもまさか、荒木鉄斎が……俺のために助けを求めに戻ったって? おまえってヤツは……
俺はそっと、目に入ったおかずの汁を拭った。希望がまた心に灯る。そのまま気合を入れて残りの弁当に取りかかる。俺は慎ましい人間だ。ご飯の一粒だって残さず食べる主義。
「そこまで美味しかったんだ……」奈緒が口元を手で隠して笑う。「次、食べたいものあるなら、出てきてから作ってあげるよ。」
「……次もまた、服の中に隠してくれるのか?」
「……っ!」
彼女は俺から空の弁当箱を受け取り、立ち上がると、こちらを一度見てから静かに言った。
「心配しないで、悠人。みんな、あなたを待ってるから。」
「……うん。」
感情が大きく揺れ動いた後、人は自然と疲れるものだ。俺もそのまま深い眠りに落ちた。
──そして翌朝、誰かの声で目が覚めた。
「おい、新入り、起きろ!」
「……誰だ?」
昨夜あの大音量で寝ていたルームメイトだった。俺が目を開けると、彼はのんびりと腹をかきながら言った。
「俺のことはデブって呼んでくれ。お前、何やらかしてここに入ったんだ?」
「……事故だ。」
「どんな事故?」
「拳王を毒殺したって疑われてる。」
「……そりゃ、重罪だな。」
ガンガンガンッ!
鉄格子が叩かれ、まるで法警のような奴が怒鳴った。
「おい、何喋ってんだ! 渡辺悠人、出ろ!」
扉が開けられ、俺は言われるがままに外へ出た。まずしたことは、大きく伸びをすること。ベッドが硬すぎて、体中が痛い。
──が、その直後、俺は「手錠」をもらうことになった。
まさか異世界にまで手錠があるとは思わなかった。
せめて……公平な裁判であってくれ──そんな願いを胸に、制服姿の連中に導かれ、俺は“裁判所らしき建物”へと連れて行かれた。
「被告人、入廷。これより審理を開始する。」
──おいおい、俺はまだ“容疑者”じゃないのかよ?
俺は手錠をかけられていた。まあ、本気を出せば簡単に外せるけどな。
法廷内には神聖さなんて欠片もなく、まるで尋問部屋のようだった。壇上には数人の兵士が立ち、傍聴席にはパラパラと人がいる。
その中で俺の目を引いたのは──絵里子だった。
彼女は淡い紫色のマントを身にまとい、控えめながらも気品が溢れ、場の雰囲気を一変させる存在だった。
その隣には丸眼鏡の青年が立っていて、真面目そうに咳払いをした。──彼女が呼んだ弁護士だろう。
「闘技場の記録によると、渡辺悠人は拳王リードとの対戦時、『毒』を使用した。この行為は重大な違反であり、同時に拳王の死を招いた。」
裁判官は怠そうに書類をめくりながら、まるで店員と雑談するかのような調子で話していた。
俺の頭の中に警報が鳴る。──え、弁護の手続きすっ飛ばしていきなり有罪進行!?
絵里子が立ち上がる。顔色は冷静だった。
「お尋ねします。闘技場の規則には、毒の使用が明確に禁止されていると明記されていますか?」
裁判官は眉をひそめる。
「……闘技場には、そういった行為を明文化した規定は存在しない。」
「つまり、現時点では『犯罪』として立件できる根拠がないということですね。」
「しかし、被告は戦闘中に毒物を使用し、結果的に対戦相手が死亡した。殺意があったと疑われても仕方あるまい。」
「違います。リードを死に至らしめた原因は毒ではなく、外傷によるものです。中毒の兆候は見られません。」
絵里子の隣の弁護士が書類を広げる。
「それに、被告は未成年であり、王国法では刑事責任を問えないはずです。」
「もういい!」裁判官が机を叩いた。
「俺に判決の付け方を説くつもりか。」
彼は俺を一瞥した。そこに同情の色などなく、あるのはただ──あからさまな軽蔑。
「王国の法律は、奴隷には適用されない。」
「渡辺悠人、明文化されていない手段を用い、対戦者を死亡させた罪により、本裁判所は判決を下す──禁固十年。」
──判決の槌が打ち鳴らされた瞬間、俺の世界が音を失った。
十年……!
なんて重い数字だ。
牢屋暮らしなんて、絶対に嫌だ!
ガン!
俺の手首にかけられた手錠が、音を立てて弾け飛ぶ。金属片が床に鋭く跳ねた。
「悠人!?」
奈緒の驚きの声が飛ぶ。絵里子も立ち上がり、場内に驚愕の空気が広がる。
──もう、どうでもいい。
十年? ふざけるな。俺のニート歴ですらそこまで長くないぞ。
俺は床を蹴り、まっすぐ法廷の扉へ向かって駆け出す。
心臓が激しく打ち、耳元で怒号が響く。
「止めろ!逃がすな!逃げたらお前ら全員クビだぞ!」
──これこそ、武を磨いた意味だ!
風が耳元を切り裂き、出口が目の前に迫る。
……その時だった。
「カッ!」
それは、空間を裂くような鋭い音。門の外から、二本の氷青色の光束が放たれ、まるで毒蛇のように俺の手足へ絡みつく。
──魔法の鎖!?
「う、ぐああっ!」
冷気が鎖を伝い、体中の神経へと浸み渡っていく。体が急速に凍りつき、動きが止まった。
「な……なんで……!」
歯を食いしばり、俺は何とか抵抗しようとしたが、魔力はまるで水銀のように血流に入り込み、俺の力を封じていく。まるで糸の切れた人形のように、俺の体は宙に持ち上げられ──そして、床に叩きつけられた。
「反乱未遂。実力をもって鎮圧する。」
ローブをまとった魔法使いがゆっくりと入ってきた。その目には一切の感情がなかった。
「くっ……!」
必死に顔を上げると、全身武装の法警たちが次々に俺へと迫ってくるのが見えた。
「やめて!やめてください!」
奈緒が駆け寄ろうとするが、衛兵に阻まれる。絵里子は唇を噛みしめ、微かに体を震わせていた。その瞳には、暗い怒りが宿っているようだった。
「静粛に!」裁判官が怒りに満ちた声で槌を叩く。「法廷を妨害する者は、同様に拘禁する!」
「……なんて悲惨なんだ。」
俺はぽつりと呟く。
視界が白く霞んでいく。呼吸がどんどん苦しくなっていく。
まるで、世界が音ごと遠ざかっていくように──
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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