誘いと見極め
「じゃあ、ちゃんと立ってて、動かないで。」
彼女はハサミを引っ込め、俺の体に付いた毛をパッと払った。そして表情を引き締め、メジャーを手に取ると、肩幅、胸囲、ウエスト、脚の長さ、腕の長さと、次々に正確に測っていく。動作は手慣れていて、時折メモを素早く取りながら淡々と進めていた。
「……ふむ、なかなかいい体型ね。モテるでしょ?」
「……げほっ、えっと……」
褒められたのか冷やかされたのか判断できず、曖昧に咳払いで返すしかなかった。
彼女が腰をかがめ、ヒップサイズを測る瞬間——息が止まるかと思った。別にいやらしい意図は感じなかったが、至近距離で感じる彼女の吐息や、指が肌に触れる感触に、思わずごくりと喉が鳴った。
「緊張しないで。力んでたら正確に測れないでしょ。」
「す、すみません……」
「初めて女に採寸されるの?」
彼女はクスッと笑い、少しだけからかうような口調で言う。
「な、なんですか急に……」
「よし、これで終わり。あとはあなたの体型と雰囲気に合わせて三着ほどデザインしてみるわ。素材とか組み合わせに希望があるなら今のうちに言って。」
「特にないです。」
「じゃあ終わりね。服を着たら出ていいわよ。」
「……もう終わりですか?」
彼女はさっさと道具を片付け始めていて、少し寂しさすら感じた。
「ええ。2週間後にまた来てちょうだい。私、この店の店長だから。」
「わかりました。」
ツンとした態度ながらも、やはりとても魅力的な女性だな……と思いながら服を着直し、作業部屋を出た。
髪に手をやって、まだ慣れない新しい髪型に戸惑っていたその時——ふと視線の先に、思わず目を奪われる光景が飛び込んできた。
店内のディスプレイ棚の前に、絵里子が立っている。が、彼女の隣には見知らぬ男の姿があった。どう見ても裕福そうな商人風の男。体格は良く、顔には自信満々な笑み、口元には脂っぽい胡散臭さが漂っていた。
そいつはなにやら饒舌に喋っていて、しかも絵里子はそれを聞いている……!? なんと即座に拒否せず、表情にはうっすら笑みすら浮かべている。
「いやはや、なんとも希少な気品ですね、お嬢さん……私はトーレ家の者ですが、是非一度、お茶でも——」
ちょ、おまっ、そんなクサいセリフよく言えたな!?
なぜだろう、胸の奥がムカムカする。
「ゴホン、ゴホン……」
わざとらしく咳払いして、二人の視線をこちらに引き寄せる。
そして、堂々と近づきながら、両手で髪をかき上げ、できる限りチャラく振る舞ってみせた。絵里子はというと、興味津々といった表情で見守っている。
「ねえ、そこの美女ちゃん。さっきから見てたけどさ、良かったら俺と一杯どう? その後ホテルで人生語り合っちゃったりしてさ♪」
「おいおい、順番ってもんがあるだろうが。そんな三流ナンパでうまくいくわけ──」
「ふふっ、ありがとうございます。あなたもなかなか素敵ですよ?」
絵里子が彼の言葉を遮るように口元に手を添え、微笑みながら小さな手を差し出す。白くて細い指が印象的だった。
俺は察してその手を取り、堂々と彼女を連れて店を出た。
「は?これで通じるのかよ?」
長年の価値観が崩壊したのか、富豪風の男はその場で転びそうになっていた。最近の貴族令嬢は紳士より軽薄な男に惹かれるのかと頭を抱えていた。
店を出た俺は、無意識に絵里子の手を離した。
「どうしたの?」と彼女。
「いや、今日はちょっと……いろいろお世話になりすぎた気がして。」
「もしかしてさっきの男に嫉妬した?」
彼女は俺の手を握り返す。そして、その瞳で見上げてくる。まるで心の中まで見透かされているようで、妙に腹が立つ。
「でも、ああでもしないと、私が誰かの心の中でどれほどの存在か分からないでしょ? それに、その新しい格好、ちょっとは見せ場作ってあげないと、もったいないじゃない?」
「まさか髪型まで変えられるとは思わなかったけどな……」
「それにさ、さっきの軽口――あれが本来のあなたでしょ? ずっと真面目ぶってて、疲れたんじゃない?」
「いやいや、あれは事故だってば。あれで判断しないでくれよ!」
「ふふっ」
彼女は笑う。
「今のあなた、さっきまで仏頂面だった時より、ずっといい顔してるよ。」
なぜか、つい口をついて出てしまった。
……しまった、これ、今の流れだとめっちゃ誤解されるやつじゃん。
「そう?」彼女は髪をかきあげ、耳元のピンク色の耳たぶがちらりと見えた。「もし……私が前の告白にOKしたら、どうする?」
──まさかの爆弾発言。
俺は彼女を見つめた。いや、正確にはずっと見ていた。
なんだって? まさか……俺に惹かれたってこと?
絵里子はくるりと振り返る。華やかなドレスが彼女のボディラインを際立たせ、セクシーさと気品を同時に放っていた。
美しい。どこから見ても非の打ち所のない美しさだった。目が合った瞬間、何かが生まれそうになる。
──だが、その瞬間、俺ははっと気づいた。
こんな子が俺を好きになるわけがない。もしそう見えるなら、理由は一つしかない。
「……俺を試してるんだな? 安心してくれ。俺の想いは奈緒だけだ。」
一瞬、空気が固まった。
絵里子の表情から感情が消えた。そして数秒の沈黙のあと、ふっと笑ってこう言った。
「なるほどね……ほんと、真剣に奈緒を想ってるんだ。意外。」
「やっぱり試したんじゃねーか!」
そりゃそうだ。こんな完璧なお嬢様が俺なんかに惚れるはずがない。
ホッとした反面、なぜか胸の奥がちょっとだけ痛んだ。
「……さて、この話はここまで。もうひとつ、大事な話をしようか。」
彼女は辺りを見回し、突然俺を細い路地裏へと引き込んだ。
──ど、どうした!? まさかご褒美イベント?!
心臓がバクバクだ。期待と不安が交錯する中、彼女は静かに口を開いた。
「あなたは……この国のこと、どう思ってる?」
「……えっ?」
話の飛躍がすごい。
だけど、彼女の表情は真剣そのものだった。
まるで湖の底のような、静かで深い目。軽い冗談などではない。
俺は彼女の横顔を見て、慎重に言葉を選んだ。
「……正直に言うと、この国は……あまり好きじゃない。」
「理由は?」
「奴隷制度、重すぎる税、民衆から尊厳も自由も奪っている。」
言ってしまってから少し後悔した。彼女が貴族と繋がってたら、嫌な顔されるかも……でも彼女は、少しの沈黙のあと、ぽつりと言った。
「私も、そう思ってる。」
……え?
意外だった。奴隷市場にも関わってるような彼女が、そんなことを思っていたなんて。
「私はこの国を変えたい。たとえもう手遅れだとしても。もし、あなたも同じ想いを持っているのなら……『赫影の庭』に入ってほしい。」
彼女は手を差し出す。その掌には、黒くて重厚な紋章が静かに載っていた。
まるで闇の中で光る蛇の目のように。
「もしあなたが首を縦に振ってくれれば、奴隷の身分を取り払ってあげる。……奈緒との結婚式だって、盛大に開いてあげる。」
「どう? 渡辺悠人。」
俺はその手を見つめる。
……魅力的な提案だ。仲間もできるかもしれない。でも──
「……ごめん。」
彼女が俺の手を取って、無理やりその紋章を握らせた。
「今はそう言っても、いつか気が変わるかもしれない。持っておいて。考える時間をあげる。」
………………
家に帰った俺は、ベッドにごろりと寝転がる。シーツが皺くちゃになっても気にしない。
思い出すのは、絵里子の言葉。
手の中の黒い紋章は、金の縁取りに黒い薔薇のような装飾、中央には沈黙を守るカラスの図案。
──なるほど、そりゃあ絵里子お嬢様があんな自由にやれるわけだ。
あれはただの貴族じゃない。「赫影の庭」の幹部とかそんなポジションかもしれない。
でも、師匠には黙ってるっぽいし……きっと彼女なりの考えがあるんだろうな。
ふぁ~……重いこと考えるのはもうやめだ。
俺は大きなあくびをひとつして、目を閉じた。眠気が、ゆっくりと意識を沈めていった。