予想外の誘い
ベッドにて。
私は何度も寝返りを打ちながら思い巡らせていた。
誰かがこう言った。「恋とは、美と真実を追求することだ」と……誰が言ったかは忘れたが、今宵ほど身を持って実感したことはなく、しかもそのせいで眠れないとは誰にも教えてもらえなかった。
身体は疲れていても、頭はなかなか冴えたままだ。
私は奴隷という身分を捨てて奈緒と結婚し、共に子供を育て、その子に私の知識と武道を伝え、この異世界で安らかに生きていく。そんな未来を描いてしまう。――それは本当に幸せだろう。
夜は静かに過ぎていき、ふたたび月光が静かに注ぐ別の部屋では、奈緒もまた、寝つけずにいた。
すでに布団に入り、部屋も完全に静まり返っているのに、胸の「どきどき」という音がうるさくて、まぶたは閉じられない。記憶の断片が次々と蘇っては消えてゆく。
「バカな悠人……あんなこと、どうしていきなり言ったの……」
彼女は掛け布団で顔を覆い、ベッドの上で転がる。でも、唇が頬に微笑みを浮かべている。思い出すたびに、「好きだ」と告げたあの言葉と、あの手首のブレスレットのことを。まるで湯気の上がるお湯の中で、ぷくぷく泡が立つように、心の中が温かくなるのだ。
――ん……眠れない……
その時、ドアがそっと二度ノックされた。
「奈緒。」
月明かりのように優しい声。
「え……もう寝たよ!」彼女が慌てて言う。
ドアは開かないが、その声は遮音を抜けやってくる。
「寝たフリしても、返事しないとわかんないよ?」
「う、うぅ……ご、ごめん……」
ほどなくして、二人はベッドに寄り添った。
絵里子は相変わらず落ち着いた姿で、膝を抱えてベッド脇の椅子に座り、長い髪を肩の上に静かに垂らしていた。まるで月明かりに揺れる泉のごとく。
「で、彼って……君に告白したの?」
「うっ……うん……」
奈緒はうつむきながら枕を抱え、鼠のように小さな声で頷いた。
「それで? どうしたの? 受け入れたの?」
「えっと……すっごく……嬉しかった……」
彼女は顔を枕に埋め、声を嗚咽のように漏らす。絵里子は頬を紅潮させた彼女を見つめ、小さく表情を動かした。
「で、あの人ね、普段はふざけてばっかりだけど、ちゃんと真剣なところもあるんだね」と優しく笑った。「奈緒、幸せにね」
「絵里子さん……」
「でもね」と表情を変えずに続けた。「あの人、ちょっと軽くない? 本当に大丈夫かな?」
「悠人……彼、実は……真面目な一面もあるの……」
「そう?」
彼女はまばたきし、微かに口元を緩めた。
「じゃあ、私の目で確かめさせてもらおうかな。本気かどうかを」
「え!?」
「あはは、ご安心を」と立ち上がり、奈緒の髪をそっと撫でる。「ただの小さな試しよ。彼が君に本気かどうか、ちゃんと確認したいだけ」
「え、待って、絵里子さん――悠人君を傷つけないでくださいね」
「えぇ、今から甘やかして守るのね、奈緒って薄情なのね」
「そ、そんなこと……」
「平気よ。私は……とても優しく見るから」
そう言いつつも、奈緒はやや不安げだった。だが、彼女は思いを落ち着かせると、ようやく布団に身を沈めて眠りについた。
—
時間は確実に流れ、月が太陽に代わる頃、荒木家の屋内。
「ふわぁ~……」
階段でつまづきそうになりながら、手すりに助けられる。
「悠人、今日も練習は休もうか。そこのクマさんの目、ひどすぎるぞ」
荒木鉄斎は腰に手を当てて、苦笑混じりに言った。やはり、どんなに熱い少年でも、少女の愛には弱いらしい。
「はは、独り身には分からんだろうな」
私が鏡を取り出すと、予想以上にしっかりとした隈がある。
私のこの“端正な顔立ち”が、やや影を落としていて、今日も奈緒に会いに行くんじゃなかったかと思った瞬間、ま、それでも彼女は気にしないだろうと自分に言い聞かせた。
「出かけるぞ。今日の練習は最初からやるつもりなかった」
「おい、そのへんの小僧がぁ」と、師匠は不満げに言う。
戸外に出ると、いつもより少し澱んだ空気が、逆に心地よく感じられた。
「さあ、恋を讃えようじゃないか!」
唯一の問題は、昨夜眠れなかったせいで足取りがぴょんぴょんしてしまうことだけだ。
「元気なさそうな顔だな、悠人?」
その声に足を止め、振り返ると──そこにいたのは、あの少女。
──荒木絵里子だった。
……などと、あれこれ言ってたら、彼女がまさか話しかけてくれるなんて……
それとも、まだ夢の中なのだろうか。
「えっと……いや、別に、昨日はよく眠れなかっただけで……」
「眠れなかったの? うちの奈緒もそうだったよ。きっと、あなたのせいでね」
奈緒も眠れてなかったのだろうか?
なぜか、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
好きな人が眠れなかった──それなのに、何故こんなにも心が温かいのだろう。
私は俯き、思わず浮かぶ笑みを隠した。
「絵里子さん、今日はちょうど奈緒を訪ねようと思ってたんです」
「それなら、私もあなたに会いに来たのよ」
その清らかな微笑とともに発せられた言葉に、背筋が凍りそうになった。目的は分からないけれど──良い話ではない気がする。
「……断っても、いいですか? 実は、僕――」
「ダメ!無理!」
少女は一歩踏み込むように近寄り、声を遮った。その距離からは白い頬の産毛まではっきり見える。どれだけ勇猛な戦士でも、こんな鋭いまなざしの前ではひれ伏すだろう。
諦めたように頷きながら言葉を紡ぐ。
「わかりました、僕は……」
「ふん、最初からそうすればよかったのに」
言い終わる前に、腕をつかまれ──乱暴といえるほどに連れ出された。
実力者なのに、本当に強引だ。でも、奈緒のためと思えば……私は少し覚悟していた。だが、外に出てみればどうやらただの街歩きらしい。
「どこに連れていくんですか? もう何軒か店を回りましたよね」
「奈緒と一緒にいるあなたが、あまりにも地味な服装だったから」
「……つまり、服を買いに行くんですか?」
「うん。私が選んであげる」
えっ! 絵里子さんが私の服を選んでくれるなんて!? 普段競技場では、話しかけることすらためらう人なのに……。他の人に知られたら、嫉妬を通り越して歪んだ顔になるだろう。
「でも、さっきの店でも服売ってたんじゃ?」
「あなたに似合うやつをちゃんと選びたいから、もっとちゃんとした店に行こう」
私は少し黙ってしまった。絵里子さんだって私より年上じゃないか……なぜ、こんな大人びたんだろう。
それでも得も言えぬ思いを理解し、認めた。ここでは服装がステータスそのものだから、奈緒と一緒にいるなら恥をかかないようにしないと。
そうして連れて行かれたのは、高級衣料店だった。普段なら気づきもしない店で、店員の冷たい視線が目に浮かぶようだ。
壁は象牙のように白く、床は磨き込まれて鏡のように光っている。
思わず一歩後ずさりし、絵里子の手をさらに強く握った。わずかでも安心感が欲しかった。
「失礼ですが、とても有名な貧乏人なのですが」
「あなたにお金を出してもらうつもりはないわ」
彼女は扉を開け、まるで裕福な人のように言った。店内に差し込む照明が、まるで天女のように彼女を照らす。
この瞬間、心の声が漏れそうだった。
「お嬢様……どうか私を養ってください!」
店内は上品な香りで満たされ、侍女風の店員が絵里子に深々と頭を下げた。
「お嬢様、ご来店ありがとうございます」
ああ、やはりこの店も貴族向けだ。
絵里子はスムーズに私のための服を選び始めた。まるで自分のために選ぶかのように。
「普段の服は質素すぎるわ。これどう? 体にフィットするし、軽やかな布だから夏にもぴったり」
「色も落ち着いていて、奈緒の好む落ち着いた雰囲気に合うと思う」
「……デート服として使っても良さそうね」
「デート?」
私は彼女をちらりと見た。
「あなた、奈緒と付き合ってるの? 本気で考えているなら、もっと気を遣いなさい」
「そ、それは……その……お嬢様から言われるとは思わなくて!」
そう返しながら後頭部をかいた。
絵里子は服を鏡越しに当てながら私に尋ねる。
「どう思う? 私が選ぶものなら、あなたに似合う?」
「そ、それは……」
呼吸が早くなるのを抑えきれない。距離が近すぎる!
しかも彼女はとても良い香りがする。奈緒の濃い菊の香りとは違い、まるで空気をさまよう清らかな花の香りだ。
本当に「香りで女性を見分ける」力を持ったのかもしれない。
動揺しないよう、急いで一枚手に取る。
「これはどうですか?」
「それはマント? ……似合わないわ。派手すぎる」
えっ、あのマントじゃだめなのか。
「じゃあ、これなら?」
次に短いケープを持ち上げる。
彼女は一瞥して「あなた、まるで道に迷った空き巣みたい」と言った。
……辛辣すぎる!
結局、彼女は私のタイプを見抜いたらしく、自ら選んだ服を持ってきた:濃紺の下着襟付きシャツに、黒グレーの短い上着、そしてロングブーツと銀色のベルトがついたパンツ。
「着てみて」
「は、はい……」
素直に着替えると、鏡の前で驚いた。
──意外とカッコいい。まるでアニメの主人公のようだ。
「なかなかいいわね。少なくとも普通の人には見えるようになったわ」
……そのセリフ、素直に喜べないよ!!
お読みいただき、ありがとうございました。
拙作ではありますが、皆さまのご期待に応えられるよう精進いたします。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。