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転生即奴隷、でも俺には奪えるスキルがあった  作者: まつしま ぜん
第一章 どれいがぶどうかになったけん
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負傷者への処遇

 少し動くだけでも激痛が走る。スタッフに抱えられ、控え室へと運ばれた。


 ──ちょっと待て、看護師とか来ないのかよ?


 世知辛い世の中だな……と嘆いていると、聞き慣れた声が響いた。


「悠人っ!」


 奈緒の声だ。


 顔を上げる間もなく、彼女は駆け寄ってきた。


「大丈夫!? どこが痛いの!?」


 苦しい顔をしながら、なんとか声を絞り出す。


「全身……全部……」


 彼女はそっと俺の手を握った。まるでその痛みを引き取ろうとしているかのように。


 なんか……感動しちまった。


 彼女の手は柔らかくて、あたたかくて、ほんのり花の香りがした。


「……どうして笑ってるの?」


「さあ、なんでだろ……意外と、ちょっと嬉しいかも……」


 彼女は一瞬きょとんとしたあと、顔を真っ赤に染めた。


「ば、バカ……」


 そっともう一方の手を伸ばし、俺の顔についた土と血を拭ってくれる。


 その指先はひんやりとしていて、不思議な癒しの力を持っていた。


「いってぇ〜!」


「ご、ごめん! ど、どこが……どこが痛いの!?」


「はは、ウソだよ。」


 この戦いには負けた。でも、なぜか悔しさはなかった。


 彼女の怒ったように膨らんだ頬が可愛くて、つい指でつまんでしまった。


「ん〜〜っ、な、なにするのよっ!」


「いや、その……」


 言い訳をしようとした瞬間、彼女が俺の手をそっと握り返した。


 顔を赤く染め、どこか覚悟を決めたような目で俺を見つめる。


「……英雄には、ご褒美が必要だよね。」


 そう言って、彼女は自分の頬に俺の手を戻させた。俺の指が、再び彼女の頬を包む。


「ど、どうせもう触られちゃったんだし……」


 小さな声で呟くその姿は、言い訳にも照れ隠しにも聞こえた。


 まさか、そんな反応を返してくるなんて……俺は言葉を失った。


「だ、だから……もしよかったら、もうちょっとだけ……」


 やわらかくて、すべすべしてて、ぷにぷにしてて──


 最高の感触。


 気がつけば、さっきまでの痛みがだいぶ和らいでいた。


 揉んで、つまんで、なでて。


 指の下で彼女の頬がさまざまな形に変わっていく。まさか女の子の顔を触るだけで、こんなに幸せな気持ちになるとは思わなかった。


 部屋の空気がほのかに甘く色づいていく――そんな中、まさに次のステップに進もうとしたその瞬間。


 バンッ!


「悠人、大丈夫か!」

 荒木鉄斎が乱暴にドアを開けて入ってきた。隠す気のない笑顔がその顔に浮かんでいる。


 ……師匠、タイミングってもんを知らんのか?


「おや?桧森さんもいたのか?」


 奈緒は「うん」と小さく返事した。短い一言だけど、そこに乙女の気持ちがぎゅっと詰まっていた。


 この大バカ師匠は、自分の弟子が娘の侍女とどうしてこんなに親しくなったのかなんて、きっと想像もしていないだろう。


 その直後、彼は興奮した様子でこちらを見た。

 私はすぐに耳を塞いだ——それは、叫び声が来る前兆だった。


「悠人、謝られたぞ!あいつが……あいつが俺に謝ってきたんだ!」


「はいはい、わかってる、わかってるってば」


 子どものように泣き笑いしているこの巨漢を見て、少し胸が熱くなった。


 きっと彼は、本気で“復讐”なんて望んでいたわけじゃない。ただ、心からの謝罪が欲しかったんだ。


「それじゃあ私はこれで失礼します、荒木様、悠人君、また今度」


「おう、また遊びに来な!」


 その言葉に、奈緒はまた顔を真っ赤にして、足早に部屋を出て行った。


「もういいか?背負ってくれ、帰るぞ」


「おう!」


「優しくな?この野郎」


 この男の唯一の長所は、背中が広いことか。いっそ誰かに“乗り物”として飼われたら、俺、師匠を失うかもしれん。


 ここ数日、俺は前代未聞の優遇を受けていた。というのも、負傷者という名目で、奈緒が毎日食事を運んできてくれていたのだ。それも二人分。荒木鉄斎は俺が来てからというもの、料理なんて一切しなくなった。俺はケガで手を動かせないから、奈緒に頼りっぱなしだった。だが、これが結構幸せだったりする。美少女にごはんを食べさせてもらえるって、最高だろ?


 ……てか、俺が以前までどんな地獄のような生活してたんだ?


 毎日カップ麺食ってたオタクの俺が、掃除と炊事を一手に引き受けるなんて、どこの「ダメ男更生プログラム」だよ。


 奈緒は最後のごはん粒まできれいに集めてから、それを口に入れ、俺の布団に手を伸ばした。


「悠人君、もうほとんど治ってるよね?」


 確かに、ケガはほぼ完治していた。最初は早く治したいと願っていたのに、今となってはずっとこのまま寝ていたい。


 なぜなら……治ったら、奈緒が毎日来てくれなくなるから。


「実はお願いがあって……」


「ん?なに?」


 ちょっとだけ、気持ちが沈んだ。


「一緒に、外へ出てくれませんか?」


「外へ?」


 奴隷の俺が、競技場の外に出られるはずがない。


 だが彼女は、俺の疑問を見透かしたように続けた。


「それは、絵里子お嬢様のご依頼でもあります」


「なるほど、わかったよ」


 絵里子は、ただの師匠の娘なんかじゃない。専属の侍女がいて、一軒家もあって、競技場のルールにさえ逆らえる。


 ――そのおかげで、俺は久々に自由な空気を吸うことができた。


 ふと思う。……今逃げ出したら、競技場は俺を捕まえられるだろうか?


 ……まあ、ただの妄想だ。信じてくれた人たちを裏切るようなこと、俺にはできない。


「今回外出した目的は、薬草を買うためです」


「……本当にそれだけ?」


「もちろん」


 もしかして奈緒……ただ俺と一緒に出かけたくて、理由を作っただけなんじゃ……?


 街の景色は、歩くたびにその独特な姿を見せてきた。


 赤茶けたレンガの道がまっすぐ敷き詰められ、年月の痕跡がきらめいている。建物は木材と石の組み合わせで、尖った屋根や張り出したバルコニーが目立つ。


 道端には粗末な服を着た商人が声を張り上げ、魔法道具屋の老人は水晶玉を抱えて何かぶつぶつつぶやいている。たまに、マント姿の旅人が馬を引きながら通りすぎる。


 鍛冶屋の金属音、子供たちのはしゃぎ声が混ざり合う。幹線通りは広く賑やかで、鎧姿の冒険者たちが情報交換をしている。中には獣人や魔族の姿も混ざっていた。


 さらに遠くには、大きな円塔がそびえ立つ。その頂上には、青い魔法陣がゆっくりと回転していて、他の建物とは一線を画す神秘的な雰囲気を放っていた。


 それは、生活感に満ちつつも、ファンタジーと中世の香りがする世界。


 この街並みに身を置いて、ふと思った。


「これが……俺のいる世界か……」


 隣を歩く奈緒が、首をかしげてこちらを見てきた。


「悠人君、ここに来たの初めて?」


「うん。綺麗だな。特に、美少女とデートしてる時なんかは」


「な、なに言ってるの!?」


 奈緒の顔が真っ赤になり、ぽかっと俺の腕を叩く。


「こ、これはデートじゃないし……それに、私なんて、可愛くないし……」


 ――もし私が可愛いなら、どうして絵里子お嬢様ばかり見てるの?


 歩みを進めると、前方からだんだんとざわめきが聞こえてきた。


 喧嘩でも起きてるのか?


 人間ってのは、やっぱり好奇心の生き物だ。俺も、奈緒も。


 人垣をかき分けて覗くと――


 数人の荒くれ者に押さえつけられた、痩せた男がいた。彼の着ているボロ布は、もともとボロなのか、それとも引き裂かれたのか。頬には鞭の痕、口元からは血が垂れている。


 胸に抱えていた袋が膨れている。……盗みか?


「お、俺は……ただ、医者を……」


 声が震えている。まるで死にかけの小鳥のように、何度ももがくが、すぐ泥の中に押さえつけられる。


「医者だと?金はあるのか、この野郎!」


 その中の一人、恰幅のいい男が怒鳴りながら、その奴隷の腹を思いきり蹴飛ばした。男の体が転がり、抱えていた袋が地面に落ちる。


 中から出てきたのは、盗品などではなかった。……子供だった。


 怯えた兎のように、彼女は周囲の人間を見上げ、びくびくと震えている。


 人だかりは多いのに、誰一人声を上げない。ただ、打ち手たちが淡々と、慣れた手つきで彼らを引きずっていく。


 痩せた男は、まだ健康そうだった。でも、その子の体には赤い発疹が出ていた。医者が本当に必要なのは、きっとこの子だ。


 俺は拳を握りしめた。強く、強く。


 爪が食い込み、手のひらから血が滲むまで。


 制度という根に支配されたこの世界では、武力なんて、あまりにも無力だ。


「悠人……」


 奈緒が、俺の服の袖をそっと引いた。


「行こう。……こんな現実、私たちには変えられない」


 俺は小さくうなずいた。だが、脳裏に焼きついたその光景は、いつまでも消えなかった。

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