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返礼

――十四になったのだと、はにかむように義母が言った。

うかつにも人間というものは年をとるのだとその時になってやっと思い出した。



その日は休暇で、ヴァルファムはゆったりとした気持ちで新聞に視線を落としていた。ファティナは庭先で子犬と戯れている。料理番のエマの家で産まれたという四匹の子犬が、現在の彼女の気に入りだ。

 そこにクレオールが馬車の到着を知らせたのだ。

「誰か来る予定が?」

「いえ――」

クレオールは否定し、身を引くように自分の背後から訪れた男を引き合わせた。

「ご無沙汰しております。ヴァルファム様」

「……本邸の」

父の屋敷にいる従僕の一人。名前まで一々覚えてはいないが。

「姫様に祝いの品をお届けにあがりました」

「祝い?」

「十四の生誕を迎えられましたので」


何が変わるということでもない。

十三の小娘様が、十四の小娘様になっただけ。ただそれだけのことだ。

馬車で運ばれてきた宝石や絹地は箱にして二十七を数え、ファティナは大きな翡翠の瞳をさらに大きく見開いて喜びを従僕に示し、夫へと返礼の手紙をしたためた。最近やっと読める文字になってきた手だ。余計な世話とも思ったが、代筆を申し出たが義母はふるふるとはにかむような微笑みで首を振った。

「文字はあまりうまくありませんけれど、わたくしの心をお届けしたいのです」

――それは実に嬉しそうに。

 ちらりと背後に控えるクレオールをみれば、クレオールは静かに半眼を伏せていた。

従僕は早々に帰り、そして残されたファティナはその荷物が納められた空き部屋で女中たちと密やかに微笑みあっていた。


その笑みがとても儚い気がして自然と眉が寄ってしまう。

何故だかとても苛々としたものが胸の中で広がる。

 ファティナの笑顔をぶち壊してやりたくなるような、奇妙な感覚だ。

くるりと身を翻しその場を抜けた。

何かをしなければいけないような切迫感。何かを忘れているような……足音をさせて廊下を歩んでいれば、廊下の窓から庭にいる犬が見えた。

別に贈り物を用意しなかったことに対して罪悪感がある訳ではない。普段から何か欲しいものがあれば言うようにと告げてあるし、げんに彼女は「焼き菓子」だとか「焼き林檎」だとか欲しいものを嬉しそうに口にする。

――そうだ。衣装や宝石など、喜ばない。

「エマ、いないのか?」

はじめて階下に現れた主の姿に、厨房内がざわめいた。

「若様?」

「外の子犬を一匹分けてくれ」

言えばエマは微笑んだ。

「ああ、やっとお許しになられるのですか? お嬢様が御好きなのは真っ白いコですよ」

「許す?」

「お聞きでなかったですか? お嬢様は子犬を欲しがっておられましたよ。ですが、若様がきっとお怒りになられるからって」

――怒ったりしない。

とは言い切れなくて口を継ぐんだ。

 ヤギも駄目だと言った覚えがあるし、馬は絶対に駄目だと言ったのは確かだ。駄目という言葉を積み重ねて、おそらく犬も駄目だと言われると思ったのだろう。

 なんだか不愉快な気持ちがしたが、それを無視して庭の子犬を拾い上げた。真っ白い子犬は一匹だけで、ころりとよく太っていて到底番犬や猟犬になどなりそうもない。その首に自分の首にあったリボンタイを結んで先ほどの部屋へと戻れば――



ファティナが泣いていた。



女中達はいずに、部屋の中にいるのはクレオールとファティナだけ。

クレオールにしがみつき、ファティナが泣き、そしてクレオールの――普段は白手に包まれているはずの手が、直接ファティナの髪を撫でていた。

「我慢なさらなくとも良いのですよ」

「だって!……ヴァルファム様に心配をかけるだけだもの」

「かもしれませんが」

「……それに、我儘だって判っているわ」

「いいじゃありませんか。大丈夫ですよ、全部吐き出してしまったほうが楽になれる」

「――っ」

 ふぅっとファティナの声のトーンが上がる。

「こんな贈り物要らない!

どうして旦那様は来て下さらないのっ。いて下さるだけでいいのにっ」

 思いのほか大きな声を、クレオールが調整するようにファティナの顔を自分の胸に押し当てる。

「旦那さまっ」



部屋に入ることができなかった。

薄く開いた扉、こちらが見ていることをクレオールも気づいている。軽く会釈するように下げられた顔に、一つ瞼を瞬いて応えた。

――あの父がわざわざ生誕の贈り物など、おそらく歴代の妻達のなかでそんな気を利かせたのははじめてだ。

そう言えば、ファティナは喜ぶだろうか?

 おそらくその品々を用意したのは父の意向であったとしても、父が選んだものではない。父は従僕に命じただけだ。それでも、他の妻とは明らかに違うのだと。

言えば――ファティナは喜ぶだろうか?

 ギリっと奥歯が音をさせた。

自然と腕に力が入り、腕にいた子犬が苦しさにキャンと声をあげた。

ハッと息を飲むのと、部屋の中の泣き声がやむのは同時。

ヴァルファムは苦い思いを飲み込み、息をつくと扉を開いた。

そ知らぬ顔で。

「義母うえ、どうかなさいましたか?」

赤くなった目頭を慌ててハンカチで拭い、咄嗟に笑みを浮かべてみせる。クレオールは心得た様子で一歩下がって控えた。

「あんまり嬉しくて……」

「そうですか。ではこれは要らなかったかな」

言うまでもなく、すでに腕の中の子犬をファティナは気にしている。

「そのこ」

「あなたに」

「良いのですか!?」

ぱっとその顔に喜びが広がった。

先ほど見せた儚い笑みではなく、満面に広がる喜色に胸の中にあるものが霧散する。ぱっとこちらに駆けてきて、ヴァルファムから子犬を受け取るとぎゅっと強く抱きしめた。

「とても嬉しいです」

「良かった」

「名前を決めて良いですか?」

「勿論、あなたのお好きに」

「ヴァルファム様からいただいたから、ヴァルというのはどうでしょう!」

「駄目です」

 ヴァルファムはあっさりと却下した。

「今、わたくしの好きにって」

「その名前は駄目です」

「――良いではありませんか」

「絶対に駄目です」

「……」

ファティナは唇を突き出し不満そうにしたが、やがて諦めたように息をついた。


「では、パールにします。白いから」

「オスですよ」

「知ってます」

「まぁそれでしたらどうぞ」

なかばうんざりとしながら了承すると、ファティナは子犬を一旦足元におろし、微笑んだ。

「ありがとうございます。ヴァルファム様。とても嬉しいです」

「喜んでいただけてよかった」

「ヴァルファム様」

にっこりと言い、身を屈めるようにと命じられる。

やれやれとその言葉に応じれば、ファティナはヴァルファムの襟に手を添えて背伸びをすると迷うようにして継子の唇にそっと口唇で触れた。

「大好きです」


――怒るべきだろうか。

不用意にそんなことはしてはいけないと。

不用意にそんな言葉を使ってはいけないと。


一旦開いた口が、別の音を落とす。

「私もですよ」


――いいじゃないか。

自分と彼女は親子なのだから。


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