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恋愛事件

どこで聞きつけたのか、ある日ファティナが言った。

「わたくしにはもう一人息子がいるのですか?」

「……」

 その言葉で、自分が確かに息子と思われている事実に気づいた。

――何かが傷ついた。矜持とか自尊心というものだろう。これが義母だと言うことはなんとか言えるが、これの息子だと認めるのはあまりにも深い溝のようなものがある。溝というよりもむしろ落とし穴かもしれない。

ヴァルファムは頭痛を逃すように額に手を当てながら、

「エイリクのことですか?」

と口にした。

「はい! まだ稚い方だと聞きました」

「――そうですね。まだ四つか五つですから」

弟の年齢など覚えていない。適当に言ったのだが、どうやらその時エイリクはすでに8歳になっていた。

まったく感知すべくことではないが。

「どちらにおられるのでしょう? やはり息子なのですから、義母であるわたくしが育てるべきだと思うのです」

 瞳をきらきらとさせながらいう小娘様。


――十三歳。

 十三歳に四つや五つの子供は育ててもらいたいと思うだろうか? 少なくともヴァルファムは絶対にイヤだ。この小娘様に育てられたら最後、おそらく世を儚みたくなる人生がまっている気がする。

 エイリクへの肉親の情などというものは持ち合わせていないが、エイリクの為にも絶対に阻止しなければならない。

否――これ以上屋敷に子供を増やされてはたまらない。

我が家は保育所でも託児所でもない。

「エイリクの教育に関しては父の問題です。

あなたが何を言ったところで無駄ですよ」

「……そうですか」

 途端にシュンと落ち込む。

自分の夫のことを彼女がどう捉えているのかは理解しかねるが、それでも一筋縄でいくあいてではないということは承知しているようだ。

――この時点で夫と顔を合わせたのは二度。

 年のはじめの挨拶でファティナは緊張で顔を真っ赤にして「旦那様」と呼んでいたが、ヴァルファムの父はそれを華麗にスルーしていた。

 あのスルースキルは見習いたい。

ヴァルファムはこの頃になるとファティナの扱いに多少慣れもでてきていた。

「そのうちに共に暮らすこともあるかもしれません。今は我慢なさい」

「はい……そうですわよね。わたくしにはヴァルファム様という義息がいるのですもの」

「……」

 八つ年下の義母にはおそらく悪気も悪意も無い。だからこそ性質(タチ)が悪いのだ。

この頃からファティナはもう一人の継子に対して手紙を出したり贈り物を贈ったりとしていたが、その返事はいっこうにかえることは無かった。

「わたくし、エイリク様に嫌われているかもしれません」

人生が終わったかのように悲壮な声で言われたが、相手はたかが四つ五つ、もしかしたら六つかもしれないが――返事など気がきくとも思われない。

 たとえもし自分が十近く年上――十しか違わない義母から贈り物攻撃を受けたのであればどうするか、それは勿論無視するだろう。

 だからヴァルファムはこのことに関して何も言わなかった。

所詮落ち込んだところでこの小娘様は一日それがもたない鳥頭。もし尾をひくようであれば甘い菓子でも土産に持ちこめばそれで終いだ。



 その鳥頭の小娘様が三日程ふさぎがちになればこの屋敷は葬式もかくやという程静かになった。

 侍女達は声を潜め、息を詰める。

下男達も何かを恐れるようにしていて、どうにも居心地が悪い。

だがそれさえ目を瞑れば、世はコトもナシ。

実に平和だ素晴らしい。

「若様」

 クレオールが帰宅したヴァルファムに原因を明かしたのは、全てが終わった後のこと。

「教育係の一人を解雇致しました」

――人事に関しては全てクレオールの領域であるから、それはいっこうに構わない。だがクレオールの表情は厳しい。

 当然、教育係なるものがつけられているのはファティナしかいない。

上着を脱ぎながらヴァルファムは視線だけで話の続きを求めた。

「このところファティナ様のご様子の変化をお気づきでいらっしゃいましたか?」

「――ああ」

 あれほど判りやすい動物などいまい。

元気なときはうるさく、機嫌が悪い時には噛み付き、そして気落ちしている時はまったく回りが見えずに一人で身を丸めるのだ。

 だからヴァルファムだとて勿論気づいていた。

静かだから放置していたに過ぎない。

「教育係にイジメられでもしたか?」

ふんと鼻を鳴らして言えば、クレオールは不快そうに眉宇を潜めた。

「似たようなものでしょう」

「端的に言え」

「言い寄られていたようです」

「は?」

 思わず間抜けな声が漏れた。

言い寄る。その言葉が耳に入り、また通過した気がした。

「教育係は幾つだ?」

「二十五でございました」

「それが義母うえに、言い寄った?」

 十三の小娘だぞ。

「気づくのが遅れまして申し訳ありません」

鎮痛に言うものだから、思わずヴァルファムは立っているクレオールを押しのけた。

――遅れる、という言葉に体が動いた。

「義母うえっ」

 案の定、身を丸めて寝台の上でひくひくと泣いているファティナの姿に、ヴァルファムは一瞬目の前が真っ赤になった。

「何があったのです?」

乱暴に腕を掴んで顔をこちらに向けさせる。

――最悪のことが頭に過ぎった。

ファティナはヴァルツの妻ではあるが、事実上その関係は白い婚姻だ。二人の間柄に何かがあるはずもない。焦るヴァルファムとは違い、泣いている小娘様はまったく違うことを言う。

「酷いんです! 酷いんですよ、ヴァルファム様っ。

わたくしは旦那様を愛しているのに、ちっとも信じてくださらないのです」

「……」

「一生懸命言っているのに。そんな愛はまやかしだなんて、ひどいですっ」

――まやかしだ。

ヴァルファムでも言うかもしれない。

「義母うえ」

「はい」

「とりあえずそこに座って下さい。

このところ落ち込んでいた理由からお聞かせ願えますか?」

――これはヴァルファムの落ち度だ。

ファティナが静かで丁度いいなどと放置した結果がこれである。ヴァルファムは目を真っ赤にして泣いている小娘様を見下ろし、イライラとした心をなんとか押しつぶした。



「ケイン先生が、わたくしを好きだとおっしゃって下さったのです」

 冷めた茶をこくこくと飲みながら、ゆっくりとファティナは口を開く。

「わたくしも好きですよと言ったんです」

好きといわれれば好きだとかえす、それが小娘様クオリティ。

「で?」

「そうしたら、ケイン先生はわたくしを抱きしめてキスなさいました」

 ファティナは顔をしかめた。

「キスは家族以外としてはいけないってわたくしはちゃんと言ったんです」

「で?」

「そうしたら、ケイン先生がわたくしと家族になりたいって……わたくしと結婚したいとおっしゃいました」

 悔しそうに言う。

「わたくしにはすでに旦那様がいると言いましたら、愛の無い結婚に意味は無いなどと失礼なことを言うのです」

――おそらくその結婚に愛は無い。

 ケインというその男はおろか、全ての者達の意が同一の見解を示すだろう。

ヴァルファムは小娘様の話を耳にいれながら、なんともいえない気分を味わった。

 喉の奥に魚の骨が引っかかるような奇妙な違和感。

ヴァルファムはやがてファティナの言葉を遮った。

「お尋ねしたいのですが、義母うえ」

「なんでしょう?」

「あなたは――父を、愛しておられる?」


 ファティナは翡翠の瞳を瞬き、なんとも不思議そうに継子を見つめ、

「当然ではありませんか」

と口にした。

「わたくしは旦那様の妻ですもの。今は旦那様はお忙しくてわたくしと共にいて下さらないけれど、わたくしと旦那様は神様の御前で愛を誓い合ったのです」

「はぁ……」

 ヴァルファムはその後ファティナの愚痴をさんざ耳に入れ、最後に「キスされただけですか?」とそこをきっちりと確認し、嘆息しながらファティナの頭を撫でた。

「明日は元気になって下さい」


ケインという教師には制裁を加えようと思っていたが――辞めた。

なんだか不憫になってしまった。

ふっと口元が笑ってしまう。

今まで見続けた父の妻達の中で、ファティナはどうやらまったく違う生き物であるらしい。

少なくとも、あの父を「愛して」いた女性など居ないだろうから。


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