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「義母うえが女伯爵? いったいどういうコトです?」


 もとより女性が伯爵位を襲爵することなどできないだろう。

咄嗟に脳裏で駆けた単語は、次には自分の内で打ち消された。


――おまえの親父結構色々な法律の立案だしているじゃないか。

 上官の暢気そうな言葉がつと脳裏によみがえる。


「外洋における他国との保安条例だとか、女性襲爵だとか、水路政策……」

 まだ立案だけであったその政策の一つ、女性にも爵位を世襲するという法案が通ったのはつい数日前のことだ。

 ヴァルファムはすぅっと腹の底が冷えるのを感じた。

怪我を押してわざわざ王都くんだりまでやってきた理由はそれか! 内心で湧き上がるものは吐き気にすら近い。対するヴァルツは、詰め寄る息子をしげしげと見つめていた。

 まるで無機質に観察するように。


***


 帰宅したばかりの妻へと、旅装を解いて着替えをすませたら三階の書斎に来るようにと命じたヴァルツは、煩わしくも自らについて来た息子に眉を潜めた。 

 父親の後をついて歩くような息子ではなかった筈だがと思えば、実に面白い反応を示している。


 書斎の窓辺によりかかるようにして立つヴァルツに、ヴァルファムは食って掛かるように口を開いたのだ。

こんな風に感情を示す息子だったろうかと考えてみたが、もとより自分と息子との間の関係は紙切れ一枚よりも薄すぎて、その性質すら感知していなかった。

「あれを義母と呼んでいるのか?」

「そんなことはどうでもいい! あなたは――」


 呆れるような父親の言葉に、ヴァルファムは言葉をとぎらせ、奥歯を噛み締めた。

面前の父親ときたら吐き気がする程に自分に似ている。

違うのはその目がヴァルファムよりも険しく、色素の薄くなった金髪は今や白いものが混じっている。目じりには小皺が目立つが、その眼力を防ぐものではない。

 未だ快活な壮年の男を見せ付け、その放つ覇気が、意味不明に他者をひるませる。それは無意識に一歩退かせる程の壁だ。


「あなたは……彼女を自分の野望の生贄にでもするつもりか」

「野望? おかしなことを」

 揶揄するように鼻で笑い、ヴァルツは自分の息子を静かに見つめた。

彼の息子は苛立ちを隠すことなく、奥歯を噛み締めていた。


「自分が提出した法案で義母うえを女伯爵にして、次はどう利用するつもりです」

 ヴァルツはそんな言葉を吐き出す息子をただ観察し、血気盛んな年頃であったろうかと思い返し、自分の息子の年齢などもとより気にかけたことはないことに気付く。だが、確か二十歳は超えていた筈だと思うのだが、その実年齢は生憎と思い浮かばなかった。


――これでは、まるで十代の子供だ。


 ぎゅっと強く拳を握り締め、歯を食いしばり今にも掴みかからんばかりに自分を見ている息子の様子は、あまりにも――滑稽だった。


「父うえっ」


 ヴァルツは口の端を持ち上げ、辛辣な口調で「出て行くがいい。子供に構っていられる程の暇は持ち合わせてはおらぬ」と杖先で扉を示した。


「あの人をどうするつもりです」

「するのではない。女伯爵になるのだ」

 応えてやる必要もないが、ヴァルツは淡々と告げていた。


 その為に打つべき布石は全て打ちつくした――何年もかけて根回しし、苦労の末に法案を通した。グレイフィードの管理をカディル・ソルドに任せ、そしてファティナの教育はヴァルファムに担わせた。

 女性の識字率すら低い世の中で、女性に領地を任せるなど愚の骨頂だと嘲笑を浴び続け、愚か者の戯言と蔑まれもした。

 女に仕事をさせることにより男の立場を悪くするなどという下らぬことを言う愚か者どもの多いことには辟易とさせられたものだ。

 しかしそんなことは元より承知。

何故なら、それは自らの姿でもあったのだから。


――女に爵位? 領地を任せる? なんと愚かしい。

 

「グレイフィードの姫は誰よりも先んじて女伯爵として立つ」


 見るといい。

自ら地を治め、子を育み、自ら立つその姿を。


「ヴァルファム、出て行くがいい」

 もう一度威圧的に命じると、ヴァルファムは射殺すかのように睨み返してくる。その気概だけは買ってやってもいいが、生憎とヴァルツは下らぬことに時間を割き、無駄にするつもりは無かった。


 ヴァルツの命令と同時、親子が睨み合う様子をどこか面白がるように控えて見ていたカディル・ソルドが音もさせずに扉に近づき、その扉を開けば、丁度反対側からノックする為に構えていたクレオールとカディルの視線がかち合うこととなった。


「失礼致しました――奥様をお連れしました」

 クレオールは一瞬目元を痙攣させたが、すっと意図的に自分の背後にいる女主がカディルの視界に入らないように一歩ずれ、軽く一礼した。


 旅装を解いて着替えを済ませたファティナはカディルの姿に一瞬身を強張らせはしたが、その場に夫と義息がいるのを認めてゆっくりと肺に空気を取り込み、微笑んでみせた。


――これ以上の失望を与えたくない。

幼い娘でなく、大人の女性としての矜持を。

ファティナは無様な自らを叱咤し、メアリに教えられた通りの作法で背筋を伸ばし、まるで宮廷淑女のようにすっと足を引く所作で一礼してみせた。


「お呼びにより参りました」

「入れ――」

 対する夫は、ゆっくりとうなずき尊大な調子で言い、その視線を息子へと移す。

「ヴァルファム、お前に用は無い。出て行くがいい」

「いいえ。出て行きません」

 低く恫喝するような口調で応えるヴァルファムに、ファティナは眉を潜めて、ついでゆっくりと近づくとその二の腕を優しく親しげに叩いた。


「ヴァルファム様、旅でお疲れでしょう? どうぞ居間でくつろいでいらしたら?」

「義母うえ」


 ヴァルファムは穏やかに見上げてくるファティナに違和感を覚え、眉を潜めた。

まるでオトナの女性のように儚げな微笑を浮かべるのも違和感であれば、その身に宝飾品が飾られているのもまた違和感を与えた。


 琥珀の耳飾り――胸には碧玉のペンダント。

そして、彼女の指につけられた指輪にヴァルファムは奥歯を更に噛み締め、まるで懇願するようにファティナの肩に手を置いた。

 

 子供のようにイヤだと言ってしまいそうな自分をヴァルファムは嘲笑で押しやった。

本能がイヤだと訴えている。

久しぶりに見た父親が、まるで壁のようにそこに存在している。その壁を乗り越えることなどできないのではないかと感じる自分が反吐が出るほどに嫌いだ。


「義母うえ、私がここにいてはいけない理由は無いでしょう?」

 どう言葉を選んで良いのか判らない。

無様な幼子が母のスカートに張り付いているようではないか!


 それでも、あなたが傷つけられると判っていて手を拱いていることができない。

ヴァルファムの焦りを、けれどファティナは微笑で受け流した。どこまでも儚げで、透明な――母親の顔で。


「夫婦の会話に子供が入るものではありませんわ」

「貴女は判っていない! この男はっ」

――まるでハイエナのように貴女を傷つけ、喰らい尽くす為にこの場にいるというのに。感情のままに引っさらって行きそうな息子の様子に、ヴァルツはカツンっと杖で床板をつき、不快そうに声をあげた。


「クレオール、カディル――その愚か者を連れていけ」


 ガンっという図書室のマホガニーの重厚な扉を蹴り上げる音を最後に、シンと図書室の空間に静けさが一度落ちた。

 

 ゆっくりと夫の視線がファティナを捕らえ、視線が合う。

そこで浮かぶ碧玉の色合いに、ファティナは精一杯背筋を伸ばし、ゆっくりと心内で数字を数えた。

 そうしなければ耐えられない。

会いたいと切望した相手から向けられる冷たさに、身を震わせてどこかに安全な場を求めてしまいたくなってしまいそうで。

「こうして(まみ)えるのは婚姻の折以来か――グレイフィードの姫」

 幾度か顔を合わせたことはあるが、このように二人で対峙することは無かった。そして、二人の視線がこうしてかみ合うことも。

 深く、重い言葉を耳に入れ、ファティナはこくりと喉を鳴らして軽くうなずいた。

「お会いしとうございました」

「――」

 ヴァルツはふっと鼻で息をつき、瞳を細めた。


 まるで遠くを見るように細められた眼差しに身じろぎし、ファティナは見られていることに耐えた。

 恐ろしい獣に見下ろされているように身を苛む恐怖。

泣き出して、できることなら誰かにすがって安堵を得たいとまで願う自らの心に笑い出してしまいたい。

 

 これが、自らの夫。

そしてこれが、自らの心。

夫を愛しているといい続けた、自分の、ココロ。


「子が欲しいと願っていたな」

「はい」

「そなたは未だ年若い。まずは陛下の御前にて正式に襲爵した後に領地を掌握したのちのこと。その全てはカディル・ソルドがおまえを導くこととなるだろう」

 ヴァルツはここで一旦言葉をとめると、

「子に関してもあれが協力できよう」

平坦な口調のままに続けた。 

ヴァルツは前置きを必要とはしていなかった。

カツリカツリと杖の音をさせ、図書室に置かれている一枚板の机へとたどり着き、その上に無造作に置かれた書類の脇に手をつき、ただ静かに、何の感慨も浮かばせることもなく。


 対するファティナはぐっと自分の指に力が加わり、もう片方の手の甲を強く握り込む。

酸素を奪われた魚のように空気を求め、淡々と事務的に落とされていく言葉の羅列を拾い上げていく。

 気を――そらしてはいけない。

向けられる言葉の一つ一つが、全て、全て、夫がファティナへと向けてくれるもの。その気持ちは何一つ落として良いものではない。


 夫が与えてくれる、その全て。

そう思うのに、向けられる言葉はまるでただの音や記号のように耳をかすめて流れていく。ファティナは自分と、そして夫とをどこか違う場から傍観するかのような気持ちで眺めていた。

 頭の中で霧が発生するように、思考能力が追いつかない。

その時間はほんの十数分であったろうに、その時間はそれまでの人生の中で一番長い時間に感じられた程だ。


 嗚咽が漏れてしまいそうな体と心の振るえ、歪んでしまいそうな口元。


「何も心配は要らぬ。そなたはソルドに従いその処理を済ませればいい」

「……はい」

「何か、判らぬことはあるか?」


 判らない。

あなたが――何を、おっしゃっているのか、判らない。

そういえば、その眼差しに宿る失望の色はもっと深くなることだろう。

 ファティナは精一杯の気持ちを込めて微笑んだ。


「旦那様の、望みのままに」

 その言葉は、けれど相手の眼差しを更にひそませる結果を産み落とすだけだった。

しかしヴァルツはすぐにその色を打ち消し、自らが書き記していた書類をファティナへと示した。


……愛して、います。

最強の呪文も、ファティナの手のひらの上をさらさらと流れて、散った。



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