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雷鳴

 怯えさせたい訳ではない。

ただ、気付いて欲しかった。目の前に立つ義息が男というイキモノだということを。


 自らの屋敷の正面玄関を入り、車寄せの石畳で馬車が止まる。

馬の嘶きと蹄鉄が石畳を打つ音とが響きあう。

 それより先にあわただしく屋敷の人間達が現れ、ヴァルファムの横には馬丁が駆けつけて馬の轡に手をかけた。

 まったくもって無駄な旅だった。

旅、というよりも随分と面倒臭く長い散歩のようだ。四日掛けて、往復しただけという意味不明さ。

だが、何かが確実に変化するものであった。


 ヴァルファムは馬の胴を締め上げ、その足踏みに体のバランスをとりながら無駄な旅と位置づけながらも、満足気に息をついた。


「お帰りなさいませ」

 馬丁の言葉に軽くうなずき、ヴァルファムが勢いをつけて馬から降り立つと、丁度正面玄関前に控えたクレオールが珍しく少しばかり強張るような表情で一礼した。

「ヴァルファム様、お――」

 そしてそのまま近づいて来ようとしたが、近づく必要は無いという意味合いを込めてヴァルファムは軽く手を上げた。

「しかしっ」

「後でいい。片付けを」

 挨拶など後でいい。

 たたらを踏んで立ち止まる執事のその後ろを、真っ白い大きな犬がころがるように駆けてきて、自らの主に会わせろと出張するように珍しく吠え立てる。長くもっさりとした尾がちぎれるのではないかというくらいぶんぶんと振り回され、それを更に追うようにして正面玄関より現れた女家庭教師は、ちらりとヴァルファムを一瞥したが、すぐにファティナの犬の首輪に手を添え「パール、お座り」と命じた。


――名前。

 

ふと浮かんだ単語に、ヴァルファムは不機嫌な気持ちになった。

咄嗟に女家庭教師の名前が出ないからといって何だというのだ。もう終わったことなのだから関係などあるまい。

それを振り払らい、ファティナへと意識を戻した。

従僕が馬車のステップを引き出すのを眺めながらヴァルファムは義母の乗る馬車へと近づくと、呼気を落として馬車の扉に手をかけた。


「義母うえ、お疲れでしたら抱いて運んでさしあげますが」

 からかうように声をかけたが、馬車の左側に座っていたファティナは馬車の屋根から垂れ下がる皮のベルトに一旦手をかけ、軽く首を振った。

「一人で――」

 すっと向けられた翡翠のまなざしが、まるで針を向けられたかのように瞬時にその瞳孔を細めた。


 ヴァルファムの肩越し、その向こうを食い入るように見つめたファティナの手が、ヴァルファムの手にふれようとしたところで止まる。


「お待ちしておりました――姫様」


 ヴァルファムは背後から掛けられたカディル・ソルドの声を聴きながら、ファティナの表情を見つめていた。


 彼女はヴァルファムを見ていない。


ただ、ただ――おそらくヴァルファムの背の向こうにいるであろうカディル・ソルドを見つめ、そして今にも倒れそうにその顔色を白くかえ、必死にすがるものを求めるようにしてヴァルファムの手を勢い良く掴んだのだ。


「ヴァルファム様っ」

「はい?」

「ヴァルファム様っ」


 ファティナは切羽詰るかのようにヴァルファムを呼ばわり、まるでヴァルファムの体に自分をすっぽりと治めてしまいたいというようにその身を押し付けた。

「ごめんなさい……つれていって下さいませ」


 午前中には触れられるのも恐ろしいと身を震わせていた小娘様だというのに、今の彼女は確かに身を震わせているが、まったくその様子は違うものだった。

 ヴァルファムの腕の中に安全地帯を求めるかのように。


「義母うえ?」

 意味がつかめずに問いかけるが、ファティナぎゅっとヴァルファムの胸に額を押し付ける。

 突然気分が悪くなってしまったのかと慌てたヴァルファムは、一旦身を引いて体勢を整えると、すっと彼女をその腕の中に抱きこんだ。

 横抱きにした体が、いっそう身を丸めてすがってくる。身を翻して正面玄関へと向くと、ヴァルファムの視界に眼鏡をつけた狡猾そうな男が、薄い笑みを浮かべて軽く会釈した。

「どうしてお前がいる?」

 ヴァルファムは不快を隠さずに口にした。


――毒の似合う男。


確か、セラフィレスはそんなニュアンスでこの男を示していた。ヴァルファムとしてもその意見に異存は無い。この男は狡猾な狐や蝙蝠、そして蛇を連想させる。

薄い唇を引き結び、面前の男は敬意など欠片も抱いていないであろうに、うそ臭い微笑とともに一礼した。

「ヴァルツ様のお供をして王都に参じておりますので、我が姫君にご機嫌伺いに参りました」

 その会話は足を止めずに行われていたものだが、不意に腕の中のファティナが、ぎゅっとヴァルファムのクラヴァットを掴んだ。

「止まって下さいませ」

 消えてしまいそうな、懇願のような囁き。


義母はまさか未だに朝の気を失ったことが堪えている訳ではあるまい。何といっても、それが原因であるなら、決してヴァルファムに自らを託そうとは思うまい。ならば、また別の理由で気分が優れないのだ。

医者の領域かとヴァルファムの心が急かそうとするが、ファティナはもう一度「止まって、ヴァルファム様」と、今度は少し強い口調で言葉にした。


かつんと音をさせて足をとめると、腕の中でひゅっと大きく息を取り込む音がする。

ファティナはヴァルファムの心音を聞くかのようにぺたりと張り付いていた体を起こし、けれどしっかりとヴァルファムの上着を掴んだままカディル・ソルドへと視線を向けた。


「ソルドさん」

「はい」

「先日は失礼致しましたわ。わたくし、疲れていたみたい――気を悪くしていなければ宜しいのですが」

 先日、という単語に「どの先日だ?」とヴァルファムは自らの知らぬ会話を交わす二人に腹立たしさを感じたが、ファティナは喘ぐようにもう一度酸素を取り入れ、やけにきっぱりと言った。


「もう、下がります。わたくし、少し疲れてしまいました」

「どうぞお体をおいとい下さい」

 ヴァルファムに向ける礼とは違い、多少は敬意を払うようなしぐさで礼を取るとカディル・ソルドはファティナへと手を差し出した。

 本来であれば、差し出されたその手に貴婦人は自らの手を預け、そして紳士はその指先に敬愛を込めた口付けを贈る。

 それは良くある光景だ。

カディル・ソルドが貴族の三男であることも耳に入れ、挙句ファティナの生家の家人だというのであれば、無いとは言えない光景。

 だが、ファティナはヴァルファムの胸に置いた手を相手に向けようとはしなかった。


「ヴァルファム様、もう宜しいわ」


 囁く言葉に、ヴァルファムは眉間に皺を寄せないように努力しながら身を翻した。

背筋を伸ばして威厳を見せていたファティナの体が、気力を失ったかのようにぱたりとまたヴァルファムの胸に押し付けられる。

 大きく開かれた玄関を入り、階段へと足を向けながらヴァルファムは囁いた。

「あの男が何か?」

「――以前いらして下さいました時に、わたくし忙しくしていて少し冷たくしてしまいましたの。気を悪くなさっていらっしゃらなければ宜しいのですけど」

 その言葉は振るえ、どこかそらぞらしく響く。


ヴァルファムは誰にも見られていないことをいいことに、思い切り顔を顰めた。


――今、まさに貴女はあの男に冷たい態度を取ったのに?

 

ファティナが何かを隠していることに苛立ちが湧き上がる。

彼女は、男として意識し、触れ合うことすら躊躇した義息に安寧を求める程にあの男を恐れている。今現在ファティナの頭の中にはきっとヴァルファムのことなど一欠けらもない。あの男に対して身を震わせているのだ。


カっと体温が上がり、乱暴にファティナを揺さぶってその理由を問いただしたいという気持ちが膨れ上がった。

ソルドの気配が遠のくのを確認すると、ファティナはやっと体の緊張をといて、階段の踊り場までたどり着くと、ヴァルファムの胸を軽くとんっとたたいた。

「ヴァルファム様、ありがとうございます……もう下ろして下さいませ」

「義母うえ、もう体の調子はよろしいのですか?」

 おさえた声が冷たく響くことを止められない。

身じろぎして無理やり床に足をおろしたファティナは、困ったように微笑んだ。

「はい、もう――」


「では教えて下さい。あの男と、何がありました?」


 決して逃すつもりは無いとその両肩に手をおいて、ただ真摯な眼差しを叩き込む。強張るファティナの顔がそらされ、片手でその顎を押さえつけて無理矢理視線を合わさせていた。

「庭師であろうと馬丁であろうと、貴女が嫌うことはない。けれどあなたは確かにあの男を嫌っておいでのようだ。何が貴女をそうさせた?」

「嫌ってなど」

 とりつくろう言葉に、苛立ちが更に吹き上がる。

「嘘はたくさんだ」

 相手の言葉を否定するようにかぶせると、ファティナは苦痛を感じるように眉を潜めた。


 おさえた声は低く唸るように吐き出され、苛立ちが彼女を掴む手に力を込める。

廊下を来る誰かの気配。

クレオールだろうと思えば舌打ちが漏れたが、しかし声は反対側――階段の上から、落とされた。


「何の騒ぎだ」


 朗々とした太い声は、まるで落雷のようにその場を支配した。

予想してしかるべきだった。

あの狡猾そうな男は――共をして来たと言っていたではないか。

玄関口のクレオールが身を強張らせ、何事かを言おうとしていたのは知っている。何故、自分はさえぎったのか。


 思わず庇うように自分が掴むファティナを引き寄せ、抱き込んだ。

咄嗟の行動であったが、冷静さを取り戻せばヴァルファムは笑い出しそうになってしまった。


――自分の妻を息子が腕に抱くその様を、あなたは一体どのように思うのだ、我が、父よ。


 湧き上がりそうな笑いを堪え、ヴァルファムは挑むように視線を上げた。


「ご健勝そうで何よりです、父うえ」


 コツリと杖をつく男は、冷たい碧玉の瞳を更に細めて階段の踊り場の二人を見下ろしていた。


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