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愛憎

「先に帰ってしまいますの?」

 心底残念そうに言うファティナに、クレオールは軽く眦を下げた。

一緒に帰るものと決めかかっていたファティナだったが、しかしクレオールは単騎で先に戻ると告げたのだ。


「私には私の務めがございますから」

 執事はそう言うと、ヴァルファムにふかぶかと頭を下げた。

「途中、セラフィレス様の邸宅で本日のご訪問をお知らせしておきますので、どうぞ無理はなさらないで下さい」

 単騎で駆ければ一日で王都の邸宅に戻ることも可能だが、それだとて馬の交換が必要であるし馬車など余計なものが無いに限る。人数も荷物もある彼らは、やはりどうしたって二日という日数を必要とするのだ。

 

「そもそもセラばかりに迷惑をかけられない。あの屋敷の辺りであれば程よい宿があるはずだ。途中で誰かを走らせるから、今夜のことは気にしなくていい」

 遊び人だと自称するセラフィレスのことだ、もともと別邸でもあるあの邸宅に毎日のようにいる男ではない。夜になれば夜会だサロンだと出歩き、果てには娼館など如何わしい場所にも入り浸る。

突然訪れてその予定が合うとも思えない。


 淡々と言う主の言葉に、クレオールは軽く目礼し「でしたら、ディコン大佐の邸宅に差し掛かる大通りに評判のよいホテルがございます。王都を訪れるご婦人方たちが多くご利用になられるという話ですから、そちらを使われては如何でしょうか」と言葉を続けた。


 今回利用したような場とは違い、そちらであれば女主に不便も無いだろう。クレオールは屋敷に戻る時にそちらには声を掛けておくと請け負い、夕べたっぷりと休憩と飼葉とを満喫した貸し馬の背に跨った。


「では、失礼致します」

「気をつけて下さいませね?」

 ファティナはひらひらと手を振ってクレオールを見送ると、今度は自分だとばかりにくるりとヴァルファムを振り返った。


 すでにファティナ達の旅支度も整っている。

荷物と侍女二人を乗せた馬車はその重量を考えて先に出立している。一台残された馬車には従僕と本日の昼食用のバスケットがのせられ、護衛とが控えている。

 そして、ヴァルファムは馬車の替え馬としてつれてきていた馬に蔵を乗せ、その轡を押さえていた。


 今日のファティナは乗馬服だった。

乗馬服と言ったところで女性はズボンを履くような風習は無い。ファティナの着用しているのは普段着用しているようなふわりと膨らませたドレスではなく、体に負担が掛からないツーピースだ。

 普段着用している薄く着心地のよい絹地と違い、少しばかり厚地の綿生地を使用したものはいつもの彼女と違い、快活な農村部の娘のようで何か不思議に見せる。

 頭の上にはちょこんっと帽子が乗せられているが、まさに髪飾りのように乗っかっているだけであまり意味を成さない。

 そもそも帽子などファティナは嫌うが、淑女というものは外出時には帽子やパラソルを使うものだと決まっている。侍女もその慣わしを忘れたりはしないのだろう。女主人は不満そうだが。

 ヴァルファムは吐息を落とし、馬の轡を近くにいる護衛に預けるとファティナの腰に手をかけて彼女を馬の上へと押し上げた。

力任せにもちあげた為にバランスを崩したファティナが小さな声で抗議したが、ヴァルファムは嫌なことはさっさと終わらせてしまおうとでも言うように、そのまま勢いをつけて鐙に足をかけ、ぐんっと体重移動させて馬の背にまたがった。

 馬が嘶き、軽くたたらを踏む。

ファティナは軽いといったところで、大の男と女が一人づつ乗るのだから馬もご苦労なことだろう。


 苦笑しながら馬を宥め、ヴァルファムは手綱を引いた。

「行きますよ」

 横座りのファティナが居心地のよい体勢を求めてもそもそと動く。

元々馬の鞍などは二人で乗るように作られていないのだから、有る程度の居心地の悪さはあきらめるしかない。

だが、そのファティナが何の疑問もなく極当然のようにヴァルファムの胸に頭を預けて小さく息をつくと、途端に義息は喉の奥から呻きたいような気持ちになった。


「ではヴァルファム様っ、速歩で」

「……」

 きゃいきゃいと子供のようにはしゃぐ義母の様子に、殴ってやりたい気持ちが湧き上がったが彼女の義息はぐっと奥歯を噛み締めて耐えた。

「きちんとつかまっていて下さい。落ちたら拾いませんよ」

「あら、ヴァルファム様はわたくしを落としたりなさいませんわよ?」


――そう、落としたりなど決してしない。


 ヴァルファムは苦笑し、更にファティナの体を引き寄せる為に華奢な腰に手を回して、ぐっと自らの腰に寄せた。

 ファティナの体温が高いのは子供だからだろうか。それとも、男の腕の中にいることにきちんと気付いているのだろうか。

 義息の体温が高いことに気付いているのか?

そして――たかが小娘の体温、香りだけで早鐘を打つこの心音を、彼女は聞いているのだろうか。


 ヴァルファムはあれこれと余計なことを考え始めてしまう自分を戒めるように軽く首を振った。

「そういえば、ヴァルファム様」

 はじめのうちこそ喋ることもままならない様子でぎゅっと義息の上着と鞍の端を掴んでいたファティナだったが、なんとか口を開くことができるようになったのか、ふいに声をあげた。


「なんです? 花摘みですか?」

「違います」

 からかうように言えばファティナは機嫌を損ねたような声をあげる。ヴァルファムは少しだけ馬の速度を落とし、ファティナの耳の脇に顔を伏せてそっと唇を落とした。

   

「昨夜は聞きそびれてしまいました。ヴァルファム様の秘密って、何なのです?」

 すっと頭をそらして視線を合わせてくるファティナに、ヴァルファムは思い切り視線をそらして前方へと向いた。

 視界に入るのは先行する護衛が二人。

後ろを見れば馬車一台と護衛とが走行していることだろう。

 ヴァルファムは一旦下げた馬の速度をまたあげた。


ふいの動きにファティナは慌てて更に力を込めて義息にしがみついた。

「さぁ」

「教えて下さいませんの?」

「物事には時期というものがあるんですよ。今は言う時期じゃないと思います」

 そう、このような場で言う話題ではない。

決して逃げられないように退路を断ち、この腕の中に閉じ込めて。

 

――あなたの義息は、あなたを愛している。


 といったところで通じなさそうなのが小娘様だ。

むしろにこにこと「知ってますわ」とか「わたくしも愛しておりますわよ?」とかいわれてしまいそうな気がする。

もっと直接的なことを言うべきかもしれない。


――あなたの義息は、頭の中であなたを幾度も犯している。


「……」

 なんと頭が悪そうな。

いや、だがこれくらい言わないとファティナは理解しないのではないだろうか。

なんといっても彼女の頭の中身は「ちゃらんぽらん」だ。いや、そもそも「犯す」という単語を知っているのか?


――脱がす? 組み敷く? 抱く?

 立て続けに脳内に浮かんだ単語の羅列に、ヴァルファムは自分の体温が余計な場所に集中していくのを感じてしまい、ぎりっと奥歯を噛み締めた。


「ヴァルファム様?」

「うわぁっ」

 よからぬ思想にふけっていたところで、ふいにファティナが身じろいで声をかけるものだから、ヴァルファムは咄嗟に奇妙な声をあげ、ぐっと手綱を引いてしまった。


 突然ぐんっと手綱を引かれた馬が慌てて前足で宙をかく、ファティナが驚いて悲鳴をあげ、義息にしがみついた。

 護衛達が慌てて馬を止め「どうしました」と声をかけるのを制し、ヴァルファムは全てを誤魔化すように馬を宥めながら声をあげた。

「なんでもない――うさぎに驚いただけだ」


 おそらく背後を走っていた馬車の御者は首をかしげたであろうが知るものか。

ヴァルファムは顔をしかめ、ファティナの背を宥めるようにとんとんっとたたいた。

「失礼しました、義母うえ。大丈夫ですか?」

 のぞきこんだ先、ファティナは恨みがましい眼差しでヴァルファムをねめつけていた。

上目使いで、軽く瞳を潤ませ。


「ひた、はみまひた……」

 ちろりと赤い舌先を出し、その先端を血に滲ませたファティナの様子にヴァルファムは空を仰ぎ見た。


――拷問か。

 これは拷問なのか?

何だこれは。

いつか馬車の中でおきた出来事が脳内をかけめぐり、ヴァルファムはぎゅっと手綱を握り込んだ。

 手が白くなるほど。


 以前、同じようにファティナが自ら舌を噛んでしまいその舌先に傷を負ったとき、ヴァルファムは消毒だと偽ってその舌先を、口腔を思い切り蹂躙した。

 その時の唾液の味も、血の味すらも覚えている。

甘く、苦く……そして愛しい。


 咄嗟にその舌を口に含み、じっくりと舐めあげてしまいたい衝動が暴れまわっていた。

だが、護衛もいるこんな炎天下でさすがのヴァルファムにもそんな真似はできようはずがない。

 だがうねる欲望に、咥内に無意味に唾液がたまった。

耳の先端が熱を持ち、喉の奥で小さな唸りが漏れ落ちた。

 うすら暗い欲望を力任せにねじ伏せ、ヴァルファムは半泣きのファティナの肩をぐっと一旦抱いた。


「この先に小川があります。そこで休憩しましょう」

 ポケットからハンカチを取り出し、ファティナの口元に当ててやる。

「少し我慢できますね?」

 ついで護衛達に目顔でもう出立すると告げると、ヴァルファムも手綱を握りなおしたが、ファティナは相変わらず恨みがましい顔をしながら口を開いた。


「しょーろくはなさひまへんの?」


――舌先を浮かせて言う謎の文言の意味はあえて無視した。

即行その首を捻ってやりたくなりそうな衝動と共に。


ああ本当に、時々本気でどこかに閉じ込めて思い切り怒鳴り散らしてやりたくなるくらい、義母程憎たらしいイキモノはいない。




 


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