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謝罪

 眠れない一夜が明けた。

古臭い家屋はぎしぎしと家鳴りがし、雨音が天井や戸板をたたく。そして風が渡る音――静寂とは程遠い一夜。

彼女は、きちんと眠れたろうか。

見知らぬ場で、義息と口論のあとに、あの人はきちんと眠ることなどできたのだろうか?


 ヴァルファムは酒の残る体を無造作に引き起こし、酒臭い息をついた。

酒に頼って睡眠をうながしてはみたものの、さまざまな考えが脳裏を巡り、やっと眠りに付いたかと思えばそれは悪夢によって幾度もたたき起こされる。

 気だるいのは睡眠不足か、はたまた二日酔いであるのか自分でも判らない。

 従僕が朝の挨拶をしながら手桶に湯を注ぐのを眺め、ヴァルファムは前髪をかきあげた。


ファティナに会いたい。

それと同時に、会いたくないとも思うのだ。


なんと大人気ないことだろう。

大人の男になる?

阿呆らしい。まるで子供のように八つ当たりで愛しい女を傷つけるものが男であろう筈が無い。

 たとえ自分の矜持をねじ伏せても、ファティナの気持ちを浮上させよう。

新たな決意で顔を洗い、身支度を整えて覚悟を決めると――ヴァルファムは食堂でファティナと対峙することにした。


 許しを請い願い、その体温を感じて安らぎを得たい。

そこに確かにいるのだと感じたい。その為であれば百回殺しても殺し足りないあの因業親父を賛辞してやってもいい――血反吐を吐きそうなくらいイヤだが。


が……相手は予想の斜め上を突き進む小娘様であった。


 ヴァルファムが宿屋の一階の食堂で神妙な気持ちで義母を待っていると、彼女はクレオールと侍女を従えて階段をおりたち、食堂室に入った途端に口を開いた。


「ヴァルファム様! ものすっごい天気ですっ。昨日の荒れた天気が嘘のようですわね」

「……そうですか」

 ファティナは挨拶もそこそこににっこりと微笑み、クレオールからナプキンを受け取る。その様ときたら昨夜の頑なさなど微塵も見せず、いつもと変わらぬほえほえだった。


 いったいこの頭には何が詰まっているのだろうか。

実は一晩眠ると前日のことは綺麗さっぱりと忘れ去ることのできる特殊なナニカが入っているのではあるまいか?

 脳みそではなく、まったく別の振るとちゃらんぽらんと奇怪な音をさせる何かが!


――悩んだのは自分だけか。


 ファティナを随分と傷つけたと苦悩のうちにあった自分が途方も無い程に間抜けに見える。

まったく、いっそファティナを憎めたらどんなに生きやすいことだろうか。

 ヴァルファムは苦虫を嚙むような表情でちらりとクレオールを見たが、クレオールは何故かいつもよりも無表情に拍車をかけるかのように唇を引き結び、ただ静かに控えていた。


「ヴァルファム様、お願いがございますの。聞いていただけますか?」

 嘆息を隠しつつ宿屋の美味くも無い食事に没頭していると、ふいにファティナが明るい口調で話しかけてきた。


――イヤです。


 ひねくれた義息は思わず即効で拒絶の言葉を返してしまいたい気持ちになったが、引きつった微笑で促した。



「内容次第です。どんなお願いでしょう?」

「今日は馬車ではなくて馬に乗って行きたいのです。馬車は退屈なのですもの」

「生憎と横鞍は持ってきていませんよ。馬車で我慢なさい」

 ぴしゃりと言い切ると、ファティナは途端に不満そうに唇を尖らせた。

「まぁ、ヴァルファム様ってば準備がお悪い」


――旅行にわざわざ横鞍など持参する馬鹿はどこのどいつだ。


 ヴァルファムは冷ややかに顔をあげ、馬鹿にする眼差しで義母をねめつけた。

「男用の鞍でよろしければご存分にどうぞ」

 勿論、相手がそれを承諾するなど考えずの言葉であったが、ヴァルファムは相手を見誤った。

なんといってもヴァルファムの面前にいるのは、考えなしの愚か者――冗談を冗談ととることもできない小娘ファティナである。

 ファティナはにっこりと微笑み、胸元で手を組んで喜びを示した。


「ありがとうございます!」


「――義母うえ?」

「クレオ、乗馬服はトランクに詰めてありますわよね? さすがクレオですわ。どんな時にも抜かりがありませんわね」

 それは横鞍の用意をしていなかった義息へのあてつけか?

一瞬ムッとしたが、それどころの話しではない。

 すでに喜色満面のファティナは、クレオールに乗馬服の用意を頼みながら機嫌よくヴァルファムを見た。


「横鞍よりきっと上手に乗れると思いますわ」

「駄目です!」

 すぐさま叩き付けられた叱責のような言葉に、ファティナは瞳を瞬いた。

「先ほど存分にどうぞと言ったではありませんか」

 心底不思議そうに言われると居心地が悪い。

確かにそう言ったが、まさかファティナが真に受けるとは思わなかったのだ。


 ヴァルファムは奥歯を噛み締め、ゆっくりとした口調で詫びた。

「失礼しました。ただの冗談です」

「まぁっ。冗談でおっしゃったの?」

 

――確認をするな。


ヴァルファムは苦々しい思いに駆られながら、それでも自分の失態を認めてやんわりと口を開いた。

「立派な淑女がまさか横鞍以外の乗馬を承知なさるなどと思いませんでしたからね」

「……わたくしは立派な淑女ですけれど、普通の鞍も承知するのです」


 ヴァルファムの嫌味を察知したファティナは、更に嫌味ったらしく「立派な淑女」だと念を押した。

「紳士であるヴァルファム様は、まさか一度御自分がおっしゃられた事柄を撤回なさったりなさいませんわよね?」

 あげく更に畳み掛ける。

ファティナの瞳が悪戯の成功を期待する子供のようにきらきらと輝き、ヴァルファムはそれを睨みつけた。


「判りました。その代わり、あなたは私の前に座っていただきますからね。それ以外は絶対に、何があっても、たとえあなたが昼食を食べないだとか、おやつを食べないだとかおっしゃっても認めませんからね」

 念を押すように一つ一つ突きつけたが、ファティナはまるきり聞いていなかった。

嬉々としてクレオールに向き直り、


「クレオは馬車に乗ると宜しいわ。体を存分に休めてね? クッションが一杯あるから、少し横になりなさいな」

 などと言っている。

「義母うえ、聞いておりますか?」

 苛立ちのままに言えば、ファティナはあからさまな溜息を吐き出してヴァルファムを見返した。


「聞いております。一人では駄目ということですわよね?」

「そうです」

「ヴァルファム様が一人で寂しいとおっしゃっていらっしゃるから、心優しいわたくしはその提案を快く受け入れますわ」


――誰が寂しいなどと言っている。


 思わず口の端が引きつったが、やがてヴァルファムは諦めた。

「義母うえ」

「なんです?」

「――昨夜は申し訳ありませんでした。少し苛々しておりまして、八つ当たりをしてしまったようです。情けないこの義息をお許しいただけますか?」


 ファティナは困ったように眉を潜め、つっと視線を剃らした。

頬を染めて。

「早く朝食をすませてしまいましょう? わたくし、早く馬に乗りたいですわ」

 言葉を詰まらせながら言うファティナの様子に、どうやら彼女も彼女なりに色々と気まずい思いを隠そうとしていたのだとヴァルファムもやっと理解した。


……やっぱり子供だ。


「何を笑っているのですか!」

「いえ。笑ってなんていませんよ」


子供であると再確認してほっとしている自分のほうが、子供なのかもしれない。

ふと浮かんだ考えにヴァルファムは苦笑したが、ファティナが視線を窓の方へと向けたとき、ヴァルファムはその表情に息を止めた。


 ほんの一瞬、ふっと浮かべた顔がやけに大人の表情をしていて――


自分の知らぬ女がそこにいるような苛立ちに息苦しさを覚えた。

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