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帰郷

 エイリクがファティナの元に帰宅の挨拶にみえたのは朝食が済んだあとのことだった。

「兄とは厩で最後に挨拶ができました」

 せめてもと兄の出仕を見送りたかったのだ。

少なくともこれからしばらくはまた兄に会うことは無い。兄だけが自分を気にかけてくれているという思いこそ間違ったものであったが、だからといって自分に聖騎士を勧めてくれたりと気配りのある優しい兄との別れは寂しいものだ。


 本人さえ真実に気付かなければ。


 エイリクの嬉しそうな報告に、「今度いらっしゃる時はヴァルファム様も一緒に親子三人、馬に乗って遠駆けなど宜しいですわね」とファティナが穏やかに言えば、エイリクは多少驚いた声をあげた。


「義母さまは馬にお乗りになられるのですか?」

「乗れますわよ?」

「……驢馬ではなく?」

「馬です!」

 身長に合わせて驢馬のほうがずっと似合いそうだ。それになにより馬では誤って速度があがってしまった場合の対処がこの面前の義母にできるとは到底思われない。


いやだがまて、絶対に義母より馬のほうが賢そうだ。馬が義母を制御しているのか?

 いぶかしげに顔を顰めるなか「乗馬はとても好きなのです」とファティナはのほんと続けた。

「驢馬と馬の区別はつきますか?」

しつこく喉から言葉が出掛かってしまったエイリクだが、飲み込んでおいた。

「当初はヴァルファム様に反対されましたけれど、十五になった頃からきちんと教えてくださるようになりましたのよ。ですから、もしかしたらわたくしはエイリク様よりも立派に馬を御せるかもしれませんわよ?」

 ふふっと意地悪く言う義母をまじまじと見つめ、信じられないとエイリクは軽く首を振った。

 そんな雑談をしているなか、軽いノックの音がしクレオールは観音開きの扉を片側だけ静かに開いた。

「よろしいでしょうか?」

 顔を出したのはメアリで、応えを待たずに居間にエイリクの姿を認めてほっと息をつく。そんな家庭教師の行いをクレオールは咎めようと口を開きかけたが、おそらくファティナもエイリクもそれを良しとしないだろうと唇を引き結んだ。


「ああ、エイリク様。もう出てしまわれたかと思いました」

 メアリの言葉にエイリクは体を引くようにして相手を認めた。

その視線が鋭くメアリの傷を負った腕へとむくが、腕の包帯は薄いものにかわっているのか、長袖の下の様子は伺えるものではなかった。


「どうぞ事故になどあわれませんように、お気をつけてお帰り下さい」

 メアリがにっこりと微笑みを浮かべて一礼すると、エイリクはつっと視線を逸らし喉の奥をからませるように咳払いを一つし、ついで自らの姿勢を正した。

「メアリ」

 吐き出された単語には勢いを乗せ、けれどその勢いは次の音で失速した。

「あー、義母さまのことを……頼みます」

 恥じるように消える音。

ファティナは瞳をまたたいてそんな義息と、そして自らの女家庭教師とを交互に見た。

「エイリク様?」

ファティナとメアリの言葉が重なる。

その全てを打ち消すように、エイリクは身を正してファティナを見た。


「義母さま。これで失礼致します――今度はぜひ義母さまのすばらしい馬術を見せてください」

 多少の嫌味をのせ、ついでエイリクは照れくさい様子で言葉を続けた。


「それと、メアリのことも頼みます」


***


エイリクがヒースにある邸宅に戻ってしまったことは、ファティナにとって寂しい出来事の一つだった。

 せっかく仲良くなれそうだっただけに、残念でしかないが、エイリクの家人の療養の為にも帰るのが良いのだといわれれば引きとめることもできかねた。

 エイリクは帰り、そしてなおかつお嫁さんは来ない。

それはファティナの中に不思議な響きをもって落ちた。

「世の中ままなりませんわね」

吐息交じりの言葉をそっと囁くのと同時、コンコンっと軽快なノックの音が響いた。その音は使用人が出す音とはまったく違うもの。

「失礼します」

 軽い警戒を持ってクレオールがファティナに一礼して居間の扉を開くと、そこに立っていたのはまるで自らの屋敷を訪れたかのようなセラフィレスだった。

「やぁ、元気かな」

 沈んでいたファティナの表情が明るくなり、座っていた椅子から勢いをつけて立ち上がる。

しおれていた花がぱっと色合いを取り戻すようなあからさまな変化が部屋を満たした。

「セラ兄さまっ。帰っていらしたの?」

「昨日ね。リルティアは君の贈り物のヴェールをとても喜んでいたよ」

 言いながらセラフィレスは持ってきた花束をファティナに差出した。

「花嫁のブーケ?」

 瞳をきらきらと輝かせるファティナだったが、セラフィレスは肩をすくめて笑ってみせる。

「生憎と、そうだったらもう枯れてしまっているだろうね。これは同じ種類の花で作らせたうちの庭師のブーケ――雰囲気だけだけれど、おすそ分け」

 ファティナの親友であるリルティアの婚姻は相手側の領地で行われた為にファティナには出席が適わなかった。しばらくの間このリルティアの兄もその婚姻に出席する為に地方領に出向いていて顔を出すことはなかったのだ。

 軽くファティナを抱き寄せた青年に、クレオールは慇懃に礼をし「セラフィレス様、いらっしゃるのでしたらどうぞ事前にお知らせ下さい」と一応いつもと同じ台詞を口にした。

 

 幾度言ったところで相手が受け入れないことはもう経験上知っていた。屋敷の使用人達もセラフィレス相手だとわざわざ伝えにも来ない有様だ。警備上由々しい自体だが、ヴァルファムでさえ最近は諦めているのでクレオールの言葉などまったく意味は無い。

 セラフィレスはファティナの額に口付けを落とし、ファティナを籐椅子へと座らせると自らは反対側にある椅子に腰を落とした。

「ぼくが居ない間にちっこいヴァルが来たんだって?」

 紅茶をクレオールに頼みながらさらりと言うから、ファティナは瞳を瞬き、次の瞬間にはじけるように笑った。

「まぁ、セラ兄さまっ。どこからそんな情報を耳にお入れなさるのかしら」

「そこの執事が怖いからね。情報源は秘密――ヴァルとそっくりだって言うんだから、ぜひとも一目見たかったね。丁度ぼくと入れ替わってしまったみたいで凄く残念。昨日、おととい? 帰ったって?」

 肩をすくめて片目をつむるセラフィレスは、長い足を組んでちらりとクレオールを見た。

「クレオール、実際どうなんだい? ヴァルと似てる?」

「私の口からは何とも」

「そっか。そんなに似てたか。あーもったいないなぁ。きっと面白かったんだろうな」

 クツクツと笑うセラフィレスの様子に、ファティナは眉を潜めた。

「面白がることではありませんわよ」

「で、チビヴァルはファティのこと義母うえって呼ぶの?」

 セラフィレスは興味津々で体を起こしてファティナを覗き込む。少しばかり唇を尖らせ、ファティナは「はじめのうちは呼んで下さらなかったけれど、仲良くなってからは義母さまって呼んでくださるようになりました」と正直に口にした。


 途端、セラフィレスは口元を押さえ込み、自分の膝をばんばんと叩き始めてしまった。

まるきり子供のように無邪気に。

「うわっ、見たかった! なんでぼく居なかったかな。もう絶対に見たかった! その時のヴァルファムの顔をっ」

「兄さまっ?」

「うわーっ、もぉ苦しい。ひぃっ。駄目、死ぬっ」

 眦に涙まで溜めて悶えるセラフィレスの様子にファティナは呆気にとられた。

「クレオール、君はいいね。うらやましいよ。二・三日君に変わってこの屋敷の執事をしたいよ。結構本気で」

 新たな紅茶の準備をしながらクレオールはどう受け答えするべきか逡巡した様子で、しばらく無言だったが静かな口調で「おそれいります」と返した。

 何が「おそれいる」のか誰にも理解できなかったが、言った当人も他にいい様が無かった。


――貴方のように笑い転げる方には向きません。


などと言う訳にもいかない。


「ファティ、チビヴァルがいる間ヴァルはさぞ機嫌が悪かったろうね?」

「兄さまがどうしてそんなにお笑いになるのか判りません」

 ファティナが顔を顰めて言う言葉に、セラフィレスは必死に笑いを堪え肩を揺らしてこくこくと二つうなずいた。

「ファティ、君ってなんて残念な子だろうね。この状態をまるっきり無視できるその神経は本当は図太いんじゃないかい?  お兄さんは困惑だ」

 やれやれと肩をすくめて言う言葉に、つんっとファティナは横をむいた。

「意地悪しにいらしたのならお帰り下さいませ」

「おやおや、ファティこそせっかく顔を見に来た兄さんに意地悪だね。そんな意地悪な子にはコレはあげられないかなー」

 言いながらセラフィレスが胸のポケットから出したのは、一通の封書だった。

「リールから?」

「そう。読みたいなら、兄さま大好きごめんなさいって言ってごらん」

 ひらひらと封書をふるセラフィレスに、ファティナは飛びつくように言われた言葉を口にした。


***


「やぁ、甥っ子! 会いたかったよ」

 帰宅した途端、両腕を広げたセラフィレスに大仰に抱擁された。

がしりと抱きつき、「ちゅーっ」と頬に唇を押し付けられそうになり、ヴァルファムは咄嗟に相手の腹を殴ったが正当防衛は適応されることだろう。

――何故男からそんな仕打ちを受けなければならないのかまったく理解不能だ。


「ヴァル、酷い」

 意外にいいところに入ったようで、セラフィレスは一旦体を折って呻いた。

「何度も言っているが、貴様は人の家でいったい何をしている」

 しばらく気配が無かった為に安堵していたというのに。

まさか自宅の玄関を開いた途端にがばりとだきついてくる馬鹿がいるとは思ってもいなかった。

「愛する甥っ子と親睦を深めようと待っていたに決まってるじゃないか。土産に美味しいブランデーを持ってきたから、夕食の後に飲もう」

 痛めた腹を撫でながら言う男を相手に、ヴァルファムは溜息を落とした。

夕食も食べる気なのかこの男は。

 だが、エイリクが帰宅したことでファティナが少しばかり気を落としている。この男の来訪はおそらく彼女にとって良い気晴らしになったことだろう。


 自分の居ない間に勝手に訪れていることは気に入らないが、多少は大目に見てもいい。

あくまでも多少は、だ。


「二・三日中にたまにはサロンでビリヤードでもしないかい?」

 セラフィレスの陽気な誘いに、ヴァルファムは冷たい眼差しを返しながら「生憎と、明後日には父の領地に行くことになっている」と静かに告げた。

 セラフィレスの瞳が楽しそうに揺らめき、口元がゆるむ。


「へぇ、楽しそうだね?」

――楽しそう?


ファティナはきっと喜ぶだろう。

ずっと待っていた知らせに微笑み、素直な喜びを示すに違いない。

そんなものは想像するでもなく容易く思い浮かぶ。


ヴァルファムは生憎とちっとも楽しくはなかった。

 



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