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決断

 現実とはかくも厳しいものなのか。

メアリは自らの人生というものを振り返り、あまりかんばしくないものであることを改めて感じていた。

名家という訳ではないが、男爵家に生まれて育ち、これといった不自由はなかった。父親の方針で勉学に触れることができたことも幸いなことだ。だが、両親が先立ったところからメアリの身の不運ははじまっていたのだろう。


 爵位は世襲されるべきものだが、生憎とメアリは女性である。

最近ようやく女性襲爵などという話もちらほらとでてきてはいるが、当時は爵位を襲爵することが許されるのは男子と定められていた。

 勿論、まだ年若いなりにメアリが結婚することでその問題は解決するはずであったのだが、叔父はその機会を逃したりはしなかった。

 ただ、叔父が爵位を受けたところで問題はなかった筈だったのだ。自らの保護責任者が父から叔父へとかわるだけ。そう思っていたのだが、叔父はメアリを早々に屋敷から追い出しにかかった。

 わずかばかりの現金とボストンバック一つだけで。

 人生とはままならず厳しいものだと痛恨する出来事であった。


 そしてまた、人生とは厳しいものだとたった今、メアリは感じていた。

――さすがに白馬に乗った王子様が(ひざまず)いて愛の許しを得るだとか、永遠の愛を誓うだとかいう夢は持ち合わせていない。

 子供の頃はちらりと思ったかもしれないが、やがて王子は無いなと判断すれば、もう少し現実的に騎士にそうされることを夢見たりもした。


ただし、十四五の小娘の頃のことだ。今となっては鼻で笑ってそんな現実ないといえる。


 だが現実では自分の前に騎士がいる。

 騎士――確かに騎士かもしれない。

相手は騎士団に所属している。詳しいことは知らないが、騎士団の事務系統にいるのだというから、もしかして騎士なのかもしれない。


 しかし面前の相手は跪きもしなければ、愛を囁いたりもしない。

尊大な調子で図書室の机に腰を預けるように立ち、腕すら組んでこちらを眇めてみている青年に、メアリは咄嗟に手をあげなかった自分の理性を褒めてやりたくなった。


「……失礼ですが、ヴァルファム様」

「なんだ」

「今、何とおっしゃいましたか?」


 声がわずかに震えていた。

「耳が遠いのか」

冷たい碧玉に、更に侮蔑まで含ませて言う相手に、メアリはどう立ち向かうべきなのか思案した。

「聞き間違いで無いとすれば、今、私は求婚されたような気がします」

「そのようだ」

 即答で返された。

そう、自分は今夢にまで見た――いや、はるか昔の夢だが――求婚をされたのだ。ただし、完全に夢想だにしない現実として。


 冷たい眼差しに、愛情の欠片も思わせない求婚を求婚というのであれば。

 

――あなたを愛している。

求婚とはうわべだけでも愛を語り、微笑を湛え、その一時誰よりも女を輝かすものではなかろうか。

 だが現実はまったく違う。

まるで剣を突きつけられて冷笑と共に、死刑宣告を受けるかのような求婚とは、いったいどれくらい悪辣に生きていれば身に降りかかってくることなのか。

 少なくともメアリは自分の行いがそんなに悪かったなどと思ったことは無い。

神に見放されるような行いをしたことは無いのだ。

 自らの良心のもと、精一杯主を守っているつもりである。その結果が――これなのか。


神は何をしているのだろうか。


「不都合はないな」

 それでしまいだというように軽く手を払い、求婚相手を追い出そうとする男にメアリは咄嗟に声を荒げていた。

「不都合ばかりでございます!」

「なぜ?」

 なぜ?

なぜって――そう切り返されると、自分でも何故かは咄嗟にはでてこない。


だが、答えなどとうに決まっている。


「お受けできません」

「あなたには誰か婚約者でも?」

「……いませんが」

「なら問題は無い。ああ、私は別に持参金は必要としていない。もしあなたがそれを心配しているのであれば不要だ。さらにいえば、もしそのようなものがあるとすれば、それは全て貴女の好きにしてくれて構わない。それとも、結婚後に発生する手当てについて何か言いたいことがあるのであれば――」


 まさに事務的に話をすすめていく相手に、メアリはぐっと奥歯をかみ締めて相手をにらみ付けた。


「お断り致します」


 これは間違いだ。

――ヴァルファムの言葉を受け入れることが正しい。

自分は無力な女であるし、相手は侯爵家の嫡男。結婚はあくまでも家の結びつきであり、女性にとってこの婚姻は願ってもないものだろう。

 だがメアリはこの婚姻を受け入れることはできかねた。


「愚かだな」

ヴァルファムは嘲るように鼻を鳴らし「猶予をやろう――私は寛大だ」という言葉を残してメアリの脇を通り過ぎた。


――猶予など要りません。

そう怒鳴ろうとした言葉が、震えて喉の奥で凍りつく。

メアリはぎゅっと自らの指先を白くなるほどに握り締め、一人残された図書室で肩を震わせた。

 悔しいのか悲しいのか判らなかった。


――はじめて受けたプロポーズが、あまりにも酷く残酷に胸の奥でくすぶっている。


「さいてい……」


 ゆっくりと言葉が耳鳴りのように響き、それと同時に眦に浮かんだ涙が落ちぬようにぐっと顔をあげた。

 あの厚顔無恥な馬鹿様の正体を微にいり細にいり懇切丁寧に女主に報告したい。


是非とも。


メアリはぎゅっと唇を引き結んだ。

この程度の嫌がらせをしたところでこの心の怒りは決して晴れはしないだろうが、多少の溜飲は下がるというものだろう。


――ファティナ様、貴女の馬鹿息子は最悪です。


***


 都合がいい。

勿論それだけだ。

結婚はしなければいけない。

だが女を捜すのは面倒だった。

何より、結婚相手に煩わされるのは受け入れられない。

 結婚相手に求めるものは何かと問われれば、ヴァルファムは簡潔に言える。


女であるということ。


 健康だろうと不健康であろうと気にしない。むしろ病弱なほうがいいのではないかとすら思うが、一応嫡男という立場上跡継ぎを残さなければならない。ならばこのさい健康な女のほうがいいだろう。あとはどうでもいい。子供さえ産み落としてくれるのであれば、好きに振舞えばいい。愛人を囲うことも、自分の子いがいのものを産み落とそうと。問題はまったくない。


――結婚さえしてしまえば、あの父親も居座るその椅子を立ち上がり、田舎に引きこもることだろう。もともと領地に引きこもっているが、もっと僻地にでも追い出して構わない。

 爵位など欲しくはない。現在だとて騎士(ナイト)の称号なら名称だけは持っているし、子爵を名乗れる。だがそれである種の権限が手に入るのであれば否やはない。


義母に子など必要がない。

これ以上の跡取りのスペアなど必要がない。そう改めて思えば、自分が結婚するのが一番手っ取り早いのだと思えた。

 

 だというのに、何故あの女は断るなどと言うのか。

それとも駆け引きの一つか――おそらくその程度のことだろう。

間をもたせることによって結婚の条件を吊り上げるつもりかもしれない。

そう思えばヴァルファムは眉間に皺を刻みこんだ。

悪い話ではないはずだ。没落した男爵家の娘――しかも嫁遅れといっていい年齢だ。これ以上の婚姻など望むことはできないだろう。

 口うるさい点もあるが、所詮子供ができてしまえば他の屋敷に放置すれば良いこと。ファティナを思う忠誠心は認めてもいい。更に言えば、結婚市場に足を運ばなくても済むことは十分な利点だろう。


ふと、名前は何だったかと浮かんだが苦笑のうちに消えた。

名前などどうでもいい――女は女、ただそれだけなのだから。


 このことを義母に報告すれば彼女はあの翡翠の瞳をきらきらと輝かせて喜ぶだろう。

喜べばいい。

念願の嫁も孫も与えてやる。ファティナが子を成す必要などありはしないのだから。


 女が欲しいのではない。

共にいて欲しいのだ。

――そこを誤まってしまっては、結局全てを失いかねない。


最近の自分の行いに自制をかける意味でも妻を娶ることは理に適う。

もっと早くに女史を妻に娶ることを考え付けば良かった。そうすればファティナは子が欲しいなどとあの男に手紙を送ったりもしなかっただろう。


 ヴァルファムは過ぎた苦い思いを一旦捨てると、義母に結婚についての報告をすませようと意気揚々と考えを切り替えた。

――ヴァルファムの気など少しも知らぬ気に晴れやかな表情を浮かべるであろうと義母を思えば、多少は鬱屈のようなものが溜まるが、ヴァルファムが結婚することは決定事項だ。

 真っ先に考えなければならないような案件ではなかっただけで、自らの人生でいつもくすぶっていたものである。


 面倒ごとが済むのであればどうでもいい。

まずは一つ。

ヴァルファムは暗い笑みを刻んだ。


***


義母(かあ)さま」

 幾度も口の中でその音を転がす。

なんというか気恥ずかしい音だ。今までちかくにいた大人といえばジゼリだけ。母と触れ合うというものがどういったものであるのか、実際にエイリクは判らない。


――自分に母など要らない。

そう頑なに定めてきたものだから、義母というものを前にどう接していいのか判らない。


 触れたら柔らかく、香りはシナモンや甘いバターの香りがした。

義母を敬うと決めたもののどう接して良いのか判らない。

兄は帰宅すると義母の手をとり、優雅にその指先に唇を押し当てて瞼と頬に口付ける。

当初は異様な光景としかとれなかったものだが、親子とはそういうものだろうか。


 自分には多少身長が足らないが――敬意を払うというのはそういうことなのだろうか。

とりあえず兄の真似をしていれば間違いはないだろう。

エイリクはぐっと腹に力を込め、こくりと一つうなずいた。


兄を見習えば間違いはない筈だ。

エイリクは覚悟を決めて庭先で犬に寄りかかっている義母の姿を視界に入れた。


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