表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/74

せつなさ

 月明かりが入り込む。

今日は満月では無かったが、それでも青白く浮かぶ月は中庭を白々と照らしている。

クレオールはふと右手下階にある居間に人の気配を感じ内心でやれやれと苦笑した。

――またエイリク様を追い回しておられる。


 だが気持ちは十分に理解できた。話さなければならないことがあるのだろう。それはクレオール自身理解できる範疇だ。ヴァルファムが離れている今が一番タイミング的に悪くは無い。

ただし、ヴァルファムに知れれば不機嫌になられるだろうが。

 すっと視線を屋内へと戻し、ヴァルファムの為に飲み物を用意しようと動いたところでクレオールは固まった。


「――」

 自分の失態を呪った。

外に意識を向けすぎたのだろう。きっと、そういうことなのだ。

それまで机のところで腰を預けるようにして機嫌よくしていた主だったが、その体は窓辺へと向けられ、そして冷ややかな様子で眉間に皺を刻んだ。


 窓辺で何やら話している二人の姿がヴァルファムにも確認ができたに違いない。


 クレオールは咄嗟に声をあげた。

「エイリク様にデザートをお召し上がり頂きたいのでしょう」

「義母うえも懲りない人だ。エイリクに近づいてよいことなどありはしないだろうに」

それでも冷静さを滲ませて淡々と言う。

――最近はそれでも一緒にお茶を召し上がるようになりました。

さすがにここでいうのは懸命とはいえないだろう。クレオールは沈黙を守ることにしたが、その沈黙がやがて眩暈にまでかわるとは思ってもいなかった。


――奥様……さすがにそれは、色々とまずいと思います。

ヴァルファムが息を飲む音と、奥歯をかみ締める音がやけに鮮明にクレオールの耳に届いた。 


***


掴みあげた手、シーツに広がる絹糸の髪。

潤んだふた粒の翡翠に、戦慄く唇。

「義母うえ」

低く恫喝するかのように声をかければ、ファティナは小さく首を振った。

「ごめ……なさい」

 こんもりともりあがる眦の涙が、つっと耳へと流れる。月明かりだけが照らしだすその光景に、口元が引き結ばれた。

「先日もナイショとおっしゃっておりましたね。まずは、どんなナイショだったかこの義息に教えて下さい」

両手で押さえていた手首を、片手に持ち替えた。頭の上で腕を交差させ捕らえれば下半身をもそもそと動かして逃れようとする。

 それを許さぬように腰に手を当てて引き寄せ、ヴァルファムは微笑を湛えた。

「言わぬつもりですか? では、自ら言う気持ちを引き出してさしあげましょうね?」

 さあ、どうしてくれよう。

そう思った途端に、しかしファティナはぽろぽろと涙をこぼしながら陥落した。

ひくひくとしゃくりあげ、まさにコドモのように。


「わ、悪いことはしておりません。ヴァルファム様にナイショでエイリク様と仲良くなれば、きっとヴァルファム様だって喜んでくださると思ったのですっ」

「……」

 あっさりと白状した上に、その内容の酷さに落胆した。


「……私が、それを喜ぶと?」

「だって! 嬉しいでしょう?」

本気か?

 思わずまじまじと見つめてしまった。

小娘様とエイリクが仲良くなれば、ヴァルファムが喜ぶと――そんな訳があるか。

 ヴァルファムは口の端がひくつくのを感じながらゆっくりとした口調で問いかけた。

「エイリクと仲良くなられたのですか?」

「も、もう少し……れす。さいきんは、一緒に、お茶をのんでくれるんです。きっともっとずぅっと仲良く、なりま、す」


 何故か語尾があやふやで、しゃっくりと同時にすんすんと音がする。

ヴァルファムはその酷い有様に頭痛を覚えた。


――酔っ払っている。

確実に酔っている。しかも泣き上戸だ。

まるで奇妙な生き物のようにすんすんひゃんひゃんと泣いている。


「なかよしは、いーことれす」

 涙を流しながら言う義母に、ヴァルファムは引きつりながらぐいっと掴んだままの手首を引き上げ、自分の膝の上にファティナの上半身をうつぶせに引き倒した。

体内に蓄積されたものがぐだぐだと崩れ落ちていく。

端的に言うのであれば――性欲と呼ばれるものがあっさりと萎える。

ああ、まったくこの小娘ときたらどうしてこうなのだろうか。

「約束を破った罰は、やはりコレが一番ですね」

 まったく度し難い。

――嘆息が落ちた。


「へ、へぅっ? ひゃぁっ」

 やっと事態を理解したファティナが奇妙な声をあげて暴れたが、ヴァルファムは暗澹たる気持ちでファティナの下着を引きおろした。


 酒など飲ますのではなかった――本当に。


***


 扉の開く音と同時に、続き間のほんの少し冷えた冷気が部屋に一気に流れ込んだ。

 剥き出しにされた尻に三発目の平手を打ちつけたところで、誰何(すいか)もなく寝室の扉が開かれたのだ。

「何事ですかっ!」

 それはむしろこちらの台詞であったが、ファティナの悲鳴が廊下にまで響いたのだろう、息せき切って顔を出した執事はヴァルファムの膝の上でうつぶせにされ剥き出しの尻を叩かれているファティナの姿に一瞬で青ざめ、ついで背中を向けた。

「何をしておいでですか」

「クレオっ」

 悲痛に声をあげるファティナは必死に救いを求めているのだろう。それよりも、ヴァルファムはいっそう冷ややかな口調で言った。

「見たものを脳内から消去できないのであればその目を刳り貫く手伝いをしてやろうか?」

「何も見ていません」

「――」


 ヴァルファムはきつく執事を睨んでいたが、すぐにファティナの下着を調え、うつぶせにしていた体を抱き上げると今度は一転幼子でもあやすかのようにその背を優しく撫でた。

「義母うえ、約束を破ると罰があるのです。もう十分ご理解頂けましたね?」

「ひろいれす……」

 痛みを与えても酔いは未だ収まらぬのか、言葉は呂律をまわらない。そして相変わらず奇妙にすんすんと音を出している。

「私の手も痛い。私だとてできるならばこんなことはしたくありません。けれど義母うえが約束を破ったのですから、それに対してきちんと罰を与えなければいけないのですよ。約束は、神聖なものですからね?」

 ふにゃりと顔をしかめている義母の眦に残る涙を舐めて、ヴァルファムは背を向けたままこちらを気にしているクレオールへと告げた。


「もう休む。何も心配するようなことは無い――戸締りをして出ろ」

「……奥様は、本日はこちらでお休みになられるのですか?」

 クレオールの言葉に、ファティナは咄嗟に「いやっ」と声を出そうとしたが、ヴァルファムはやんわりと「そうだ」と伝えてしまった。クレオールだとてもう休む時刻の筈だ。このフロアの声が一階のクレオールの部屋に届くとも思われぬ。おそらく窓辺で見たもののことでファティナを心配して女主の姿を探していたのだろう。

 女主には忠実だが、どうやら男主のことは信用していない。

ファティナにとっては良いことなのだろう――丁寧に頭を下げる男を見送り、ヴァルファムはファティナの汚れた顔をハンカチでぬぐってやった。


「もぅ……怒りまへんか?」

「怒ったのではありません。叱ったのです」

「同じことではありませんかぁっ」

「同じではありませんよ。物分りの悪い子供の尻を叩くのは当然のことです」

「わ、わたくしはもうコドモれはありまひぇんっ」

 涙でぐちゃぐちゃの顔をさらに真っ赤にして言う義母を抱きこみ、ヴァルファムは鼻を鳴らした。


――泣き上戸ははじめてみたが酷すぎる。

これではまるきり小さな幼子を虐めているようではないか。


「忘れておいでかもしれませんが、私はもう一つお尋ねしたいのですが」

「……何れす?」

「エイリクとどんな約束をなさいました?」


 ファティナはますます眉を寄せて、不平をもらすように顔をしかめた。

「いやれす」

「ほぅ?」

「らって、どうせ正直に言っても、きっとヴァルファム様は罰をおあたえになるもろ」


つんっと横を向き、叩かれた尻を気にするように身じろぎする。

すんすんと肩を揺らしている母を優しく抱きなおし、その前髪をかきあげた。


「義母うえ」

「……なんれす?」

 眠気が戻った様子で重い瞼を動かす。言葉は相変わらず舌足らず。

なるもろ、に、なんれす。こちらこそなんです、だ。

怒っている自分が馬鹿らしい。


「もう許します。ですから、どうぞ貴女からキスして下さい。今度の約束はそうですね」


――私意外と約束の口付けをしないと、約束して下さい。


 許す、という言葉にぱっとファティナが微笑んだ。

けれどもその笑顔はすぐに不信を込めてかげった。

「家族れも?」

「あれは私と貴女の間で交わされた約束ではありませんか。思い出して頂きたいのですがね? あなたはご自身の母君と抱きしめて約束をなさったでしょう?」

二人だけの約束です。

「……でしたか?」

「そうです。あの約束は私とあなただけの約束です。もう他の誰ともしないと――約束して下さい」

 許したくは無かったが、さすがにもう泣き止んで欲しかった。何より、話など到底まっとうにできそうにない。

 今の説明だとてかなり危ういが。

「ほんとーれすね?」

 約束したら、もう許してくださいますね?

と、念入りに確認する。

酔っ払いの癖してしぶとい。


「本当です。でも、覚えておいて下さい。今度約束を破ったら。私の寝台にいる悪い虫に頭からばりばりと食べさせてしまいますからね」

 笑みを浮かべて言う言葉を冗談と受け取り、ファティナはいつもの軽口に戻った義息の様子に安堵の吐息を落とし、ヴァルファムの唇にそっと唇を押し当てた。


 安心した為に一気に睡魔がファティナをからめとる。

ヴァルファムがくったりとしたファティナを支えてくれる腕の力強さと体温と、そして瞼に、頬に触れる唇がくすぐったくてファティナはくすくすと笑った。

――怒りっぽくて、怖くて、けれどあったかくて優しい。

 その腕の中にいれば何も怖くない。そう思う反面、ふとファティナは気付いてしまった。


いつか、この義息は自分から離れていく。

妻を得て、子を成して――それはもしかしたら……とても寂しいことかもしれない。




 

予想通り! な人は挙手っ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ