表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/74

うそつき

 空気の違い、というものは肌で感じるものだ。

仕事から戻り、サーコートの留め金に手をかけながらヴァルファムは控えている執事を呼んだ。

「何かあったか?」

「昼にソルドさんが参りましたが、それだけです」

 クレオールが半眼を伏せて言う。ソルドの名に、ヴァルファムは息をついた。

あの男だけはまったく理解できない。ファティナの家庭教師といいながらそれらしいことをしている様子は無い。むしろ貴族の女性にはつきものの話し相手や付添い人のように彼女の前で他愛も無い言葉を落として帰っていくだけだという。

 父の思惑がまったく判らない。

それとも、思惑などないのか――いいや。あの男が何も考えずに人をよこすなどそれこそ考えつかないことだ。


――妻の様子を知る為に?


 あの男がそんな無駄なことに人員をさくなどそれも理解しがたい。

「今日はどんなことを?」

「ヴァルツ様のお怪我の内容と、もしよければファティナ様を御領地へとお連れしましょうかと進言されておいででした」

 実際はそれだけでは無かったが、クレオールにもそれ以上のことは理解できていなかった。彼の女主(おんなあるじ)は決して口にしまいと決めれば時折とても頑固にそれを貫きとおす。

 必死に宥めてその涙を止めてはみたものの、彼女を動揺させ、ほんの一瞬といえども激昂させた事柄については口を閉ざしてしまった。


 挙句、ファティナは落ち着きを取り戻すや相手の頬を叩いた自分自身を恥じ、次に顔を合わせた時には謝らなければと戸惑いのままに口にした程だ。

――立派になられたと褒めるには多少心にわだかまりが残る。


「あの男が義母うえを?」

憤慨するようにヴァルファムが眉間に皺を刻みつければ「奥様は丁寧に断っておいででしたが」と付け加えておく。


――ナイショにして下さいませ。

 泣きはらした赤い目で、ファティナはクレオールを見つめた。

「何を言われたのか教えて下されば」

良くないと理解していても、そう交換条件を突き付けもした。だが、ファティナはふるりと首を振り、困ったように眉をひそめた。

「咄嗟のことでしたから……きっとわたくしの勘違いなのです。男の方って、時折ひどい冗談をおっしゃることがあるのでしょう? それを真に受けて叩いてしまったのです。悪いのは……わたくしです」


 それがたとえ冗談であったとしても、あのソルドの表情をみれば確信犯だと知れる。

冗談だか何だか知らないが、あの男はファティナが激昂することも念頭においていた筈なのだ。

 せめて内容を教えてさえくれればとクレオールは願ったがファティナは幾度も首を振り、やがて小さく呟いた。


「言葉にしたら……真実になってしまいそうなのですもの」


――彼女はそれを恐れるようにぎゅっと自分の体を抱きしめた。

クレオールは自分の無力さを思い知り、もう二度と女主の近くにあの男を無防備に近づけさせはしないと誓った。


「義母うえは?」

「ほんの少し熱がありまして、今は寝室でお休みになっておいでです」

 現在は家庭教師であるメアリが付き従っている。

――せめて彼女に真実を語ってくれていれば良いと願いつつ、そうされるのはとても寂しいことであるとクレオールは感じていた。


 ヴァルファムの足が自然とファティナの寝室へと向かう。それを止める術もなく、クレオールはただ付き従った。


***


「正餐の頃合には顔を合わせなさるじゃありませんか」

メアリは溜息交じりに言葉にしながら女主の後をついて歩く。頃合はまだ夕刻――頭が痛いと横になっていた女主だが、転寝から起き上がると今度は「離れに行かなくては」と慌てて動き出したのだ。

「それでは遅すぎますわ」

「そろそろヴァルファム様もお帰りになられますよ」

「ですから、それでは遅いのです」

 ファティナは多少焦りを覚えていた。

自分がしでかした失態――来客を叩いてしまうなどという暴挙もさることながら、エイリクにすがって泣いてしまったことを、一刻も早くエイリクに詫び、そして何より口止めをしなければいけない。

 クレオールはヴァルファムに秘密にしてくれるだろう。

だが、エイリクはそうではない。


 まったく恥ずかしく愚かしい。

もしエイリクの口からヴァルファムにそのことが告げられてしまえば「朝まで説教」かもしれない。

 淑女らしからぬと延々と叱られてしまう。

何より、クレオールが心配したようにヴァルファムにまで「何を言われたのか」と問い詰められたくは無かった。悪いのはきっと……ほんの戯言を真に受けた自分なのだ。

 そう思いつつ、ファティナは自分の胸をぐずぐずと刺す思いにこくりと喉を鳴らした。


 ほんの他愛も無い会話だった筈だ。

旦那様にお会いしたいと。旦那様に会いに行くのだと。

――子を授けて頂くのだと。

 いつもと何ら変わらぬ会話だったはずだ。だが、ふいにカディル・ソルドは可笑しそうに喉の奥を鳴らし、眼鏡の縁を軽く中指で押し上げてファティナの耳元で囁いたのだ。


「あなたが産み落とす子の父親は私です」


 耳に言葉が落とし込まれた直後は、おそらく理解などできなかった。だが、それは本能のように次の瞬間には血の気をひかせ、そして咄嗟に手を振り上げていたのだ。

 人を叩いたのははじめてのことで、思いのほか自分の手がじんじんと痛み、ついで、自分のしてしまったことに驚愕した。

 ファティナは動揺のままに言葉を飲み込み、そしてその場を逃げ去ることしかできなかった。

 心臓が激しく鼓動する。

子供が欲しかった。それは夫婦の証であるから――子供は愛の証であるから。幸せの証明であるのだから。

 だが欲しいのは夫の子供だ。

何より、夫婦でなければ子供はできないのではないの?

不安に――押しつぶされてしまいそうだった。声を大にして叫んでしまいたかった。


 だが時がたてば、それはきっと彼の冗談なのだろうと心を静めた。

ファティナの夫はヴァルツで、ファティナの産み落とす子の父親はヴァルツ以外にありえないのだから。

 そのことを考えると身が震えた。

震えて、叫んでしまいそう――けれどそんな他愛の無い戯言など忘れてしまえばいい。忘れてしまうべきだ。

 全ては無かったこととならなければいけない。

ファティナはふるりと小さく身を震わせた。


「義母うえ」


 ばったりと廊下でヴァルファムと顔を合わせてしまったファティナは、あやうく気を失いそうな程動揺した。

 今まで考えていたこともさることながら、エイリクへの口止めという激しく後ろめたいことを考えていた為に、


「きゃぁぁぁっ」


 咄嗟に悲鳴をあげていた。


***


 頭痛がするという義母を見舞うために義母の部屋へと向かおうとして義息は、寝込んでいる筈の義母が廊下を歩んでいることにも驚いたが、何よりも義息の姿を捉えた途端に大音量の悲鳴をあげたことに面食らい、ついで激しい怒りに囚われた。


「義母うえっ」


 あやうく身を翻して逃げようとしたところをがしりと捕まえた。動揺するメアリやクレオールのことなど構わずに、ヴァルファムはじたばたと暴れている義母を押さえ込み、冷ややかに言った。


「何か企みましたね?」


 頭痛など嘘で、寝込んだふりで何かしでかそうとしたに違いない。

咄嗟にそう判断したヴァルファムは、低い声で言葉をあやつりながら往生際悪くじたばたしている義母の体をひょいっと担ぎ上げた。

「な、何も企んでなどおりませんっ」

「いいえ、絶対に怪しい」

「怪しくありませんっ」

「――では何故私の顔を見て悲鳴をあげたのですか?」

 まるで米俵のように担がれ、ファティナは涙目でクレオールに救いを求めた。ずんずんと居間のほうへと運ばれて行きそうになる。このままでは逃げることもできずに全てを白状するまで説教がなされるかもしれぬと思ったところで、クレオールが言葉を挟んだ。


「奥様、もう無理です」


 その言葉にすっとファティナの血の気が失せていく。

じわりと眦にあついものが湧き上がるのを覚え、ファティナは絶望に頭が真っ白になりそうになった。


「ヴァルファム様、奥様はヴァルファム様を驚かせて差し上げたかっただけなのです。そうお怒りになられないで下さい」

 歩んでいたヴァルファムの足が止まり、訝しげに眉を寄せた。

「確かに十分驚いた」

 顔を合わせた途端に悲鳴をあげられたのだから。

不愉快な気分でクレオールを睨みつけると、クレオールは淡く口元に笑みを刻んだ。

「そうではありません――奥様はヴァルファム様に贈り物をなさろうとしたのです。その準備の為に厨房に行かれるところで顔を合わせなさったものですから、きっと驚いて悲鳴をあげてしまったのです」

「厨房?」

「本日奥様はヴァルファム様の為に焼き菓子をお作りになられました。こうして白状してしまったのですから、もうサプライズにもなりませんが」

 こっそりとお届けする予定だったのですよね、奥様?

やんわりと続けられる言葉に、ファティナはこくこくとうなずいた。


「ごめんなさい。驚かそうと思って……わたくしが驚いてしまいました」

ファティナの心臓がばくばくと音をさせていた。

 嘘がばれやしないものかと身までも細かく震えていたが、ふいに担ぎ上げられていた身体がぐんっと戻されて床におろされた。

 体制を整えられ、ついで今度はヴァルファムがまじまじとファティナを見つめてくる。後ろめたさから視線を逸らしそうになりながら、ファティナは精一杯微笑んでみせようとした。

「私の為に?」

「はい……」

「怪我などなさいませんでしたか?」

「お菓子作りで怪我はしませんわよ?」

「――あなたならどんなことでも怪我をしますよ。ああ、でも……ありがとうございます。義母うえ。そして無体な真似をしてしまいましたね。この義息を許していただけますか?」


 穏やかに言いながら嬉しそうに見下ろし、頬と頬を重ね合わせる義息の様子に、ファティナは泣きたくなるような罪悪感を必死に隠しながら「もちろんです」と囁いた。


――ごめんなさい。

幾度も幾度も胸のうちで繰り返される言葉は、ヴァルファムには届かなかった。

ごめんなさい。

あなたはわたくしを許さなくていい。


本当は気が弱くて嘘つきで立派な母親になりきれない愚かなわたくしを……許さないで。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ