課したもの
――無視しよう。
ヴァルファムが義母との対面を果たしたあと、自らに課したのはそれだった。
十三の小娘の扱いなど知らぬし、自分にはまだ年端もいかぬ弟までいる。
まぁ、その弟はといえば、乳母と共にヒースの別邸に暮らしているのでどうでもいいといえばどうでもいいのだが。
「弟のようによそに屋敷をあてがってくだされは良いのに」
と、心から思ったものだが、父はそうしなかった。
「アレにはまともに育ってもらわねばならん」
と父は応えたが、
「ならば父うえがきちんと監督なされば良い」
という息子の訴えを、
「子供の扱いなど知るか」
端的に返された。
――子供の扱いなど知らぬのはヴァルファムも同じだ。
父が妻を得るのはすでに四人目。それまでの間には母違いの妹という存在も産まれはしたものの、やはりヴァルファムにとっては感知するものではなかった。
父と義母とが離婚した今は、その妹達との接点もない。父には息子は必要だが娘は必要が無かったようだ。ヘタをすると弟のエイリクなどは跡取りのスペア程度でしか無いかもしれない。
そういうことでヴァルファムが自らの中に課したのはたった一つ。
――無視しよう。
同じ屋敷に住んでいようとも、ただの同居人だ。
子育ては使用人に任せてしまうに限る。
早々に執事見習いでもあったクレオールと、料理番のエマに小娘の扱いを任せ、自分のなすべきことに没頭しようとしたものの……相手は一筋縄ではいかなかった。
――犬や猫と違い、それは喋るのだ。
「ヴァルファム様!」
「……」
「本を読んで下さいませ」
十三歳の小娘が手にしているのは別に絵本では無いが、あまったるい恋愛物語だった。
「少しわたくしには難しい単語があるのです」
困ったように眉を潜めて言うので、仕方なくヴァルファムは控えているクレオールを睨んだ。
「クレオール」
「ファティナ様、あちらでクレオが読んで差し上げますよ」
クレオールが優しく言えば、ファティナはちらりとヴァルファムをうかがってシュンっとうなだれつつもクレオールについていく。
当時二十四になる男と十三の小娘様のそういった接触はその日から目につくようになった。
子供というのは単純で、遊んでくれるものがいればそれでいいのだ。
だからほっとしていた。一週間の間は。
「若様」
困ったようにクレオールが声をかけてきたのは、夕餉も済んだ頃。
自室で本を読んでいたヴァルファムは、ちらりと壁にかけられた時計に視線をめぐらせた。
「なんだ?」
「ファティナ様のことでご相談があります」
その名前を聞いた途端にヴァルファムは顔をしかめた。
「なんだ?」
「夜、あまりお休みになられていないようなのです」
「昼間はバカみたいに元気に走ってるじゃないか」
――といったところでそれは予想だ。
ヴァルファムは現在王宮の文官として仮勤めをしている。屋敷にはあまりいないのだ。
「部屋の中からすすり泣きが……」
「――」
クレオールは本当に困っている様子で吐息をつき、
「昨夜は私が添い寝した程です」
「は?」
「勿論、いけないことだとは理解していますが――どうもお寂しいようで」
クレオールの言葉を要約すれば、ファティナは夜になると失った父母を思い出し眠れなくなり、一人で枕を抱きしめて寝ているのだと言う。
「あんまりおかわいそうで、思い余ってしまったのですが」
それは確かに使用人としての分を越えている。越えすぎだ。完全にアウト。
父であれば首を切る。実質的に。
ヴァルファムが眉間に皺を刻めば、
「ファティナ様が今宵も一緒にと」
「……」
どうにかして下さい。
切実に訴えられた。
ヴァルファムは気乗りしない思いを抱えつつ、ファティナの部屋の扉をノックしようとした。
手を軽く握りこみ、彫刻の施された分厚い扉に当てようとしたところではたりととまる。
――何と呼べばいいのだ?
悩んだ途端に、腕はスベってドアをノックした。
「クレオ?」
途端に嬉しそうな声と共に扉が内側から開かれる。
その翡翠の瞳がヴァルファムを認めて二度瞬いた。
「ヴァルファム様?」
「……」
「何ですか?」
不思議そうにしている。
ヴァルファムは眉間にくっきりと皺を寄せ、
「義母うえ」
――今までの義母に対してそう呼んだように、そう口にした。
そう、たとえ八つも年下であろうと、書類上はこの小娘は母である。義理とは言え、母ということになっている。ならばそう呼ぶ他は無い。
「クレオールをお待ちなのですか?」
「はい! クレオが昨日は童話を話して下さいました。今日もお願いしたのですけれど」
天真爛漫に言われてしまった。
まったくもって邪気もなく。
「クレオールは使用人です。寝室に入れてはいけません」
なぜ自分がこんなことを。
ヴァルファムはとりあえず神ではなく父親を呪った。
「でも……」
「貴女は私の父の妻なのですよ?」
「でも、旦那様は一緒に寝て下さいません」
「――」
それどころかこの時点で顔を合わせたのは、書類を作成したその時だけだったはずだ。
「十三といえば立派な淑女ですよ。
一人できちんとお休みなさい。いいですか?」
「……」
途端にへにゃりとその顔が歪む。
「枕はあったかくありません。クレオはあったかかったのに」
「温石を寝台に入れるように言っておきましょう」
それで話しは終いだと、ヴァルファムは切り上げた。
――子供の脳内はどうなっているのだ。
十三ならもう少し男と共に寝台に入るということがどういうことだか理解していてもいいだろうに。それとも判っていて言っているのか?
思わず疑いたくなる。
ヴァルファムはその足でファティナの寝台に温石をいれるようにと手配をすませ、自分も休むことにした。
それが運命の分かれ道だったのではないだろうか。
ヴァルファムは後々後悔した。
――その夜、なんとなく目が覚めて、なんとなくファティナの私室の前を訪れれば、そこにはクレオールが立っていた。
眉間に皺を刻み込み、扉に手を当てて。
「クレオール?」
「――若様」
何をしているんだおまえは、そう告げるよりその扉の奥から小さく聞こえるすすりなきが……クレオールの行動の意味を知らしめる。
なんとなく気まずい空気が二人の間にただよう。
――おまえ行って来い。
ヴァルファムにそう言えていれば、何かが変わっていたのだろう。
クレオールは主の許しに心の重荷をとくようにそうしたであろう。
だがヴァルファムは深い溜息と共にその扉を自ら開いた。
子供とはなつくと際限が無いということを知るのに時間は必要としなかった。