執事日記・その1
web拍手で掲載済みのものです。最後におまけを一つ。
O月X日――
旦那様が四度目の再婚を果たされた。
――その年齢差36才。
究極の幼な妻は御年13才。若様よりも八つも年下の姫君は、多少、いや、かなり精神年齢も幼いかわいらしい姫君だった。
結婚したといったところで、夫である旦那様は遠く離れた御領地にいて新しい妻は王都にあるヴァルファム様の屋敷に暮らすこととなった。子供の面倒など見切れないという旦那様の言葉は納得ができるが、果たしてこの気難しい若君と一緒に暮らして彼女にとって良いものかどうか、一抹の不安を覚える。
O月X日――
昼間のうちは元気にしておられる姫君は、本を読んでやると途端に私になついた。
まるで子猫や子犬がなつくように大きな翡翠の眼差しでうれしそうに「クレオ」とついてくる。癒し系の小動物のようだ。
それに反してヴァルファム様といえば、完全に姫君を無視することに決めたのか視線すら合わせようとしない。
それでも彼女は果敢にも幾度かアタックをしかけている。
「ヴァルファム様は義息ですもの。義母として仲良くしたいのです」
どこか頓珍漢な姫君――ファティナ様の様子はある意味ほほえましいが、果たしてヴァルファム様にたちうちできるものかと不安を覚えずにはいられない。
O月X日――
深夜の見回りの折りに、ファティナ様が眠れずに泣いていることに気づいた。
だが、さすがに使用人という立場で寝室をおとなうことはためらわれる。 少しの間様子を見ようと思うが、声を殺すようにして時々ひくひくとしゃくりあげて泣く様子が扉越しにも判る為、なんとも息苦しさを覚えずにはいられない。
ヴァルファム様は相変わらずファティナ様を無視しておられる。
少し大人気ないのではないだろうか。
ファティナ様はお小さいのだから、もう少し寛大な心でもって接してもらいたい。
O月X日――
この数日耐えていたが、もう耐えられなくなった。
ファティナ様の寝室の扉を叩き、中の様子を確かめると身を丸くして泣いておられた。
思い余ってそんなファティナ様に温かなミルクを用意し、本を読んできかせれば、そのまま手をつないだまま眠る羽目にまで陥った。
すっかり抱き枕よろしく張り付いて眠られてしまったが、どう考えてもこれはよろしくない。
ファティナ様は事実がどうであれ旦那様の妻である。激しく心が葛藤を繰り広げたが、ファティナ様は「また明日も一緒に寝てね」と上機嫌で私の名を呼んでくれる。
実に愛らしいが、だからといってはいとはいえない。今夜どうすべきだろうか。
O月X日――
悩んだ挙句、ヴァルファム様に相談をした。
まったくあてにはできなかったが、それでも主に言わずにはいられまい。まったく期待できなかったが、本当にどうしようもなかった。結果としてファティナ様は今夜も寝台でひっそりと泣いているようだった。
私の中でものすごい葛藤が繰り広げられた。
扉に手を掛け、中に入り込んで昨夜と同じように優しい眠りを与えてやりたいと願ったが、役立たず――期待できない、いや、訂正――とにかくヴァルファム様も多少は気にかけていたようで、ファティナ様の私室の前で遭遇した。
その後、ヴァルファム様は多少の人間らしさを奮起したのかファティナ様の寝室に入られた。
義理といえど息子は息子、使用人が寝かしつけるよりもマシだろう。
私は安堵していた。
O月X日――
ヴァルファム様はデリカシーというものが欠如している。
お茶の時間にファティナ様に無遠慮にご両親のことを尋ねられた。ファティナ様がこの年で婚姻という道をたどることになったのは、彼女のご両親が亡くなられたことに起因するのであるから、そんなことを尋ねてはいけないということを、十歳児でも判るだろう。
だがヴァルファム様にはそれが理解できないらしい。
ヴァルファム様はきっと情緒とか他人を思いやる気持ちというものをどこかに忘れてきてしまったのか、それとも捨ててしまったに違いない。ファティナ様の優しさをほんの少しでも見習われたら良いのにと心を痛める。
最近はファティナ様もヴァルファム様が噛み付いてはこないということに気づいたようで、何かあれば「ヴァルファム様」と鶏の雛のようについてまわるようになった。だが相手は心に欠陥をもっているかのようなヴァルファム様なので、時々ものすごく「この愚かな糞餓鬼」というような視線を向けられている。ファティナ様がおかわいそうでならない。
O月X日――
ヴァルファム様がいらいらとしている。どうやら原因はファティナ様が夜になると決まって本を読んでほしいとねだることにある。そうして寝室で本を読んだあげく、手をつないで眠ってしまうのだ。
ヴァルファム様はずいぶんと我慢してそれに付き合っていらっしゃるようで、少しは人としての優しさや機微というものを身に付けたのかもしれない。
思い返せばヴァルファム様は動物をいとおしむ心も欠如しておいでだった。幼い頃にはジャマだという理由で羊を蹴飛ばしていたこともある。
今やっと情操教育というものを行っているのかもしれない。
ヴァルファム様の情操教育はいいが、ファティナ様の性格形成に異常をきたしたりしないかが気にかかる。
もし、あの優しいファティナ様がヴァルファム様のような性格破綻――ではなく、ちょっと心に問題のある人間になってしまったりしたらどうしようかと私などはどうしても危惧してしまう。
O月X日――
失敗をした。
ファティナ様に怪我を負わせてしまった。これは確かに私の失態だ。馬が子馬を産み落とし、しばらくたっていたので「見てみますか?」と尋ねてみた。もともと彼女は子馬に興味津々で気に掛けていた為、ひどく喜んだ。そんな様子をみるととてもほほえましい。どんな願いでもかなえてさしあげたくなる。
だが、ほんの少し目を離したスキに、ファティナ様は馬に乗ろうとなさり、ずり落ちて怪我をした。
捻挫といえどもたいへんなことだ。私はファティナ様を医者に見せ、その怪我がひどいものではないという言葉にやっと安堵したが、とても恐ろしい気持ちがした。
従僕として決して簡単に考えてよいことではない。誠心誠意謝る私に、ファティナ様は優しく微笑まれて「クレオは悪くありません」と何度も言ってくださった。
だが、そのあと帰宅したヴァルファム様は酷かった。
ファティナ様が怪我をされたというのに「頭をぶつけていればよかった」などとおっしゃっていた。あの方こそ頭を打ってその性根をかえてしまうべきだろう。まったく嘆かわしい。ファティナ様を少しは見習って欲しいものだ。
帰宅後慌ててファティナ様の寝室においでになったときは、青ざめた顔をして心底心配しているふうであったというのに……
その後ヴァルファム様はファティナ様に人を付けると決めた。
その決断は少し寂しいものだったが、自分がファティナ様に甘いことはすでに承知していたために素直に飲み込んだ。
O月X日――
ヴァルファム様が激怒されている。
ファティナ様が屋敷をこっそりと抜け出していたところに出くわしてしまったのだ。しかしヴァルファム様が見つけてくれて本当によかった。
今日は屋敷中が大騒ぎだった。ファティナ様につけていた付添い人は、どうやら簡単にファティナ様にまかれてしまったようだ。
あんなにのんびりとして見えるファティナ様だが、その実結構動きも早く、野生児なところも見せる。
実は木の上で午睡にふけっているのを発見した時などは、私の心臓が止まるかと思った。慌てて梯子を掛けてファティナ様におりるようにと説得すると、ファティナ様はけろりと「わたくし木登りは結構得意なのです」などとにっこりとおっしゃった。
ヴァルファム様に知れたらまたお説教されてしまうだろうと思い、それは内緒にしておいたほうがいいと進言しておいた。
最近のヴァルファム様は何かというとファティナ様を叱り飛ばしている。
人間が狭いのではないだろうか。もう少しおおらかな気持ちでファティナ様に接してさしあげて欲しい。
なんといってもファティナ様は未だ稚い方なのだ。
――脱走の件に関していえば、確かにもっとしかって欲しいが。
今日は私の肝も冷えた。
O月X日――
ファティナ様の元気が無い。普段から明るく朗らかな方であるだけに、元気がないと途端にまわりにも影響が出始める。
侍女達も気に掛けているようだし、もちろん私も気にかかる。
困ったように戸惑うようにしている様子をみると、「どうかしたのですか?」と幾度も尋ねてみるのだが、ファティナ様は「なんでもありませんわ」とそんな時だけ無理に笑みを浮かべて見せる。
ヴァルファム様がねちねちと虐めているのではないだろうか。
心配だが、見ている限りそのような様子は無い。
O月X日――
ファティナ様の様子が沈んでいるというのに、ヴァルファム様はむしろ機嫌が良い。ファティナ様が静かであることを心地よいことだと感じているようだ。まったく救いがたい神経の持ち主だ。
何故優しさというものが無いのだろうか。それとなく「ファティナ様と何かありましたか?」と尋ねてみたが、「近づいても来ない。まったく気楽でいい」などと言っている。明日はファティナ様にもう少し強く尋ねてみることにする。
早く元気になっていただかないことには、とうとう庭師までファティナ様の様子を伺って仕事にならない。
そういう私も仕事に支障をきたしてしまいそうで危うい――気をつけなければならない。
O月X日――
何故もう少し早く私も気づいて差し上げられなかったのか、悔やんでも悔やみきれない。勉学の時間の終了とお茶の時間とを知らせる為にファティナ様の勉強室へと訪れれば、忌々しいことにあの講師がファティナ様に口付けをしているのを目撃してしまった。
持っていた銀盆を叩きつけてやったが、もっと酷い目にあわせてやればよかった。とっさに解雇を言い渡し追い出してしまったのは早計であった。
ファティナ様はショックを隠しきれない様子で、私も近づけてはくれなかった。一人部屋にこもってしまったファティナ様の心痛を思うと自分が役立たずであると心底から悔やまれてならない。
ヴァルファム様が帰宅し、今回の一件について報告すればヴァルファム様はすばやくファティナ様の寝室に向かわれた。
――まさかファティナ様に対して説教をするのではと気が気ではなかったが、どうやらファティナ様を慰めることに成功したようだ。
たまにはきちんと役に立つのかもしれない。
*** *** ***
「やぁ! 奇遇だねっ」
セラフィレスは実に親しげに片手をあげ、さも当然という様子でヴァルファムが座っていたテーブルの隣の椅子を引いた。
「こんな場所で顔を合わせるとなんか運命を感じるよね」
「――」
テーブルの上におかれている煮込み料理も、麦酒も一気に味気のないものに変化した。ヴァルファムは苦いものでも嚙むように牛タンのシチューを噛み、大きく息をついた。まあもともとそれほど旨いものでもない。
「あなたこそ、こんな場所にどんな用事で?」
皮肉に言ってやったというのに、セラフィレスは嬉しそうに言った。
「性処理」
「……」
「歓楽街のど真ん中で他の何があるっていうの?――それともマズイ食事を目当てに? いやぁ、品行方正な甥っ子殿とこんなところで会えるなんて嬉しいよ。あ、いい子知ってるよ? 紹介しようか? あ、でもそれだと甥っ子とオジサンから兄弟になっちゃうか!」
黙れ、このエセ紳士。
――心はおろか体の平穏もなかなか手に入れられない。