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ナイショ話

 クレオールは困惑の溜息を吐き出した。

「ヴァルファム様に叱られてしまいますよ」

 彼の女主の無鉄砲や突飛な行いは屋敷の住人達にとっても楽しい余興の一つだ。だが、それが余興であればまだしも、ある一定のラインを超えた場合は脅威になりえることも良く理解している。

 すくなくとも、この屋敷の執事であるクレオールは。

「ヴァルファム様は過保護でいらっしゃるのよ。まるでわたくしが小さな子供のように見えているのかしら」

 ファティナは眉間に皺を刻みつけて嘆息し、けれどその考えを弾き飛ばすかのように微笑んだ。


「でも、自信はあるのです。わたくし、きっとエイリク様と仲良くなってみせます。

はれて仲良くなれたら、きっとヴァルファム様も喜んでくださると思うのです。だから、ほんの少しの間だけで宜しいの」

――お願い、クレオ。

 

 両手を合わせて翡翠の瞳で見上げられ、クレオールはがっくりと肩を落とした。

外見上は普段どおりに。

「私は知らぬ存ぜぬで通せばよろしいのですね」

無茶であることは判っていたが、クレオールはそういうしか無かった。

屋敷内の全てを網羅している自分が、知らないと主に告げるのはとても恥ずべき行為だ。だが、ファティナはそれをしろと言う。

命じたのではない、あくまでもお願いしているのだった。


 どちらでも一緒だ。

クレオールはこの女主の願いを完全に突っぱねられた試しが無い。

男主から見れば立派に役立たずな執事だ。


「ありがとう、クレオ! このことはちゃんとわたくしの口から言うから。その時がきたらヴァルファム様にきちんとお伝えしますから。それまではナイショにしていてね?」


嬉しそうにいう女主を前に、クレオールは自分の胃の辺りをそっと撫でた。

彼の女主は不思議なもので、胃痛の原因でありながら胃痛を取るための癒しにも成り得る。まったく稀有な存在であった。


***


――呆れる。


 ヴァルファムは面前の義母の様子に呆然とし、ついで吐息を落とし、口元を緩ませた。

ファティナの手にはすでに包帯はない。もともとそう酷い怪我でもなく、彼女は三日もせずにさっさとその包帯を取ってしまった。

 食事も何もかもを自らの手で行えるのだと証明し、今も自らの手で食事をしていたのだ。

母屋の食堂にはヴァルファム、ファティナ、そしてエイリクが席を埋めている。エイリクなど離れで食事をすればよいのだが、ファティナが「家族ですのに!」とうるさい為にヴァルファムもエイリクの同席は認めていた。

 その代わり、はじめに忠告はしてあったが。


――食事時に無礼な振る舞いはしまいな?

 何かあればたたき出すという圧力を、子供はきちんと感じ取れただろうか。


「義母うえ」

「……」

 ぴくんっとファティナの体が震える。突然呼ばれたことで一瞬だけ浮上したのであろうが、どうやら彼女の背に張り付いた睡魔は強力なようで、すっとその意識を飲み込んでしまった。


――食事中に寝るのは赤ん坊だけかと思った。


 叱るべきかとも思ったが、あまりにも阿呆らしくてヴァルファムは嘆息一つで膝の上のナプキンで口元をぬぐい、席を立つとそのままファティナの横へと回り込んだ。

 同席しているエイリクが顔をしかめているのが判る。

「何故そのように無節操に寝れるのか理解できませんっ」

子供らしい不平を口にするのを無視する。


無節操に寝るのがファティナだ。

「寝室にお連れ致しましょうか?」

クレオールが声を掛けてくるが、ヴァルファムはそれを手で払うようにしてからファティナの膝裏に手を差し入れ、肩を支えて抱き上げた。

 エイリクがあきれ果てた冷たい眼差しを向けてくる。

「自分の面倒も自分で見られない人間がいるとは」

「見慣れぬものがうろついているのだ。義母うえも気が張ってお疲れなのだろう。おまえが疲れさせているのではあるまいな?」

「そんなっ……」

 エイリクは傷ついたように顔をあげ、それからふいっと顔をそむけた。

ヴァルファムはそれを冷たく一瞥し、さっさと食堂を出た。

食事もあまりすすんではいなかった。そう遅くない時刻に目を覚ますだろうし、空腹も覚えるだろう。そう判断して寝室ではなく普段から使っている居間へと足を向け、彼女が気に入っている籐の椅子にそのままおろした。

 クッションが柔らかくその体を受け止め、身が沈む。

幾度もここで昼寝をしているのを目撃している。どうやら彼女はここを気にいりの昼寝場にしているようだから、寝心地は悪くないだろう。

 ヴァルファムは苦笑をこぼし、ついて来ていた侍女にひざ掛けを持ってくるようにと命じた。


唇にパンの欠片。


「まったくあなたときたら」

小さくつぶやいて親指の腹でそれをぬぐえば、ぼんやりとファティナの瞼が震えた。

「旦那様?」

 小さく振るえる瞼は随分と重いのだろう、ファティナは必死にそれをもちあげようとするが、すぐに下がってしまう。

けれど手が伸びて、ヴァルファムの手をぎゅっと握り締めた。

「旦那様……お会いしたかった」

 ふわりと口元が笑みを刻む。


夢を見ているのだ。

悪意無い夢を。夫の夢を――愛する夫の夢を。

ヴァルファムは肺一杯に息を吸い込んだ。わずかに身が震えるのを必死に押さえ込み、戦慄くような奇妙な音が口から漏れた。

 天井を見上げて瞳を伏せる。

ついで、ヴァルファムは決意したように身を伏せ、籐椅子の左右の肘掛け部分を掴むようにしてファティナの唇を奪った。


軽く一度触れて、もう一度ついばむように。

軽く。ほんの軽く。

そうして囁いた。

深呼吸の合間にした、ある決断のもとに。


「義母うえ」

 目覚めるまで優しく。幾度も。

浅い眠りと深い眠りに翻弄されるようにファティナは瞼をおしあげ、そうしてやっと面前にいるのが義息だと気付くと微笑みをたたえてみせた。

「ヴァルファム様?」

「父に会いたいですか?」

ゆっくりとした言葉は、硬く、そしてわずかだが揺れていた。

ファティナは何を言われたのか理解するように二度瞬き、ついで小首をかしげた。


「もちろんですわ」

「父から手紙が届いております。怪我をしたということでこちらに来ることはできなくなったと」

 途端にファティナの瞳に悲しみが広がった。

翡翠の瞳がいっきにかげる様を直視すれば、ヴァルファムはどこかが痛むような気がした。


「お怪我を? どんな具合なのでしょう、あのっ、旦那様はっ」

「心配ですか?」

「当たり前ではありませんかっ」

 怒るようにいわれ、ヴァルファムは暗い笑みを浮かべた。


「では、見舞いに行きますか?」

冷ややかな音になったが、ヴァルファムはそのまま言葉を落とし込んだ。

「よろしいのですか?」

 途端にフアティナの言葉に喜色が混じる。

彼女は心から嬉しいのだろう。愛する夫に会いにいけることが――心から。それを冷めた心と眼差しで見つめながら、ヴァルファムは微笑した。


「急なことで休暇をとるのに数日かかることでしょうが、お連れしましょう」

「本当に?」

「ええ、約束しますよ」

 いいながら、ファティナの顎下に人差し指と中指とを沿えて顔を上げさせた。


 眠気など吹き飛んだように幸せそうな表情を浮かべるファティナに、冷笑を湛えたまま口付けた。

約束の証として。

 腹の底を満たすのは憎しみだろう。

そんなにあの男が好きかとその両肩を掴んでがくがくと揺らしてやりたくなる。そんな感情はただのまやかしで、実際にあの男を面前にしてしまえば木っ端微塵に打ち砕かれるものだ。

――あの性根の腐った下衆野郎が小娘を愛し敬い、優しさをむけるとでも勘違いしているのか?

 ならばそんな幻想など硝子のように打ち砕いてやる。

泣けばいい。悲しめばいい。自らの思い込みを、自らの愚かな幻想を粉々に打ち砕かれてしまえばいい。


 ボロボロに傷つけられてしまえばいい。

もう二度とあの男を愛しているなどと言わぬほどに。

 

「ヴァルファム様っ、わたくしは優しい義息をもって本当に幸せです」

 嬉しくて仕方がないのだろう、ファティナはその両手を伸ばしてヴァルファムの肩に手をかけ、自らも義息の頬にちゅっと音をさせて口付けた。

「喜んでいただけてとても嬉しいです。ところで食事が途中でしたが、いかがなさいますか? 食堂に行って食事を再開なさいますか?」

「あら……そういえば」

 冷静さを取り戻した様子のファティナは頬を染めて自分の腹部を撫でた。


「わたくしったら食事中にうとうとしてしまいましたの?」

「ええ赤ん坊のように」

「――ちょっと疲れていましたのね」

 ファティナは恥じ入るように口元を押さえ、けれどすぐに瞳をきらきらと輝かせて、とっておきの秘密を打ち明けるように囁いた。

「今日はとても素晴らしいことがあったのですよ?」

「何でしょう?」

 問いを返せばファティナは途端に自分の言葉に驚愕するように瞳を瞬き、ついで慌てた様子で自分の口元に指を当てた。


「やっぱりナイショです」

「またナイショですか?」

 ふと暗い影がさした。

彼女のナイショは今までもあまり良い思い出が無い。

「あとでちゃんと教えてさしあげますけれど、今はちょっとだけナイショですわ。でもきっとヴァルファム様も喜ぶようなとっておきのナイショですのよ? 楽しみにしていてくださいませね?」


――私が喜ぶようなとっておきのナイショ。


 果たしてそれが信用できるものか否かといわれれば完全に信用ができない部類のものだろう。

何故なら、ファティナときたら「夫に子供を授けてもらう」こともヴァルファムにとって喜ばしいことだと信じている愚か者だ。


 ヴァルファムは右手を差し伸べてファティナを促しながら口元を引きつらせた。

「意地悪をおっしゃらないで教えて下さい」

「駄目ですわ。でも本当に素晴らしいことですのよ?」


 ファティナの笑顔がまぶしい程、ヴァルファムは苛立ちを募らせた。

絶対に確実にすばらしいことなどでは無いだろう。

ヴァルファムは断言できる。

きっとヴァルファムにとっては許容できないような度し難い問題があるに違いない。

締め上げてやりたいが、まずはクレオールからだ。

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